10
首脳陣会議から数日、全隊員へ一斉に通達があった。
通達から数分、黒祇内がいつもより少しばかり忙しない。予め知っていた者―――と言っても首脳陣と首脳陣を隊長にする隊員ぐらい―――はいつもと変わらぬ様子だが、通達で初めて知った者たちはそうはいかない。
「近江か」
カオルは送られてきた内容を確認すると端末の電源を切り、立ち上がった。
通達の内容は、新種の腐蝕蟲による被害の出た支部への遠征部隊と各刑務所への監視隊の配置に、新たなる被害状況についてだった。そして、烏鷺隊は近江支部への遠征任務が与えられた。
カオルはクローゼットから黒祇の紋章のついた鞄を取り出すと、次々と必要な物を詰めていった。遠征の準備と言っても、必要な物は各支部に揃えてある。身一つで遠征地に向かっても不便な思いをすることはないだろう。
鞄に荷物を詰め終えると、カオルは部屋を出た。
本部を出て数時間、着いた場所は閑散としたカオルの実家だった。
家の中に入り一番に向かったのは、カオル達の部屋だ。以前唯一侵入の痕跡があったのがこの部屋だ。そう何度もあるわけがないとわかりながらも、カオルは確かめずにはいられなかった。
元や十禅の話しで、昔の自分の交友関係を思い出してみたが、引っかかる相手はいない。子供である自分の交友関係など限られてくる。況してや、家族を亡くして引き取られた身である自分と関係を持つものなど少ない。
ならば腐蝕蟲で自分を恨み狙っているのかと考えたが、これまで仕留めた腐蝕蟲は多すぎて検討するには無理がある。そこまで考えて、これ以上考えるのは無駄だと止めてしまった。
カオルは部屋の扉を開けると、真っ直ぐオルガンの前にきた。
「・・・・・何もないか」
やはり写真は戻ってきていなかった。部屋の中をぐるりと見渡すが変わったところは一つもない。
「死人が持ち去るというならば、話は別だがな」
幽霊の存在など一切信じていないカオルだが、言葉に出してみて死人でもいいからもう一度会いたいと一瞬思ってしまった。
人が超人的な力を得る今ならば、死人を蘇らせることも可能かもしれない。だけど、死人は死人でしかない。一度止まってっしまった命は、もう一度灯を宿すことはない。
形だけ蘇るのならば、それは人形と変わらない。そのようなことは望んでいない。死者を蘇らせるぐらいなら、カオルは自分が会いに行くことを選ぶだろう。―――――死後の世界があるならば。
部屋を出ると、カオルは庭に足を運んだ。無造作に咲く花は風に揺れ、母親の好きだったコスモスが今年も咲き誇っている。カオルは何も考えず、ただ風を感じながら、目の前に咲き乱れるコスモスを見つめた。
どれぐらいそうしていた分からないが、黒腕の通知音が鳴り響いた。表示された通話ボタンを押すと、すぐに端末から声が聞こえてきた。
「府芭です、お忙しい時にすみません。今お時間大丈夫ですか?」
何かあったのかと一瞬思ったカオルだったが、府芭の声色からそれが杞憂であるとすぐにわかった。
「大丈夫だよ。どうかした?」
「明日から遠征なので、ミーティングはどうするのかと思いまして」
烏鷺隊で遠征に出るのは今回が初めてだ。おそらく府芭が代表してカオルに連絡してきたのだろう。カオルは黒腕で時間を確認してから返事をした。
「どっちでもいいよ。府芭達が必要だと思うなら、僕も時間を作るよ」
カオルの返事に府芭からの返答が止まった。自分達のためにカオルの時間を割かせてしまうことに気が引けているのだろう。カオルはそんな府芭の心境を的確に読み取っていたし、何よりもミーティングの事など頭からすっかり抜けてしまっていた自分に少しばかり呆れ、先に口を開いた。
