operation.4 仮想世界

 不愉快ふゆかいなノイズがだんだんとやみ、代わりにさざ波の音が聴こえてくる。眼を開けると、そこは深い『海』の底だった。

『海』といっても、現実のそれとはずいぶん違う。

 まず、水圧すいあつを感じない。そしてその海を行き来するのが、色とりどりの人魚たちという点だ。

『海』の中には大きな貝をした建物が並び、その中から色とりどりの人魚の尾びれが顔をのぞかせる。貝の家は真っ白な砂浜すなはまの上に建っており、その砂浜にガラスの球体がぽつりぽつりと落ちていた。

 海中には、俺の顔ほどもある大きな球体がただよっている。大きさが不揃ふぞろいな球体は様々な色にきらめき、海中を漂っていた。

中には海豹あざらしの姿もあって、人魚たちと雑談ざつだんを交わしている姿が見受けられる。

 人魚たちは貝の家から出てきては、球体を覗き込んでいる。気に入ったものがあると、球体を家へと持って帰っているようだ。

 なかには海豹や他の人魚と球体を交換している者もいる。交換された球体は光の粒子りゅうしとなって人魚たちを取り囲み、彼女たちの中に消えていくのだ。

 球体はネットの海にあふれる情報だ。その情報をAIである人魚たちが集め、情報を共有きょうゆう・交換しながら必要なデーターを集めているのだ。

 ホログラムでは見られない彼女たちの働きぶりには、見入ってしまうものがある。俺は、となりにいるメロウを横目よこめで見つめていた。

こいつも俺が情報を検索けんさくしているとき、こんな風に情報を集めているのだろうか。ちょっと想像がつかない。

――はぁ、みんな異常なぐらい働き者ですね。メロウみたいにその辺に転がってる適当てきとうな情報、マスターにあたえときゃ楽なのに……。

 ため息をつくこいつのありえない言動に、俺は先ほどの考えを否定した。どおりでこいつを使って検索した情報が役立たずなわけだ。旧時代に活躍した検索けんさくエンジンより使えないAIってなんなんだ。

 ――なんでみんなは、メロウとちがって働くことがいやにならないんでしょうか?

 ふんわりと銀糸ぎんしの髪をゆらめかせ、メロウが首を動かしてみせる。瑠璃色るりいろの眼は、不思議しそうに情報を交換する人魚たちへと向けられていた。

 メロウと違って彼女たちには『心』がない。正確に言うと、メロウに搭載とうさいされている感情を司る擬似扁桃体ぎじへんとうたいおよび、意識のうたわれる前頭前野ぜんとうぜんやに相当する機能を彼女たちはそなえていないのだ。

 21世紀初頭に登場したディープランニング方式により、停滞ていたいしていたAIの研究は一気に発展の一途いっと辿たどっていった。膨大ぼうだいな情報から必要な要素を取り出し、経験によってそれを精錬せいれんしていく技術は、社会に大きな変革へんかくをもたらした。

 だが、このディープランニングによって生み出されたAIたちには人とはても似つかぬ点がある。それは、『さだめられたことしかできない』という部分である。

 刺激しげきに対して反応しか返さないと言えばわかるだろうか。彼らには『意識』や『自我』といったものが存在しない。膨大な蓄積ちくせきデーターの中から最適な反応を予測よそくし、それを実行しているにぎないのだ。

 そこに、客観的視点きゃっかんてきしてん葛藤かっとうは生じない。彼女たちは、自分たちがやっていることに何の疑問も、葛藤も抱かないのである。

 メロウのように『心』を搭載されたAIも存在する。先ほどのメロウのように利用者の言うことをきかないなど、様々な問題があるためかそれほど普及ふきゅうしていない。

 メロウは父さんが特別に制作した人魚型AIだ。ただ、どうして父さんがメロウに心を与えたのか、俺にはわからない。

 心なんてAIに与えても、面倒なだけだろうに。

 ――可愛いガールフレンドぐらいいてもいいだろう、ミサキ。

 メロウの心について考えるとき、俺はそう言ってさみしそうに笑っていた父さんのことを思い出す。

 どうしてかは、分からないけれど。

 ――ぎゅむー!!

