7
それから二週間後、
傷の回復も早く任務への支障は見られず、以前にも増して気合が入っていると、槻沢からカオルにわざわざ連絡があった。
他の隊員も今回初めて新種の腐蝕蟲と戦い、自分達の力が到底及ばない事を認識し、より厳しい訓練を熟すようになった。
勿論、
黒祇は、入隊するまでも厳しい訓練を積むが、入隊してからも同等かそれ以上の厳しい訓練を熟していかなければならない。
ハロウィン・ホラー後、創設された黒祇養成学校への入学する者は後を絶たないが、年に三回行われる試験を受けるまでに脱落する者は多い。入隊試験は何度でも受ける事が可能ではあるが、一度目で諦めてしまう者も少なからずいる。黒祇は、覚悟と実力のある者のみが、生き残れる場所だからだ。
夜の巡回まで時間のある烏鷺隊のメンバーは、訓練室でロボットによるデモ戦を行っていた。
実際の戦闘で黒腕に記憶された腐蝕蟲の動きをロボットに組み込ませ、隊員の訓練の相手をさせている。
今は、ミシェイラが三体のロボットに一人で立ち向かっているところだった。
「お疲れ様」
カオルがミシェイラの戦闘を見ている三人に声をかけると、三人が慌てて振り向いた。三人がカオルに気が付かなかったのは、カオルがわざと気配を消して近づいたからだ。ちょっとした悪戯心というやつだ。
「隊長、お疲れ様です」
府芭を始めに三人がカオルに挨拶をした。
「遅くなってごめんね。今は一人ずつやっているのか?」
「はい、まだ啉しか終わってませんが。一対三でやっています」
カオルはコートに目を向け状況を把握すると、設置してある端末を操作し始めた。すると、ミシェイラの頭上から二体のロボットが下りてきた。つまり、一対三が一対五になった。
「これは、さすがのミシェイラさんでも厳しいのではないのでしょうか?」
ハウスがカオルを振り返りながら言った。ハウスの表情にはミシェイラへの同情が表れている。
「これで一〇分もたせることが出来れば上出来だよ。ハウスはもう一体増やすか?」
カオルが意地の悪い笑みを浮かべた。それに対してハウスは、微苦笑しながら小さなため息をついた。
「いえ、私では一分も持たないでしょう」
カオルとハウスがそんなやり取りをしていると、何かが激しく壁にぶつかる音がした。二人がコートに視線を戻すと、ミシェイラがロボットに殴り飛ばされ、壁に身体を打ち付けていた。
カオルが戦闘終了ボタンを押すと、ロボット達は引き上げられていった。
「お疲れ様、ミシェイラ」
戻ってきたミシェイラは、労わりの言葉を掛けてきた相手を睨んだ。
「急に増えたと思ったら、隊長だったのね」
「一〇分持てば上出来だったけど、八分で殴り飛ばされちゃったね」
「一〇分持つ前に死んでるわ」
ミシェイラの言葉にカオル以外の全員が頷いた。
「次は誰がいくのかな?」
「あ、はい。俺です」
降りてきたロボットの数に目を瞠り、驚いたのはコートにいる府芭だけではない。戦闘開始の合図はロボットが降りてきた瞬間だ。府芭は刀を構え、ロボットが着地すると同時に、勢いよく飛び出した。・・・・・勝負はすぐに終えた。
「あんた、五分は短すぎよ」
「仕方がないだろう。まさか、あんな攻め方をされるとは思わなかったんだ」
戻ってきた府芭に疲れた様子は一切なく、ただ落ち込んでいた。なぜなら、府芭はたった五分でノックアウトさせられたからだ。
府芭がわずか五分でやられてしまった原因は、六体のロボットが同時に飛び上がったかと思い対応したが、一体だけが地面に潜り込み足を引っ掛けられ、転かされたからだ。単純な戦闘方法だが、動きの速さに眼が釣られてしまい、全てのロボットが飛んだと錯覚してしまいやすい。
「相手の動きに翻弄されすぎてる証拠だよ」
「はい、すみません」
カオルの言葉に、府芭は肩を落としながら腰を下ろした。
「ハウス、先に僕が行ってもいいか?」
ハウスが立ち上がろうとしたら、カオルが先に立ち上がった。
「ええ、勿論でございます」
カオルは共闘訓練はよくするが、個人訓練はあまり人の前で行う事が無い。久しぶりに見るカオルの個人戦闘訓練に四人は集中した。
カオルは端末を操作すると、コートに向かった。