「今外にいるから一時間ぐらいしたら戻れるよ」
「じゃあ、お願いしてもいいですか?三人には俺から伝えておきます」
「ありがとう」
通信を切ると、カオルはすぐに本部へと足を向けた。
本部に戻りカオルは一八番会議室に入ると、既に四人が揃っていた。
カオルに気が付いた四人は、すぐに椅子から立ち上がり敬礼をとった。
「お忙しいのにすみません」
このミーティングを提案した府芭が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「大丈夫だよ。この隊での遠征は初めてだからね、気づかなかった僕も悪かったよ」
カオルが腰を下ろすと、四人もそれに倣った。
「一通りの説明をするから、分からないことがあったら聞いて」
カオルは、遠征での自分達の役割などについて話し始めた。
府芭やハウスはメモを取りながら聞き、ミシェイラと啉も真剣に耳を傾けている。遠征については訓練生時代に必ず習う。だから何も知らないということはないが、実際に行くとなると勝手が違う。
カオルは自分の過去の経験を踏まえながら、話し続けた。
「今回の遠征内容は、基本的には普段の巡回と特に変わりはない。けど新種の蟲のこともあるし、尾張の被害は他の支部に比べれば小さいかもしれないが油断はできない。いつどこで蟲共が大暴れするかわからないからね。何か聞きたいことはある?」
「隊長」
啉が小さく手を挙げた。
「なんだい?」
「新種の蟲の潜伏先はわかってないのか?」
「それについては現状何も掴めていない。ランベルト達が和泉で一つ潰したそうだが、手掛かりになるようなものはなかったみたいだ。ランベルトの予想ではいくつかの潜伏先を用意していて、逃げ道も確保している可能性が高いらしい。容易には掴めないだろうけど、今回の遠征での目的の一つでもある」
「私からも一つよろしいですか?」
ハウスが礼儀正しく手を上げて質問の意を表した。
「いいよ」
「その潜伏先は蟲がいただけでしょうか?突き止めたということは、爆破されたりという事はなかったように聞こえますが」
「失敗作が転がっていた」
失敗作という言葉に四人が嶮しい顔をした。以前見た失敗作を思い出したのだろう。出来る事なら、あのような悲惨なものを一生目にしたくないと思うのは当たり前だ。
「他に何か聞きたいことはある?」
誰も質問をしなかった。
「じゃあ明日は六時に出発だから、寝坊しないようにね」
カオルが立ち上がると、四人も立ち上がり敬礼で見送った。
「なあ、隊長疲れてなかったか?」
扉が閉まるのを確認して、府芭が小声で三人に聞いた。
「確かにいつもに増してお疲れの様子でしたね」
ハウスが同意すると、その隣で啉も小さく頷いた。
「私達は隊長の足をひっぱらないようにするだけよ。今日は非番になったんだから、さっさと訓練室行くわよ」
「そうだな」
会議室を出て訓練室に向かう途中、府芭たちは忙しそうにする何人もの隊員たちとすれ違った。
大量の資料を持っている隊員もいれば、大きな荷物を抱えている隊員もいる。それを横目で確認しながら、府芭たちは足を止めることなく訓練室に向かった。
「ドタバタしてるな」
「さっき連絡来たんだけど、今回の遠征に出される小隊は初めてのとこばかりみたいよ」
「連絡って誰からだ?」
「・・・・・風間よ」
随分と間の開いた返事に、府芭は苦笑した。
「マメだな」
「初めての隊ばかりだから何か意図があるんじゃないかって気になったみたいよ。それでうちの隊長から何か聞いてるんじゃないかって」
「なるほどな。でも何も聞かされていない、だろ?」
「ええ、そう返事したわ」
「ハウスはどう思う?」
府芭は後ろのハウスをちらりと振り返りながら聞いた。
