第5話 イチとハイドランジア
俺の知ってるゲームの世界だが、厳密には少し違うのかーー?
首筋に埋め込まれた謎の電子回路を疑念と共に見つめる。
虫刺されだとずっと思っていたミミズ腫れの正体は、こいつが原因だったのだ。
湧き上がる数々の疑問に軽い目眩がして足元がふらついていると、
ハイドラが奥にあるキッチンに向かいお茶にしましょう、と声を掛けてきた。
「色んなことが一度に起こりすぎて混乱してるのですよ!一度、落ち着いて体もいたわりましょっ」
「そ、そうだな……。ていうか、お前は適応能力高ぇな」
「イチに会えましたから。ずっと文字と言葉だけの存在だったイチがこうして私たちの世界に来てくれたこと。それだけで……私、なんでも出来る気がしたんです」
俺はまだ内心混乱しっぱなしだというのに、ハイドラは落ち着いた姿で俺を見ながら言った。
クソニートの俺をここまで信頼してくれるのは、今は彼女だけだ。
いかん、いかん。俺がこんな体たらくでどうする。
自分を叱咤し、首筋に残る謎の電子回路の事が気になりつつも、ハイドラのペースに巻き込まれる形で俺は頷いた。
程なくして木目の残るナチュラルな丸い机と椅子に
小さな花模様が描かれた陶器が音を立てて運ばれてきた。
「ほらほら〜、いつまでもぼうっと突っ立てないで腰掛けて体を休めてください!あの戦いが終わった直後に突然倒れるんですから」
催促されるまま、椅子に座ると木造ならではの軋む音が静かに響いた。
「突然……?」
そういえばハイドラの顔面パンチが来る前にも、一度記憶が抜けている。
確かビッグマンイーターを倒した後、体が急激に冷えきって全身からは冷や汗が滝の様にどばどばと噴き出していたような。
朧げ過ぎて曖昧だが、暫くすると暖かい体温が戻ってきたのは覚えている。
「そこは……覚えてないのですね……」
不安そうにハイドラが目を伏せた。
「倒れた後、イチのマギアバングルらしきものから音が鳴り響いて、失礼ながら画面を見させて貰うとクエストクリアの文字がありました。ご存知ないですか?」
「俺のマギアバングル?もしかしてこのスマホの事……?」
「それです!スマホと言うのですね!!」
ソフトカバーがついたスマートフォンを取り出して見せると、目を輝かせながらハイドラは頷いた。
この世界に科学力が無いわけではないが、現実のテクノロジーに比べると一風変わった進化を遂げているようだ。
例えば部屋にあるアンティークなラジオだが、電波ではなく魔力波というこの世界独自の魔力周波数なるもので動いている。
マギアバングルも一見すると科学力を駆使して造られていそうな外見だが、あれも魔力波で動いているアイテムだ。
最初らへんのチュートリアルとシナリオでそんな世界観の説明を受けたのを思い出した。
「やっぱ、珍しいのかなこういう科学的なもんってのは?」
「はい、私達の世界にも科学はちゃんとありますけど、科学と魔学を合わせた魔科学アイテムの"マギア"が殆どですもの。純粋な科学だけで造られた機械って滅多に目にすることないです」
「マギア……か」
この世界では魔法や魔術を扱う魔学を総称してマギと呼び、
科学で出来た物をギアと言う。
二つを合わせたものがマギアである。
ーーやっぱりそこもチュートリアル通りの設定が活きているのか。
そう思いながらNECROのアプリを探して起動してみると、彼女の言う通り、クエスト欄にはクエストクリアの文字が表示されていた。
"クエスト:悲しき現実"のクリア条件はパートナーキャラクターと制限時間内に接触すること。
30分という時間制限の中、俺は見事に始まりの丘を走り抜け、自キャラであるハイドランジアに会える事が出来たのだ。
「クリア後に空中から報酬の小袋が落ちてきて、その中に解毒剤が入っていました」
「解毒……剤?」
「はい。使い方が側面に印字されていて、丁度イチのその青緑色の線付近に刺す様にとありましたので、その指示に従い注射しました」
ハイドラの説明を聞くも、さっぱりそんな事をされた記憶も無い。
覚えている記憶といえば、急激に寒さを感じ、その後再び体温が戻ってきた感覚くらいだ。
「その容器、まだ持ってるか?」
「え?あ、はい!」
ハイドラが思い出したように立ち上がり、棚の中に置いてあった小袋を持ってきた。
手渡されたそれは革で作られており、紐を解くと中に紙幣とコイン、虹色に光る小さな宝石、そして空になった注射器が出てきた。
「これはこの世界の通貨……か?」
「そうです!この紙幣が1000で、コインが大きいものから500、100、50……とあります。全部で1500ダール分ですね」
通貨額は日本円とそんなに変わらなそうなので、然程困る事は無さそうだ。
「この小さな石って黄泉石……だよな。現実で手にしてみると以外と小さいし綺麗だな」
黄泉石というのは、ログインボーナスで数日おきに一つ貰える報酬アイテムの一つである。
石を指定数集めて黄泉石取引屋という所に行くと、武器や防具と交換したり、新キャラクターと出会えるガチャが引けたりする。
リアルマネーでも購入が出来るため、金に余裕のある奴やこのゲームに入り浸ってる奴は黄泉石を課金して購入している。
俺もここに来る前に、銀行で黄泉石を買うために30万円ほど振り込んだのだがーー。
それは自分の為のプレイアブルキャラクターを引く為ではなく、ハイドラの為に贈るギフトや防具と武器、消耗品のためである。
……俺はハイドラに自分の全てを捧げるつもりで育てていたからだ。
これからもこの石はハイドラの為だけに使う。
そう決めている俺は、価値のある黄泉石を革袋に大事に仕舞い込んだ。
そして、最後に空になった注射器を手に取った。
通常よく医療現場で使われるピストン式では無い。
楕円を引き伸ばしたカプセル状で、ボタンを押すと針が飛び出してくる仕組みだ。
「これはペン型注射器……か?アドレナリンや解毒剤注射によく使われるタイプで、通常は針が見えずに、押し付けないと出てこない奴だ」
サイドに説明書きがあり、確かに電子回路部分に注射しろ、と伝える図解があった。
しかし、成分や副作用といった本来なら書かれているはずの効能等は一切なかった。
「私も見かけない解毒剤で、よく分かんなかったけどともかく無事で良かったです」
「よく分かんないものを俺に使ってくれたのか……」
そんな怪しいもんで俺は助かったのか。
ともかく……。
これ、ハイドラが使い方分からなかったら俺多分死んでた。
背中から汗が流れるのを感じる。
ここに来てから背中と脇汗がぐっしょりだ。
「ハイドラ、本当にありがとう。お前がいなかったら早々にくたばってた……」
「そんなこと無いです。私は私に出来ることをした迄ですもの!でも、どうして解毒剤が必要だったのでしょうか……」
ハイドラは親指を顎に当てて、考えるポーズをとりながら喋った。
「さぁな。心当たりは無いが、もしかしたら"始まりの丘"を駆け抜けていた時に、毒草か何かに引っかかったのかもし知れ無いな」
あの時、思えば普段以上の力を使って走り抜けた。
最初は自分でも驚く程、驚異的なパワーで足が前へと進んだ。
まるでスーパーマンになったかのような、力が体の奥底から溢れている感じがしたのだ。
今思えば、なぜあんなに力が一瞬にして漲ったのかは不思議だが、きっとハイドラに逢えるという気持ちが先走ったのだろう。
そんな気持ちの焦りと昂りの中、気付かずに毒のある植物に引っかかった可能性がある。
毒植物による手足の痺れや、急激な体温低下なら考えられる。
しかし、ハイドラはその説に疑問を抱いているかのように声を唸らせた。
「うーん……確かに、草原地帯でも毒を持つ植物は生えています。でも毒といっても非常に弱い毒性で、大抵は葉の汁がついて肌がかぶれるといったぐらいですよ。とてもじゃないですが、あの辺りで咲いている花々や生息する虫達に致死に至らしめるような毒を持つといった情報は一切王都やギルドからも通達されていませんし……」
「その可能性は低いか……。なら、俺の奇ーー」
そう無意識に呟きそうになった時、俺ははっとして口を閉じた。
不思議な顔で喋るのをやめた俺の顔を見たハイドラが頭に"?"を浮かべながら傾げた。
「ああ、ごめん。なんでも無い。この件は考えたってしょうがない。それより、お前はなんともなかったか?」
「私は平気ですよ、イチのお陰で。丸腰でモンスターに向かっていくから、最初はヒヤヒヤしましたよ。でも、」
そこでハイドラは一言区切り、そして目を輝かせながら言った。
「まさか素手でビッグマンイーターの花弁を4枚も引きちぎるなんて狂気の沙汰ですよ。人間の力とは思えません!」
「それは俺自身もビックリしたよ。ただ、お前が襲われてるところを見たら居てもいられなくなってな」
言われてみれば、俺はあの人間の体格よりも数倍もあるビッグマンイーターによじ登り、弱点である花弁を引き千切るという、蛮行を振るってしまった。
とてもじゃないが現実では考えられないパワーだが、火事場の馬鹿力という奴だろう。
「奇声を発しながら突進ですよ?私、正直サイコパスかと思いました」
「ははは。だろうよ」
初対面(厳密には違うが)での俺の印象はかなり、イカレている奴だと思われただろうな。
たが、俺の形振りよりもハイドラが無事で良かった、という気持ちばかりが安堵と共に溢れていく。
目の前で珈琲を注ぐ彼女が、もしあの場で殺されていたかと思うと、我が身も顧みず突進していたのは正解だったと思う。
「さ、難しい話は一旦止めて、ゆっくり珈琲タイムです!イチは砂糖2杯の甘めの珈琲が好きなんですよね」
考えても原因が突き止められないと知った上でか、話題を変えるようにハイドラが抽出し終えた珈琲をカップに注いだ。
ふわりと、淹れたての珈琲のほろ苦い香りが鼻をくすぐる。
そして、着色された青と桃色の角砂糖を二つ、珈琲に落としてくれた。
「ああ、よく覚えてるな」
「マスターとの会話は全て私を導いてくれる天啓!これ即ちご加護ですからね!」
そういうとマギアバングルの画面を操作して、ハイドラは現れた画面を見せつけてきた。
ーーあれ?静電式のタッチパネル?もしかして、この世界の技術、俺らよりも上じゃね。便利過ぎだろコレ……。
マギアバングルの内周は凡そ17cm、幅が4〜5cmといった所で、重さは腕時計くらいの重みしか感じない。
バングルに触れると、ディスプレイが表示される仕組みになっている。
画素数もそこそこあるようで、バングルに沿うように湾曲したディスプレイの割に文字は見やすかった。
現実世界の最先端スマートフォンと比べると、この世界独特の進化を遂げた科学力には目を見張るものがあった。
「へぇ、ここに文字が流れていくのか」
俺が打ったチャットは天啓として、パートナーに流れていく。
マギアバングルの画面にはそのチャットログが保存されていた。
指でなぞるとログがいくつか表示されていった。
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ハイドランジア>『突然ですが、イチに質問です!紅茶派?珈琲派?』
イチ>『仕事で眠気覚ましに飲んでた時はめっちゃ濃いブラックだけど、本当に好きなのは砂糖2杯いれた甘めの珈琲かな』★
ハイドランジア>『なるほど、イチは甘いものが好き……と。覚えましたよ〜!』
イチ>『あ、それより次の茂みを越えた先にモンスターが2匹いるぞ!気をつけろ!!』
ハイドランジア>『気を引き締めて八つ裂きにしてやります!』
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それは俺とハイドラとの過去の会話履歴だった。
何も特別でない、クエストで狩場に向かう中で交えた日常会話的なやり取りだ。
会話を交えながら、行動を指示したりマップ上で敵やトラップの位置をプレイヤーが俯瞰視点で察知し、パートナーに伝える。
パートナーからして見れば、自分の見えない場所……即ち死点の状況をこうしてマスターから天啓で教えて貰い安全にかつ、正確に行動できる。
例えるなら軍の司令と、任務を遂行する兵という関係に似ている。
「あれ?」
素っ気ない文字の隣に星のマークが付いていることに気付いた。
「この星マークなに?」
「あ、これはお気に入りです。こうやってマスターとの会話で気になったものや、保存しておきたい天啓があれば保存しておけるのです!保存した天啓はすぐにまた開示できるから便利なんですよ!」
まさかマギアバングルにチャットログ保護機能付だとは。
俺の何気ない一言や意味の無い顔文字までもが、ハイドラのお気に入りの中には入っていた。
ーーそんなどうでもいい日常会話をしっかりと保存しているなんて……なんか、こっぱずかしい。
「あとは、このお家も大事だから毎日掃除してますよ。イチがくれたものは何でも私の宝物で思い出ですから」
にっこりと微笑まれ、その初心さから現れる香りに年甲斐もなくドキドキしてしまった。
気持ちを抑えるように、淹れたての熱いコーヒーを1口、口に含んだ。
疲れていた体に程よい甘さが染み渡っていく。
誰かにこうして淹れて貰ったのは何年ぶりだろうか。
他人から淹れて貰った珈琲が此処まで美味しいということを、俺は忘れていた。
やっぱり、誰かと一緒に生きるってのは悪くねぇな。
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