第4話 初めての自主トレ
夜の住宅街。ジム帰りの大介、隼人と翔太が歩いている。翔太は疲れで、少しフラフラしている。
「じゃあ、ぼくの家こっちだから。さようなら」
翔太がペコリと大介と隼人に頭を下げ、路地を曲がり、フラフラと歩いていった。
「お、おう。じゃーな」
「さようなら」
大介と隼人が言った。
「翔太くん。ほとんど休んでたね」
隼人が哀れむような目つきで、翔太の後姿を見ながら言った。
「あいつ、明日来るかな」
大介がぼそりと言った。
「ムリだろ、あれじゃ」
隼人がため息まじりに言った。
深夜、翔太の部屋。翔太がブツブツ独り言を言いながら、ジャブの練習をしている。
「パンチは足から起動する。ステップイン。肩を回す。肩からまっすぐはじき出す。当たる瞬間だけ力を入れる。すぐ戻す」
翔太は何度も何度もジャブを繰り返した。
翌日。1年A組の教室。翔太が両手に持った運動着を、大介と隼人に見せている。
「今日は運動着を持ってきたよ」
翔太の言葉に驚く大介と隼人。
「おまえ、今日もジムに行くつもりか?」
大介が半分あきれたように言った。
ジムの中。大介と隼人が練習している横で、翔太が腹筋の筋トレをしている。
「6、7、は~ち」
翔太は、腹筋8回目で大の字になった。
早見が翔太を見ている。
深夜、翔太の部屋。翔太がブツブツ独り言を言いながら、ジャブの練習をしている。
早朝。朝日が昇り始めている。川原の土手の上を、運動着を着た翔太が息を切らしながらジョギングをしている。翔太の後ろから、Tシャツに短パンのおじいさんが走ってきて、「おはよーう」と翔太に声をかけながら、楽々と翔太を追い抜いていった。
「ハーハー。毎朝、ゆっくりでも走らなきゃ。少しづつでも、スタミナをつけるんだ」
翔太は独り言を言い、ジョギングを続けた。
『一ヵ月後』
ジムの中。大介と隼人がシャドーボクシングをしている。翔太は鏡に向かって、ジャブを打っている。
翔太のジャブがビシッと決まる。大介や隼人には及ばないが、練習を始めた頃と比べると、格段に速くなり、まっすぐパンチが出ている。
早見は翔太を見た。
(驚いたな。ジャブと筋トレの反復だけを一ヶ月やりぬいた。ゆっくりとだけど、確実にうまくなっている。フォームのバランスもよくなった。家でもかなり練習していないと、こうはならない。それに息切れも減った。走りこみもしているな)
早見は、翔太を見ながら思った。
(運動センスはないが、数多く反復練習をして、ジャブの形を体に覚えこませている。こんな子が、なぜこんな退屈な練習を続けられるんだ?)
早見は、ふと翔太が言ったことを思い出した。
(「落ちこぼれるのが心配なら大丈夫です。もう十分落ちこぼれてますから」)
(ああ、そうか)と早見は思った。
(この子は心が傷ついているんだ。傷の痛みを少しでも忘れるために、目の前のキックボクシングに熱中しているんだ)
翔太が腕立て伏せをしている。翔太は20まで数えた。
(べつにキックボクシングでなくてもよかったんだろうけど。でも、とにかく何でも一所懸命やることはいいことだな)
早見は思い、翔太に歩み寄った。
「翔太くん」
「はい」
翔太は腕立て伏せをとめて、早見の前に立った。
「ジャブは形になってきたし、筋力もついてきたね。そろそろほかの技も練習しようか」
「ジャブ以外ですか?はい!」
「次はこれだよ」
早見は構え、右ストレートを打ってみせた。ジャブより力強く、空気を切る音がジャブより鋭い。
「す、凄い迫力だ」
翔太が感嘆の声をあげた。
「ストレートだ。説明するよ」
早見が構えた。
「パンチは足から起動する。ストレートの場合、右足首から起動するんだ。右足の指の付け根を中心にして、踵を一気に真後ろに向ける。このとき、右足のつま先は正面を向く」
早見は、右足首を回してみせた。
「右足首を回転させると、右膝と腰が左回りに動く。その動きにのせて、右肩を回して、右拳を肩からはじき出す」
早見は、ゆっくり動いてみせた。
「足首、膝、腰、肩を順に回転させて、拳をドーンとはじき出す。この一連の動きを一瞬でやるんだ。やってごらん」
「はい」
翔太はストレートを打ったが、動きがギクシャクして、スピードがない。
「おそ、遅いわ」
練習をとめ、翔太を見ていた大介が言った。
「でも肩を回しても上体がぶれない。初めてなのにすごいよ」
隼人も練習をとめて言った。早見が、うんうんとうなずいた。
「肩を回しても、バランスがくずれないのは、軸となる左足が強いから。左足に体重をかけて、ジャブをとことん練習してきた成果だね。さて、キックも練習しようか」
早見は微笑みながら言った。しかし、翔太はプルプルと首をふった。
「ご、ごめんなさい。そんなに一度にできません。今、ジャブとストレートだけで、頭の中が一杯です」
翔太は申し訳なさそうに言った。
「あやまることはないよ。でも、いろんな技を習う方が面白いんじゃない?」
早見の言葉に、また翔太はプルプルと首をふった。
「ジャブ一つでも、すごく面白いです。振るように出ていたパンチが、練習していたら、まっすぐ出るようになって。遅かったのが、速くなって。すごく面白いです」
翔太の言葉を聞き、大介と隼人があきれた顔をした。
「ジャブばっか一ヶ月やってて面白いってか」
「変わってるな。翔太くんは」
大介と隼人が言った。早見は感動の面持ちになり、翔太の手を両手でにぎった。
「いいね!いいよ、翔太くんは!不器用で運動センスはないけど、愚直なのが実にいい!翔太くんは強くなるよ」
早見は翔太の手をにぎりながら言った。
「それってほめてんのか」
大介がぼそりと言った。
「ジャブ一つでも面白い!そうなんだよ。キックボクシングは面白いんだ。プロになるとかじゃなくて、多くの人にキックボクシングを楽しんでもらうことが、ぼくの夢なんだ!」
早見が大声で語り始めた。大介と隼人は、やれやれまたかという顔をする。
「始まりましたね、いつもの夢語り」
隼人が言った。
「練習再開しよーぜ。ミット打ち」
大介が言った。翔太は顔を赤くして、震えている。
「ほ、ほめられた。初めて人からほめられた。強くなるって、ぼくが。どうしよう。ほめられたことがないから、どうしていいかわからない」
翔太は舞い上がっていた。
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