戦闘態勢に入ると、ロボットが十対下りてきた。
その数に四人は息を飲んだ。半分の数でも勝てなかったのに、その倍の数をたった一人で勝つ事が出来るのか。いや、何分持つ事が出来るのだろうかと四人は思った。
今までにもカオルの個人戦闘訓練は何度か見てきたが、最高でも五体だった。
いつからこれだけの人数を相手に戦う事が可能になったのか、四人は全く知らなかった。
「隊長はいつの間にこれだけの数を相手にできるようになったんだ?」
府芭がカオルから目を離すことなく言った。
「知らないわよ。あの人が巡回の時間以外どこで何をしているのか、ほとんどわからないもの。それより、まだ三分しか経っていないのに、四体倒したわ」
ミシェイラも目を離すことなく答えた。
カオルの足元には既に四対のロボットが動けなくなっていた。
ロボットを戦闘不能にするには脇腹にある、停止ボタンを押さなくてはならない。つまり、ロボットの懐に入り込む事が必須である。
勿論ロボットとて簡単に懐に入り込ませないように設定されているし、腐蝕蟲を模擬されているので容易に倒せる相手ではない。それは、先程の二人の戦闘で証明済みだ。
「さすがですね。これなら、一〇分以内に終えるのではないでょうか」
ハウスの言葉に三人は頷いた。
「隊長とこんなにも差があるとは思わなかった」
啉の言葉は自分に向けたものではなく、他の三人に対する言葉だった。・・・・・カオルのデモ戦はたった七分で終えた。四人の予想を遥かに上回る早さだ。
「お疲れ様でした」
ハウスがタオルを渡すが、カオルは殆ど汗をかいていなかい。だけど、カオルは礼を言いながらタオルを受け取ると、首にかけた。
「ありがとう、ハウス。先に終わらせて悪かったね」
「いえ、お気になさらないで下さい。それにしても、十体を七分で倒すとは流石としか喩えようがありません。私の予想では一〇分だったのですが」
「ようやく八分を切れるようになったんだよ。先月までは一〇分かかっていた」
カオルの返答から、随分と前からこの訓練を行っている事がわかった。内心では驚きつつも、ハウスはそれを表情に出さなかった。
「いつから十体で訓練をされているのですか?」
カオルが椅子に座ったところで、府芭が話しかけた。
「二ヶ月まえぐらいかな?花影と一緒に訓練をしていたんだが、どちらの方が多く倒せるか勝負をしていたんだ。十体以上は流石に無理だったけどね」
カオルの表情からして、本当に無理だったのか疑わしいと府芭は思った。
「花影隊長は何体まで倒されたんですか?」
「確か八体だったかな。あいつの場合は体力が持たなかったというのが理由だけどね。初めから十対でしていれば、花影が勝っていたかもしれない」
それはカオルにも言える事だろうと三人は思ったが、口には出さなかった。
何体からスタートしたのかは分からないが、二人が一体ずつ増やして何戦もデモ戦を繰り返したということは、相当の体力が消耗されているのは分かりきっている。一回のデモ戦でも相当疲れるのに、それを何回も行ったのであれば、人間の成せる技ではない。
四人はどれだけの訓練を積めば、カオルに追いつけるのか想像が付かなかった。
そして、今のままではカオルの足手纏いになると思った四人が、次のデモ戦からロボットの数を増やし、ボロボロになるまで訓練をしたのは、言うまでもないことだった。
ハウスのデモ戦が終えると、五人は訓練室を後にし、食堂へと向かった。
「そう言えば、今日の訓練は初めて聞く隊と一緒だったわね。八十隊?」
ミシェイラが巡回表を確認しながら言った。「はちじゅう隊」と読んだミシェイラに、カオルは首を横に振った。
「『やそ』だよ、ミシェイラ。今月に山城からこっちに移動になったんだ。府芭なら知っているんじゃないか?昔、八十伊佐治さんって人がいただろう。あの人の息子だよ」
「覚えてます。息子さんも入っていたんですね」
府芭が懐かしむように言った。
「そのお父さんの方は今どうしてるの?」
「殉職したよ。ミシェイラが入隊する少し前の事だったかな。それでその八十隊だが、息子の八十梓が正式に隊長になったことで本部に配属することになったそうだよ」
