第4話 腹切り☆アンモナイト


 廊下は、ざわざわとタブレット片手に興奮している生徒たちで溢れかえっていた。

 時間的に授業が始まってもおかしくないはず。

 しかし、【study buddy】は学校に浸透しすぎていた。

 生徒どころか教師もその上も【study buddy】にハマっているので、この騒動でみんな授業どころじゃなくなっている。

 フリーダムすぎる私立高だった。

 辰己は、フラフラになりながらも生徒たちの間をすり抜けていく。

 生徒たちの、タブレットに罵り声を上げている声が、酷く耳障りだった。

「私、元にもどれるんでしょうか……?」

 ひかるが怯えたように小さな声でひとりごちた。やっぱり男の声だ。

「先輩なら大丈夫だと思う。あの人あれでも天才だから。……声小さくしなくていいよ、ひかるの声は別におかしくないし」

 辰己は、疲れで茫洋とした声で答える。

「辰己さんは嫌じゃないですか? 私が急に男性になっちゃって……」

 思い詰めたような声が痛々しい。

 辰己はタブレットを持ち上げて、男体化したひかるをまじまじとみつめた。

 イケメンだった。

 茶色の髪は短くなっていて、爽やかだ。

 眉も涼やかで凛々しい。しかし、目尻の泣きぼくろがそこはかとない色気を醸し出している。

 あれだ、乙女ゲーの『ヒロインに対してだけ献身的なホスト』枠を占めていそうな顔である。

 うーん、とひとしきり悩んだが、辰巳は結局、素直に口にした。

「別に……、悪いけど、俺、頭がいっぱいでなんも考えられない」

 つまり何にも考えていなかった。

 げに恐ろしきは、寝不足である。

「そうですか……」

 ショボーンと、あからさまにひかるがしょげたので、辰己は慌てた。

「外見がどうだって、中身はひかるだろ。俺が好きなのはひかるであって、男だろうが女だろうが変わんないよ」

 一生懸命励ますあまり、告白じみてきた。

 ひかるが驚いたようにどもった。

「す、好き? 私のこと好きなんですか?」

「嫌いだったら、助手にしないよ」

「うぅ、どっちの意味にもとれますねそれ……」

 モゴモゴと顔を赤くして、複雑そうにひかるが呟く。

 イケメンが顔を赤くすると変な空気になる。心なしか薔薇の香りがしてきた。

「え、ごめん聞こえない」

 無自覚に辰己が罪のないひかるを追い詰めようとした、正にその時。

 ……聞き覚えのある叫び声がした。

『無駄な抵抗は止めぇ、そんで大人しくでてこいやー!』

 顔を見合わせる二人。

「辰己さんのクラスですね……」

「トラがまたなんかやらかしたか?」

 トラとは辰巳のクラス三馬鹿のうち、一角のあだ名である。

 ちなみに、辰巳も三馬鹿の一人に数えられていた。解せぬ。

 クラスの前には、教室から追い出されたらしき、クラスメイトがハラハラして成り行きを見守っていた。

 一部は完全に面白がっている。

「……どういう状況だコレ」

「行ってみましょう」

 嫌な予感がばしばしした。


 □ □ □


「どうしたんだよ、トラ」

 廊下に仁王立ちして、教科書丸めたメガホンで、教室に向け何やら叫んでいるちび。

 名を木虎国広(きとら くにひろ)という。

 通称トラ。自称”難波のタイガーウッズ”。名字を直訳したらしい。

 ボケと突っ込みをこよなく愛する大阪人である。

 トラは、声をかけてきた辰巳をメガホンを振り回しながら出迎えた。

「ええとこに来た、辰巳! 実はな、ベコがな白装束着て教室に立てこもったんや。手にはでっかいアンモナイトの化石もっとる」

「はぁ?」

「わかるで、その間の抜けた顔。おっと、これは元からか。俺もあのおとなしいベコがこないなアホな事やるなんて信じられへん。だがな、これは現実なんや……」

 怒涛のような展開である。

 トラは深刻な顔をしているが、実はこの状況、高度なギャグなのかもしれない。笑えばいいと思うよ。

 ちなみに、ベコとは、トラ、辰巳に続く三馬鹿最後の一人のあだ名である。

 名を赤牛吉行(あかうし よしゆき)。

 通称ベコ。名字を直訳したら”レッドブル”なのに、かっこよすぎるからという理由でトラに却下された。