「そうですね・・・、何もないということはないでしょう。単純に経験を積ませたいだけなのか、それとも支部に行かせて何かさせたいことでもあるのか」
「隊長が話さないということは、大したことじゃないのかもしれないしな」
「そうだといいけどね」
ミシェイラの返答に男三人は苦笑するしかなかった。
府芭たちが更衣室に着くと、中には先客がいた。見渡す必要もなく、八十隊が固まって着替えていた。
「あ、こんにちわ」
一番に口を開いたのは伏見だ。それに続いて八十に最上、沖も挨拶をした。
「八十隊の皆様、お疲れ様です。これからですか?」
ハウスが聞いた。
「はい、これから全員で訓練をするんです。烏鷺隊も全員で訓練ですか?」
「ええ、そうですよ」
ハウスの返事に、伏見が何かを探すように視線を彷徨わせた。
「どうした?」
不審な動きをする伏見に府芭が聞いた。けど聞かなくとも、伏見が視線を巡らせている理由など府芭には予想できている。
「えっと、その、烏鷺隊長はどうしたのかと思いまして」
予想通り過ぎて、府芭は苦笑した。伏見は以前の様子からも分かるように、カオルのファンだ。もしかしたら一緒に訓練が出来るのではないかと期待したのだろう。
「遠征前ってのもあって、隊長は忙しいみたいで来られない」
「そうでしたか」
あからさまに伏見が肩を落とした。
「烏鷺隊の皆さんさえ良ければ、僕たちと一緒に訓練しませんか?うちの隊は若手ばかりなので」
「ぜひ。啉もいいですね?」
啉は無言で頷いた。
男性陣が訓練室に着くと、既にミシェイラと十朱と沖の姿があった。
「男の癖に遅いわね」
「すみません、ミシェイラさん」
女子更衣室で十朱に会った時点でどうせ一緒に訓練することになると予想していたミシェイラは、十朱と一緒に訓練室に来ていた。
「まずは一人ずつでいいかしら?」
ミシェイラが八十に確認を取るように言った。年齢は八十の方が下だが、階級で言えばこの中で八十が一番上だ。立てないわけにはいかない。
「はい、構わないですよ」
「じゃあ、私からいかせて貰うわね」
ミシェイラはセットをすると、コートに降り立った。
天井から降りてきたロボットの数は六体。あれからミシェイラは六体まで相手できるようになっていた。だが時間が掛かればかかるほど、撃退の可能性が低くなり、そのため一気に片を付けなければならない。
戦闘開始から三分、ミシェイラの息が既に上がり始めている。
「ミシェイラさんはいつも六体を相手にしてるのですか?」
ロボットの数を目にするなり唖然としていた沖は、動揺を隠せないままハウスに尋ねた。
「ええ、最近になってですけどね。隊長に十体という差を見せ付けられてから、毎日頑張っておられるのですよ。それでも隊長はさらに上へと行ってしまわれるのですけどね」
伏見以外の四人は唖然としつつも、目の前の光景を凝視した。
「ミシェイラさんの戦闘技術似てますね」
八十の言葉にハウスは微笑んだ。
「ええ、ミシェイラさんは隊長殿に助けられ、全てを捧げてたい思いでここまで上りつめてこられましたから。彼女の目にはたった一人の男性の背中しか映っていないのですよ」
「すごいですね。誰かに生きる理由を与えられる烏鷺隊長が凄いし、とても羨ましいです」
「八十隊長殿もきっとそうなってますよ」
「そうだと嬉しいですね」
数分して、戦闘終了の合図が鳴った。
「お疲れ様です、ミシェイラさん」
ハウスが壁のタイマーを確認すると、そこには「9.45」の数字が並んでいた。
「ありがとう、ハウス。やっと一〇分を切れたわ」
「よかったですね」
ミシェイラは大量の汗をタオルで拭いながら、ベンチに腰を下ろした。
