第5話 保健室探偵 ベイマックス
「知らない天井だ……」
後頭部に鈍い痛みを感じながら、辰巳はぼんやりと目を覚ました。
「お、目が醒めたみたいね」
「辰己さん! 大丈夫ですか?」
首を巡らすと、運営長がひかるの映ったタブレットを持ってこちらをのぞき込んでいた。
「運営長……? ひかるも……?」
どうやら、ここは保健室のベッドの上らしい。
身を起こそうとする辰巳を、運営長は慌てて制した。
「あー、そのまま寝てなさい。隈全然取れてないし。今はお昼ちょっとすぎたくらいだけど、……今日はまともに学校動いてないからね。授業は心配しなくても大丈夫よー」
辰巳は、半身を起して、笑って肩をすくめた。
「いや、もう十分寝ましたよ。多分。それにしても、なんで俺、保健室に……? 自力でたどり着いた記憶がないんですが。なんか後頭部痛いし……」
ずきずきと痛む後頭部を、不思議そうにさする。
「たっつーのクラスメイトが運んできたみたいだよ。どうも、廊下で気絶してたみたいでさ。まさか倒れるほど寝不足とは思わなかった」
鷹揚に答える運営長。
なぜか、ひかるはサッと目をそらした。
辰巳の記憶は廊下に出てから、とぎれとぎれになっていた。後頭部が痛いってことは、あおむけに倒れたのか?
……しかし、今は置いておこう。
対応で忙しいはずの運営長がここにいるってことは、何かあったはず。
「あの後、どうなりましたか」
勿論、『運営』の対処状況だ。
「えー、それ今聞いちゃう?」
「運営長。辰巳さんの体調が回復してからにしませんか?」
「んー、俺もそうしたいんだけど……たっつーもしかして、気になって眠れない?」
辰巳がこっくり頷くと、運営長は頭を掻いた。
「まぁそうだよね。ひかる、さわりだけ教えていい?」
自分に向けられる辰巳と運営長の視線を一身に受けて、ひかるはうっと呻き、
……根負けしたように肩を落とした。
「うー、わかりました。……私は席を外してますね。保健婦さんの足止めをしてきます」
「え、なんで?」
そこまでしなくともと辰巳は慌てたが、運営長はのんびりと見送った。
「あー、悪いけど頼んだよ。……本当にできた娘だね」
ひかるは校内ネットワークを通じて、保健婦のタブレットに飛んだらしい。
運営長が持つタブレットからは消えてしまった。
内密にしても、これはやりすぎのような……。
「ちょ、運営長。話が見えないです」
慌てる辰巳を落ち着かせるように、運営長は一つ頷くと手元の資料をゆっくりめくった。
「慌てないで、順番にいこう。……まず職員会議が国会並の規模になっているかな。おかげで授業はほとんど自習状態。多分この状態はしばらく続くね。それだけ、今回は根が深い。まぁ、バレンタイン戦争に向けて、試験範囲の授業を早々と終えてるクラスがほとんどだし、問題ないけど」
「根が深い……?」
「今回の騒動を受けて、【study buddy】廃止論が持ち上がっているのさー。これだけの混乱を起こすなら、今回で【study buddy】システムを打ち切った方がいいんじゃないかって。職員会議で不要論者と【study buddy】のヘビーユーザーの教師が取っ組み合いしてるよ。俺も招聘されたから、この目で見た」
げっそりとため息を吐く運営長。心なしか肩が丸くなっている。
「それはまた……」
大の大人が取っ組み合いって、本当に国会でも稀だろうな……。
「まぁ、気持ちはわかるけどね。ともかく、要不要は置いといてだ。俺たちが優先するべきは、早くシステムを正常に戻す事なのさ。このままの状態は誰も納得しないし、解決に向けて『運営』はベストを尽す」
誓う様に運営長は神妙な顔で宣言した。
……イケメンオーラが溢れていた。
「やだ、私の運営長、イケメン……!」
「ふふふ、もうベイマックスとは呼ばせないよ」
胸をそらして、運営長はキメてみせた。
辰巳は目を逸らした。
(本当のイケメンは根に持たないハズ……!)
