第4話 知らない世界

ロ……ロ……


ログインボーナス……貰わねぇと……。




後ハイドラの防具も精錬してもっと防御力上げとかねぇとな……。

戦闘で傷つくの可哀想だし。見てらんねぇよ。

あぁでも今の装備の組み合わせかなり気に入ってるし……見た目も重視したいんだよなぁ。

鎧系でゴツすぎるのも俺の好みじゃないし、でも防御が……。




ーーンア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!どうすりゃいいんだ!!




大体朝起きる前は、朝日に魘されベッドでゴロゴロしながらこんな事を考えている。


社会人を辞めて別に大して貴重でもなくなった日がなニートの1日。

しかし、ネクロフォビアオンラインにとっては貴重な1日である。

ネクロは現実時間と同じく、リアルタイムで進行していくシステムだから俺にとっての1日は、ハイドラとほぼ同期しているようなもんだ。


ーーあ、そーだ。今日もインしたらまずハイドラから採集クエストの成果も聞いとかねぇとな。


ネクロフォビアオンラインはマスターであるプレイヤーがログアウト中でも、事前にパートナーキャラクターに"行動指示"を出しておけば、それに従って動いてくれるシステムが搭載されている。


出来る行動と言えば、

・クエストの指示

・買い物

・遊ばせる

・情報収集

・素材集め

と多岐に渡る。

親密度と信頼度の関係で下せる指示の内容も増えたり減ったりするのだ。


だが俺はハイドラをモンスターを狩って報告するような討伐系クエストには1人では行かせない。


ハイドラのキャラクターレアリティは最低ランクのEで幾らレベルを上げても、上限の10レベル突破はできず、全ての基本ステータスが低いためだ。


ゲームをやり始めた頃に、右も左も分からず1度だけ試しに討伐クエストに行かせた。


結果は瀕死の状態で未達成のまま終わった。

ネクロフォビアオンラインはキャラクターがダメージを受けるとグラフィックも、損傷した場所が変化する。


それが生々しくて、ゲームと言えども感情移入過多に加えてビビりな俺は痛々しくて見ていられなかった。

バイオハザードとか見ていて怖くなるのと同じ類いだ。


キャラクターが傷つけば自分も「いてぇ!」と叫んで見たり、水中ステージなんかでは、キャラクターが水に潜っている間、何故か自分も息を止めてみたりと、どっぷりとそのキャラクターの立ち位置にさも自分がいるかのように振舞ってしまう。

自分のプレイ癖がオンラインゲームにも表れているのが原因だ。


ともかく、そんなハイドラに対する過去の失敗と過ちを恐れてからは、俺はやたらと防具や装備特化の為だけに時間を費やした。


流血表現があるのは苦手だが、ハイドラの装備を金に糸目を付けずに課金してふんだんに作り込めば流血沙汰を避けられるのが分かったからだ。


そしてネクロでのプレイスタイルと目的は、ハイドラとのコミュニケーションと彼女の為の装備や見た目アバター目的で遊ぶことが多くなっていたのだ。


もう三十路前だが、正直女の子の着せ替えは楽しい。

男と違って、スカートとか髪飾りとか、靴の一足でさえミュールだの、ハイヒールだの、ロングブーツだのと豊富にあるから集めるだけでも夢中になる。


そして、ギフトとしてハイドラに贈ると喜ばれるから、その笑顔だけで1日が有意義に過ごせる。


いい年したオッサンが何やってんだ、キモ過ぎだろコイツ。と思われるが、例えるなら実の娘を可愛がるレベルに自分のパートナーキャラクターを愛している。



自慢じゃないが、俺はネクロを始めてからパートナーキャラクターを一度もHPを0に、つまり殺したことがない。


プレイを始めてから2年間、ノーコンティニューだ。



やばくなったら煽って逃げる、ヒットアンドアウェイ。

命あっての物種だ。



ハイドラが死んだら俺も死ぬというくらいの勢いの縛りプレイで遊んでいるのだから、こっちも自然と集中する。

まさに一心同体で家族同然の存在である。


ストーリークエストの進行上進めなくてはならない高難易度のクエストは、リアルマネーを大量投下した。

どうせ使う相手もいないし退職金と身内の保険金を合わせて腐るほど残っているから、ハイドラの強化目的でつぎ込むのが日課となっていた。


そんないつものニート日和ならではのTODOを頭の中で悶々と考えていると、頬をぺちぺちと柔らかくて暖かい何かが頬を叩いた。




誰だよ。

俺にはもう家族なんていねぇよ。





俺のそばに何時もいんのは画面の奥のーーハイドランジアだけだ。




「もしもし?……い、生きてますか?」




儚くも優しい声が上から降り注いだ。




4話 知らない世界




自分の顔に降りかかるベールのような長く美しい白銀の髪。

そして次に、空色の美しい瞳とかち合った。


「い、いきてます」


何を喋れば良いのかわからず、とりあえず何かを返さなければと思い口から飛び出た言葉は裏返っていた。


「良かったです。モンスターに倒されて気を失ったのでどうしようかと思ってました……」

「んん?!ちょっとまった!俺はお前の顔面メリ込みパンチで気を失ったぞ」


ハイドラの声に飛び起きて、自分が何故こうなったかを一瞬で思い出した。

目の前が再びブラックアウトする前に顔面に降りかかって来たのは、確かに彼女の拳である。


サラリとモンスターに自分の非をなしりつけようとしているぞこの娘。


「ごめんなさい、やっぱり覚えてたんですね……。思わず反射的にとってしまいました」

「まぁ、俺がおっぱい鷲掴みにしたのが原因だから、非があるのは俺の方か……。悪かった。でも、凄い良かった」

「まぁ、それは良かったです。私も自分にあんな筋力が眠っているとは思いませんでした。新たな発見とアビリティが開花した気がします」


ぱぁっと笑顔になるハイドラを目にして、怒りなんて湧いてこなかった。

むしろちゃんとした防衛手段が取れていることに安堵している。

これなら、万が一痴漢や暴漢に襲われても大丈夫そうだな、うん。


まぁ、その前にそんな事が起こらぬ様俺が八つ裂きにしてくれるわ。


お互い奇妙な謝罪と感謝を終え、自然と笑が零れた。


「んーと、あなたは……私のマスターの……イチですよね」


何を語ろうか迷っていた所、先に口を開いたのは彼女の方だった。


「あぁ、そういうお前こそ、本物のハイドラ……なんだよな」

「私以外にハイドラと呼ばれるハイドランジアはいませんよ」


ハイドラはベッドに腰掛け、微笑みながら応えた。

艶やかな白銀の髪に、白い肌。

本当に花のように可憐な娘だ。

キャラクターレアリティEだけど、頑張って見放さずに2年間育てた甲斐があった。


「このマギアバングルで、あなたの言葉をいつも頼りに戦って、日々を生き抜いてきました」


そう言ってハイドラは自分の右腕に装着されている銀色のバングルを差し出した。


マギアバングルと言って、ゲームの世界観と設定ではプレイヤーがキャラクターに向けて呟いたチャットや絵文字なんかは、マギアバングルに送信されているという事になっている。


これは俺達の世界でいうスマホみたいなもんで、日常生活においてネクロの中で暮らす住人立ちにとっては手放せない必需アイテムという設定なのだ。


ゲームのキャラ達はこれを使って、俺達プレイヤーとコミュニケーションを取っている形となっている。


「すげー。本物のマギアバングルだ」


俺が差し出されたハイドラのマギアバングルを手にとろうとした時、ハイドラが手を引っ込めた。


ーーん?なんだ?