「次は俺が行きます」
最上はセットすると、コートに下りていった。最上の家系は代々軍人で、それ故にかとても正義感の強い性格をしている。
ミシェイラに感化され気合十分でコートに向かった最上の後姿を、八十は少しばかり心配気な表情で見た。
「へえ、五体ね。やるじゃない」
「負けてられないと思ったんでしょうね。いつもは三体なんですよ」
ミシェイラの言葉に苦笑いをしながら八十が言った。
「いいことじゃないの。・・・最上!一〇分以内で終わらしたら、一緒にお風呂入ってあげるわよ」
ミシェイラが卑猥な事を叫んだ瞬間、最上がすごい勢いで吹っ飛ばされた。
「あらま・・・・!」
「ミシェイラさん、今のは逆効果ですよ。彼は稀に見る硬派な人間ですから」
戻ってきた最上の顔は真っ赤に染まっており、下を向いたままだった。
「府芭さん、ミシェイラさんはいつもあんな感じなんですか?」
「ん?ああ、そうだな。隊長であろうと、誰にでもあんな感じだ」
伏見の質問に府芭は呆れ声で言った。
「烏鷺隊長にもですか?何と言うか、大物ですね」
「隊長は上手く流しておられるが、年頃の男には厳しいだろうな」
府芭の言ったとおり、伏見と最上はまだ十七歳の少年で、不埒な言葉に顔を染めていた。思春期の男の子には刺激が強すぎるようだ。
「烏鷺隊長は僕よりも年下ですよね?何と言うか、あれを上手く流せるとは流石と言うか、ほんと何と言うか」
「まあ、確かにそうだな。年齢に似合わず、そうゆうところはドライだから」
「なになに?何の話をしてるの?」
府芭と伏見が話し込んでいると、それに気づいたミシェイラが二人の間に入り込んできた。
「お前は向こうで話してたんじゃないのか?」
「八十隊長ならコートに下りたわよ。それで?何の話をしてたの?」
コートを確認すると、ミシェイラの言った通り八十がコートに立ち、始まるところだった。
「えっと、烏鷺隊長は女性に興味がないのかと思いまして」
伏見が少し恥ずかしそうに言った。
「あ~確かにそうね。こんなに綺麗な女が隣にいても靡かないんですものね。隊長みたいな男は心に決めた相手や大切な人がいるか、既に失くしているかだと思うわよ。それか・・・女じゃないかね」
ミシェイラの話しに納得して頷いていた二人だが、最後の一言に驚いた声を出した。
「た、隊長が男色家とでも言うのか?」
「例えばの話しでしょ!なに焦ってるのよ・・・まさか!?あんた、そうゆう意味で隊長のことが好きだったの?」
「え!?府芭さんそうなんですか?」
伏見もミシェイラの言葉に驚いて府芭に聞き返した。
「ち、違う!断じて違う!隊長をそんな邪な目で見たことはない」
府芭は血相を変えて否定していたがあまりにも赤くなっており、二人の疑惑の目から簡単に逃れることはできなかった。
「まあ、いいわ。あたしには勝てないでしょうから。でも隊長の女性関係といえば、花影隊長と飛鳥井所長とは特別仲が良いわよね。特に飛鳥井所長とは気心が知れてるって感じもするし」
「確かにそうだな。隊長が敬称付けないで呼んでいる女性って本部じゃ花影隊長と飛鳥井所長ぐらいだし」
「花影隊長ってどんな方なんですか?」
本部に配属になってまだ日の浅い伏見はまだ花影に会った事がなかった。飛鳥井は先日の件もあって、何となくわかっていた。
「そうねえ、守ってあげたくなるような感じかしら。見た目も可愛らしいから、隊長と並んでもそれほど年齢の差を思わせないし。まあ、実際は可愛らしいや守ってあげたいなんて言葉が似合わないほど、隊長に引けを取らない強さだけどね」
伏見はミシェイラの話しから花影を想像してみたが、よく分からない女性像が出来上がってしまった。
