寂寂じゃくじゃくたる夜の街、闇に溶け込むようにして活動する集団がいる。それはこの国で神として崇められる存在か。将又、罪として断罪される存在か。闇の中にいる存在には、闇の中にいる存在だけが気づくことが出来る。

 夜の闇は、あるゆる者が紛れやすい―――。


「ご無沙汰しています、烏鷺隊長」

「お久しぶりです、槻沢つきぬきざわ隊長」


 見目の良い二人が向き合い、言葉を交わす。

 夜も更け、かつての日本であれば、傍から見る者によっては恋人の逢瀬おうせだと思ったかもしれない。だが、この二人の間にそのような空気もなければ、そのような表情もしていない。

 カオルと挨拶を交わす槻沢は、大和撫子と言う言葉を具現化したような女で、束ねられた黒髪は花の香りがしそうなほど美しい。その見た目から、黒祇三大美女の一人に数えられている。

 そんな槻沢は、黒祇の隊員になる以前から有名人だった。その理由は、日本最後の総理大臣となった父の「美しすぎる令嬢」として世間を騒がせていたからだ。

国民を第一に考える槻沢の父は、支持率が高く、史上最高の総理として騒がれていた。槻沢もそんな父を尊敬し、父を支えるために傍にあり続けていたが、日本を崩壊へと襲った日、槻沢の父は娘を守りながら死んだ。

 そして、槻沢は父が愛した日本を守るために戦う道を選んだ。


「そう言えば、槻沢隊は西海道方面に遠征に行ってましたよね。帰ってこられたのは三日前でしたか?」

「はい。本部に戻る予定だった日に新種の蟲の通達が来たので、いろいろとドタバタして、帰るタイミングを逃してしまいました」


相当大変だったのか、槻沢が苦笑を溢した。

 本部では、定期的に国内各地へ遠征部隊が送り込まれる。遠征内容によっては戦闘部隊が送り込まれることもあるが、大半の遠征は隠密部隊が遠征地へと赴く。

 その隠密部隊とは、戦闘部隊とは別に隠密行動に長ける隊員たちのことを示している。

 遥か昔、日本に存在した忍者のように隠密行動を主とし、腐蝕蟲の潜伏先に潜入する任務が大半だ。隠密部隊は本部や支部など一か所に留まっていることは殆どなく、常にどこかしらに潜入している。

 だから、多忙で常に人手不足の隠密部隊に代わって、戦闘部隊が送り込まれることは多々あり、槻沢隊も人手不足を補うために駆り出されたというわけだ。

 カオルは労う気持ちを苦笑で返した。


「大変でしたね。でも、まだ現れてはなかったんですよね?」

「はい。まだだったんですが、対策云々でいろいろと意見を求められまして」

「そうでしたか。いつ現れるかわからない相手ですから、早々に対策をとるに限りますからね」


 二人の会話に耳を傾けていた隊員達は、深刻な表情をしていた。

 今のところ新種の腐蝕蟲が現れたのは本部のある武蔵だけだが、カオルの言う通り時間の問題なのだろう。不穏な足音が急速に近づいてきているようで、みな心の休まる時間が無い。

 カオルが足を止め、振り返った。隊員たちもすぐに足を止めた。


「この辺りから分かれよう。府芭くらばろんさわ五十里いそり、お前達は西を」

「御意」


府芭が返事をした。


「ミシェイラ、多智たち、槻沢隊長は東をお願いします」

「わかりました」


槻沢が頷いた。


「ハウス、百目鬼どうぬきは僕と一緒に北へ行く。全員、かのえに」

「御意」


全員がカオルの命令に頷くと、それぞれ飛び去った。


「隊長殿、何かあるのですか?」


 三手に分かれてすぐ、ハウスがカオルに険しい表情で問いかけた。

 カオルの言った「かのえ」とは、潜入先や任務地の危険度を表す言葉だ。危険度は五段階で表され、きのえから始まり、ひのえつちのえかのえみづのえの順に危険度が上がる。危険度の判断は隊長に任されており、何かが起こった際は危険度と緊急性の高い所から優先的に増援が送られる。


「念には念を、と言うだけだよ」


カオルはそれ以上のことは口に出さなかった。ハウスはカオルの横顔を盗み見たが、カオルの深意を読み取ることはできなかった。


「百目鬼、ハウスの傍から絶対に離れないように。いいね?」


カオルは一瞬だけ百目鬼に目線をやった。その視線に一瞬口を噤んでしまったが、慌てて返事をした。


「ぎょ、御意!」


百目鬼の声が夜の街に響いた。

 あまりの声の大きさにカオルとハウスが目を見開いた。二人の反応に百目鬼は自分の失態に気が付き、恥ずかしさのあまり首まで真っ赤に染めた。

 百目鬼は啉と同じで半年前に養成学校を卒業していた。歳も若く、気が優しいからか、腐蝕蟲を斬る恐怖が捨てきれていないと、槻沢が言っていたことをカオルは思い出していた。

