それぞれのカタチ

あれから数日。


マユとシンヤは再び一緒に暮らし始めた。


お互い仕事で多忙な毎日だが、マユは以前よりも肩の力を抜いて、主婦業と仕事の両立ができるようになったと笑って言った。


その顔はとても穏やかで、シンヤとの暮らしがマユにとって、最高の癒しになっているのではないかと、レナは嬉しく思った。




(よっしゃー!!解禁だー!!)


ユウは弾むように軽い足取りで病院を出ると、その足で事務所へと向かった。


退院後にしばらく通っていたリハビリが、今日で終わった。


ようやく医師からギターを弾いても大丈夫だと許可が下りたのだ。


事務所で社長に挨拶をすると、ユウはバンドメンバーのいるスタジオへと向かった。


(久し振りだな…。)


スタジオのドアを開けると、みんながそこに立っているユウを見て駆け寄って来る。


「ユウ、もう大丈夫なのか?」


「うん。医者からOKが出た。」


「良かったな!!おかえり!」


「心配したんだぞー!!」


みんなはじゃれるようにユウをつつく。


「ごめんな、みんなには心配ばっかりかけて。でももうこの通り、大丈夫だから。」


「最初に言われてたより、ずいぶん早く回復したんだ、ホント良かったな。」


ハヤテがユウの背中を軽く叩く。


タクミはニヤッと笑ってユウを見た。


「それはさぁ、健気でかわいいあーちゃんの、献身愛のおかげだよねぇ、ユウ?」


「まぁ…。」


照れ臭そうに頬をかきながら、ユウはタクミに耳打ちした。


「タクミの結婚式でレナがウエディングドレス着て歩くってのは却下だからな。レナがウエディングドレス着て歩くのは、オレの隣だ。」


ユウの言葉にタクミはニヤリと意味深に笑う。


「ユウ、もしかして…。」


「ああ。」


ユウがうなずくと、タクミが大声で叫ぶ。


「みんなー!!ユウ、結婚するんだってー!!」


「あっ、オイ!!」


ユウが顔を赤くしてあたふたしていると、ハヤテ、リュウ、トモの3人がユウを冷やかし、大騒ぎを始めた。


「ついにユウも覚悟を決めたんだな!!」


「あそこまで彼女に言わせて覚悟決めなきゃ男じゃねえよな!」


「高梨さんのインタビュー、あれって逆プロポーズだったんだろ?」


「違う!プロポーズはちゃんとオレがした!!」


思わず言い返してからハッとしたユウは、また照れて赤くなる。


「なんて言ったんだよ、教えろよー。」


「絶対言わねぇ!!」


「なんだよ、ケチ!!」


「減るもんでもないだろーが!!」


「式はいつなんだ?」


「まさか、もう既に入籍済みとか?!」


みんなはユウの頭をワシャワシャしたり、脇腹をつついたり、ひとしきりユウを冷やかした。


(コイツら面白がりやがって…!!)


「でもまぁ、良かったな!!」


「末長くお幸せにー!!」


「もう嫁さん泣かすなよ!!」


「ユウに飽きたらオレが待ってるってあーちゃんに言っといて!!」


「言うか!!」


散々冷やかされた後、ユウはハヤテから手渡された新曲の音源を手にスタジオを後にした。



部屋に帰ると早速ギターを手に取り弦を弾く。


(ああ、久し振りだな、この感じ。)


新曲を聞きながら、ユウはギターを弾く。


久し振りにギターを弾くことが、楽しくてしょうがない。


ひとしきり新曲の練習をすると、ユウはタバコに火をつけひと休みする。


そして、入院中に考えていた歌の歌詞をメモした紙切れを取り出すと、タバコを吸いながらあれこれと思いを巡らせた。


(また、レナへの歌を作ってみようかな…。)


ユウはレナの笑顔を思い浮かべながら、口元をゆるませる。


(医者からOKが出たってことは…!!)


無理をしたらダメ!!と言うレナに触れることを必死で我慢していたユウは、今日こそは!!と、更に口元をゆるませるのだった。




仕事から帰ったレナが、リビングでギターを弾いているユウを見て、パッと笑顔になる。


「ユウ、お医者さんにもうギター弾いても大丈夫って言われたの?」


「うん。」


「良かった!!」


ユウはギターを置いて、嬉しそうに笑うレナの手を引き、自分の膝の上に座らせる。


「えっ?!」


レナは、ユウの膝の上でユウの長い腕の中にすっぽりと包まれながら、驚いた顔でユウを見上げた。


ユウはレナを優しく抱きしめる。


「レナのおかげ。ありがとな。」


「うん。」


ニッコリと笑うレナを見て、長い間抑えていたユウの気持ちが抑えきれなくなる。


(めちゃくちゃかわいい…!!もう、食っちまいたい!!)