「隊長はもう会われたのですか?」
「いや、僕もまだ会っていないよ。伊佐治に写真を見せてもらったことがあったから、顔は知っているけどね」
「イケメン?」
食いついたミシェイラに、カオルが苦笑した。
「ミシェイラの好みかはわからないけど、イケメンじゃないかな?」
カオルの口から死語が出てきたことに全員が突っ込みたかったが、誰も口を開かなかった。
「それじゃ、僕は行くところがあるから、また後で」
カオルが食べ終えた盆を持ちながら立ち上がると、四人も立ち上がり敬礼で見送った。
「ねえ、その八十隊って何でこっちに移動になったの?」
「実力が認められたからじゃないのか?」
府芭の答えにミシェイラは首を振った。府芭自身、自分の答えが合っているとは思っていなかったし、可能性の一つを答えたに過ぎない。
「そんな単純な理由でこの時期に移動なんてならないわ。しかも本部に。八十隊に何かあるとしか思えないわ」
ミシェイラと府芭が頭を捻るように考え込むと、啉がボソッと言った。
「特殊能力」
「そうね、その可能性もありそうだけど・・・」
啉の言葉にミシェイラは煮え切らない返答をした。
「特殊能力が覚醒したってことは、相当な潜在能力が携わっていないと無理だぞ」
「もし、啉の予想が当たっていれば、そう言うことでしょ。でも、何か違う気がするのよね~」
「何かって何だ?」
「それが分からないから考えてるんでしょ。でも、そんな特殊能力だけでこの時期に本部に移動になるとは思えないのよ。むしろ各支部にいた方がいいはずだわ」
「ミシェイラの考えすぎじゃないか?」
府芭にはどうしてミシェイラがここまで気にするのかわからず、ハウスと啉に目をやるが、二人も首を傾げた。
二十四時、烏鷺隊と八十隊の巡回の時間となった。
「烏鷺隊長、よろしくお願いします。烏鷺隊長のことは父からよく聞かされていました」
カオルが一〇分前にエントランスに着くと、そこにはすでにカオル以外の全員が揃っていた。
カオルの姿が見えるなり、八十はすぐさまカオルに駆け寄った。
「こちらこそ。八十隊長のことは伊佐治さんからよく聞いていたよ。うちの隊の府芭も伊佐治さんにはよく世話になってたし」
「そうでしたか、父の交友関係は広かったのですね」
カオルは微笑むと、手を離した。
「行こうか」
カオルの隣には八十が並んだ。
「烏鷺隊長、新種の腐蝕蟲は以前の蟲とはどのぐらい違うのでしょうか?」
「戦闘力で言うと、並みの隊員では手も足も出ないだろうね。だけど、それは以前ならばの話で、今はこちらも新種の腐蝕蟲に対抗するために対策を打っている。だから、手も足も出ないってことはないと思うよ」
カオルの返答に、八十は難しい顔をした。
「ですが、知能も人間と変わりないのですよね?」
「そのままだよ。奴らは人を保ったまま蟲へとなっている」
「そんなことが可能だとしたら、相当な頭脳を持った研究者があちら側にいるということですか」
「確かにそう考えるのが自然だね」
「だから、僕がこっちに呼ばれたってことで合ってますか?」
「そうだよ。総帥とは話してないのか?」
カオルが不思議そうな表情で八十を見た。八十はそれにどう反応したらいいのかわからず、困ったように笑った。
「はい。ブラムさんとは話したのですが、巡回の時間以外は研究所で、としか。詳しいことは研究員の方が詳しいからと」
「そうだったのか。僕も研究所には頻繁に顔を出しているから大丈夫だよ。飛鳥井も怖くないから安心して」
「ありがとうございます。正直、どうすればいいのかわからず、困っていたんです」
八十の不安そうな表情を見て、カオルは本当に詳しい説明のないまま本部に連れてこられたのかと同情した。
この時、カオルと八十の会話を聞いていた烏鷺隊の四人の頭の中には、八十は研究員でもあるのかという疑問だった。
「ねえ、あなた」
ミシェイラが後ろを歩いていた男に話しかけた。
その男は周囲に配っていた目線をミシェイラに合わせると、首を傾げた。
「俺のことか?」
ミシェイラが話しかけたのは沖近衛だ。年齢はミシェイラよりも若いのだが、常に険しい表情をしているからか年齢以上に見られやすい。周囲からは常に怒っていると言われているが、本人には全くそのつもりはない。これが、彼の通常運転なのだ。