 もし、今腐蝕蟲が襲ってきたら、百目鬼が足手まといになる可能性がある。そうならないためにも、百目鬼にはハウスから離れないよう言いつけておく必要があった。

 暫く、カオル達は建物と建物を飛び回っていたが何も起こらなかった。


「今日は何も起こらなさそうですね」


ハウスがカオルの一歩後ろに立ち、話しかけた。


「待ってください」


カオル達とは反対の方向を見ていた百目鬼が言った。


「百目鬼殿、どうかしましたか?」

「嫌な臭いがします」


百目鬼が似合わない険しい表情で一点を睨んでいた。

 百目鬼は数少ない特殊能力保有者の一人で、神齅しんしゅうを持っている。特に嫌な臭いには敏感で、腐蝕蟲の匂いを嗅ぎ分けることが出来る。


「向こうから嫌な臭いがします」


百目鬼が指し示した瞬間、ブザー音が鳴り響いた。


「急ぐぞ」


三人の黒腕から鳴り響いたブザー音は緊急事態を知らせるためだった。発信先は槻沢で、三人はすぐに表示されている場所に向かった。

 カオル達が着いた時には既に府芭たちも着いており、激しい戦闘の真っ只中だった。


「ハウスは府芭、百目鬼はミシェイラ、行け」

「御意」


カオルは戦闘状況を瞬時に把握し、二人に指示を出した。その声と同時に二人は駆け出し、戦闘に加わっていった。

 戦闘が繰り広げている場所は街灯が少なく、薄っすらと雲の翳る月明かりだけが頼りだ。新種の腐蝕蟲が八体。カオルは「黒白」と呼ばれた男の姿を探した。

 刀と剣の交わる音。建物の壊れる音。戦闘員たちの息遣い。

 カオルは耳も目も鼻も、全ての感覚を研ぎ澄ませた。

 

「キャアアアアア!」


夜の闇に少女の悲鳴が響き渡った。

 カオルはすぐさま悲鳴の聞こえた場所へと向かった。その移動速度は常人では目に捉えられないほどだ。

 悲鳴の発信源を見つけると、カオルはビルから飛び降りた。飛び降りた先には、少女が倒れてくる電柱に恐怖し、腰を抜かしている。


「大丈夫?」

「―――――ッ!」


声に反応し、少女が瞼を上げると、そこは先ほどまでいた場所ではなくなっていた。瞬間移動でもしたのではないかと思うほどの移動速度。目を閉じていた少女には何が起きたのか理解できていないだろう。もし、目を開けていれば、カオルが異常な速度で移動したことがわかったかもしれない。

 カオルは少女を安全な場所に下ろした。


「早くここから離れるんだ」


カオルはそれだけ伝えると、すぐに戦闘の中へと戻って行った。

 少女は礼を言おうと手を伸ばしたが、その手は空を切った―――。


「槻沢隊長」


カオルが槻沢のもとに向かうと、槻沢は腐蝕蟲と何やら話しているところだった。


烏鷺うろ隊長」

「遅くなってすみません」


カオルは槻沢の隣で刀を構えた。


「あら、これは随分と可愛らしい坊やね」


槻沢が対峙していた腐蝕蟲は見た目は明らかに男だが、言葉がオネエ言葉だ。


「お前、元は人間だろう。どうして蟲なんかに成下がった?」


カオルが腐蝕蟲に向かって言った。

 今までの腐蝕蟲は会話をすることなどできなかった。だから、なぜその者は腐蝕蟲に成り下がったのか、理由や経緯を知ることなど不可能だった。だが新種の腐蝕蟲が現れた今なら、それを知ることが出来る。

 腐蝕蟲はカオルの言葉に嬉しそうに微笑んだ。


「可愛い坊やになら何でも教えてあげるわ。人としての生が終えようとしていたところに、第二の生であるラミアとして生きる道を与えてもらった。私達は自由なのよ。何にも縛られない、あんな退屈で窮屈な場所にはもう戻らないわ」