「まあ、隊長はこの世から蟲共がいなくならない限り、恋愛なんてしないわよ。それに、夜が寂しいって言うなら私が喜んで相手するわ」
ミシェイラの言葉で途端に二人は顔を真っ赤にしたが、二人が赤くなった意味は全く違った。
「おい、隊長を穢すようなことを言うな!」
「はいはい」
ミシェイラは府芭の言葉を軽く流すと、デモ戦を終えて戻ってきた八十のもとに行ってしまった。
「ミシェイラさんって三大美女の一人ですけど、他のお二人とは全く違うタイプですね」
「確かに三人とも違うタイプだな。ミシェイラにも槻沢隊長ぐらい品があればいいんだが」
府芭は大和撫子と云われる槻沢の姿を思い出し、薄っすらと頬を染めた。
「府芭さんは槻沢隊長みたいな女性がタイプなんですか?」
「いや、そういうわけではないが、三大美女の中でと言われれば、槻沢隊長ってなだけだ。そういう伏見はどうなんだ?」
「俺は年上の女性よりは年下の方がいいですかね。三人とも綺麗ですけど、好みで言えば可愛い子のほうがいいです」
「あ~そんな感じするな。てか、そろそろ伏見の番じゃないか?」
府芭に言われて残りが自分と十朱だけになっていることに気がついた。
「次行ってきます」
伏見は慌てて行った。
全員の個人デモ戦が終えると、複数戦を五戦熟してから、漸く訓練を終えた。
一同は着替えを済ませると、その足で食堂へと向かった。
「あれ?奥にいるの烏鷺隊長じゃないですか?その隣は・・・・?」
伏見の声に全員が同じ方向に目をやった。そこには誰かと一緒に食事をするカオルの姿があった。後姿だからはっきりとは分からないが、全員見覚えのない後姿だ。
府芭は迷いつつもカオルのいるテーブルに向かうと、手本のような敬礼を取った。
「隊長、お疲れ様です」
「ん?ああ、府芭か。お疲れ様」
府芭はカオルと向かいにいる者が見える位置に立った。カオルと一緒に食事している者は、やはり見たことのない人だった。小柄な体系に、顔だけを見れば女とも男とも取れるような中世的な作りで、年齢はカオルと変わらないぐらいだろう。
「お食事中にすみません。隊長の御姿が見えたものですから」
カオルは府芭の後ろを見ると、八十隊もいることに驚いた。
「一緒に訓練でもしていたのか?」
「はい、偶々一緒になりまして。いい訓練になりました」
「それは良かったな。明日から遠征だし無理はしないようにね」
「はい、承知しています。それで、こちらの方は?」
「ああ、彼は隠密部隊副隊長の伊賀充だよ。滅多に人前に出てこないから、皆は初めて会うんじゃないかな」
カオルの自己紹介に充は小さく頭を下げた。
「えっ!?男だったんですか?」
三人の会話を聞いて近づいても大丈夫と判断した一同はぞろぞろとカオル達のテーブルに近づいた。
伏見が充の顔を目を見開いて凝視した。
「こら、伏見!そんなに見たら失礼だ」
伏見の隣に立っていた八十が伏見の頭を小突いた。
「痛いです、隊長」
「お前が悪い」
充自身は特に気にした様子もなく、ただ食事を続けていた。
俯き加減で食事を続ける充の髪が口元に当たると、カオルはその髪を優しく掬い耳にかけた。
「充、そろそろ髪を切ったほうがいいかもしれないね」
「自分もそう思っていました。後で切って貰えますか?」
「ええっ!隊長が髪を切るの?」
カオルの返事を遮るかのようにミシェイラが口を開いた。普段ならばそんなことはしないが、驚きのあまり我慢することが出来なかったのだろう。
「隠密部隊は殆ど休みがないから、合間を見て僕が切ってあげているんだよ。充の髪を切っているうちに少しは上達したとは思うんだけどね」
「カオルさんは初めから上手かったです」
「そうかな?そう言って貰えると助かるよ」