ユウはレナをギュッと抱きしめると、レナの柔らかい唇に何度も何度もついばむような甘いキスをする。


レナはユウのキスに応えるように目を閉じた。


(レナ、かわいい…。)


ユウは舌先でレナの舌先と唇をそっと舐める。


「レナ、甘い。」


「えっ?!さっきココア飲んでたからかな?!」


「それだけかなぁ…。すごく、甘い…。」


もう一度ユウはレナの唇を味わうように深いキスをした後、レナの耳元で囁いた。


「やっと医者からOK出たから…いいよね?」


レナは途端に真っ赤になる。


「待って…。」


「ダメ。もう1秒も待てない。」


「だって夕食の準備もまだ…。」


「夕食よりレナが食べたい。」


ユウはレナの首筋にキスをする。


「んっ…。ユウってば…。」


「かわいすぎるレナが悪い。」


ユウはレナを軽々と抱き上げ部屋に連れて行くと、優しくベッドに寝かせ、レナの唇にいつもより激しく口付ける。


「ヤバイ。ずっと我慢してたから、いつもより激しくしちゃうかも…。」


レナはユウに服を脱がされながら、また顔を真っ赤にした。


「まだ怪我治ったとこなんだから…あんまり無理しちゃダメだってば…。」


ユウは柔らかなレナの胸に手を這わせながら、赤くなったレナの耳に口付けて意地悪そうに囁いた。


「オレより…レナに無理させちゃうかも…。」


「もう…!!」


「レナに触るのも今日までめちゃくちゃ我慢したんだから、ご褒美ってことで、今日はいっぱいしても…いいよね?」


「ユウのバカ…。エッチ!!もう知らない!!」


レナが恥ずかしそうに両手で顔を覆うと、ユウはその手を優しく握り、レナの頬に口付けた。


「そう言うとこ、ホントかわいい…。レナ、好きだよ。」


そして二人は久し振りにベッドの中で、いつもより熱く甘い甘い時間を過ごした。






今年も残すところあとわずか。


街はクリスマスムードで賑わっていた。


「もうすぐクリスマスかぁ。」


「付き合ってからは初めてだね。」


一緒に買い物に出掛けた二人は、手を繋ぎながら雑貨屋で小さなクリスマスツリーやスノードームを手に取って眺める。


「クリスマスはどうしようかな?やっぱりクリスマスケーキとか…。」


「それってオレにも食わせてくれるの?」


以前、ヤキモチを妬いてスネたレナが、二人で食べようと買ったチョコレートクリームのホールケーキを一人で食べようとしたことを思い出し、ユウは少し意地悪く笑う。


「もう…!!あの時はユウが悪いんだからね!!」


「冗談だってば。」


歩きながらユウは、なにげなく向かいのジュエリーショップに目を留めた。


(あっ…。オレ、結婚しようって言いながら、レナに指輪も渡してない!!)


「どうかした?」


「いや…。」


そう言えば、指輪だけじゃない。


結婚って、具体的に何をすればいいんだろう?


(親に挨拶…とか?結婚式場の予約…とか?)


経験のないことは考えてもわかるわけがない。


(こういうことは経験者に聞くのが一番だ。)




翌日、ユウはバンドの練習が済んだ後、シンヤの部屋を訪れた。


「で、その後どう?」


「うん。また一緒に暮らすようになって、ちょっとした新婚気分だな。お互い、相変わらず仕事で忙しいけど、楽しんでるよ。」


「良かったじゃん。」


シンヤはコーヒーメーカーのデキャンタからカップにコーヒーを注ぐと、ユウに手渡した。


「で、どうかしたのか?」


「あぁ、うん…。」


ユウはコーヒーを一口飲んでから、照れ臭そうに話し出す。


「あのさ…実は…。」


「ああ、そう言えばユウ、レナちゃんと結婚するんだって?」


「えっ?!」


まさに今、口にしようとしていた言葉を、シンヤに先回りで言われてしまったユウは、動揺して声が裏返ってしまった。


「ユウ、声!!」


「あ…。先に言われて驚いて…。」


シンヤがおかしそうに笑う。


「マユから聞いたんだよ。この間、マユとレナちゃん二人で話してた時に、レナちゃんに聞いたってさ。ユウにプロポーズされた、って嬉しそうに笑ってたって。」


「そうなんだ…。」


ユウはちょっと照れ臭くなって頭をかく。


「思いきったんだな。」


「まぁ…。」


「ずっと結婚なんか考えられなかったのに、急にどういう心境の変化があったんだ?」


「周りの人から結婚のことをいろいろ言われる機会がやけに多くて…オレなりに考えてみたら、結婚するならレナしかいないし…やっぱり、この先もずっと一緒に生きて行きたいって。」


