第8話 いざ、空へ!


 軍事科三年。

毎年夏、特別教習として飛行者フライド実習が行われる。毎回、軍事本部より数名の軍人が訪れ、有能な生徒はそこでスカウトされる習わしだ。気合の入ったアーノルドとは対照的に、アランはだるそうにしていた。


「おいしっかりしろよ。あちらさんはもう来てるぞ」


気のない返事をして、アランはヘルメットを装着する。今回の実習は、既に飛行車免許保持者対象に行われるもので、軍事科ということもあり普通の飛行車ではなく軍事用車を使用する。

自分の番がすぐそこまで来ているというのに、何の緊張感も持たぬこの友人にアーノルドは呆れていた。


 ほとんどの人間は、軍人を目指してこの科に入って来るが、どこぞの金持ちの息子が中途半端に入学してくることもある。だからと言ってアランもそうかと言われると少し違う気もするが、三年近く一緒にいても、この男のことはよくわからなかった。


「アーノルド・ディラン、アラン・ランバート、前へ!」

「はい!」


声を張り上げ返事をするアーノルドに、何の返事もなしにそそくさと車へ乗り込むアラン。軍人はそれには特に気にもせず、コース内容を淡々と説明している。液晶に浮かび上がったコースを確認し、いくつかの注意事項を読むと、二人はベルトを締め、エンジンをかけた。



「3.2.1.GO!」

合図を聞き、先に走り出したのはアーノルドだった。


速さを競うものではないが、正確かつ高スピードが試される実習だ。所々障害物を避けながら、二人は好調に走っていた。


「やっぱ気持ちいいなあ、空は」

「余裕かましてんなよ、アラン」


無線で楽し気に会話する二人を、軍人たちは液晶越しに見ていた。

街のいたる所にカメラが設置されていて、一般人が使うより上の空路をライドする必要があるため、難易度も高い。

だがこの二人は障害物にぶつかることなく、今までのどの生徒よりも高スピードで走っていた。


「なかなかだな。やはりディラン少佐の弟君だ」

そう話すのは軍から視察にやって来たテレサ・リーンだ。テレサは茶色の短い髪を耳にかけながら足を組み直す。短いスカートからのぞく美脚を、生徒達はちらちらと見ていた。


「こちらのロン毛君も頑張ってるわよ」


第二ボタンまで開けた軍服を窮屈そうにしながら、もう一人の女は答えた。

彼女はエリカ・ディラン少佐。アーノルドの姉である。


「弟か、ロン毛か。どちらに賭ける?」

「あらやだ、そんなのうちの子に決まってるじゃないの」


にっこりと笑ったエリカは、豊満な胸の谷間から100パルド札を取り出す。


「よし乗った!」

生徒を賭け事に使うなどと顰蹙ひんしゅくを買うように思えるが、他の軍人が声をかけることはなかった。実力もさることながら、怒ると手の付けようがないことで有名な二人に、誰も口出しすることが出来なかったのである。


レースも終盤、思い出したようにアーノルドが言った。


「そういえばあの子。なんつったっけ。あー、ミアちゃん?」

「あ? あいつがどうかしたか?」

ミアの名を聞き、すぐに食いついてきたアランにニヒルな笑みを浮かべたアーノルドは、わざとらしく続ける。


「俺この前、あの子にデート誘ったらさあ~」

「ああっ!?」

アーノルドの思惑どおり、アランは動揺の色を隠せないようでほんの少しだが、スピードが緩んだ。その隙にアーノルドはぐいぐいと差をつけていく。


「てめえ! 騙しやがって!」

負けじと追いかけるが、その差は歴然だ。

「ハハッ! おっ先に~」


アランはチッと舌打ちをすると、事もあろうか機体を180度傾けた。障害物を避けきれないのならば、そこから外れてしまえばいい。そう思い、頭に血がのぼるのもおかまいなしにそのままの姿勢でゴールまで一気に走り切った。これにはアーノルドだけでなく他の軍人も開いた口がふさがらず、いつまでも終了の合図が鳴らないことに不審に思ったアランが声を上げた。


