operation.3 テラリウム

 あおい空をガラスの球体がおおっている。

 そのガラスを仰ぎながら、俺はレンガで舗装ほそうされた道を、低空飛行ていくうひこうで進んでいた。俺はエアボード――金属製のうすいボード――に乗っている。そのボードが俺の脳波をたくみに読んで、思い通りの動作をしてくれるのだ。

 俺は自分の住む『テラリウム』を見つめる。かしの木々が俺の移動する通路を取り囲み、静かな森を形作っていた。

 陽光ようこうに透ける樫の葉の間から、居住区きょじゅうくであるドーム――八角形がいくつも連なった、はちの巣のような円形状えんけいじょうの建物や、塔――メロウたちAIを動かすために必要な電波塔――がいたるところに建てられている。

 ラテン語で『大地にかんする場所』を意味するこのテラリウムは、透明とうめいなガラスの球体で形作られた循環型じゅんかんがたコロニーだ。

 近い未来、人類第2の故郷として開発が予定されている循環型コロニーの、いわばプロトタイプと言ったほうがしっくりとくるだろう。

 まだ分からないが、将来俺たちはこの母なる地球を後にするかもしれないのだ。

 ――くじらが来ます……。

 俺のとなりに浮いていたメロウが、顔をあげる。次の瞬間しゅんかん、辺りが暗闇に包まれた。おどろいた俺は空をあおいでいた。

 巨大な鯨が、俺の真上を飛んでいる。よく見ると、その鯨は無数むすうの小さな金属の集まりだということが分かる。金属は2本のアームを持った不格好ぶかっこうなロボットだったり、まるでパズルのピースのように凸凹の形をした物体だったりする。

「また、デカくなってる……」

 地上に影を落とす鯨を見つめながら、俺は感嘆かんたんと声を発していた。鯨は、簡単に言ってしまうと巨大なデーターバンクだ。このテラリウムで収集しゅうしゅうされたあらゆる個人情報やビックデーターがあの鯨に集められている。

 そしてあの鯨は、情報の海と化したネットの意識の1つでもある。

「今日もカミサマは機嫌きげんがいいみたいだな」

 ――カミサマじゃありません。インターネットの大いなる意思マナナーン・マクリールです、ミサキ。

「マナナーン・マクリール。ケルト神話の海の神で、乙女たちが住む常若とこわかの国の支配者……。今はネットの海と人類の支配者として君臨くんりんしているわけだ」

 俺は、鯨の名前を口にしていた。俺たちの上空を悠然ゆうぜんと飛ぶこいつは、人類の最重要事項を決定する権限を持っている。

 ネット上に広がる情報を統制とうせいし、ネットの意思と呼ばれる偉大なるAIたちがいる。原型げんけいと呼ばれる彼らは、今や人類にとって神にもひとしい存在だ。

 今や、国際裁判所の最終的な決定から、紛争における多国籍軍の介入かいにゅうにまでこいつらの許可が必要だ。

 人工知能が人類の能力を超越ちょうえつしてからというもの、人類は自分本位の決定を求める同族ではなく、常にベストな選択をする人工知能に決定権をたくすようになった。

 大まかな議論や法案などは人間が決め、最終的な決定だけをこいつらにやらせているので人間の尊厳そんげんは守られているという。でも、けっきょくのところ重大な選択を決めるのは人間ではなく、原型たちなのだ。

 ――ミサキ……顔が恐いですよ……。

 弱々しいメロウの声が、俺にかけられる。俺は空から視線をらしていた。メロウは、そんな俺を不安げに見つめている。

「あれが出来なかったら、父さんは……」

 ――お父さまは、漣博士さざなみはかせはとても立派な方でした。インターネットの意志となる原型の開発にも尽力じんりょくなされた。

 父さんは苦しむことはなかったんじゃないのか。そう続けたかった俺の発言は、メロウの言葉にさえぎられる。

 俺はメロウを見る。彼女は、困ったように俺に笑いかけてみせた。

 俺の父さん、漣博士はロボット工学の最前線を支える優秀な科学者だった。だが、父さんは人の尊厳を何よりも重んじる人でもあった。

 いつだったか、甘いエスプレッソを飲んでいた父さんが、俺に語ってくれたことがある。

 ――AIたちに人間の責任を押し付けてはいけない。私たちの問題は、私たち自身が解決するべきだ。

 その言葉がとてもさみしげに聞こえて、俺は父さんに答えていたのだ。

 ――僕がAIたちの代わりになることは出来ないの?