……なんだかんだでベイマックス呼びは気にしていたらしい。
さて、と気を取り直すように、運営長は姿勢を正した。
「それでだ。俺がここに来たのは、たっつーに聞きたいことがあるからなんだよね。でも、お前の隈見てたら……」
迷う様に顎をさする運営長に、辰巳は勢いこんで答えた。
「今聞きたいです! 俺だって『運営』だ。力になりたいです」
「うーん。じゃあ言葉に甘えるか」
そういって、運営長はようやく本題に入った。
「えっとね、先輩を拷問……いや尋問……脅迫……聞き取りしたところ、システムを正常に戻す方法が分かったんだ」
「所々怖い言葉がありましたけど、朗報じゃないですか!」
「それが、ジョークソフトとケースに一緒に入れていた、正規のインストーラーのUSB――通称ワクチンソフト――が必要なんだってさ。でも、たっつーのケースにはジョークソフトしかなかった。……たっつーワクチンソフト見なかった?」
「……え! いや、ちょっと待ってください。俺がケース開けた時にはジョークソフトしかありませんでしたよ」
「本当?」
「本当です! えっ、俺を疑っているんですか!?」
運営長は、笑いながら軽く手を振ると、冗談だと否定してみせる。
「まさか。たっつーがこんなくだらないことするわけないって事は、俺が一番よく知ってるよ。事実、ケース内部から第三者の指紋が出てきたから、ワクチンソフトを持ち出した犯人は他に居るらしい。……どうも俺たちは嵌められたんだと思う」
「……は、嵌められた?」
後半、運営長の声が低い……。突拍子のない声を上げながら、辰巳はこれが真実だと確信し始めていた。
「うんとね。ここからは俺の推測なんだけど、今朝のパソコントラブル事件……どうもあそこから仕組まれていたらしい」
「全パソコンが反応しなくなったアレですか。じゃあ、外部からハッキング受けて、パソコンをフリーズさせられて、……俺たちはうかうかとジョークソフトインストールしちゃったってことですか?!」
先ばしる辰巳を運営長は、手を下にしてなだめた。
「どうどう、落ち着いて。まず、調査で分かったことからね。結論から言うと、今朝のトラブルは、ネットワーク経由でハックされたわけじゃないし、パソコンは全部正常だった」
「え!! でも、デスクトップがフリーズして……」
「デスクトップがフリーズしたわけじゃない。画面をキャプチャーしてデスクトップに張り付けて、アイコンとタスクバーを全部取っ払ったみたいね」
「それで、デスクトップからアプリに飛べなくなって、パソコンがフリーズしたように見えたわけですか!? でも、全部のパソコンに同じ症状出たんですよ! ネットワークから共用サーバーに不正アクセスしたんじゃないんですか!?」
「ネットワークに異常はなかった。……どうも全部手動でやったみたいね。時間さえあれば、壁紙変えるだけでライトユーザーでもできるし。実際、LinaxやMacの端末には慣れてないから、手を出せなかったみたいだ。犯人は、Windowsのライトユーザーで間違いないと思う」
はぁ、と辰巳は気が抜けた声をだした。
わかったようなわからない話だが、つまり犯人は、とてつもなく面倒な手段をとったらしい。
「……ぶっとんだ執念ですね」
「まぁ、そうだよね。犯人は尋常じゃない手間をかけることで、ハッカーの仕業に見せかけたかったってことだと思う」
「それにしても、犯人がWindowsのライトユーザーって、候補が多すぎじゃないですか……」
「そうでもないよ。犯人は、どうも手間をかけすぎた故に失敗したらしい。ほとんどの部屋のパソコンを手動で操作したことは、どの部屋にも入れるマスターキーを持っているってことだ。――さて、そんなことが出来るのはどういう立場の人間でしょうか?」
運営長は数学教師のように、辰巳の答えをうながした。
「!? 犯人は、教師より上の立場の人間……?」
「ご名答。さらに絞るなら、たっつーのロッカーの暗証番号を知っている人だね」
「いや、俺のロッカーの暗証番号なんて、先輩にしか……。まさか、先輩が犯人? や、だってアメリカに居るのに、手動でできるはずが……」
混乱する辰巳を見て、運営長は笑いながら手元の資料を手繰った。
「ごめんごめん。一端、整理しよう。犯人は、ジョークソフトの存在を知っていて、それをたっつーが持っていることを知っている。で、この騒動を解決できないようにワクチンソフトを盗んだ。……そして、先輩が言うには、ジョークソフトの存在とロッカーの暗証番号を教えたのは一人だけらしい。――先代の校長だよ」
辰巳は、目を見開いた。
「先代?! あの人は【study buddy】導入の立役者じゃないですか! 今回の騒動起こすなんて信じられない」
「そう。だから、先代校長が申し送りをした誰かだろうな。それなら、何かあった時のために、ってたっつーのロッカーの暗証番号教えてもおかしくない」
随分事態が大きくなっているようだ。そもそも目的はなんだ?