 メロウが大声をあげる。頭の後ろに柔らかな感触かんしょくが広がり、俺は体をかたくしていた。

「メロウっ!?」

 ――ほーら、オッパイですよ、ミサキ! ペチャパイのお子様にはない、大人の魅力みりょくです!!

「こら! 変なもん押し付けんな!!」

 顔が熱くなるのを感じながら、俺はメロウを怒鳴りつけていた。現実世界のAIたちはホログラムで現れるためれることができない。だが、この仮想世界において彼らの肉体は『生きている』ことを前提として忠実ちゅうじつに再現される。

 つまり、メロウは自分の胸を俺に押し付けているのだ。

 ――にゃは! ミサキにれられるのです!! ミサキ、あったかいのです!!

「こら!! メロウ!」

 俺の言うことを聞かず、メロウはガバリと俺に抱きついてきた。仕事にはげんでいた人魚たちが不思議そうに俺たちを見つめてくる。急にはずずかしくなって、俺はメロウに叫んでいた。

「逆セクハラはやめろっ! 何度言ったら分かるんだよ!!」

 ――うーん、いつものミサキです! やっぱミサキはっ込みがするくなきゃ、ミサキじゃないです!

 するりと、尾びれをたなびかせメロウが俺の前と移動した。彼女は人懐ひとなつっこい笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んでくる。

 ――ほらほら、ミサキはお父さん重度依存症じゅうどいぞんしょうのファザコンだって顔に書いてありますよ。笑わないと、ファザコンだってばれちゃいますよ。

 わしゃわしゃと俺の頭を乱暴らんぼうになでながら、メロウは笑みを深めてみせる。

「あっ……」

 自分の気持ちをメロウに見抜みぬかれている。その事実が恥ずかしくて、俺は言葉を失っていた。俺は、彼女から顔をらす。

 ――ミサキィ……。無視しないで下さいよ……。

 メロウはさみしげに呟いて、俺の顔を覗き込んできた。きゅーんと鳴きながら、メロウは俺の首に腕を巻きつけてくる。彼女は俺の肩に顔をううめ、動かなくなった。

「おい……メロウ……」

 ――ぶぅ……。

 不機嫌そうな声を発し、メロウは俺をにらみつけてくる。

「悪かったよ……」

 俺はため息をついて、メロウの頭を優しくなでていた。降参こうさんの合図だ。

 ――にゃははーん! ミサキの負けです!

 がばっと顔をあげ、メロウは得意げに笑ってみせる。俺はかわいた笑みを浮かべながら、メロウに言っていた。

「負けはみとめるけど、俺のエロゲー消すのはもう勘弁かんべんな……。別のOSに嫁たちをインストールしてるのに、ハッキングしてデーター消すのはやめてくれ……」

 ――それとこれとは別です。昔は私にエロゲーをインストールしてたくせして……。思い出すだけで気持ち悪いです……。

「俺もガキだったんだよ……」

 ぱっとメロウの頭から手を放して、俺は彼女から顔をらしていた。

 ――あー、ミサキー、もっとなでてくださいよぉ。

 眼を潤ませながら、メロウが俺に懇願こんがんしてくる。

 そのときだ。遠くで轟音ごうおんがしたのは――

 みゅうみゅうと人魚たちの悲鳴が聞こえる。俺は驚いて、彼女たちが働く貝の集落へと視線を走らせていた。

 海に浮く球体が、ドス黒く変色している。それらが次々と音をたてて割れ始めたのだ。

 ――フォモール……。

 メロウがおびえた声を発する。俺は口角をあげ、笑みを浮かべていた。

「あぁ、レディたちがおいでなすった……」

 割れた球体からは黒いもやのようなものがあふれだしている。それらは次第に形をとり、漆黒しっこくの人魚へと変わっていった。


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