「そうよ。聞きたいのだけど、八十隊長って研究員でもしてたの?」
「いや、違う。以前は医者をしていたと聞いた。相当な腕だったらしく、医療界では有名だったらしい」
「ああ、なるほどね。それで、研究所ってわけ」
ミシェイラは漸く合点が行き、すっきりした顔をした。
八十は黒祇に入る前、海外でも有名な外科医で、彼の腕に治せない病はないと言われるほどだった。
そして今回呼ばれたのは、新種の腐蝕蟲の外科的処置を施すためだった。腐蝕蟲は殺してしまえば消滅してしまうが、生け捕りにし眠らせて処置を施すことで、腐蝕蟲達の体内を調べようとしているのだ。
もし、腐蝕蟲達を普通の人間に戻すことが出来るのであれば、それにこしたことはないし、何よりも新種の腐蝕蟲への対策にも繋がる。
そして、そのために抜擢されたのが八十だ。
この研究内容は、研究員と創始者にしか知らされていない。ミシェイラ達は八十が何者なのかと気になっていたが、研究所と聞いて、自分の領分外だとすぐに切り捨てた。
「ここからは二手に分かれよう。八十隊長は、府芭、ハウス、最上、沖と北へ。ミシェイラ、啉、伏見、十朱は僕と南を回る。蟲に出くわしたら、隊形を崩さず、決して一人で戦おうとしないように」
「御意」
カオルの言葉に全員が返事をし、夜の闇に紛れるように飛び去った。
「八十隊長」
府芭は先頭を歩く八十の隣に並んだ。
「えっと、府芭さん、ですよね。どうかしましたか?」
「その、伊佐治さんには以前よくお世話になったので」
本題を切り出すには早い気がして、共通の話題で誤魔化した。
「自分は父とは配属先が違ったので、本部での詳しい事は知らないのですが、府芭さんは父とどうゆう関係だったんですか?」
「伊佐治さんとは同じ隊に所属していたんです。俺は入隊したばかりだったので、そんなに一緒にいる時間は長くなかったのですが、訓練もよく見てもらったりと色々とお世話になりました」
「そうでしたか。自分も父と同じ本部で働けるようになって嬉しいです」
府芭は今しかないと思い、切り出した。
「先ほどの会話が少し聞こえたのですが、八十隊長は以前医者をされていたのですよね?」
「はい、そうですよ。それがどうかしましたか?」
八十が盗み聞きされていたことに気分を害したようすはなく、府芭は話を続けた。
「どうして黒祇に入られたのですか?医者であればこのような世の中でも十分に働くことができると思うのですが」
「他の人たちとそう変わらない理由ですよ。僕を守るために母が腐蝕蟲に殺されたんです。それで、黒祇の存在を知り、父の後を追って入隊をしたんです」
「そうでしたか。お辛い話をお聞きしてしまいすみません」
「いえ、気にしないでください。大切な人をなくしているのは僕だけではないですから」
府芭は八十の言葉に頷くだけだった。
二手に分かれた後、カオル達は閑静な住宅街を歩いていた。
「烏鷺隊長、お聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
カオルが先頭を歩いていると、伏見がカオルの隣に並び、話しかけてきた。
「いいよ」
「烏鷺隊長は最年少で隊長かつ創始者の一人でいらっしゃいます。その中でも、腕は一番と聞きます。その、どうすれば俺も烏鷺隊長みたいに強くなれますか?」
カオルのことを尊敬していると、伏見の目が雄弁に語りかけていた。
誰かを目標にし、その人に近づくために、本人から話を聞くことはいいことだ。けど、この状況が面白くない者もいた。
「伏見くん。隊長に追いつきたかったら、デモ戦でロボット十体を倒すことね」
ミシェイラがカオルを挟んで、話に入ってきた。ミシェイラの顔には意地の悪い笑みが浮かべられている。だけど、その表情は憎たらしいとかではなく、男を誘惑するような表情だ。
「じゅ、十体ですか!?」
ミシェイラにとって、予想通りの反応が返ってきた。
普通の隊員では十体を倒すなど到底成せる業ではない。創始者であれば可能かもしれないが、絶対とは言い切れないほどに容易な事ではない。
