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部屋に戻るなりカオルは端末に電源を付けると、すぐにブラムから送られてきたデータを確認し始めた。さっきまで体が壊れてしまうほどの厳しい訓練を熟していたのに、その姿からは疲れが一切見受けられない。
画面のデータがスクロールされていく。飛鳥井が調べた内容にブラムがさらに情報を追加している。このデータは創始者全員に送られ、それぞれが何かしらの行動を起こしていることだろう。
全てのデータに目を通し終えたカオルは、深いため息と同時に椅子の背に寄りかかった。見る者によってはだらしないとも取れる姿は、どれだけ親しい者でも目にすることはないかもしれない。
目を閉じ眉間を解すと、端末の電源を落とし、刀を腰に掛け、カオルは部屋を出た。カオルが部屋に戻ってきてからたった十五分しか経っていなかった―――。
外は既に暗くなり、ポツポツと雨が降っている。カオルは特に気にすることなく、傘も差さずに歩き始めた。
かつての東京は昼も夜も関係なく賑わっていた。あの日から東京の夜は、寂しすぎるほど静かになった。聞こえるのは小さな虫の鳴き声に、ポツポツと地に落ちる雨音ぐらいだ。人の話し声は全く聞こえない。不良と呼ばれていた若者も決して夜は歩かない。
寄り道することなくカオルが来た場所は、府中刑務所だ。
カオルは門番の警官に黒腕で身分証明をすると、門番は敬礼をしながらカオルを見送った。
「黒祇の烏鷺です。垂水さんに通してもらえますか?」
声を掛けられるまで人の存在に気が付かなかった女性警官は、ハッとしながら顔を上げ、カオルを目に映した瞬間驚いた表情で固まってしまった。
カオルが女性警官の反応に困ったように笑うと、女性警官は慌ててどこかに連絡し始めた。
「お待たせしました。直ぐに来るそうなので、そちらでお待ち下さい」
カオルは女性警官の言った椅子には腰を掛けず、立ったまま待った。数分して、階段を駆け下りる音がすると、カオルはそちらに視線をやった。
「急に来てすみません、垂水さん」
「一言連絡を寄越してからでもいいんじゃないですか?烏鷺隊長さん」
「すみません、思い立った行動でしたので」
垂水が歩き始めると、カオルも後についた。連れて来られたのは、防音設備の整った会議室だ。
「それで、どうしました?」
「脱獄した者の情報を頂けますか?」
垂水はカオルの言葉に厳しい表情をした。
「どうしてそのようなものを?」
「既に調べはついています。今更隠しても仕方ありませんよ」
カオルと垂水の無言の睨み合いが続いたが、垂水がすぐに溜息をついた。
「何でもお見通しってわけですか。ですが、それが黒祇の皆さんに何か関係あるんですか?」
「ええ、とても。詳細は機密事項ですので、垂水さんでもお話はできません。記録を悪用するわけではないので安心してください」
「信用してないわけじゃないのでその心配はしてませんけどね、こちらも立場ってものがあるんですよ」
垂水の言葉にカオルは肩を竦めることしかしなかった。
国を守る者同士だが、この時代で警察は僅かな役割しか担っていない。犯罪が乱発していた時代は終わってしまった。今では、警察は平和だった時代の生き残った犯罪者の監視と気が狂い暴走した人間を捕まえることぐらいだ。この時代では、恐怖に自我を失い見境なく人を襲ったり、家族で心中をする人間が多くいる。ハロウィン・ホラーから数年たった今でも、まだまだ跡が絶えない。それらを取り締まるのが今の警察の役目だ。
「後もう一つ調べてもらいことがあります」
「次々と・・・何ですか?」
「全国の孤児達の情報をお願いします」
「その子たちも腐蝕蟲と関わりがあると言うのですか?孤児は全員安全な場所で保護されているはずですよ」