腐蝕蟲は天を仰ぐように両手を上げ、高々に笑った。二人の目に、腐蝕蟲は猟奇的で狂気的に映った。

 カオルが隣の槻沢を一瞬視界に入れると、その横顔が不愉快そうに歪んでいるのが見て取れた。


「ラミアとはお前達蟲のことか?」

「ええ、そうよ。あなたみたいな可愛い坊やなら歓迎するわよ」


腐蝕蟲がカオルに近づこうと一歩出した瞬間、槻沢が短剣を放った。腐蝕蟲は近づくのを止めたが、惧れを成した様子は一切ない。


「お前達を作り出したのは誰だ?」


腐蝕蟲はフフフと淑女のように笑った。


「それは言えないわ。あの方にそう云われてるのだから。それに、あら・・・?」


そこで、目の前の腐蝕蟲はカオルの顔を凝視し、首を傾げた。カオルと槻沢は刀を構えなおした。

 雲に隠れていた月が顔を出し、月明かりが地を照らし始めた。


「もしかして、あなた・・・・」


腐蝕蟲はそこまで言うと、武器を終ってしまった。


「そう、あなたが・・・・・。面白いものが見れたから、今日はこれで帰るわ。また会いましょう、可愛い坊や」


カオル達と対峙していた腐蝕蟲が飛び上がると、戦闘中だった腐蝕蟲達も一斉に退いた。

 突然すぎる腐蝕蟲の撤退に、カオルと槻沢は茫然と見送ることしかできなかった。


「槻沢隊長!」


二人が腐蝕蟲の去った方角を見ていると、皐の声が響いた。槻沢とカオルが皐の下へ行くと、そこには血だらけで倒れている百目鬼の姿があった。


「百目鬼くん!」


槻沢は慌てて百目鬼の傍に膝を着いた。左肩が大きく斬られ、止血をしてもまだ血が流れ続けている。


「ミシェイラ、説明しろ」


カオルがミシェイラの名を呼びながら振り返ると、ミシェイラは固い表情で唇を噛み締めていた。

 歯が食い込むほど唇を噛み締めているせいで、唇の端から血が滲み出てきている。

 カオルはそっとミシェイラの唇に触れ、口を開かせた。

 漸くカオルの事を認識したミシェイラは、すぐに両手を後ろに組んだ。


「ミシェイラ、話せ」

「蟲が着ていたマントの中に、小さな子供の蟲がいました。それに気が付かず、背後から攻めた百目鬼がその子供から一撃を受けました」


ミシェイラの口調が知らず知らずのうちに難いものとなり、普段とは別人のようだ。カオルはミシェイラから百目鬼へと視線を移すと、広がる血を眺めた。


「直ぐに救護隊が来る。この傷なら命に別状はないし、数週間で動けるようになるが・・・・・いや、何でもない」


カオルが最後まで言い切らなかった言葉を、ミシェイラは既に理解していた。

 百目鬼のように戦闘経験が浅くい隊員中には、怪我を負ったり、仲間を失ったとき、二度と戦場に立てなくなることがある。

 今回、たとえ致命傷でなくても、大きな怪我を負った百目鬼は、もしかしたら二度と刀を握れなくなるかもしれない。

 カオルはそんな隊員を何十人も見てきた。


「今はお前のすべきことをするんだ。被害状況の確認に回れ」

「御意」


 救護隊が到着して、百目鬼と槻沢はすぐに黒祇病院へと運ばれて行った。


「皐、槻沢隊長が戻るまで、僕が槻沢隊を預かることになったから」

「よろしくお願いします」


 後始末を終え、カオルたちが本部に戻るころには、人々の活動時間が始まっていた。本部に戻るとカオルはすぐに元の部屋へと向かった。


「彼女の様子はどうだ?」


元が開口一番に聞いたのは怪我を負った百目鬼のことではなく、共に戦っていたミシェイラのことだった。


「彼女に関してはこれから対応します。ですが、心配する必要はないと思います。彼女は弱い人間ではないので」

「そうか。カオルがそう言うのであれば、心配はいらぬのだろう」


元もそれほど心配していなかったのか、あっさりとこの話は終えた。


「総帥、人のいない時間に腐蝕蟲が現れたということは、我々に会うためでしょうか?」

「その考えは間違っていないだろうな」

「こちらの動向を探り、仕掛けるタイミングを計っているのでしょうか?」


元は腕を組み、考えると、窓の外を眺めた。