充は人見知りな性格で、カオルと打ち解けるのにとても時間が掛かった。初めは頷いたり首を振ったりで、全く喋らない充が話すようになるには一年もかかった。
「ところで、八十隊はここで話しをしてて大丈夫?この後、巡回じゃなかった?」
カオルに言われて全員が時間を確認した。
「うわ、もうこんな時間だ。急いで済ませないと」
「じゃあ、僕達は先に失礼するよ」
カオルがトレーを持って立ち上がると、充も一緒に立ち上がった。
「はい、お疲れ様です」
「お疲れ様」
カオルが食堂を出ていくまで四人は敬礼し続けた。
食事を終えた後、カオルと充は屋上に来ていた。夜風が頬を撫で、充の伸びた髪が風で揺れている。
「緊張した?」
「急に囲まれたので驚きました」
「でも前よりは緊張しなくなったね」
「カオルさん達のおかげで少しは人前に出ても大丈夫になりました。でも、まだ緊張して上手く話せないことがあって」
「少しずつでいいよ。明日からの遠征では無理をしないようにね。今の蟲共を侮れば、確実に命を落とす事になる。わかってるね?」
充は何も言わずに頷いた。
「カオルさんは近江ですよね?」
「そうだよ。僕の方は三ヶ月の予定だから、充達よりも早くに本部に戻ってくる事になるかな。さっきのお願いだけど、くれぐれも無理はするな。可能な限りでいい。危険だと思ったら直ぐに逃げるように。いいね?」
充は食堂でのカオルの話を思い返しながら頷いた。
充がカオルにお願いされる事はこれが始めてだ。初めてカオルに頼られ、充は嬉しかった。
だからカオルは無理をするなと言ったが、絶対に何か掴んでから報告をしたいと充は思っていた。
「そろそろ戻ろうか。髪も切らないといけないしね」
充はまだカオルと二人で夜空の下にいたかったが、カオルの言葉に首を横に振ることはしなかった。
食堂では、既に食事を終え八十隊を見送った後、四人は飲み物を片手に話しこんでいた。
「あの男の子、啉よりも無口だったわね」
「確かに無口だったな。でも、男ってのが一番驚いた」
「どう見ても男の子だったじゃな。あんたの目はどうなってるの?それはガラス玉なの?」
ミシェイラの物言いに府芭が眉間に皺を寄せた。
「俺以外にも勘違いしていたものはいただろう。それに俺の目はガラス玉なんかじゃない!」
一触即発の状態に見ていハウスは困ったように笑った。
カオルのいないときに喧嘩が始まれば、止めるのはいつもハウスの役目だ。啉は我関せずの態度を貫き通す。
「まあ、お二人ともそれぐらいにしてはどうですか?伊賀殿の年齢は知りませんが、とてもお若いのに隠密部隊で副隊長を勤められているという事は、相当の腕をお持ちなのでしょうね」
「確かにそうなるわね。ところで、隠密部隊ってどのぐらいいるの?私全然知らないわ」
「私も正確な数は把握しておりませんが、約四〇〇人と聞いています。その人数を纏めておられるランベルト隊長殿は隠密部隊で群を抜くほどの腕と聞きます」
「ああ、あのちゃらんぽらんな男ね。腕が合っても、あの性格じゃだめね」
「いつ会ったんだ?」
「私が訓練生の時よ。入隊試験で九々龍隊長の代わりだったのよ」
あまりいい思い出はないのか、ミシェイラは吐き捨てるように言った。
「へえ、ミシェイラの時はランベルト隊長が試験官だったのか。俺のときは総帥だったな。二人の時は誰だったんだ?」
「私は花影隊長殿でしたね。啉殿の時は九々龍隊長殿でしたかな?」
「うん、厳しかった」
四人は訓練生時代の話に花を咲かせ、二十三時を過ぎたところで、部屋に戻ることになった。
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