「蟲にはどんな場所であろうと関係ないのですよ」
「わかりました。孤児施設のデータはすぐに用意します。ですが、脱獄犯については少し待ってください。こっちも情報整理が出来ていないので」
垂水が部屋を出ていくと、カオルは窓の外を眺めた。
数十分して、垂水が一つのUSBメモリーを持って戻ってきた。
「これに全て記録されています。使い終わったら、跡形もなく処分してください」
「ご協力感謝します」
カオルは垂水に頭を下げると、ドアノブに手をかけた。
「あ、言い忘れてました。来週から黒祇も警備にあたりますので、よろしくお願いしますね」
カオルが部屋を出ると、垂水は盛大な溜息をついた。
「垂水さん、黒祇の人が来てたんですか?」
「んあ?何でお前が知ってんだよ?」
「女性たちが噂してましたよ。黒祇の人間が来たって」
垂水は小さく舌打ちをすると、椅子が壊れそうな勢いで腰を下ろした。
「で、黒祇の誰が来てたんですか?」
「五人のお一人さん、烏鷺隊長だよ」
「え、あの烏鷺隊長ですか?」
「他にいるなら教えてほしいもんだな」
「あはは、すみません。創始者自ら来られるとは珍しいですね」
垂水はチラリと視線を周囲に向けると、本日何度目かのため息を付いた。みな、垂水がカオルと何を話したのか気になるようで、視線は他に向いているが、明らかに聞き耳を立てている。
「俺らの失敗は向こうに筒抜けだとよ」
「え、じゃあ忠告されに来たんですか?」
「忠告だけなら良かったが、救世主様直々に警備にあたるんだってよ。お忙しいこって」
「へえ、じゃあ黒祇三大美女とかに会えたりするのかなあ」
男の暢気な言葉に、垂水は呆れてため息も付く気になれなかった。
府中刑務所を出たカオルは、急いで本部に戻った。来た時よりも雨脚は強くなり、強い横風が吹いている。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、烏鷺様」
カオルが警備ロボットに声を掛けていると、カオルの後に入ってくるものが居た。振り返らずとも直ぐに誰だか分かることになった。
「烏鷺隊長、お一人ですか?」
カオルに声を掛けたのは、巡回を終えて帰ってきた楊隊と一色隊だった。話しかけたのは一色だ。
「ええ、そうですよ」
カオルは巡回終わりの楊たちに挨拶もせずに、質問だけに答えた。それほどに今は時間が惜しかった。
「私服って事は非番だったんだな。どこに」
楊がカオルを上から下まで見、びしょ濡れの姿に眉間に皺を寄せながら言葉を続けようとしたが、その言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
「すみませんが、人を待たせてるのでいいですか?」
カオルの態度に、楊も他の隊員も驚いた表情で固まってしまった。何とか返事をした楊は、呆然とカオルの背中を見送った。
「隊長、何かしたの?」
矢田が意地の悪い質問を投げかけた。
「隊長?」
楊が何も言い返してこないことを不審に思い矢田が楊の顔を覗き込むと、楊は目を開いたまま固まっていた。
「ちょっと、この人ショック死してるわよ」
「なにっ!?」
風間が慌てて楊の傍に寄った。
「おい、隊長!大丈夫か!」
風間たちの声に焦りは一切ない。むしろ楊の態度が面白いのか、笑いを堪え声が僅かに上擦っている。その後も隊員たちが何度も隊員が呼びかけるが、楊は中々戻ってこなかった。
カオルは研究所にある端末でデータを見ていた。自室では誰かが訪問してくる可能性もあり集中できないが、研究所であれば来る者は限られている。カオルは膨大な量のデータに目を通し続けた。
「カオル、入るわよ」
部屋の外からカオルを呼ぶ声が聞こえたが、カオルは振り向かなくても誰か分かっていた。
