第三章
第25話 追憶
大きな父の手を取り、少女は草原を駆け回る。
「父様! 見て見て!」
少女が指さす先には、一匹の白い動物。
それは猫のようで、リスのような容姿をしていた。まだ子どもなのか、覚束ない足取りで歩いている。
「かわいいねーりりしゅ!」
リリシュとはこの動物の名で、正式名称はリリーシュブレイというネコ科の生物だ。だが多くの人はこれを省略してリリシュと呼んでいた。
「かわいいね! りりしゅ!」
それを追いかける我が子を微笑ましく見つめる父であったが、彼女がある唄を歌い出した時、その顔から笑みを消した。
胸からぶら下がるこの紫の石が、少女の声に反応しはじめたからだ。
父は険しい顔で少女に近づいて言った。
「ミア、その唄を歌うのはやめなさい。何度も言ったはずだ」
「でも、みあ唄いたいよ。誰もいないよ? 父様と、」
「ならん! これからはその唄を歌うことは禁ずる!たとえ側に私しかいなくともだ!」
いつもの優しい父の変わりように怯えるミアだったが、やがて顔を俯かせて頷いた。
それを見た父は、困ったように娘の頭を撫でる。
「お前は嫌なことがあると、いつも下を向く」
「そんなことないもん!」
図星だったのか顔を赤くして声を上げるが、この父には全てお見通しのようで、笑いながら言う。
「先程ミカエルと喧嘩した時も、お前は下を向いていじけておった」
「それはっ……!」
続ける言葉がないのか、諦めたようにミアは頬をむくらせて父の足を蹴った。
「ふんっだ! パパもミカもいじわる! 大嫌い」
言い終わると、スッキリしたのか何事もなかったように花を摘みだしている。父はおかしそうに笑うとその背をぼんやりと見つめた。
ミアの父、ヨアン・ヴィクトラルは、予言の力を持ってこの地に生まれた。
長く続くこの王家には、予言者が多く生まれていた。
彼の父もまた、予言の力を持っていた。当然、この娘もその力を引き継いでいるだろうと周りの人間は思っていた。
だが、7の歳を迎えてもこの娘には何の力も現れなかった。そういうこともあり得るのかと思い始めた父であったが、その考えは間違っていた。
ミアにはそれ以上の、いや、今までどの王にも与えられなかった力を授かっていた。
――それは、精霊を操る力。
その脅威の力を、この娘は持っている。
ある日見た夢で、ヨアンはそれを確信した。そして今もなお、胸の石が熱を持ったように熱く反応している。それが何よりの証拠だった。
「万物には魂が宿る」とはよく言ったもので、このウィンディアの一族は、“目には見えない何か”に対し、深い畏敬の念を抱いていた。いつしか彼らは、それを“精霊”と呼び始めた。
精霊は、姿を持たない。
故に目には見えない存在だ。だが確かに存在している、と古代の人々は考えた。
そして毎年春の季節になると、精霊に感謝を示すための祭りがおこなわれる。祭りと言っても、特別何かをするわけではなく、酒や果物を供え、祈りの言葉を贈る。ただそれだけのものだった。
そしてつい先日のこと。
この伝統の祭りを是非見たいと言って来た男がいた。
彼は中央都市バルドからの使者で、名をビクター・ランバートといった。青い髪をひとつにまとめ、人の良い笑みを浮かべたこの男を、ヨアンは内心不審に思っていた。
何故なら、この祭りは今までも毎年行われていたし、外から来た人々が参加することも多々あったからだ。なのに何故今になって、わざわざ政府の人間が許可を求めにくるのか――
その疑問の答えは、それから一年後の春に判明する。
昨年と同じように、何人かの軍人を引き連れてビクターがやって来た。隣には、灰色の髪をした目つきの鋭い男。この男は、村を散策したいと言って、ほとんどの軍人を率いてさっさとその場を離れた。
ビクターは、この祭りを特別に撮影をしたいと言い出した。
ヨアンがそれを快く許可すると、彼らは村の周りを柵で覆い始めた。そして白い布のようなものをその柵にかけ、完全に外からは見えないようにした。
村が完全に封鎖されたのを見て、ビクターは軍人たちに合図を出した。
何が始まるのかと疑問に思ったヨアンは、彼らの行動に目を見開いた。火炎放射器のようなものを手に、村を焼き始めたのだ。
逃げ惑う人々。
命を奪うことに何らためらいなく、彼らは村を火にかけていく。
ヨアンは叫んだ。
「やめろ! 何をしている!」
そんな悲痛の叫びもむなしく、ビクターは「さっさと終わらせろ」と彼らに声をかけるとその場を立ち去ろうとする。
「おのれ、貴様……!」
その言葉に歩みを止めると、ビクターは背を向けたまま答えた。
「だから言ったではありませんか。あの鉱石を、我々に譲ってはいただけないか、と」
「あの石を戦争に使う気だろう。そんなことはもうとっくに分かっている」