「あの日と同じ罪を繰り返さぬようにするしかない」


元の言葉にカオルは深く頷いた。


「総帥は何か気がかりなことがありますか?」

「・・・・・・」

「蟲たちにこちらの情報が渡っているということはないでしょうか?」

「何故そう思った?」

「蟲の一人が僕を見て何か気づいてような表情をしていました。ですから、こちらについて何か知っているのではないかと思いまして」


カオルの言葉に、元は吐き出しそうになったため息を飲み込んだ。


「我々が向こうをしるように、あちらも我々のことを知っていてもおかしくはない。創始者であるカオルのことならば尚更だ」

「そうですか。ですが、賊子がいないとも言い切れません。僕一人で探ります」

「カオルが国のためを思うように、皆も国のことを思っている。私は賊子など黒祇にはいないと信じている」


元の言葉にカオルは表情を一切変えることなく、部屋を後にした。

 カオルが部屋を出、扉が閉まると同時に、別の扉が開いた。


「カオルの言っていた件、お前にも頼む」

「御意」


扉が閉まると、元は息を吐きだし、目を閉じた。窓の外は、太陽が隠れ、厚い雲が漂っている。まるで元の心内を表しているようだ。


「罪から逃れることは赦されないのか・・・」


元の弱々しい囁きが霧散した。

 元の部屋を後にし、病棟に向かったカオルが待合室に顔を出すと、探していた三人である多智、皐、五十里が予想通りいた。

 カオルに気が付いた三人はすぐに立ち上がり、敬礼をした。


「お疲れさま」

「お疲れ様です」


皐が代表して挨拶すると、カオルは三人に座るように促したが、三人は腰を下ろさなかった。カオルは口の奥で苦笑すると、三人の求める情報を話し始めた。


「これからなんだが、槻沢隊は指示があるまで待機と総帥からの命が出た。百目鬼も命に別状は無く、今後にも影響は出ないそうだ。だから、後は任せて、今日はもう休みなさい」


百目鬼の治療の間、三人は休むことなく待ち続けていた。百目鬼が治療室に運ばれてから、すでに四時間が経っている。戦闘を終えた後の身体は休息を求めているのに、三人はそれを無視した。


「百目鬼が心配かい?」


安堵したようにも見えるが、まだ不安を拭いきれていない三人の表情から、カオルはそんな言葉を口に出していた。その言葉に、皐が表情を歪ませ、視線を落とした。


「まだ、百目鬼に会えていませんし・・・槻沢隊長からの連絡も来ていません」


皐の言葉に、カオルがわずかに眉間に皺を寄せた。

 カオルはまだ百目鬼の病室に行っていないから確認はできていないが、間違いなく槻沢は百目鬼に付き添っているだろう。隊長であれば大半の者がそうするし、間違った行動ではない。だが他の隊員のことが疎かになっているのも確かで、その点は助言しなければならないとカオルは思った。


「三人の気持ちはわかるが、ここにいてもどうにもならないよ。百目鬼が戻ってきたときのことを考えたら、今はどうすべきかわかるよね?」


カオルは三人の顔を順に見、扉に手をかけた。


「無駄に時間を過ごすのは、隊員として感心はできないな」


 カオルが去った後、三人は崩れるように座り込んだ。

 初めて遭遇した新種の腐蝕蟲に、三人はこれまでに感じたことないほどの恐怖を抱いてしまっていた。遠征に行っている間に新種の腐蝕蟲が現れたと報告を受け、今までの腐蝕蟲とは比べものにならないと理解しているつもりだった。が、予想を遥かに上回っていた。百目鬼の心配もそうだが、自分たちが百目鬼の立場だったらと思うと、不安で押しつぶされそうだった。

 皐は不安を取り払うべく、首を振り、勢いよく立ち上がった。


「私達も部屋に戻ろう」


皐の言葉で、三人は漸く病棟を後にした。

 カオルはその足で、待合室とは離れた病室へと向かった。

 黒祇直轄の病棟は、一般の病院とは違い、完全個室制でプライバシーが守られいる。患者に会うには、エントランスに設置されている端末に黒腕を照らし、指紋認証をする。身分認証されれば、患者の名前を入力し、部屋番号が表示され、漸く面会が可能となる。

