operation.5 フォモール

 

 フォモールとは、古代アイルランド島を支配していた邪悪じゃあくな種族のことだ。彼らは海の向こうからやってきたアイルランド人の末裔まつえい、フィルボルクやダーナ神族にとって脅威きょういそのものだった。

 現代、その名は情報が氾濫はんらんする『海』を脅かすコンピューターウイルスの総称そうしょうとして使われている。


 


 浅黒あさぐろいい肌をかがかせる人魚たちが、俺とメロウの前に立ちふさがっていた。彼女たちは黒曜石こくようせきのような眼をきらめかせ、漆黒しっこくの尾びれを不気味に動かしてみせる。

 すぅっと眼を細め、彼女たちはわらっていた。

 ――ミサキ……。

 メロウが怯えるように俺の背後へと移動する。俺は不安がるメロウの手をとり、彼女に告げた。

「メロウ、歌って……」

 笑顔をメロウに向けてみせる。彼女は不安げに眼をゆらめかせながらも、微笑んでくれた。

 尾びれをらし、メロウは大きく回転してみせる。回るたびにゆらめく銀糸の髪が、月光のように美しい。

 蒼く輝くくちびるを開け、メロウは歌をつむぐ。

 場の空気が変わる。

 透き通ったメロウの歌が、『海』の空間をゆらしていく。歌の高低に呼応こおうして、転がっていた透明な球体が宙へと浮き、輝きを放ち始める。

 赤色。青色。緑に、だいだい

 それは、俺が幼いころに『視た』人魚たちの群れを思い起こさせた。球体はメロウへと吸い寄せられていき、彼女の周囲を旋回せんかいする。

 メロウがひときわんだ声を発した。彼女の体が蒼い燐光りんこうに包まれ、それは粒子りゅうしとなって俺の体を取り巻いていく。

 ウイルス対策ソフトのダウンロードが始まったのだ。文字通り、ウイルスを駆逐くちくするために作られたそれは、フォモールたちに対抗するための武器として顕現けんげんする。

 俺の愛用しているソフトは、サムライ200。その名の通り、ニッポンの武器をテーマに作られたソフトだ。特に日本刀の美しさには目を見張るものがある。本当は、見た目でウイルスソフトを選択しちゃ駄目なんだけどな。

 俺は前方に片手を差し伸べる。俺を取り巻く光の粒子がてのひらに集中し、刀を形作っていく。つかが赤く、反り返った刃の斑紋が蒼く光るそれは、女刀だ。

 歌うメロウがちらっと俺を見つめてくる。その眼が、得意げに笑みを作っているのが腹立たしい。

 俺は舌打ちをして、メロウをにらみつけていた。

 あいつ、何かというと俺に女物の武器を持たせたがる。どうもメロウはニッポンの武器じゃなくて、ケルト民族の武器を俺に持たせたいらしい。断固だんことして嫌がる俺に、こいつは女物の武器を持たせるという嫌がらせをしてくるのだ。

 だが、文句をいっているひまはない。フォモールたちが、いっせいに俺たちに襲いかかってきたのだ。金切り声をあげなから、彼女たちは俺たちに肉薄にくはくしてくる。

「めんどいけど、ちゃちゃっとやるか……」

 俺はひょいと刀を肩にかつぎ、ため息をもらした。フォモールたちは俺の気も知らず、鋭い牙をむき出しにしてくる。

 大人しくしてればけっこう美人なんだけどな、こいつら。

 そう思いつつ、俺は軽く地面をってけていた。メロウが俺の正面にエアボードを顕現けんげんさせる。俺は片足をエアボードに乗せ、もう片方の足で地面を思いっきり蹴った。

 エアボードが走る。その先には、俺たちに向ってくる黒い人魚たちの集団があった。肩に担いでいた刀を片手で持ち、俺は刀をるう。刀の刃は俺に手を伸ばしてきたフォモールを切り裂いた。彼女は黒い靄となって海の中へと消えていく。 

 2体、3体。おれはエアボードの速度を上げながら、進行方向にいるフォモールたちを刀でほふっていく。俺の動きに合わせて、メロウの歌が速くなる。

 上空から、1体のフォモールが俺に肉薄してくる。跳躍して、俺はすれ違いざまにその人魚を一刀する。

 彼女へと振り向く。煙へと変貌へんぼうしていくそれに俺は微笑みかけてみせた。彼女は驚愕きょうがくに眼を見開きながら、消えていく。

 あぁ、いいなこの光景。なんど見ても、興奮こうふんする。

 なんど見ても、たぎってくる。

 なんど見ても、彼女たちをもっと殺したくなる!!