「……そいつの狙いはなんですか?」
「推測だけど、【study buddy】の廃止かな……。事件を解決させないことで、【study buddy】と『運営』の信用をガタ落ちにさせようって魂胆だろうね。そもそも今回いきなり廃止論が持ち上がったからなぁ。さすがにタイミングが良すぎた」
ため息を吐く運営長。背中が大分煤けている。
「とんでもないことになってますね……」
辰巳も一緒になって天井を仰いだ。
「うん。ここまで手が込んでるとなると、恐らく複数犯だ。誰が犯人の一味かもわからない。ひかるが密室つくってくれたのも、彼らを警戒しているからだよ」
「保健室の先生まで疑うんですか?」
それこそ疑わしげに辰巳は、小首をかしげたが、運営長は本気のようだった。
「念には念を入れないと。何処に耳があるかわからないからね。俺たちがどこまで掴んでいるのか、向こうに知られたくない」
……状況は大分深刻のようだ。
「これからどうしましょうか」
力なく問いかける辰己だったが、運営長はすでに答えを出しているようだ。
きびきびと今後の方針を口にした。
「とにかく、ワクチンソフトを取り戻さないと。恐らく、ワクチンソフトは【study buddy】廃止派の手にある。簡単には返してくれないだろうな。……とりあえず、俺は度々職員会議に招集されるだろうから、その時に廃止派の言い分を傍聴してくる。彼らの不満を解消できれば、案外あっさり返してくれるかも」
辰巳も自分にできそうなことを数えながら、恐る恐る口にだした。
「じゃあ、俺は男に萌えるセリフでも書いてみましょうか。ユーザーの士気を上げないと、バレンタイン戦争までユーザーが持たないでしょうし」
しかし、運営長の中では辰巳の役割はすでに決まっているらしい。
「あぁ、それなんだけど、たっつーには特別任務を持ってきた。ユーザーとして、士気を上げるためのイベントを立ち上げてほしい。セリフだけでは男体化を受け入れられないだろうし。今、『運営』主催でイベント立ち上げると反発くらうからね。ユーザー発、ボトムアップのお祭り騒ぎで、深刻な雰囲気を吹き飛ばしてくれ。思いっきり茶化してしまえば、男体化も受け入れられるかもしれない」
運営長の指示を聞いて……何故か、辰巳の脳内に倒れる前の出来事がぼんやりと浮かんできた。
なんだろう、今日すでに同じようなことを誰かに言われたような……。
あ、なんだかトラの顔が浮かんだ。なんでだ?
何故か痛む後頭部をさすりながら、つっかえつっかえ辰巳は答えた。
「……手伝ってくれそうな奴に心当たりがあります。イベントの経験はないけど、だからこそ素人っぽくて廃止派をごまかせるかもしれない」
「そっか悪いけど、よろしく頼んだよ。『運営』は俺に任せてくれ」
ほっとしたように笑う運営長をみて、辰巳も詰めていた息を吐いた。
まだどうにかできそうだと、辰巳は軽口を叩いた。
「これが終わったら、先輩を殴りに行きましょうね」
運営長もくすくす笑って頷く。
「勿論。ついでに、向こうの観光して先輩に全額奢らせよう。いやー楽しみだ」
伸びをする運営長を眩しく見上げて、辰巳はこの人と一緒なら、この難局を乗り越えられると意気込んだのだった。
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