「おい! 軍人さん! 結果は?」

「はっ……! え、えーっと、」


どう答えてよいのやら、軍人はエリカを見やる。すると彼女は口角を上げ、勝者の名を口にした。





「勝者、アーノルド・ディラン!」

「はあ?! 何で、」


スピードで言えば確かにアランが上であったが、あくまで決められたコースを進むという観点から言えば、彼は失格とみなされたのだ。


「残念だったな、ロン毛」

そう言ってアランの肩を叩き、テレサはしぶしぶ懐から100バルド札を取り出した。










 実習が終わり、あるカフェで二人はぐったりとしていた。

ロボが運んできた飲み物をストローで吸いながら、アランは先程の会話を思い出し、目の前の金髪の男に訊ねた。


「おいアーノルド。ミアをデートに誘ったってのは、冗談だったのか?」

同じくストローを銜えたアーノルドは、訝し気にアランを見る。

「ああ? そんなこと言ったっけ?」

「言っただろうが! そのせいで俺は、」


負けた、という言葉を口にするのが惜しく、グラスに口をつけてがぶがぶと飲み干す。そんな長髪の友人を見て、アーノルドはおかしそうに笑った。


「ハハっ。冗談だよ。あれ以来会ってないし。お前に黙って会いに行ったりしないから安心しな」

「だ、誰が! 俺は別に」

「気になるくせに」

「ならねえよ」

「嘘つけ」

「嘘じゃねえ!」


アランは赤い顔を隠しきれずにそっぽを向いた。

するとその先に、渦中の人物。


「あ……」

「あ!」


互いに固まり、何と声をかけたらよいのか迷っていると、ミアの後ろからひょこっと見知った顔の少年が現れた。


「あれえ! 二人とも何してるの~?」

「ノア!? お前何して、」

「たまたまそこで会ったんだ~」


えへへ、と笑いながら近付いてくるノアを二人は見つめ、次に後ろでこちらを伺っているミアへと視線を向ける。


「君もおいでよ」

「アランの隣、空いてるよ~」

ノアが気をきかせてアーノルドの隣に腰を下ろす。ミアはためらいがちにその空いた席に座ると、じっとアランを見つめた。


「あの……この前はありがとう」

「あ?」

「追われてる時に、助けてくれて」


もじもじと恥ずかし気に言うミアをチラリと見て、アランは路地裏で倒れていた彼女を思い出す。学園から家に向っていた道の途中、突然聞こえてきた一発の銃声。そこへ駆けつけた時に目に入ってきたのは、足から血を流して倒れている少女の姿。後ろの軍人に怯えた目を向ける彼女に、体は勝手に動いていた。