「メロウっ!」

 にっと俺は口角を釣り上げ、メロウに叫んで見せる。俺の叫びに、メロウはおびえたように眼をゆがませた。

 それでもメロウは、俺の要望通り歌声を変える。それは、ウイルスソフトから新たな武器をダウンロードする合図だった。 

 地面へと落ちていく俺の眼前に、小さな球体が現れる。それは、ビー玉の群れだった。俺はその群れめがけ、刀を袈裟けさがけに振ってみせる。ビー玉の群れは空中で飛散ひさんし、勢いよくフォモールたちのいる地上へとっていった。

 爆音がひびく。地面にぶつかったビー玉が、火の粉を散らしながら花火を咲かせていく。その花火に巻き込まれて、フォモールたちが悲鳴をあげて死んでいく。

 悲しげな旋律をかなでるメロウの歌が、鎮魂歌ちんこんかのようで幻想的だ。そんな幻想的な光景の中に、乱入らんにゅうしてきた少女がいた。

 赤いチャイナ服に身を包んだコナミだ。ツインテールをひるがえしながら、コナミは手に持っている鉄扇てっせんで次々とフォモールたちを殴打おうだしていく。彼女が体を回転させるたびに、チャイナ服のスリットからすらりとした足が煽情的せんじょうてきな姿をみせてくる。そんなコナミの上空では、ピンインが緋色ひいろの髪をひるがえしておどっていた。

「コナミーっ! 花火に巻き込まれんなよぉ!!」

 ――巻き込まれる覚悟決めないと、さざなみに単位免除をかっさらわれますから!!

 彼女の声が頭の中に響く。俺は、コナミの言葉ににっと口元を歪めていた。

 ここはネットの海。今ここにいる俺たちは、自分の情報を仮想世界で再現しているに過ぎない。思っていることを、情報として直接相手に送ることも可能なのだ。

 エアボードを傾け、俺は地面へと急降下きゅうこうかしていく。目的地はりをおこなうコナミのもとだ。

 といっても、体を回転させ攻撃を繰り出すコナミに死角はない。がら空きになっているピンインの周囲をしゅういいては。

 その光景を見て俺は舌打ちをしていた。コナミは前にも、ピンインをフォモールに攻撃されそうになったことがあるのだ。

 複数のフォモールが歌い続けるピンインへと肉薄していく。俺はその1体に追いつき、背後から仕留しとめてみせる。

 残りのフォモールは3体。追いかけようとエアボードの速度を上げた直後、彼女たちは悲鳴をあげて黒い煙と化していた。

 歌うピンインから、無数の火球が放たれたのだ。残りの火球をかわしつつ、俺はとんぼ返りをしながらピンインの頭上を通り過ぎていく。

 彼女は俺を見上げ、なんとも妖艶な笑みを浮かべてみせた。

 ――えっへん! この前みたいはヘマはしないよぉ。自分の人魚を守る防御システムぐらい構築済こうちくずみみですっ!

 ――ミサキの戦闘をもとに、何度も仮想シュミレートを繰り返した甲斐かいがありましたね! コナミ!!

 ――ちょ、ピンインちゃん! それは言わない約束でしょ!!

 ――なぜですか? 私は、事実をべただけですが?

 ――あーん! そうじゃないんだって!! 空気読んでよぉ!!