「そうよ。十体ぐらいは簡単に倒さないと、隊長の隣に立つことすらできないわよ」
ミシェイラの言葉に伏見はすっかり落ち込んでしまった。
「ミシェイラ、それぐらいにしな」
カオルに軽く咎められると、ミシェイラは気のない返事をしながら後ろに下がった。
「伏見、強くなる為には自分にどれだけ厳しくあれるかだと思うよ。限界だと知りながらも、それを越えようと努力を続ける事で人は強くなっていく。皆が簡単に強くなっていれば、今頃この世界に蟲なんて存在していないよ」
カオルの言葉に伏見は頷いたが、まだ言葉が足りていないようだった。
「訓練には付き合うよ」
途端に伏見の顔が上がり、目を輝せてカオルを凝視した。
「本当ですか?」
「そんなには時間は取れないけど、連絡をしてくれれば時間を見つけて付き合うよ」
「ありがとうございます!」
後ろで話しを聞いていたミシェイラの表情はますます膨れっ面になった。隊の者ですら、カオルと一緒に訓練できる時間は短い。それを他所の隊員に奪われば面白くないのは当然だ。ここに府芭がいれば、ミシェイラと同様の反応をしていただろう。
巡回をそろそろ終えようかと時間になり、カオルが八十に連絡しようとした時、カオルの黒腕が鳴った。
「どうした?」
カオルは直ぐに通信を繋ぐと、焦った声で返事をした。
「直ぐにこちらに来てもらえますか?」
「わかった」
八十の声色から緊急性がないことは明白だった。だから、カオルは詳しいことを聞かないまま、二つ返事で了解した。
黒腕を操作し居場所を確認すると、カオル達は直ぐ現場へとに向かった。さほど遠くない距離で、目的の場所に着いた。
「どうした?」
八十たちがいたのは、細い裏道だった。人影はなく、猫も通らないような場所だ。
「これを見てください」
八十の指差した先に目をやると、そこには惨い姿の女性の遺体が綺麗に並べられていた。
「これは、被害者の遺体ですか・・・・?」
カオルの後ろから除いていた伏見が口元を押えながら言った。
遺体は全身が干からび、骨が皮膚から突き出し、目も当てられない状態だ。だが、黒祇の隊員であるここにいる者たちは、もっと悲惨なものを何度も目にしてきている。皆その遺体から目を逸らすことなく、凝視していた。
「これは、実験に失敗した者の末路だ」
カオルの言葉に伏見の顔から血の気が引いた。聞いていた他の者も息を飲んだ。
これまでに腐蝕蟲に殺された者は見たことがあったが、実験に失敗した腐蝕蟲がこのような姿になるのを目にするのは、カオル以外は初めてだった。なぜなら、このことは研究員とごく一部の者しか知らされていないからだ。
カオル以外の者は、人としての能力を維持したままの腐蝕蟲が現れるようになってから、これまでの理性を失った腐蝕蟲が失敗作だったのかと思っていた。だが、目の前の遺体を目にして、初めて知る事実に背筋が凍る思いを抱いた。
「本部には連絡してあるのか?」
「はい、既に連絡してありますので、直に到着するかと思います」
八十の言うとおり、数分後に黒祇専用車が到着した。真っ黒の外装からは、一切車中の様子が覗えない。
「あなたがいるなら私は必要なかったんじゃないの?」
リヤドアが開くと、白衣を纏った女性をはじめ研究員が数名降りてきた。
「これは飛鳥井の仕事だろう?」
カオルの言葉に、飛鳥井の眉間に皺が寄った。
カオルが飛鳥井と呼んだ女は黒祇研究員所長、飛鳥井夜だ。話し方からも分かるが、カオルは研究所に呼び出されることが多く、度々飛鳥井に扱き使われていて、お互いが気の使わない相手である。
「私に一秒も暇は無いのよ」
飛鳥井の不満が裏路地に響いた。
研究員は隊員の衣と武器の製造、腐蝕蟲の研究などとブッラク企業だと言われるぐらい忙しい。数百年前の日本ならば、社会的問題になっていただろう。
飛鳥井が忙しい事ぐらいカオルもよくよく知っている。だけど、飛鳥井と同じぐらいカオルも多忙の身だ。
「僕はこれで戻るよ。飛鳥井が来たなら任せられるからね」
カオルが笑顔で退散を告げると、飛鳥井が噛み付いた。
「ちょっとずるいじゃないの!職務放棄よ」