「よぅ、漣っ! 今日もサボり? スクールおくれちゃうよっ!」

 俺の回想かいそうは、底抜そこぬけに明るい声によって遮られる。驚いて後ろへと顔を向けると、ツインテールをゆらす少女がそこにはいた。

 同じプログラミング学科に所属する玉響ぎょくおん コナミだ。コナミの年齢は14歳。17歳の俺より3つも年下だ。いわゆる天才児ってやつで、飛び級で俺たちのクラスに編入してきた。

「いや、またフォモールが出てな。退治せんと行けなくなったっ」

 乗っていたエアボードから跳び降り、俺はコナミに答えてみせる。

 フォモールとは、AIを搭載とうさいされたコンピューターウイルスの総称そうしょうだ。俺たちプログラミング学科は、このフォモール退治によって単位をかせぐこともできる。

「マジ!? 単位がそのへんにウヨウヨいるのっ!? スクールどころじゃないじゃん!?」

 コナミは小柄こがらな体でびょんびょんと跳んでみせる。彼女の無邪気むじゃきな様子に、俺は思わず微笑んでいた。

「ちょ、なに笑ってるのよ?」

「いや、お前らしいなって思って」

 俺はエアボードのはしんづけ、垂直すいちょくに立ち上がったボードを手にとる。大きな眼を不機嫌にゆがめるコナミを見て、俺は思わず吹き出してしまった。

「ちょ、漣ってほんとデリカシーないよっ! 私が漣の分まで全部倒しちゃうからっ!」

 彼女は大声で俺を怒鳴りつけ、宙へと手をかざした。

「オペレーションシステム・ピンイン起動っ! 仮想空間かそうくうかんへの移転いてんをサポートせよ!!」

 コナミの高い声が周囲にひびく。彼女の周囲にある空間が歪み、1体の人魚が姿を現した。

 ピンインはコナミが所有するAIだ。メロウと同じ父さんが造った彼女のAIは、燃えるような緋色ひいろの髪が美しい人魚だ。彼女の肌はかすかに朱色しゅいろかがやき、うろこは黄金色にきらめいている。切れ長の赤い眼をそっと開き、彼女は言葉を口にした。

了解りょうかいです。仮想空間への移転をサポート後、フォモール撃退げきたいのため戦闘せんとうモードへと移行します」

「うーん、ピンインちゃん……」

「何でしょうか? コナミ」

「もうちょっとさ、笑ったりとかしてくれない?」

「かしこまりました」

 コナミの言葉にピンインは切れ長の眼を細め、たおやかな笑みを浮かべてみせる。その笑顔を見て、コナミは顔を曇らせた。彼女はそっと俺の方へと顔を向け、俺の背後にいるメロウをうらやましそうに見つめていた。

 あぁ、またかと俺は思う。こいつはしょっちゅう、羨ましそうにメロウをながめているからだ。

「コナミ、顔色が優れませんよ?」

「ううん、なんでもない。早く行こう」

「はいっ」

 苦笑しながら、コナミはピンインに話しかける。そんなコナミを、ピンインは不思議そうに見つめるばかりだ。

「じゃあ、先行って漣の分まで倒してるからっ!」

 コナミは、元気よく俺に手を振ってきた。

「少しは残しといてくれよ」

「ヤダー!!」

 俺の言葉に、かけけ去っていく彼女は笑顔を向けてくる。俺は、彼女の姿が樫の木々に消えるまで手を振っていた。

 ――ミサキはロリコンなんですねっ!

 俺が手を下げたとたん、黙っていたメロウが突然とつぜん口をきいていた。

「なんだよ、ロリコンてっ?」

 びっくりして、俺は思わず背後のメロウへと顔を向けてしまう。メロウはぷくっと頬を膨らませ、不機嫌そうに俺から視線を逸らしていた。

 ――そりゃ、コナミは明るくていい子です。ピンイン姉さんの巨乳には正直、嫉妬しっとさえ覚えます。でも、でも、コナミは14歳ですっ。ミサキとは3歳も年が違います。 ぶー! ミサキはスケベぇなのです!! ロリコンなのです!

「お前な、同級生と会話してただけだろ。そりゃ、コナミはどっかのAIと違って素直で可愛いと思うけどなぁ」

 にっと意地の悪い笑みを浮かべ、俺はメロウに話しかけていた。きっとメロウは俺をにらみつけ、半透明のこぶしを何度も体にたたきつけてくる。その拳は、むなしく俺の体を通り抜けていく。

「全然、痛くも痒くもねぇ」

 ――キー!! ミサキを仮想空間に移動させるのです!!

 ばっと両手を広げ、メロウは叫ぶ。彼女を中心に周囲の空間がゆがみ、白黒の粒子りゅうしが俺の視界を覆っていく。

 ――ミサキ……仮想空間に……ミサキの意識を……移動……。

 大きなノイズに混じって、メロウのかすれた声が聞こえてくる。

 頭が痛い。仮想空間へ向かうときはいつもそうだ。

 この瞬間しゅんかんが、俺は嫌いだ。

 自分が12歳まで『漣 みさき』として過ごしていた、あの密閉みっぺいされた空間を思い出す。絶えず頭の中にネットの情報が流れ込んできて、不快ふかいなノイズがいつも聴覚ちょうかくいずり回っていた。

 ――ミサキ、今日も元気かい?

 優しい父さんの言葉を思い出す。

 ノイズの音をかき消してくれる父さんの声は、何よりの救いだった。俺に微笑みかけてくれる父さんの存在が、俺の全てだった。



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