 カオルは部屋番号を確認すると、広い病棟を迷うことなく進んだ。

 部屋の前に着くと、カオルはモニターに黒腕を照らした。数秒もしないうちに、病室の扉が開いた。


「大丈夫か?」


カオルを出迎えた百目鬼の表情は決して晴れやかのものではなかった。傷の痛みではなく、自分の失態に嘆いているような表情だ。


「わざわざ来て頂いてすみません。烏鷺隊の方々には、特にミシェイラさんには迷惑をかけてしまいました」


百目鬼は頭を下げたまま、言葉を続けた。


「そんな事は無いよ。この程度の傷で済んだのは、百目鬼が毎日欠かさず訓練をしているからだ。だから自身を持てばいい」


百目鬼は勢いよく顔を上げ、一瞬目を見開き驚いた表情を見せたが、すぐに嬉しそうに目を細めた。


「ありがとうございます。俺まだまだですけど、烏鷺隊長やみなさんに早く追いつけるように頑張ります」


カオルは傷の負っていないほうの肩に手を乗せた。


「百目鬼が頑張っていることは槻沢隊長も知っている。だから今はゆっくり休みな」

「はい」


百目鬼が震えた声で返事をすると、カオルは淑女のように微笑んだ。


「あと、三人にも連絡を入れてあげるといい。心配で眠れないみたいだから」

「わかりました。ありがとうございます」


 百目鬼の部屋を後にしたカオルは、誰とも出会うことなく廊下を歩いていた。だが、エントランスまで来て、足を止めることになった。


「久しぶりだな、カオル」

「お久しぶりです、たすくさん」


出くわしたのは九々龍隊隊長、九々龍丞くぐりゅうたすくだった。彼も創始者の一人で、げんの実の息子だ。つまり、カオルの義理の兄に当たる。一応家族である二人だが、二人からは特にカオルの方からはそんな雰囲気は見て取れない。丞は笑みを浮かべているが、カオルは一切表情を変えない。無表情だ。


「誰かのお見舞いか?」

「ええ、今日の巡回で負傷者が出たので」


カオル本人が入院していないのならば、誰かの見舞いに決まっている。分かっていて聞いたのは、カオルの隊の者が怪我したのか、どんな敵にやられたのか、そのことを丞は聞き出そうとしたのだ。

 カオルも丞の聞きたい事を分かっていて、あえて質問の意図を無視した。


「相変わらずだな。まあいい、直ぐに情報が回ってくる」

「では、これで失礼します」


カオルは足早に丞の隣を通り過ぎた。

 二人にとって家族というのは、ただの言葉でしかなかった。カオルは丞と一定の距離を保とうとするし、丞もカオルと距離を縮めようとはしない。二人の関係は家族というより赤の他人のようだ。

 部屋に戻ると、カオルは直ぐにシャワーを浴び、卓上端末の電源をつけた。椅子に腰かけ、端末に手を伸ばそうとしたところで、モニターに訪問者の知らせが入った。濡れた髪をタオルで拭きながら確認すると、ミシェイラの姿が映った。


「まだ気にしているのか」


カオルは苦笑しながら、扉の開閉ボタンを押し、ミシェイラを中に招いた。


「ごめんなさい、疲れているところに」

「いや、いいよ。何の用だ?」


カオルが椅子に座るように促すが、ミシェイラは座ろうとしなかった。カオルは気にすることなく、自分はベッドに腰を下ろした。


「百目鬼の様子を見に行ってきたのよね?」

「行ってきたよ。出血のわりに傷は深くなかったから、大したことはない」


ミシェイラは下を向いたまま、顔を上げようとしなかった。


「ミシェイラ、こっちにおいで」


カオルは自分の隣を叩くと、ミシェイラは一瞬顔を上げて、遠慮気味にカオルの隣に腰を下ろした。


「ミシェイラ、お前は負傷者が出る度にそうなるのか?お前は誰かの命を背負えるほど強くなったのか?」


ミシェイラはそこで漸くカオルの目を見た。


「でも、百目鬼が怪我したのは間違いなく私のせいだわ。一緒に戦っていたのが隊長なら、百目鬼は怪我なんてしなかった」

「そうだとしてもだ。今お前がすべきことは後悔することではなく、これ以上仲間を傷つけさせないために訓練をすることじゃないのか?」

「・・・・・・」


カオルはミシェイラの頭に手を伸ばすと、手刀を落とした。


「わかった?」


ミシェイラはカオルの予想外の行動に一瞬呆気にとられたが、叩かれた頭を押さえながら数回瞬きをすると、大きく頷いた。


「わかったわ。私はもっと強くなる!」

「百目鬼は立ち止まったりしていなかった。もっと頑張らないと、追い越されてしまうよ?」


ミシェイラはクスリと笑うと、立ち上がった。


「そんな簡単に追い越されたりしないわ。それじゃ、おやすみなさい、隊長」

「おやすみ、ミシェイラ」


ミシェイラが部屋から出ると、カオルはそのままベッドに倒れた。ようやく身体を休めることができ、カオルは睡魔に身を任せた。

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