「いいや、僕は研究員じゃないから職務放棄にはならないよ。研究所に篭ってばかりだと外の空気が新鮮だろう?ゆっくりしていくといいよ」
カオルが踵を返し他の隊員のもとへ向かうと、後ろから石が飛んできた。勿論、振り返ることなく避けた。
「行こうか」
「えっと、大丈夫なんですか?」
カオルが隊員に声を掛けると、八十はカオルの背後を見ながら言った。
「気にしなくていいよ。引き篭もりにはいい気分転換になるだろうから」
カオルの嫌味に、全員がどう反応したらいいのか悩まされた。
黒祇研究員所長と言ったら、研究員の中のトップだ。そして、飛鳥井は黒祇三大美女で、滅多に拝むことが出来ないことから、見れた日には良いことが起こるとよく分からない迷信まである。
八十も初めて見る飛鳥井に一瞬見惚れてしまったが、カオルとのやり取りを見て驚きの方が勝ってしまった。烏鷺隊の隊員たちもカオルと飛鳥井がここまで親しいとは知らず、八十同様に驚きを露わにしていた。
一同が本部に戻ってきたのは、巡回時間終了から一時間過ぎてからだった。
「府芭、今日の調整まで連絡がつかないかもしれないから、何かあったら花影か楊隊長に連絡して」
「わかりました」
調整とは月に一度行われる、衣の調整だ。それぞれの身体に合わせて作られた衣は、こまめに調整を行わなければならない。己の身を守るためにも、衣の調整は欠かせない。
府芭は特に詳しいことを聞くことなく返事をした。
「八十隊のみんなもお疲れ様」
カオルは本部の中に入ることなく、そのまま出かけてしまった。全員はそれを見送ると、揃って中に入った。
「烏鷺隊長はどこに行かれたのですか?」
伏見が府芭に尋ねた。
「知らないよ。隊長が話さない限り聞かないことにしている。だから、何も言
わずに言ったなら、俺たちは知る必要がないということだ」
「でも、気にならないのですか?」
「気にはなるけど、忙しい隊長を引き止めるのはよくないだろ?」
伏見はなるほどと頷き、それ以上は聞かなかった。
カオルが向かった先は黒祇養成学校だった。エントランスで端末に黒腕を照らし、向かった先は訓練棟。使用中の訓練室を探し、二階の観客席へ足を運ぶと、コートを見下ろした。コートでは生徒による三対三のチーム戦が行われ、教官が審判をしている。
「烏鷺隊長、いかがされましたか?」
カオルに話しかけたのは黒祇養成学校校長である天願六角だ。カオルは天願の存在に気づきながらも、わざとコートから目を離さなかった。
「引抜が必要かもしれないので」
カオルの言葉に、天願が一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに表情を戻した。
カオルの言った引き抜きとは、欠員が出た場合に創始者の推薦で生徒の中から隊員を補充をすることだ。
「そんなにも殉職者が出たのですか?」
「いえ、そうではないのですが、これから必要になる気がするので」
「そうゆうことでしたか。目ぼしい生徒はいましたか?」
天願はカオルと同じようにコートに目を落とした。ちょうど一戦が終え、次の生徒と入れ替わっていた。
「あの少年はいつからいるのですか?」
カオルの目線の先にはカオルと年の変わらない少年の姿があった。さっきまでチーム戦を行っていた一人だ。
「ああ、彼は先月入学したばかりで、才能はあるのですが少々問題がありまして」
天願の困り果てたような口ぶりに、カオルは少年から天願に目線を移した。
「腐蝕蟲への恨みからか常に気が立っており、教官たちも手を焼いているのですよ」
「彼の家族は?」
「隊員が駆け付けた時にはすでに彼の両親は殺され、彼と妹しか救う事ができなかったそうです。その妹さんはまだ幼く、精神的な病を抱えてしまって」
カオルはもう一度少年に目線を移し、手すりに手をかけると、二階の観客席から飛び降りた。
突然の行動に驚かされたのは天願だけではない。急に上から人が落ちてきたことで生徒達は騒ぎ、教官はカオルの登場に仰天した。
カオルは教官の下まで行くと何か耳打ちをし、その言葉に教官は驚いていたが直ぐに頷いた。
生徒達の視線はカオルに集まり、教官が一歩前に出ると注目した。―――これから何が起こるのかと。