そう訝しんでいると、ハイドラが神妙な顔つきで口を開いた。


「やはり、念の為あなたが本物の私のマスターであるか試してもいいですか?」


腕にマギアバングルをはめ直し、ハイドラが何やらバングルに付いている画面を操作し始めた。


あ。こいつ、疑ってやがる。


だが、こうして誰にほいほいと心を許さず、まずは自分の目でちゃんと確認を取るのはしっかりした娘(こ)であると評価出来た。


「三日前に、マスターが消える前に私に出した指示は?」


どうやら、過去ログと行動履歴から俺が本物なのかを照合するらしい。

消える前に、というのはログアウト中の行動の事だろう。

俺は考える間もなくスラスラと答えを口にした。


「薬草10枚の採取と、鉱石の採掘。モンスターや敵マスターと遭遇した場合は速やかに離脱すること。結果よりも命を大事に、だ!」


「フリークエストでマスターが好んで選ぶものは?」

「買物。10万ダール以内で好きな服買って良し!出来ればニーソと白基調のふわっとしたデザインの服を買ってくれると俺は喜ぶぞ!」


フリークエストなるものは、特にストーリーの進行とは関係が無く、クリアしなくても支障はきたさないクエストだ。

しかし、これを選ぶとパートナーとの親密度が結構上がるし、クリアした後の反応やコミュニケーションが面白いのだ。


服が安く変えただとか、この組み合わせはどう?だとか聞いてきてくれる。


キャラクターの思わぬ一面が見れたりするので、俺はハイドラの楽しむ顔をみたいが為に架空マネーとリアルマネーを併用して注ぎ込みまくったのだ。


「私が一週間前にネコミミセットに合わせて買ったのは?!」

「はいはい!赤いフロントリボン付きの水玉おぱんつです!」

「限定メイド服セットは何色を買ったでしょう?!」

「定番の黒白フリルと迷っていたが、敢えてファンシーなアリス仕様の青と白フリルのメイド服セット!」


だんだんヒートアップしてくる質疑応答。

心做しかハイドラの顔も満面の笑顔である。

その笑顔はパソコン越しの画面で見るよりも、とても眩しい。


「や、やっぱり……あなたは本物のイチだったのですね!?」

「だから最初から言ってんだろぉおお!!ともかくマジで会えて嬉しいぜえええハイドラぁああ!」

「ぁ。脂汗付きそうなんで近づかないでくれます?」


勢いに乗ったまま、抱き付いてみようかと思ったのに。

丁寧にはねのけるハイドラのさり気ない一言に鋭いナイフで心臓を抉られた。


「うわ、きっつ……いや、流石俺のハイドラだわ……。しれっと煽りスキルも順調に上がってんな」

「冗談ですよ!イチとのコミュニケーションはいつもこんな感じじゃないですか」

「あれはチャットだったから、笑って許せたんだけど面と向かって言われると結構きついもんがあるわ……」


例えるなら女子高生に後ろ指差されながら、わざと聞こえるように「えーあいつチョーきもくなーい?」とか「さっきすれ違ったやつ臭すぎて鼻もげるかと思ったー」なんて言われて、それが自分だったと気付いた時の絶望感に似ている。