「生きて行きたいって思えたんだ。」


「うん…。オレの一生かけて、レナを守って…愛していこうって。」


「ユウの生きる意味のひとつは、レナちゃんだな。」


「そうかも。それも、かなりの割合で。」


「言うねぇ。」


二人は楽しげに笑ってコーヒーを飲んだ。



「ああそうだ。そのことでシンちゃんに聞きたいことがいろいろあってさ。」


「なんだ?」


「プロポーズはしたものの、具体的に何をすればいいのか…。まだ指輪も渡してないし、何も決めてないんだよね。」


「そうだなぁ…。まずは親に挨拶じゃね?」


「あっそうか。」


「入籍はいつするとか、二人でも親と一緒にでもいいから決めるだろ。式を挙げるなら、チャペルとか神前とか人前とか、いろいろあるじゃん?披露宴はするかしないか。するなら誰を招待して、席順だの余興のお願いだの…自分たちの衣装やら引き出物やら…決めることは山ほどあるな。それから…。」


「ちょっと待って…ついていけてない…。」


想像を遥かに超えたやることの多さに、ユウは目眩がしそうになる。


「いろいろめんどくさいだろ?」


「うん…。」


怯むユウを見てシンヤはおかしそうに笑った。


「難しく考えなくてもいいんじゃね?まず大事なのは、婚姻届けを出すことだろ。役所に行って窓口で婚姻届け下さいって言えば、届けを出すときに何が必要か教えてくれる。」


「そうなんだ。」


「結婚式のことは式場に行けば担当者が相談に乗ってくれる。それよりまずは、二人で具体的なこと、ちゃんと話し合えば?結婚って甘い幻想抱きがちだけど、ガッツリ現実だし。結婚式を挙げるのがゴールじゃないからな。そこから二人の生活が始まるわけじゃん?」


「オレたち、もう一緒に暮らしてるけど。」


「まぁそうなんだけどな。その点は抵抗なくスムーズに行くだろうけど、やっぱり同棲と結婚は違うんだよ。」


「同棲って…。まぁそうなんだけど…。」


ユウは、今まで使ったことのない同棲と言う言葉の響きに、なんとも言えない恥ずかしさを感じた。


「同棲って言うと無性に気恥ずかしいだろ?」


「うん…。」


「でも結婚したらさ、一緒に暮らしてない方が異常な感じじゃん。この間までマユと別居婚だったからさ、オレも散々言われたよ。」


「なるほどね。同じ“一緒に暮らしてる”でも、恋人と夫婦では世間からの認知のされ方が違うわけだ。」


「まあな。結婚したら所得税の課税の割合とかいろいろ変わるんだぞ。」


「ふうん…。」


結婚はまるきり未知の世界だなとユウは思う。


(ちゃんとやってけるかな、オレ…。)


結婚に対して少し自信がなくなりそうになる。


「結婚するって、世間に自分たちの関係を認めてもらう代わりに、公的義務とか責任とかを果たすってことなのかもな。」


「シンちゃん、大人の見解だねぇ…。それがシンちゃんの結婚の定義なんだ。」


「結婚の定義?」


「うん。」


「表向きはそうかもな。」


「建前ってこと?じゃあ本音は?」


シンヤは結婚式の写真が飾られた写真立てを手に取り、ウエディングドレス姿のマユを愛しそうに見つめた。


「決まってるだろ。マユと一生愛し合って、添い遂げることだよ。」


「…だろうね。」


昔と変わらずマユを愛しそうに見つめるシンヤを見て、結婚しても変わらないものもあるんだと、ユウの胸は温かくなった。


そしてユウは気になっていたことをシンヤに聞いてみることにした。


「ところでさ…婚約指輪って、やっぱり渡すべきだよね?」


「そうだなぁ。贈れば喜ぶと思うけど、正直どっちでもいいんじゃね?婚約指輪なんて無駄に高い金払って買ったところで、結婚したらだいたいは箱ん中に眠ってるよ。」


「そうなのか?!」


(それはかなりショックかも…。)


「うちはマユが、婚約指輪は要らないって。どうせならずっと使えるように、別の物にしてって言われてさ、ダイヤのネックレスにした。」


「へぇ…堅実だなぁ。」


「いい奥さんだろ?」


「そうだね。」


「指輪はさ、ユウの気持ち次第だよ。レナちゃんと相談して一緒に選びに行くのもアリだし、サイズさえ間違わなければサプライズで渡すのもアリだし。」


「うん。」


「結婚にはさ、それぞれのカタチがあると思うんだ。それを二人で一緒に作って行けばいいんじゃないか。」


「うん…。シンちゃん、さすが作家だね。それらしいこと言うんだ。」


「オマエなぁ…。そんなこと言うと、ユウとレナちゃんの恋の軌跡をノンフィクションで書くけど。絶対売れるよなぁ。ベストセラー間違いなしだ。よし、担当さんに連絡を…。」