 本人は東北出身の穏やかさでにこにこして受け入れていたが……こいつも癖が強い、強烈な天然さんだった。

 しかし、そのベコが教室に立てこもった? その性格からはまるで想像できない事態である。

「状況がさっぱりわからん」

「まぁ、事情は本人から聞きや。おーい、ベコ。国元からおっかさんが来たでー。かーちゃん悲しませたらアカン。投降せや」

「おい、誰が母親か」

 辰己の突っ込みは、メガホンから唾を飛ばすトラにあっさり黙殺された。

 そして、教室の中からは切羽詰まった声が聞こえてきた。こいつがベコである。

「おらほの、かっちゃが!」

 いるわけねーだろ。と喉まで声が上がったが、トラに制された。

 しかも、ぐっとサムズアップして真剣な面持ちで見つめてくる。真面目に交渉しろってか? 

 ……これは、ご期待に応えねばならない。

 辰己は息を吸い込んで、教室にむかって叫んだ。

「べこー。お前の秘蔵でーぶいでー。マタギ密着24時ゴルゴVSシモヘイヘ。因縁のでずにー熊野ぶうさん死闘編、消してしまったやー、堪忍なー」

 シン……と一拍おいて。

「おぁああああああああああ!!!」

 おおぉ、すさまじい悲鳴だ。辰巳はちょっと感動した。

「とどめさしてどないすんねん!」

 とらの突っ込みが、綺麗に辰巳の頭に炸裂した。

 正統派の美しい流れだ。ここで締めるのが通(つう)ってものだろう。

 辰己はくるりとギャラリーの方を振り向き、

 ……一礼した。

「どうも、ありがとうございましたー」

「ありがとうございましたー! ……って漫才ちゃうわ! どこ行くねん!」

 はけていく辰巳を、トラの手から放たれた容赦のない教科書手裏剣が襲う!

 教科書の角が後頭部にクリーンヒットし、辰己はばったり倒れた。

 ……廊下を静寂が支配した。

「どうしよう辰巳さんが壊れた……」

 誰しも思っていたが声に出せなかった一言を、ひかるがぽつりと呟いた。


 たたき起こされてむっくりと起き上がる。

 色々限界でやさぐれていた辰巳は、トラから奪ったメガホンで投げやりの説得を試みていた。

 早く終わらせて、保健室で寝たい。

「で、どうして、こんなことしてんだよ。アンモナイトの化石で何しようってんだ」

「ぐすっ、おらはここで腹掻っ捌くんだ。邪魔しないでけろ」

「アンモナイトで切腹とか斬新すぎんだろ……」

 けっと、吐き捨てた辰巳。

 トラは、肩をスペアのメガホンでトントンと叩きながら、うんざりした顔で顛末てんまつを説明した。

「一限目の地学で使うっちゅーんで、ベコがアンモナイトの化石取りに行ったんやけどな。帰ってきたら【study buddy】の男体化が起きて……なんでかこのザマや。ちなみに、白装束がないもんで白衣で代用しとる。どっちにしろ、ポケモンの理科系の男にしか見えん格好で切腹っちゅうのも絵的に微妙やな」

「問題はそこなんでしょうか?」

 ひかるの突っ込みが冴える。

 トラは「お笑い的にはそういうもんやで」と適当なことをぬかした。

「そもそも、なんで、そんな馬鹿な事……。べこー。お前の【study buddy】が、男になったのがそんなにショックだったのか?」

「馬鹿にすンでねぇ! おらが情けねぇのは、【study buddy】が野郎っこになったくらいで、さんざ【study buddy】ば罵る生徒の性根だぁ」

 ざわざわと、教室前ではクラスメイトが教室内のベコに野次を飛ばしている。

 同意する声とからかう声が混じり合って、……カオスである。

 しかし辰己は、ここにいる誰よりもベコの言葉に衝撃を受けた。

 それは恐ろしいほど、純粋で美しい言葉だった……と脳内でナレーションを付けたほどだ。

「天然系真面目が暴走するとこうなるんやなー。あれ、どないしたん、辰己?!」

 トラが感心していたように頷いていたが、ぶるぶると震えている辰巳を見てぎょっと身を引いた。

 辰己は、クラスメイトを押しのけてベコに叫んだ。

「いいぞ! もっと言ったれ!」

「……た、辰己さん?」

 ひかるすら引き気味である。

 ベコは、感じた手ごたえに、声を大にして応えた!