「どうぞ」
部屋に入るなり、飛鳥井は何も言わずに画面を覗いた。
「早かったわね。これは、孤児施設のデータ?」
「子供の腐蝕蟲のことが気になってね。考えられるとすれば、親からの虐待などを受けて施設に入っている子供の可能性が高い。あとは、人身売買だが・・・・」
「日本での人身売買は考えにくいわね。取引をするにしても海外だわ」
カオルも同じことを思っていたので頷いた。
「ここ二十年で孤児の数が急激に増えている」
表示されたグラフの数字が急激に伸びているのが分かった。
「じゃあ、施設に蟲共が行ったってことなの?」
「そう考えるのが妥当だろう。虐待を受け、親に恨みを持つ子供がいないとは限らない」
「でも今のところ子供は一体しか見ていないのよね?」
「僕はな。こっちのグラフを見れば分かる。ここ数年で行方不明になっている子供の数も急増している。戸籍がないから公にはされていないが、腐蝕蟲の仕業と言って間違いないだろう」
「それで、どうするの?」
飛鳥井が画面からカオルへと視線を移すと、カオルも飛鳥井へと視線を移した。
「来週から遠征部隊以外の隊も地方への遠征が発表される。おそらく僕の隊は行く事になるだろう。その遠征が終えるまでは、この事を総帥に話すつもりはない」
飛鳥井はカオルの返答に首を傾げた。
「どうして総帥に話さないの?いつもの貴方なら一番に報告してるじゃない」
飛鳥井の言う通りだった。カオルは気になることがあれば一番に元に報告をする。それが最善だと思っているし、今でもその考えは変わっていない。だが今の元にこれ以上の負担をかけたくないと言う気持ちが、そうさせなかった。
「現状から手を打てないのを分かっていて報告しても仕方がない。僕が動ける範囲で動く」
「そう。なら、もう休みなさい。身体を壊したら元も子ものよ」
飛鳥井がカオルの座っていた椅子を引いて、コンソールから遠ざけた。その強引なやり方にカオルは苦笑しながらも素直に立ち上がった。
「わかったよ。言う通りにする」
「そうしてちょうだい」
「じゃあ、おやすみ」
飛鳥井はドアが閉まるまで見送ると、カオルの座っていた椅子に腰を下ろした。凝り固まった肩を解すように首を回していると、部屋のドアがノックされた。モニターを確認すると、珍しい来訪者に飛鳥井が首を傾げながらドアのロックを解いた。
「どうしたの?花影が来るなんて珍しいじゃない」
「ちょっと聞きたいことがありまして。今烏鷺君とすれ違いましたけど、何かあったんですか?烏鷺君難しい顔してましたけど」
「無理矢理追い出したからじゃないかしら」
飛鳥井が鼻で笑うと、花影も苦笑した。
「それで、聞きたいことって?」
「ブラムから送られてきたデータについてなんですが、失敗作が女性ばかりな事が気になって」
「そのことなら私も気になって調べてみたけど、遺体からは何も出なかったわ。妊娠していたわけでも病を患っていたわけでもない。至って普通の体よ」
飛鳥井は立ち上がると、花影のために紅茶を入れ始めた。それを確認すると、花影はソファに腰を下ろした。
「単純に女性は耐えられないだけなのでしょうか?」
「男と女では身体の作りが違うから、その可能性の方が高いでしょうね。まだまだ不明なことが多すぎて、向こう側でもなければ本当の事はわからないわ」
「そうですね。けど飛鳥井さんでもわからないとなると、向こうには相当な腕の研究者がいることになります。もし腐蝕蟲達がさらに進化すれば、この国は本当に終えてしまう」
飛鳥井はカップを花影の前に置くと、小さくため息をついた。
「どうしたの?随分と後ろ向きじゃない?」
「・・・・・とってもくだらない悩みですよ」
「あら、そうゆうの大好きよ」
飛鳥井がクスリと笑うと、花影は少しばかり頬を引きつらせた。
「意外なことを言いますね。まるで飛鳥井さんも患ってるみたい」
花影の言葉に飛鳥井は肩を竦めて見せた。
「それで、恋煩いの花影はどうしたいの?」
「こんな現状ですから、思いぐらいは伝えたいんですが・・・、その勇気が無くて」
飛鳥井は足を組み換え、下唇に人差し指を添えた。
「正直言って、あまり男の趣味がいいとは思えないけど」
「私もそう思います。何を考えてるのかわからないし、少しだけアクションを起こしてみても何の反応もなし。私ってそんなに魅力ないでしょうか?」
「花影は十分魅力的よ。あの男がダメなだけ」
相手の男の名前が出ていないにもかかわらず飛鳥井が応えられているということは、花影が飛鳥井とこの手の話をするのは初めてではないのだろう。
この二人が恋の話をするなど、誰も想像つかないに違いない。それほどに二人に似合わない話の内容だった。
「他に好きな人がいるんですかね・・・?」
「ん~・・・、そんな浮いた話は聞いたことはないけど、でも最近少し雰囲気変わったわね」
「えっ!?変わったってどういう意味ですか?もしかして恋人ができたとかですか?」
花影が机に身を乗り出すと、飛鳥井は慌ててカップを手に取った。
「落ち着きなさい。そんな感じじゃなくて、何か吹っ切れたって感じなのよ」
「吹っ切れた?」
「ええ、なんかそんな感じ。よくわからないけど」
花影は首を傾げるとソファに勢いよく腰を下ろし、そのまま背もたれに寄りかかった。
「丞さん、ほんとわかんない」
「あの男を理解するなんて、結婚しても無理よ」
「ううぅ、恋愛って難しい!」
「せいぜい頑張ることね」
「そんなこと言いますけど、飛鳥井さんの方はどうなんですか?さっきも一緒にいたみたいですし」
飛鳥井の返答が気にくわなかったのか、花影が不満げな表情を作っていた。
「別に、何も。私たちはそんな関係じゃないわ」
「嘘つき。女の目は騙せないんですからね」
「嘘なんて言ってないわよ。私たちが今以上の関係になることは生まれ変わってもないわ」
「烏鷺君って年齢詐欺なほどしっかりしてていい男ですし、歳の差とか気にしなくてもいいと思いますよ。それに早く自分のものにしておかないと、烏鷺君さっさと死んじゃいますからね」
花影の物騒な言葉に、飛鳥井は苦笑した。苦笑するということは、飛鳥井も同意見なのだろう。
誰かの者になるのではなく、死んでしまう。その考えは、このような世の中だからか、それともカオルの性格からか。とても悲しい考え方だが、この二人がそう思っているかは微妙だ。
「ねえ、花影は自分の子孫を残したいと思う?」
「どうしたんですか、急に。まあ、残せるのなら残したいですけど、正直無理ですね。妊娠なんてしたら戦えませんし」
「現実的ね。じゃあ、聞き方を変えるわ。愛する人が死んだあと、その人がいたって証がほしくない?」
飛鳥井の聞きたいことが理解できた花影は、悲し気な表情をした。
「そうですね。相手が死んでもそうですけど、私が死んだ後で相手が私の一部を愛してくれるのなら欲しいかもしれません」
「そう考えると、愛してくれなくてもいいから、その人の子供が欲しいって思ってしまうわ。たとえそこに愛が存在していなくても」
「・・・・・・・、飛鳥井さんってバカな女ですね」
「恋愛なんて人を愚かにしかしないわ。さあ、花影もそろそろ休みなさい。あなた達みんなが顔色悪いと、下の者が心配するわよ」
「わかりました。飛鳥井さん、自分の思いには素直になった方が良いですよ。おやすみなさい」
言い逃げするかのように部屋を出て行った花影に、飛鳥井は苦笑しながらため息を付いた。
「ほんとバカな女ね」
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