彼らは昨年交わした会話を思いだしていた。
ビクターは、この地に眠る鉱石を分けてくれないかとヨアンに乞うた。だがこの賢明な王は、彼らの真の狙いがわかっていた。いくら生活が豊かに、便利になると謳っても、本当の狙いはこの鉱石を「戦争の道具にする」ことだということに気付いていた。
いや、予知していた。
「最近の研究で驚くべきことが判明したのです」
興奮気味に話すビクターに、ヨアンは冷たく返す。
「ほう、それは何か」
ヨアンの鋭い視線に一瞬息を吞んだビクターだったが、口早に説明をし始める。
「実はこのサファイヤ鉱石には、不思議なエネルギーがあることがわかりました」
「それで?」
「ええ。これは単体ではその効果を発揮させることは出来ません。が、ある物質と融合させることで莫大なエネルギーを、」
「それを兵器として使うのだろう」
ヨアンはビクターの言葉を遮り言った。
対するビクターは、貼り付けた笑みでそれに答える。
「何故? それはいけないことでしょうか。この街を、この国を、そしてやがてはこのアース・プラネットを守る力になるというのに」
「生活が便利になるのはかまわない。それには私も賛成だ。だが、この石を人殺しの道具に使うというのなら、私は黙ってはおらん」
凄みをきかせそう言うと、ビクターは苦虫を噛み潰したように押し黙る。
――真の狙いは、“石の力”か――
わかってはいたが、こうも堂々と戦争を肯定すると思っていなかったヨアンは、動揺していた。
いずれ近いうち、何か不穏な動きがあるかもしれない。
その予感はまさに、現実になったのだ。
段々と火が広がっていく村。
この村にも、精鋭部隊と呼ばれる王の兵達がいた。だがしかし彼らはいま、軍兵たちに串刺しにされ、その身を炎で焼かれている。
「むごい……! どうして、」
必死な救助もままならず、やがて火は村を完全に覆いつくそうとしていた。ビクターは迎えのヘリに乗り込むと、ヨアンを見、ニヤリと笑った。
「古い王族などもういらぬ。この国は、この惑星は、わたしのものになる!」
やがてヘリは段々と離れていき、その姿を確認することができなくなった頃、聞こえるはずのない幼い声がヨアンの耳に届いた。
「――――」
声の方を見ると、紛れもない自分の娘が宙に向って手をのばし、何かをしきりに口にしている。それはこの父が聞いたことのない言葉で。
急いでそちらへ駆け寄ると、ミアは顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、今もなお宙に向って叫んでいる。
「ミア! 速く逃げるのだ。こんなところで、」
「だって、精霊さんが助けてくれるかもしれないから! 見えるのはミアだけだから!」
最初、この娘が言っていることがよくわからなかった。
だが、未だに聞いたことのない言葉で何かを叫んでいる姿を見、王は確信した。
「お前は、精霊と話しができるのか?」
それに対しミアは、よくわからないといった顔で首を横に振っている。
「わかんない。でも、一回だけ見たことあるの! 風の女のひと」
「ウィンディアを?」
「うん、見たもん。だから、助けてって言ってるけど、どこにもいない、いない」
遂には倒れこんでしまったミアを抱き上げ、なんとか娘だけでもと村の出口まで走るヨアンだったが、時すでに遅く、そこには火柱が黙黙と立ち込めている。
どうすることも出来ず立ち尽くしていたその時、一発の銃声が村に響いた。そちらを見ると、灰色の髪の男、カイル・クラークがこちらに銃を向けて不敵に笑んでいる。
「おや、王。まだお逃げになっていなかったのか」
ヨアンは痛む胸を押さえ、その場に倒れた。
それを確認したカイルは、自らも迎えのヘリに乗り、この地を去って行った。
残された幼い娘ミアは、動かない父の体を揺さぶり、必死に叫んでいた。
「とうさま! とうさま起きてよお!」
ヨアンは苦し気に顔を歪めながら、ミアに笑顔を向ける。
「大丈夫、風の精霊はお前を見捨てぬ」
「なにいってるの。わかんないよ。とうさま、起きて! 起きてよお!」
最後の力を振り絞り、首にかけたネックレスを震える手でミアの首にかけてやると、優しい笑みで最後の言葉を放った。
「行け、私の愛しい娘……ウィンディアの王女よ。精霊がお前を連れて行ってくれる」
「やだ! とうさまも、とうさまも……!」
ミアの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
宝石のようなその涙を見つめ、父は穏やかな笑顔をミアに向けた。
「ei na windya...」
そう言うと、ヨアンは静かにその目を閉じた。
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