「今まで世話さなって、ちょっとつくもんついたくらいで、簡単に掌返すなんて情けねぇ。アイドルが苦しいときに応援してこそのファンだろがぁ! ふがいねぇ皆の代わりに、おらが腹掻っ捌いて詫びてくっがら、そこでちゃんと見とどけちゃ!」

 素晴らしい演説だ! と目から滂沱の涙を流す辰巳。

「アイドルって……。そもそもつくもんついとるのが、すでにヤバイやん。……って辰己? おい、なんで泣いとるんや」

「許した。トラ、俺も一緒に散ってくるわ。【study buddy】に栄光あれ! ジークベコー!」

 トラに微笑むなり、辰己は教室に突進した。

 教室に飛び込んで、ベコと心中するつもりらしい。アンモナイトで。

「お前もかい!?」

 トラは必死に辰巳を押しとどめた。

(最初から様子がおかしいと思っとったが、こりゃあベコより重症やないかっ……!)

 トラはようやく辰巳がブチ切れていることに気付いたのだった。色々と遅すぎた。

 押しとどめきれずに、ずるずると引きずられていく。

「た、辰巳さん! 気持ちはわかりますが、落ち着いてください! そんなことしても、我々は嬉しくありません!」

 ひかるが必死の説得を繰り返す。

 トラも引きずられながら、やけくそになって叫んだ。

「せや、苦しいとき応援するなら、もっと銭の臭いのするイベント……あ、ウソウソ。あのな、苦しいときに盛り上げるのがファンの努めやで? 血のり撒いて盛り下げるなんてアンチのすることや。馬鹿な事せんと止めとき!」

 しかし、辰巳はもうどうにでもなーれ状態だった。もう何も怖くない。し、誰にも止められない。

 とうとう三馬鹿最後の刺客、トラまで切れた。

「ッ……ええか、難波のタイガーウッズこと、この天才木虎さまに任せとき! 秘策があんねん! わかったら切腹なんて下らん事せんで、さっさと協力せえ! このッアホども……ッ!」

 トラは流れるように、辰己の背後から脇下に頭を入れ、胴に腕を回し持ち上げ、自ら後方に反り返って、肩ごしに派手に飛ぶ……っ!

 見事なバックドロップが決まった!

「た、辰巳さーん!」

 ひかるの悲鳴が響き渡った。

 その目を回して床に伸びる辰巳を無慈悲に踏みつけて、トラは周囲を睨み据える。

 怯えた生徒たちが、沈黙のままに震えている。

 辰己とトラを中心に奇妙な空間ができていた。

「わ か っ た か、って聞いとんのや。返事は?! このウジ虫ども!!」

「さ……さー、イエッサー!」

 ビシッとクラスメイト達は敬礼で答えた。一分の隙も無い見事な敬礼である。

 誰もが思い出したのである。

 このクラスの支配者が誰なのかを。

 証拠に、イエッサーと応じる声には、教室に立てこもるベコの声まで混じっていた。

「さっすが、僕のマスター。完璧に調教してますねぇ」

 トラの【study buddy】、ほたるが鶯色の髪を揺らしてチェシャ猫のように哂わらった。

 なんでか、こいつは男体化しても違和感ない。ショタっ子だからか。

 辰己は「い、いえっさ」まで、呻くように言ってそのまま力尽きた。

 死にかけの身にすら、トラの支配力が沁みついているらしい。

「辰己は、支配者トラに踏みつけられて、実に幸せそうな死に顔だった」

「変なナレーションつけないでください! 辰巳さーん、お願いだから起きてー!」

 恍惚としたトラに怒るひかるの慌てた声だけが、支配者の君臨する廊下に響き渡った。

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