が、ぶっちゃけ今の俺にはそんな程度の中傷どうって事ない。


ハイドラからの一言に傷ついた振りをして、どん底まで沈み込んだ態度を取る。

そんな俺の姿を見てハイドラが言い過ぎた?と不安そうな顔で覗き込んでくる。


「ぷ、くくく。なんかノリがオフ会で長年の狩り仲間にようやく会えたって感じだな」

「オフ……会?よく分かんないですが、酷い。傷ついたなんて嘘じゃないですか。騙しましたね」

「むしろ御褒美だろ。こんな可愛い娘に蔑まれるなんてな」

「ふふふ、笑った顔はオットセイですね」


独特の感性とふわっとした雰囲気から放たれる鋭い一言。

どんな誹謗や宣告にも強がって見せたが、流石にそれは傷ついた。


なんだ、オットセイって。


「よっこらせっと……」


改めて自分がどこにいるのかを確かめたくて、ベッドから出て部屋をぐるりと見回してみる。


「もう平気なんですか?」


ハイドラが隣で見上げながら尋ねてきた。


「あ、あぁ……」



だが俺は自分の体調の事など頭には無く、呆然としながら部屋に置かれているものを見た。


格調のあるクローゼットに、机の上の花瓶に活けられた華々。

レースのカーテンに、豪華な薔薇の刻印が彫られた全身鏡。

更には天井の城に飾られているような眩いシャンデリア。


これはどれもーー


「この家も部屋の中の物も全部イチが贈ってくれた物ですよ。ちゃんと全部大事に飾ってます」


そう、ハイドラが言うように、ここにあるものは全て俺が課金してガチャで引き当てた家具アイテムだ。


ネクロフォビアオンラインはホームを買う事が出来る。

そしてパートナーキャラクターのホームを好きなように改造したり住まわせたりすることが可能だ。

贈り物として、家具や花束なんかを贈れば親密度が増す。


配置も自由に決められ自由度も高い。


ここにあるのは全て俺がかつてハイドラに贈ったもので間違いは無かった。

ハイドラに贈ったギフトも間取りも全部ゲームと同じ。

ここが夢の世界ではないのだと改めて感じる。

俺のくそったれな脳みそが作り出す夢ならばこんなに詳細で色鮮やかに再現出来ないだろう。



「私、"マスター"のイメージは天使や神様のような厳ついイメージだったんですが、こうして出会ってみると私達と同じような人間な形をしているのですね」


貴方の言葉で導くオンラインゲーム。


確かそんなキャッチコピーがあったはずだ。

ネクロの中の住人はマスター(プレイヤー)の声を天啓として受け取る設定だから、確かに姿が見えなきゃ自分よりも上位次元の存在だと認識されるのだろう。

勝手なイメージを作り上げてくれるのは構わないが、天使や神様ってのは違うと思う。


「チャット……文字だけの触れ合いだったもんな。イメージ損なっただろ?」

「いえ、なんか親しみやすくて良かったです。動物で言うとワンコですかね。よしよし」


うん、動物好きないい娘だ。

この素っ気なくも突っ込んでくれる感じがたまらない。


「でも、やはり私たちの姿と少し違うところもありますね」

「そうか?同じ人間で見た目に変わりはないだろ?」


男女の差はともかく、人間というカテゴリーに置いて違いは無いと思われるんだがーー。

そう言おうとした時、ハイドラが自分の首筋を指差して俺に言った。


「ほら、イチのここ、首にある青い線みたいなの。タトゥーでも無さそうだし、なんだか近未来な感じ!」


ーーは?


ハイドラが指す首筋を、自分も倣って手でなぞる。

あの虫刺されじゃなくてか?


薔薇の鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと見つめた。


磨かれた汚れ一つない鏡面に映り込むのは、社会人を辞めてから手入れなどしていない伸びきった髪の毛に野暮ったい顔。


その長めの髪の毛の下に隠れた首筋に、淡く青白く発光する青緑色の謎の線。


「なんだこりゃ?虫刺されかと思ってたんだがーー」


なぞるとぷっくりとミミズ腫れのごとく皮膚から浮き出ている。

まるでサイボーグに埋め込まれている電子回路のような形に似ているそれは、体温とは別の熱を持っており、自分の皮膚下まで埋め込まれているのかと思うと気味が悪くなった。



「イチの世界の住人は皆そういったものを持ってるのかと思いましたが……違うのですか?」

「あ、あぁ……。こんなもん、俺の世界にも無かったぞ。見たこともねぇし、聞いたこともない……」



一体何なんだこれは。

皮膚とは違う異質なそれは人工的に埋め込まれたとしか思えない。

だが、そんなことをされた身に覚えも全くない。

自分に置かれた状況がわけが分からなかった。


ネクロにも俺の知ってる現実世界にもこんな装置みたいなものは無いし、耳にしたこともない。







ーーただ、単に俺はゲームの世界に入り込んだのではないのか?

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