 脳内で交わされる2人の会話を聞いて、俺は思わず笑い声をあげていた。コナミが、きっと上空にいる俺を睨みつけてくる。

 ――そりゃ、ミサキの過剰かじょうなまでの絶対防御にはおよばないけどさ……。

 彼女の捨て台詞を脳内で認識にんしきしながら、俺は歌い続けるメロウへと視線をやっていた。ピンインと同じく、メロウのもとにもフォモールたちは押し寄せている。

 だが、そのフォモールたちは地面から伸びる無数の鎖によって攻撃を受けていた。

 鎖はからまりあい、牢獄ろうごくのように中央にいるメロウを取り囲んでいる。その中でメロウは眼を伏せて、悲しい歌声を鳴りひびかせていた。

 まるで、牢獄にとらわれた姫君のようだ。

 そんな彼女の歌を邪魔しようと、フォモールたちはメロウへと肉薄していく。だが、メロウを取り囲む鎖がフォモールたちの体を貫き、彼女たちを黒い煙へと変えていくのだ。

 俺がプログラミングした対フォモール用自動防御システムの完成度は高いらしい。

 ウイルスソフトを稼働かどうさせているあいだ、IAたちはその作業に集中しなければならず、自分の身を守ることができない。そのため、彼女たちを守る防御システムを構築する必要があるのだ。

 といっても、俺も父さんの真似をしてこの防御プログラムを構築しただけなんだけどな。

 俺を守ってくれていた防御プログラムは本当に凄かった。父さんをおとしいれようとする奴らからサイバー攻撃を受けていたけれど、1度も被害にあったことがなかったからな。

 そのおかげで、ここにいられるわけだけど。

 迫る地面を見つめ、俺は黙考もっこうをやめる。エアボードから放した片足を地面につける。周囲を見渡すと、すみのような靄があたりにたちこめていた。

 あれほどいたフォモールたちは見当たらない。靄の向こうでは、鉄扇を拡げ得意げに微笑むコナミの姿があった。

「残念でしたねぇ、漣……。狩りは私の勝ちです。さっきピンインに漣と私の倒したフォモールをカウントさせたところ、私のほうが討伐とうばつした数を上回ってたのよ。学年首位は漣じゃなくて、私になるかもねぇっ!!」

 鉄扇で顔を仰ぎながら、コナミはいやらしく口元を歪めてみてる。

「そっか、よかったなっ!」

 にっこりと、俺はそんなコナミに笑顔を返していた。

「うにゃう!?」

 奇妙な声を発しながら、コナミは俺を睨みつけてくる。

 本当に、何かというとこいつは俺を目の敵にしてくる。特にフォモール討伐となるとコナミは人一倍俺と張り合おうとする。

 俺たちプログラミング学科ウイルス対策課の生徒には、課外学習の一環としてコンピューターウイルスであるフォモール退治が課せられているのだ。

 倒したフォモールの数や種類によって、俺たちは単位を稼いだり、テラリウムで流通している電子マネーをスクールからもらうことができる。フォモール退治の成果は成績にも反映される。ちなみに俺の場合、このフォモール退治のお陰で学年首位になっているだけなので、コナミに粘着ねんちゃくされてもピンと来ない。俺よりコナミのほうが成績も評価も上なんだけどな。

「むぅ……。これだから漣は嫌なのよ」

 っぺたをぷくっと膨らませ、コナミは不機嫌そうに声をだす。彼女の頬が赤いのは気のせいだろうか。

「コナミ、風邪引いた?」

「はっ?」

 俺の問いかけにコナミは素っ頓狂すっとんきょうな声をあげる。頬をますます赤くして、彼女は俺を睨みつけてきた。

「なんだよ……」

 ――コナミは漣さまに構ってもらいたいんですよっ!

 コナミの上空に浮かんでいたピンインが、笑顔で俺の疑問に答えてくれた。

 ――だってっ……。

「黙らっしゃい!!」

 びしっとコナミが鉄扇をピンインに差し向ける。彼女は困ったような顔をして、すっと姿を消してしまった。

「おい、コナミっ」

「よけいなことばっかり言うから一時的にログアウトさせただけ……。まったく……。これだからピンインちゃんは……」

 しゅんっと頭をたらし、コナミは呟く。彼女はそっと顔をあげ、俺の顔をじっと見つめてきた。

「あの……漣……」

「なんだ……」

「漣はさ、その……」

 ――ミサキー、真っ黒お姉さんたち全部倒しましたよー!!

 コナミのつたない声を、メロウの大声が遮る。俺はびっくりして、メロウのいる方角へと顔を向けていた。

 ――ミサキっ!