「今から烏鷺隊長と試合を行う」
教官がカオルの名を出した瞬間、生徒たちの間にどよめきが走った。
創始者の一人が訓練中に現れ、その者が試合を行うなど前代未聞の事態だ。実際にカオルの姿を見たことのなかった者も多く、女性の興奮した声が一番目立っている。
「巴月琥珀、前に出ろ」
一瞬で名を呼ばれた生徒に視線が集まった。呼ばれた生徒も驚きを隠せていないようで、呼ばれたにも関わらず突っ立たままだ。
「早くしろ」
教官が急かすと、呼ばれた生徒は隣にいた生徒に押されて前に出てきた。
生徒達はコートから退き、コートにはカオルと巴月、審判の教官だけが残された。
見ている生徒達は興奮を抑えきれず、早く始まらないかと落ち着きが無かった。観客席で見ている校長も楽しそうだ。
「降参または戦闘不能となれば試合終了とします。危険行為は失格と見做し、強制的に止めに入ります。よろしいですね?」
二人が同時に頷いた。
「―――始め!」
合図の瞬間、カオルが生徒よりも早く飛び出した。
あまりの速さに巴月だけでなく見ている生徒隊も何が起きたのか分からなかった。
巴月の背には壁があった。だが、直ぐに巴月は体勢を取り直し、勢いよくカオルに突っ込んだ。
一切の武器を持たず、己の持つ技のみで闘う。巴月の戦闘能力は確かに高かった。力も技術もあった。だが、それはここにいる生徒と比較した場合だ。最前線で戦う隊員と比較するのは愚かというものだろう。
カオルの動きに、繰り出す技に、全生徒が、教官が、校長が凝視し、生徒達は何か一つでも盗もうとしていた。だが、あまりの速さに眼で追うのが精一杯だった。
「君は何の為に戦っている?」
カオルは激しく動き回っているにもかかわらず、巴月にだけ聞こえるように話しかけた。だけど、巴月は何も答えなかった。
「今の君では戦場に出ても一瞬で死ぬ」
カオルの言葉で巴月が苛立った。段々と動きは荒々しくなり、獰猛な獣のような目つきでカオルを睨んでいる。
カオルがクスリと笑うと、巴月の目の前からカオルの姿が消えた―――と思った瞬間には、巴月の身体は床に押さえつけられていた。
「そこまで!」
教官の声でカオルは手を離し、巴月の上から退いた。
巴月は中々起き上がらなかった。カオルは気にすることなく一礼すると、教官のもとへ歩いていった。
試合が終わると生徒たちの話し声が大きくなり、初めての事態に興奮は中々収まりそうに無い。
カオルは息を乱すことも、一粒の汗ですら掻いていなかった。
「あのっ!」
カオルが教官と話していると、巴月が俯いたまま立っていた。カオルは無視することなく振り返り、巴月との間合いを一歩縮めた。
「どうかした?」
「俺は、弱かったでしょうか?」
「弱くはなかったよ。この中でだったら一番だろうから」
巴月は顔を上げると、カオルの真意を探ろうと見据えた。
「でも、あなたには手も足も出なかった」
カオルが困ったように笑った。巴月の無礼な言葉に、教官が止めに入ろうとしたが、カオルが手だけで制した。
「僕はどの隊員よりも戦歴が長いし、死地にもずっと出ている。そんな僕と君を比較するのはどうかと思うよ」
「・・・・・」
カオルの言っていることは最もだ。まだ隊員にもなっていない生徒が、すでに前線に出ている隊員に勝つなど百年早いと言うものだろう。教官は呆れたように、ため息を吐いていた。
「じゃあ、俺はどうすればいいですか?」
カオルは巴月との間合いを更に詰めた。
「もう一度聞く、君は何の為に戦う?」
「・・・・・俺は両親を殺した蟲共が憎い。妹を、この身が裂けても、妹を守りたい!」
巴月は苦しそうに言葉を紡いだ。
家族を失い、大切な人を失い、苦しんだ者は数多といる。
大切な人を守るために、仇をとるために戦う者は力を欲する。
巴月の叫びは、戦う者すべての悲鳴だった。
「君は次の試験を受けるといい。必ず合格するよ」
カオルは巴月の肩に手を置くと、巴月がその手を見た。
「わかりました」
巴月は力強く頷くと、去っていくカオルの背を鋭い眼光で見続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます