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西暦二二二七年一月三日
黒祇最上階、特定の者しか入ることの許されない一室で、黒祇首脳陣会議が行われていた。
室内には張り詰めた空気が漂い、円卓に座る面々のほぼ全員が深刻な表情をしている。一介の隊員がこの部屋に入れば、数秒たりとも耐えることが出来ないだろう。それほどに会議の内容は深刻なものだった。
「新種の腐蝕蟲による被害を受けたのは
唯一円卓に着いていない男が、端末を片手に進行役を担っている。ブラム・マクファーデン。それが、その男の名前だ。
ブラムはハロウィン・ホラーの被災者で、元直々の推薦で黒祇に入隊し、今は元の秘書として黒祇に身を置いている。
以前はイギリスの政治家として国のために働いていたこともあって、その能力を最大限に活かしている。真面目な性格も相まって、元の信頼に十分なほどに応えていた。
「ブラム、その中で一番被害の大きかった支部はどこだ?」
丞の問いに、ブラムは一瞬端末に目を落とした。
「和泉です。ちょうどその時にランベルト様が和泉に行っておられたので、詳しいことはランベルト様からお願いします」
ブラムの言葉で、一人の男に注目が集まった。
「おいおい、もう報告したってのに、また言わなくちゃいけないのか?」
指名された男は肩を竦め、この場に似つかわしくない声色で愚痴を言い、溜息をついた。
ランベルト・アルファーノ。最年少で隠密部隊に配属され、翌年には隠密部隊総隊長に就任した男だ。ランベルトが総隊長に任命されるまでは丞が総隊長を担っていたが、ランベルトが頭角を見せ始めたことで、その役をランベルトへと引き継がれた。ランベルトは些か性格に問題があり、異を唱える隊員が数多くいたが、創始者の決定が覆ることはなかった。
「本人から聞くのが一番かと思いますので、早く話して下さい。時間が勿体無いです」
ランベルトは面倒くさそうに首を横に振ると、座り直した。
「今回新種の腐蝕蟲が出た支部には、蟲共が拠点にしていた基地があるはずだ。和泉でもそれらしき場所を突き止めたが、あったのは残骸だけ。蟲なだけに、すばしっこさは一級品ってな。まあ無駄足だったが、研究員の役には立っただろうな」
「失言です、ランベルト」
花影が空かさずランベルトを咎めた。
遺体でも、腐蝕蟲でも、人であることには変わりない。花影は死者に対する冒涜を赦さなかった。
「ランベルト、奴らの移動先は?」
「さあな、知らねえよ」
丞の問いに、ランベルトは適当な返事を返した。その返しに、丞は呆れたように嘆息した。
「お前、また追わなかったのか?」
「追ったところで時間の無駄だろ」
丞はこれ以上聞いても無駄だと判断したのか、ブラムへと視線を移した。
「総帥、部隊を送り込みますか?」
ブラムの質問で、全員の視線が元に集まった。
「十禅、何か視えたか?」
「いえ、何も視えておりません」
十禅は間を置くことなく返答をした。元は両肘を机につき、考え込んだ。
数秒の沈黙の後、元がゆっくりと顔を上げた。
「後日通達をする。十禅、お前にも出て貰うことなるだろう。心積もりをしておいてくれ」
「御意」
十禅は反論することなく、了承の意を表した。
「お前達の中からも出て貰う事になる。隊員には先に説明をしておくように。以上だ」
元が部屋を出ると、他の首脳陣たちも立ち話をすることなく席を立った。
「カオル様、少しよろしいでしょうか?それと、丞様も」
カオルも他の首脳陣同様にすぐに部屋を出ようとしたが、椅子から立ち上がる前にブラムに呼び止められた。丞はちょうど立ち上がるところだったのか、中途半端な状態でブラムを見ている。
「大事なお話しがございますので、移動をお願いします」
二人が頷くのを確認すると、ブラムは秘書室へと二人を促した。秘書室は元の部屋のすぐ隣だ。二つの部屋には続き扉があり、秘書室から元の部屋にはいつでも行けるようになっている。
「それで、話しって何だ?」
「総帥のことです」
座るなりすぐに丞が要件を聞いた。現状で一分一秒も時間を無駄にすることはできない。丞もカオルも、勿論ブラムもやることが山積みだ。
「総帥がどうかしたのか?」
丞の問いに、元々真面目な表情しかしないブラムの顔に真剣みが増した。その表情から良くない話であることは容易に想像できる。
「総帥の寿命はそう長くないと思います。近頃薬の量も増え力を使う時間も抑えなければ、倒れられてしまわれます。それでこのような事態でもあることを鑑みて、次期総帥についてお二人の意見を伺いたいと思います」
二人とも衝撃の事実に言葉が出てこなかった。
カオルも丞も元の調子が良くないことは知っていたが、まさかそこまで悪いとは思いもしなかった。
冷静な態度を崩さないブラムとは対照的に、丞とカオルは動揺を隠し切れずにいた。
「私の意見としては、息子で在らせられる丞様か、息子同然のカオル様でと考えております。お二人であれば、誰も反対することはないでしょう」
「ちょっと待て!親父は、総帥は何と言っているんだ?」
丞の言葉で、カオルは俯いていた顔を慌てて上げた。元の中で次を決めているのであれば、それが一番だ。こんな時に内部崩壊を起こせば、組織は簡単に崩れてしまう。だから組織の頭である元は、簡単に死にことを許されない。勿論それだけが理由ではないが。
「一度お話をしてみたのですが、総帥は何も仰られませんでした。何も考えていないわけではないと思いますが、一応お二人の意見も聞いておいたほうがいいかと思い、こうしてお二人にお時間をいただきました」
カオルは口を開くことなく、掌に爪が食い込むほど握りしめた。
丞はそれに気が付くと、一回り小さな手に自分の手を重ねた。丞の突然の行動にカオルは驚き、丞を見上げた。見上げた横顔は、真っ直ぐ前を向いている。
「親父の意見が俺たち息子の意見だ」
ブラムは、一度カオルを見てから深く頷いた。
「失礼致しました。では総帥に関しましては、何かあればお二人に直ぐ連絡をするように致します。くれぐれもこの事は内密にお願いします。総帥にも二人には話すなと言いつけられてますので」
「わかった。カオル、行くぞ」
丞に支えられるようにして部屋を去ったカオルに、ブラムは悲痛な面持ちでその背を扉が閉まるまで目に映した。
「・・・・総帥の仰る通り話すべきではなかったかもしれない」
ブラムは扉が閉まると同時に、後悔を吐き出してしまった。
秘書室を後にしたカオルと丞は、誰もいない廊下で立ち止まっていた。
「カオル、これは特殊能力を使う者の運命だ。親父が何も言わないということは、まだ大丈夫と言う事だ。俺たちが動揺するのは良くない」
「わかっています」
「ならいいが・・・・・忘れるな、お前の家族は俺もいる」
丞は俯いたままの頭にそっと触れると、すぐにその手を離し、一人行ってしまった。丞がカオルに対して何を思っているのか、またカオルは丞の行為をどう思ったのか、それはそれぞれにしかわからない。二人の間に言葉はほとんどない。お互いがお互いの距離を測りかねている。二人はまだ家族になれていなかった。
新種の腐蝕蟲による被害が各地で出たことによって、本部の研究所は大忙しだった。飛鳥井からの連絡は来ていないが呼ばれることを見越して、カオルは早々に研究所へと足を運んでいた。
カオルが研究員の一人と話していると、突然腕を掴まれ言葉を交わすことなく連行されてしまった。一緒にいた研究員は唖然と見送り、カオルは呆れたように嘆息しながら黙ってついて行った。
そしてカオルが連れてこられたのは、見慣れた所長室だった。
「僕は話の途中だったんだが」
「所長である私に挨拶もなしなのはどうなのかしら?」
「それで、何かあったのか?」
「この間の蟲の失敗作についてなんだけど、これを見て」
カオルが画面を覗き込むと、映し出されていたのは女性の写真に経歴だった。画面をスクロールすると、どのページも個人の経歴ばかりだ。カオルは不思議そうに飛鳥井を見た。
「彼女の経歴を全て調べたのだけど、彼女は犯罪者だったの。それも終身刑の決まっていた。彼女だけじゃないわ。全員が過去に犯罪を犯し、刑務所に入っていた者よ」
「じゃあ、彼女達は脱獄をしたと言う事か?」
「単純に考えるとそういうことになるわね。混乱にまぎれて脱獄しているのか、あるいは何者かが手引きしているのか」
カオルは画面を見たまま考え込んだ。飛鳥井はカオルが口を開くのを待つか、問うか一瞬迷ったが、後者を選んだ。
「何か分かったの?」
「彼女達がどこの刑務所から出てきたのか分かるか?」
飛鳥井はカオルの言葉に頷くと、目に留まらないスピードでキーボードを叩いた。
「分かったわ。福島刑務所、名古屋刑務所、千葉刑務所、大阪刑務所ね」
「そう言えば、この間の蟲が二度目の人生を与えて貰ったと言っていた。おそらく蟲の大半は犯罪者として刑務所で人生が終える筈だった者だ。この資料を直ぐにブラムに送れ」
「もうやっているわよ」
飛鳥井はキーボードを打ちながらカオルの言葉に頷いた。
「刑務所周辺の警備を強化するようにも」
「あなたの言葉だと全員が犯罪者では無いみたいな言い方だけど、どうしてそう思うの?」
「子供の蟲もいた。僕は直接見ていないが、大人の背に隠れるぐらいと隊員が証言していたことから、そいつは相当小さな子供のはずだ。そんな子供が刑務所に入っているなど有り得ない。何か蟲に成り下がらなくてはならない理由があったのか、蟲に脅されたのか」
「そんな小さな子供が殺しをしていると言うの?」
「ああ、そうだ。そいつのせいで隊員の一人が負傷した。子供だからと言って侮る事は出来ない」
飛鳥井が呆れたように首を振り、嘆息した。
「ほんと、腐った世界になったわね」
「同意見だ」
カオルは研究棟を後にすると、訓練室に足を運んだ。
一人ロボットを相手に、休む間もなくデモ戦を続ける。
カオルを囲むロボットの数は十三体。
滅多に息を切らすことのないカオルが、荒い息を繰り返している。
このようなカオルの姿を知る者は誰もいないだろう。
「カオル」
誰かに呼ばれ直ぐに顔を上げると、ドアの前に元が立っていた。
「このような場所にどうされたのですか?」
カオルは慌ててデモ戦を止めると、大した距離もないのにカオルは駆け寄った。カオルがこのような態度をとるのは彼だけだろう。
「少し話したいことがあってな」
カオルと元はベンチに腰をかけると、カオルは少しだけ体を元の方へ向けた。
「お話しとはなんでしょうか?」
「ブラムから聞いたのだろう?私の体のことを」
カオルは一瞬目を見開いたが、元に隠し事が出来ないことを思い出し素直に頷いた。
「確かに体調が思わしくない時はあるが、能力を酷使しなければ大丈夫だ。だが時間が長くない事も確か」
「もうこれ以上能力をお使いになるのは」
「カオル、私はこの能力を持った時、神としての定めと思ったんだ。神は国を守らねばならない。神は人を守らねばならない。だけど人である私は家族を守りたい。だから、私はこの力で家族を守ることが出来るのであれば、惜しむことはしたくない」
「ですが、神は万能ではありません。この世界の神は人間なのですから」
「ありがとう、カオル。私を思ってくれて。私はお前のような息子を持てて本当に幸せだ」
「・・・・・・・」
「私はこの目で平和な日本を見るまでは死なない。必ずだ」
「分かっています。我々が総帥の手と足となります。だから、無理をなさらないで下さい」
カオルは真っ直ぐ元の目を見た。
「お前達の気持ちは十分に理解しているよ。だがな、私はカオルが傷つくのも見ていられない。それは忘れないでくれ」
元はカオルの頭を優しく二度叩くと、訓練室を後にした。
それからもカオルはデモ戦を続け、二時間経ったところで漸く止めた。カオルの額からは大量の汗が流れ出ている。額から落ちる水が床を濡らし、荒い呼吸を落ち着かせようと深く息を吐いていた。カオルは時間を確認すると、更衣室に向かった。時刻は十八時を指している。
「あ、烏鷺隊長」
カオルが更衣室に入ると、中には天羽だけが居た。
九々龍隊の天羽高吉。現在の隊員の中で、天羽は最年少隊員になる。見た目もカオルよりも随分と幼く背も低くて年齢よりも幼く見える。
「お疲れ様、天羽」
「あ、はい、お疲れ様です、烏鷺隊長!」
カオルが形式的に挨拶をすると、天羽が慌てて挨拶を返した。
「気にしなくていいから、先に着替えな」
カオルは天羽の中途半端に着替えた姿を見て言った。その間に自分も着替えてしまおうと、ロッカーに手をかけた。
「すみません!」
隣からガサゴソと慌ただしい音が聞こえ、カオルは苦笑した。
大半の隊員はカオルや創始者と二人きりになれば、緊張のあまり話すことができなくなってしまう。それは、創始者と二人きりになるという機会が滅多にないことも要因だが、創始者は神と崇められる黒祇でも最も崇拝すべき存在とされているからだ。
「あの、烏鷺隊長はお一人で訓練をされていたのですか?」
「うん、そうだよ。それがどうかした?」
「いえ、僕はいつも誰かと一緒に訓練をしているので、一人でするのとは違うのかと気になりまして」
カオルは横目で天羽を見ると、少しばかり震えた指先が確認できた。
「誰かと一緒であれば指摘をしてもらえるから、天羽にはいいんじゃないかな。数を熟なしたいときは一人の方がいいと思うけど」
「はい、僕もそう思って誰かと一緒にするようにしています」
「九々龍隊は遠征が多いだろうから、できるだけ連携の確認を取った方がいいよ」
「九々龍体調も同じことを仰ってました」
「そうか、なら心配はいらないね」
話が終えると、すでに着替えを終えた天羽は出ていくかと思ったが、隣からの視線はずっと突き刺さったままだった。
「僕の体がどうかした?」
「あ、すみません!」
視線の先がどこに向いているのか気づいたカオルが指摘すると、天羽は途端に顔を真っ赤にさせ、勢いよく頭を下げた。
「いや、気にしなくてもいいけど、僕の体に何かついてた?」
「いえ、違います。その、烏鷺隊長の体つきが気になってしまい」
「体つき・・・・・?」
天羽は顔だけを上げて、カオルの顔色を窺うように言った。
「その、俺と一つしか年が変わらないのに全然違うので、どうすれば烏鷺隊長のような身体になれるかと思いまして」
カオルは先ほどの天羽の体つきを思い出し、なるほどと納得した。カオルと比べると天羽の体つきはまだまだ筋肉が少ない。だからと言って全く鍛えられていないわけではない。一般的に言えば、鍛えられた身体と言えるだろうが、隊員としてはまだまだだろう。
「僕と天羽では黒祇にいる時間が違うから仕方ないんじゃないかな。トレーニングを怠ることなく続ければ、今以上になれるよ」
カオルの言っていることは最もだったが、一つしか年齢が変わらないのにこれだけの差があれば、簡単には納得できない。
「では、烏鷺隊長はどのようなトレーニングをなされているのですか?」
カオルが黒腕を操作し始めると、数秒もしないうちに天羽の黒腕がデータの受信を知らせた。
「これは、なんですか?」
「僕が熟なしてきたトレーニング内容だよ。良かったら参考にしてみて」
天羽は送られてきたデータを確認すると、そこには有り得ない量のトレーニング内容が記録されていた。カオルが七歳の頃から行ってきたトレーニング内容が事細かに記されているが、七歳の少年が熟せるような量のトレーニングとは到底思えない。それから数ヶ月ごとに記録されている内容は減ることなく増えていき、今では身体を壊すのではないかと思えるほどの量だった。
「トレーニングは量より質だからね。無理をしてはいけないよ」
カオルが更衣室を後にすると、天羽も数分して更衣室を出た。廊下を歩く足取りは重い。
「ハァ・・・」
「ため息なんてついてどうしたんだ?」
「あっ、宇佐さん」
俯いていた顔を上げると、天羽と同じく九々龍隊の宇佐雪彦が片手をひらひらと振りながら歩いていた。
「どうかしたんですか?」
「それはこっちの台詞だっての」
「あ、ああ、そうでしたね。さっき更衣室で烏鷺隊長に出会ったんですが、自分が不甲斐無くって」
「ん?烏鷺隊長に何か言われたのか?」
宇佐が訝し気な表情をすると、天羽は慌てて首を横に振った。
「そうではありません。烏鷺隊長にどうすれば烏鷺隊長みたいになれるか聞いたんですが、到底なれそうにもなくて」
「お前よくそんなことが聞けるな。それで、なんて言われたんだ?」
宇佐は話の続きを促しながら、場所を移そうと指を差した。
「烏鷺隊長がこれまでされてきた訓練記録を頂いたんですが、到底真似のできるものではなくて」
天羽はカオルにもらったデータを宇佐に見えるように腕を上げた。
「ゲッ!これは俺でも無理だわ」
「烏鷺隊長はこれを七歳のころから続けられているそうです」
「そりゃ、これだけのことしてたら最強にもなるわ。真似なんてしようとするなよ。強くなるよりも先に体が壊れるのが目に見えてる」
「ハァ・・・」
天羽はまたため息をつくと、カオルから送られてきたデータを閉じた。
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