「まあ、当然のことをしたまでで」

「アラン君がいなかったら、どうなってたか……」

「いや、俺は別に、」


赤い顔の二人を前に、アーノルドはニヤリと笑い隣のノアに合図を送る。それに対し、ノアはこくりと頷いた。


「あ! あーっ! ぼ、ボク今日はアーノルドの家へ寄るんだったあ」

わざとらしくそう言うノアに、ミアとアランは不思議そうな顔を向ける。


「よし行こう、すぐ行こう!」

「は? これから飯食いに行くって、」

「悪いがまた今度だアラン君。ではまた!」

「おいっ、ちょっと待て!」


言うが早いが、二人はそそくさとその場を去る。

残されたアランはあんぐりと口を開けて立ち尽くしていたが、二人の意図に気付いたようで、髪をぐしゃりと掻きながらそっと席に座り直した。


「えー、何だ。そのー、……もう遅いから家まで送ってくよ」

「まだ3時だよ?」

「あ゙!? いや、でも危ないだろ、色々と」


頭に疑問符を浮かべるミアを無理やり立たせ、なるべくそちらを見ないようにしてアランは歩き出した。

今度あの二人に会ったときは、文句のひとつでも言ってやろうとその歩みを速めると、後ろから抗議の声が上がる。


「ちょっとアラン君! 速い痛い!」

「あ、悪い」


掴んだ手を放してやると、そこでようやく視線が合った。家まで送ってやると言われた手前、断る理由などないのでミアはその言葉に甘えることにした。


「ありがとう。ここからそんなに遠くないけど、お願いできるかな?」

笑顔を向けてくるミアにほんのり頬を染め、アランは頷いた。













バロック様式の建物が多いこの地区は治安も良く、政府機関へのアクセスに適した場所だった。今も路面を走る電車には、軍服を来た者が多く乗っている。


「ここだよ」

ミアに言われてアランが顔を上げると、そこにはこじんまりとした一軒の家。表通りから少し離れたこの場所には、同じような大きさの家が立ち並んでいる。ミアは指紋認証を済ませて中へ入り、アランもそれに続いた。



通された部屋でぼーっとするアランだったが、はっと思い出したように言った。


「あ、じゃあ俺はこれで……」

ごく自然と家に入っていたことに今更気付き、慌てて玄関へ向かおうとするが、包丁を持ったミアに行く手を止められる。


「ダメ!」

「うわっ!」


ソファへ押し倒され、仁王立ちのミアに冷や汗を流すアラン。その手には未だ包丁が握られている。

「な、何だ。俺は食ってもうまくないぞ」


ひきつった笑みを浮かべるこの男にミアは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑い出した。彼は、自分が切り刻まれるとでも思ったのだろう。

礼として手料理を振る舞うとアランに伝えると、彼はほっとした表情で頷いた。














丸いテーブルに乗せられた料理に手をつけながら、アランは思い出したように言った。


「そういえば、何で追われてたか聞いてなかったな」


ミアはパスタをフーフーと冷ましながら答える。

「あ、うん。なんかいきなりネックレスのことを聞かれて」

「ネックレス?」


もぐもぐと口を動かしながら、ポケットからネックレスを取り出すとそれをアランに見せる。


「よくわからないけど、これを見てすごく驚いてた」


紫の石に模様が描かれたそれを、まじまじと見ながらアランは考えていた。

一見何の変哲もないように思えるが、その幾何学模様には見覚えがあった。昔訪れたある場所で、この模様と同じものを見たことがあったのだ。


「これ、どっかで見たことあるな」

「え? どこで?」

「詳しい場所は憶えてないけど。子どもの頃、親父の仕事である場所に着いて行ったんだ。そこでこの模様と同じものを見た気がする」

「それってもしかして、」


ミアが続きを言うより早く、部屋に一組の男女が入って来た。


「ミアー! たっだいまー! いい子に、」


一人寂しく家にいる妹を思い、早めに帰宅した兄であったが隣にあるはずのない男の姿を目にし、固まった。

「あ、おかえりアギレス。彼がこの前言ってたヒーロー。アラン君」

「はじめまして。お邪魔してます」


立ち上がって礼儀よく挨拶するアランだったが、その言葉にアギレスは何の反応も示さない。いつまでたっても反応がないので不思議に思う二人だったが、彼の隣に軍服を来た女がいることに気付き、ミアは声をかけた。


「あ、一緒に夕飯でもどうですか?」


未だ固まっているアギレスを放って、取り皿に料理を盛っていく。その間にアランはグラスに水を注ぐ。何とも息の合ったチームワークに女は感心し、席に着いた。

「はじめまして、よね? ミアちゃん。私はエリカ・ディラン。エリカと呼んでちょうだい」

にこやかに話す女に、こちらも笑顔で返す。

「はじめまして。ミアです。アギレスがいつもお世話になってます」

「うふふ、可愛い子ね」

エリカが後ろの男に声をかけると、アギレスははっとしてミアに駆け寄る。


「誰だこの男は! まさか、お前たち……」

「だからさっきも言ったでしょ、この人が助けてくれたって」

「……え? そうなの?」


じと目で睨むミアの視線を受けながら隣のアランを見ると、彼は真剣な表情でこちらを見つめている。

と、そこでまた勘違いしたこの兄は声を大にして言った。


「まだ嫁にはやらんぞ! ガキが!」

「はあ?」


これにはさすがにアランも呆れた様子で、アギレスが席に着くまではと止めていた手を再び動かし、料理を口に運んだ。


























































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