第3話 犠牲になったのだ……
「Hello. This is Ichiro Suzuki」
ハンズフリーにした電話からは、アメリカに居る先輩の、眠そうな声が流れ出す。
コイツの名前は、名前は田中太郎である。断じてイチローではない。
辰己と運営長たち、『運営』メンバー全員がドーナッツ状の円卓につき、真剣な面持ちで中央の台に載せられた電話を囲んでいた。
全員揃って指を組んで顎を乗せた、ゲンドウポーズなので恐ろしいほど空気が重い。
さらに、先輩の空気を読まないギャグで、殺気が振り切れそうである。
辰己が切れ気味に返事をする。
「先輩、俺です! 卯月辰巳です。聞こえますか!」
「……ただいま外出中です。時差をご確認の上お電話ください。ぴー」
また寝ぼけているのかもしれない。
口で留守電の真似するなんて暇すぎる。
てめぇ、永眠させてやろうか! と、声なき声がする。
部屋の温度が氷点下まで下降した。
「ボケかましている場合じゃないんですよ。先輩の残したインストールUSB入れたら、【study buddy】達が男体化しちゃったんです!!」
「はぁ、男体化? そんなわけ……」
(マスター、ウチもなってます! 日本だけじゃありまへん!)
電話の向こうから、先輩の【study buddy】の声がする。やはり、男性の声だ。
「あらホント。……って、うっそまじかよ。なんであれが!」
寝ぼけていた声が、焦り始めた。
「心当たりあるんですか!?」
辰己は、せき込むような勢いで尋ねる。
「お前まさか、虹のシール貼ってあるUSB入れてないだろうな?」
「入れました!」
「それだ! あのな、男体化ソフトは俺が昔作ったジョークソフトだ。虹は、こっちじゃゲイカラーってことでシール貼って目印つけてたんだよ。お前に言うのすっかり忘れてたわ」
あっちゃー、っと電話の向こうで声がする。お前のせいだろうが! と言いたかったが、辰巳はぐっと耐えた。
電話越しにぶん殴る方法がないのが残念だ。
「ど、どうすればいいんですか?」
ジョークなら元に戻す方法があるはず。だが、先輩の歯切れは悪かった。
「あー。一応聞くけど、同期って」
「しちゃいました!」
「バ、バックアップは?」
先輩のどんどん甲高くなる声に、辰巳は嫌な予感がしてきた。
「運営長!」
パソコンをかちゃかちゃ動かして、運営長は小首を傾げた。
「……なんか上書きされてるっぽい?」
「み、みんなはさーん! うおああああああああ!」
「先輩! せんぱーい!」
□ □ □
「【study buddy】は犠牲になったのだ……。古くから続く先輩の下らんジョーク……その犠牲にな……」
「一言でまとめないでください、書記長」
メンバーの突っ込む声ですら、勢いがない。
先輩の遺した男体化ソフトは、『運営』を撃沈するほどの惨劇をもたらした。
曰く――
・甘酒で酔った勢いでジョークソフト作ったら、インストールするとサーバーのデータまで一時的に書き換えるような恐ろしいモノが出来てしまった。
・リカバリーの方法は、あるけど忘れてしまった。
・なにがなんでも、復旧するので裁判だけは勘弁してください。アメリカの裁判怖いよぉ……。
・どれだけ時間がかかるかは、わかんない。え、2月のバレンタイン戦争に間に合うか? ハハッ、ワロス
・やっちゃって、めんご☆ (。・ ω<)ゞてへぺろ~♡
一斉に、全メンバーが罵詈雑言を電話向こうに叩きつけた。
血管がブチ切れた若いモンは、あのアホに直接天誅を下そうと、アメリカ行きの航空チケットの発行ボタンを連打していた程だ。
あのアホ呪い殺してやろうかぁ! 弾薬と武器ありったけもってこい! 保険に入ってなかったことを後悔させてやる!
……やがて、狂乱が去ると、一転お通夜状態になった。
先の見えない禍事は、本当にヒトの気力を奪う。
『運営』のメンバーは、みんな疲れた顔で円卓上のパソコンを操作し、事態の対処に当たっていた。
気の進まない顔で、運営長が口火を切る。
「えーっと、各員状況を報告して。まずは、ツブヤイター班から」
ツブヤイターの班長は死にそうな顔で報告した。
「悪口雑言で溢れています。早急な対応しないと、ツブヤイター全土に飛び火するかも。謝罪文の推敲終わり次第アップします……」
その他、学内掲示板班やメール班、成績管理班からも報告が上がる。
「謝罪文アップして、相談室オープンしました……。心が折れそうです」
「メールサーバー落ちました。復旧に入ります……」
「ランカーの成績軒並みダウン。やっぱ男体化した【study buddy】には萌えないようです……」
ため息が、『運営』を支配する。
辰己も俯いて、自責の念に沈んでいた。
(だって、自分がちゃんと確認していたらこんな悲劇は起こらなかったはずだ。メンバーはあのアホのせいだから気にするなって言ってるけど、どう謝っても足りない――)
運営長が、沈んでいる辰巳に気付いて手招きした。小さい声で耳打ちする。
「たっつー、お前ちょっと保健室で寝ておいで。顔色ヤバイから」
「だって俺……」
運営長は、反論しようとする辰己の口を、しーっと指で制した。
「お前のせいじゃないよ。責任は確認しないで同期しちゃった俺にあるし。……ここからきつくなるから倒れる前に体力戻しときなさい。命令です」
「はい……」
そうだ、辰巳の仕事がなくなったわけじゃない。
【study buddy】が男体化したなら、男が男に萌えるようなセリフを用意しなくてはいけない。
それは、これまでこなしたどんな仕事よりも過酷だ。
失敗したら、また『運営』への信頼が落ちる。プレッシャーがヤバくて血を吐きそうだ。確かに頭をはっきりさせないと、乗り切れないだろう……。
辰己は頷いて、運営長に一礼した。ふらふらとパソコン室から廊下に出る。
ドア一枚隔てた、部屋の中からは「たっつーには、ユーザーの様子じかで見てくるように頼んだからー」と運営長の声がした。
運営長、まじイケメン……と、辰巳は力なく笑った。
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