 メロウを取り囲んでいた鎖が弾け飛び、彼女が俺のもとへと突っ込んでくる。そのままメロウは、俺へと抱きついてきた。

「ちょ、メロウっ!」

 ――うぅ、恐かったです……。

 俺にかまうことなく、メロウはぐりぐりと胸元に頭を押し付けてくる。メロウは顔をあげ、うるんだ眼を俺に向けてきた。

「よくがんばったな……」

 ――戦ってるミサキは、恐いです……。

 そっと眼をふせ、メロウは俺に告げる。震えるメロウの声を聞いて、俺は彼女の頭にのばしていた手をとめていた。メロウは、ぎゅっと俺を抱きしめてくる。

 ――だから、あの人は嫌い……。

「メロウ……」

 たしなめるように、俺はメロウに話しかけていた。メロウはしゅんと眼をせ、俺から手を放す。

「やっぱり仲がいいね、2人は……」

 コナミが話に入ってくる。彼女は苦笑を浮かべていた。

「私のピンインちゃんも、もうちょっと優しかったらよかったのに……」

 ツインテールをゆらし、彼女は背中を向けてみせる。その背中がかすかにふるえている。

「コナミ……」

「ごめん……。私もなぐさめてくれる人が欲しいって、ちょっと思っただけ……」

 そっとコナミが俺に顔を向けてくる。俺を見つめる彼女の眼は、かすかに潤んでいた。

 その眼を見て、俺は出会ったばかりの頃のコナミを思いだしていた。

 だだっ広い講義室こうぎしつのかたすみで、彼女は独りで座っていた。ものすごく寂しげな彼女に、付き添っていたピンインは授業をきちんと聴けと微笑みながら言い続けていたのだ。

 コナミに大丈夫かと声をかけることはせずに。

 ――ミサキ……。

 そっとメロウが俺の頭をなでてくる。上空に浮かぶ彼女を見上げると、メロウは心配そうにコナミを見つめていた。

 ――コナミが、寂しそうです……。

 その言葉をきいて、俺はコナミに初めてかけた言葉を口にしていた。

「なに、寂しそうにしてるの? こっちが辛気臭しんきくさくなるんだけど……」

 弾んだ言葉を、俺はうつむくコナミにかけてやる。驚いたように眼を見開いて、コナミは俺を見つめてきた。

 嬉しそうに潤んだ眼を細めて、彼女は笑ってくれる。

「うっさいな。ちょっと、ぼうっとしてただけだよ……」

 悪態をつく彼女の言葉は、心なしか嬉しそうだ。メロウが、俺の隣で嬉しそうに笑ってみせる。

 ――そうです。コナミはそうでなくちゃ面白くありませんっ!

「ちょ、メロウちゃんっ!?」

 にぃっと口角を釣り上げ、メロウはコナミへと近づいていく。無防備な彼女を背後からぎゅっと抱きしめ、メロウはコナミの顔を覗き込んで見せた。

 ――笑わないと、コナミはブスなのです! ブスブス! そしてぺチャパイなのです! ほらほら、お姉さんのおっぱいは凄いでしょうっ!?

「メロウちゃん、セクハラやめてっ! あ、でも気持ちいいかも……」

 ぐいぐいとメロウはコナミの背中に自分の胸を押し付けてみせる。コナミは叫びながらも、楽しげに笑い声をあげていた。

 初めて会った頃も、こんな感じだった。

 飛び級で進学したコナミはクラスメイトとは年が離れている。それでいて、俺たちより優秀だ。孤立しないほうがおかしい。

 そんなコナミを、メロウはずっと心配そうに見つめていた。そしてある日突然、メロウは仮想空間に独りきりでいたコナミに抱きついてみせたのだ。

 あのときのコナミのびっくりした顔を今でも思い出すことができる。背中に抱きついたメロウにビックリした顔を向けて、コナミは俺を怒鳴りつけてきた。

 でも、声をかけたら彼女は楽しげに笑ってくれた。

「もう、メロウちゃんてば……」

 ――ふふー、メロウの勝ちなのです!!

 降参とコナミがメロウに笑いかける。勝ち誇った笑みを浮かべ、メロウはコナミの背中から離れていった。

 その瞬間、何かが素早い動作でコナミの背中を引き裂いていた。

「えっ……」

 ――コナミっ!!

 メロウの悲鳴があがる。不思議そうに背後のメロウを見つめるコナミの背中に、巨大な鎌の刃が突き刺さっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る