第7話
自慢じゃないけれど私の寝起きはひどく悪い。それが原因で恋人と別れたことすらある。目覚めた時には布団はもぬけの殻で、二度と彼が私の部屋に来ることは無かった。彼に会えたのは翌日のキャンパス構内で、何故か右頬を真っ赤に腫らしていた。彼は私が視界に入った瞬間、反射的に右頬に手を添え、反対方向に去ってしまった。それ以来、私は誰かと夜を共にする時は、寝ずの番を任された武士のように暗闇をじっと見つめてやり過ごすようにしている。
十月に突入し、タオルケットの上に毛布を掛けて寝るようになると、起きるのはますます困難になった。この一週間、出勤時間は少しずつ、しかし確実に遅れつつある。九時までの出社には余裕があるものの、外では必死に”完璧に自立した”社会人を取り繕っているので、寝癖もついたままぎりぎりに出社というのはなんとしても避けたい。もはや私はちっぽけなプライドと見栄だけでなんとか起床していた。ところが、十月も半分を過ぎたところで、私の日常を支えていたちっぽけなプライドと見栄は粉々に砕け散った。
「今日は会社お休みなの?ねえねえ」
「お休みならお出かけしようよ!ねえねえ」
双子の声が代わりばんこに左右から降ってくる。背は低いがスタイルの良い双子の姉妹に挟まれた眼鏡の陰鬱なOLを想像して私は顔をしかめた。囚われた宇宙人のようだったからだ。ともかく、私にはそんな暇はない。今日は事務の仕事に加えてスナックの出勤日でもあったし、宇宙人ごっこなんかする余裕はないのだ。大体双子美人詐欺師とどこに出かけて何をするのだろう。
「それはショッピングじゃないの、女同士だし」
「おしゃれなランチでもいいわね、女同士だし」
「夜になったらその辺の男でもひっかけて遊びましょう」
「だいぶご無沙汰なんじゃないの?」
失礼ねえ、と声を荒げたところで目が覚めた。夢か?夢にしてはいやに具体的な会話だった。やれやれと頭を振りながら布団をはごうとすると、左に美人双子姉妹の姉がいて、右に美人双子姉妹の妹がいることに気が付いた。
「ご無沙汰じゃないの?」
きょとんとした顔で妹が尋ねてくる。夢ではなかったようだ。なんとか体裁をつくろう弁解をするために口を開いたところで、視界に壁掛け時計が飛び込んできた。針は八時半を指していた。双子が勝手につけたであろうテレビが、私が普段見ることのないバラエティ寄りのニュース番組を映し出しており、「今日のガッカリさんは五月生まれのあなた!何をやっても悉くうまく行かないでしょう!」と告げていた。私は五月生まれであり、今の時刻は八時半であり、遅刻がすでに決定していることだけは確かだった。なんと中途半端な時間に占いをするのだろうという疑問を飲み込んで、私は普段の三倍速で支度を始めた。何をやっても悉くうまく行かない日でも、出社しないわけにはいかない。
何をやっても悉くうまく行かない日という表現は本当に的確で、私は占いの信憑性について大いに観念を覆されることになった。私が近づいた信号は軒並み赤に変わり、電車の乗り換えは可能な限り最長の時間を私に課し、車内では化粧の濃い女子高生のイヤフォンから大音量の西野カナが漏れ出していた。西野カナは嫌いじゃないけれど、電車の中で意図しない音楽を微妙な音量で聴かされるというのは苦痛なものだ。なんとか会社に到着すると、山崎さんは全く私を叱らず、かえって心配していた。はあ、その、何日か前からですね、私の書きかけの小説から登場人物が現実に介入してきてまして、日常を脅かされてまして、睡眠がきちんととれなくてですね、と言うわけにもいかず、私はただ平謝りすることしかできなかった。それでもなんとか業務をこなし、疲れた体に鞭打ちながらスナックへ足を運ぶと、カウンターのスツールに腰掛ける男性がいた。この時間に客が来ることは珍しい。彼は優雅な手付きでカティ・サークのロックを飲み、こちらを振り向いて微笑んだ。
「やあ、遅かったじゃないか」
今日は本当に何をやっても悉くうまく行かないらしい。
夢想 @aihanagareru
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