「シンヤ先生スミマセンでした。それだけは勘弁して下さい…。」


「どうすっかな?」


「マジで勘弁して、シンちゃん…。」


「オレたち夫婦を敵に回すとこわいぞ?」


「味方につけると強いんだけどな…。」


心強い親友の笑顔が、以前よりも柔らかく穏やかになっている気がしてユウはホッとした。


(良かった。シンちゃん、幸せそうだ…。)




その日の夕食の時間。


ユウはレナの作った料理を口に運びながら、昼間にシンヤと話したことを考える。


真剣に考え事をしているユウの様子が気にかかり、料理の味に問題があったのかと気になったレナがユウの顔を見ながら尋ねる。


「ユウ、どうかした?口に合わない?」


レナの言葉にハッとしたユウは慌てて首を横に振る。


「全然、そんなことない。すごくうまいよ。」


「ホント?それならいいんだけど。」


ユウは味噌汁を飲みながら、まずは何から話し合えばいいのかと考える。


「あのさ、レナ。」


(やっぱり、親に挨拶からかな…。)


「ん、何?」


「リサさんに、挨拶に行こうかなって思うんだけど…。その、結婚の…。」


「あ…うん…。」


レナは少し照れ臭そうに返事をすると、落ち着かない様子でお茶を飲み込んだ。


「予定、聞いといてくれる?できるだけ合わせるようにするから。」


「うん。」


「あと、いろいろ…式のこととか…そろそろ、考えて行こうか。」


レナは嬉しそうに笑った。


「うん…。」



食事を終え入浴を済ませると、レナはどこからともなく取り出した分厚い雑誌をユウに手渡した。


「これって…。」


「結婚情報誌なんだって。今日、マユのとこの雑誌の撮影だったんだけど、その時マユがくれたの。私たちが、このテのことには疎いだろうからって。」


「さすが…。」


二人でこたつに入ってビールを飲みながら、ゆっくりと雑誌をめくる。


(いろいろ大変そうだなぁ…。)


結婚式の段取りだけで大変そうだとユウが思っていると、隣ではレナが幸せそうに、誌面に写るウエディングドレス姿のモデルを見つめていた。


(ここはレナのために頑張らないとな…。)


「レナはやっぱりドレスがいいよな。」


「うん。リサの作ったドレスが着たいな。」


「そうだなぁ。レナにはリサさんの作る服が一番似合うもんな。」


ユウは優しくレナの頭を撫でた。


「うん…。リサの作った服は、私が着て初めて完成するんだって。」


「そうか。だから一番レナに似合うんだ。ドレス、リサさんにお願いしてみよっか。」


「うん!」


レナは嬉しそうに笑った。



その後も二人で雑誌をめくりながら、結婚を控えたカップルのエピソードを読んで驚いたり笑ったりした。


ユウは、付録の冊子を手に取り、首を傾げる。


(新郎向けの冊子…?花嫁のマリッジブルー?)


そこにはまた、ユウにとっての未知なる世界が綴られていた。


結婚を控えた花嫁が、結婚について不安や不満を感じて憂鬱になり、結婚を迷うことがあるらしい。


(プロポーズするだけでも大変だったのに…?!結婚の準備期間にこんなことがあるのか…。)


その内容に、ユウの頭に不安がよぎる。


(とにかく、レナを不安にさせないように、オレがしっかりしないと…。)


神妙な面持ちで冊子をめくるユウを見て、レナは首を傾げる。


「ユウ、どうかしたの?」


「いや…なんでもない。」


ユウはレナに不安を悟られないよう、平静を装いながらビールを飲み干した。


(やっぱり、オレのレナとの結婚への覚悟をわかってもらうために、婚約指輪くらいはちゃんと渡そう…。)



翌日、ユウはバンドの練習を終えた後、前にレナと買い物に出掛けた時に見つけたジュエリーショップへ、一人で足を運んだ。


ショーケースの中にでは、たくさんの宝石やアクセサリーがキラキラと光を放っている。


ユウの姿に気付いた店員や買い物客が、ヒソヒソと噂をしていることにユウは気付いた。


(めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど…!!)


一人照れて顔を赤くしながら、ユウはショーケースの中を覗き込む。


「彼女さんへのプレゼントですか?」


落ち着いた雰囲気の女性店員がユウに声を描けた。


「まぁ…そうなんですけど…。」


周りの視線が気になってしょうがない様子のユウを見て、店員は微笑んだ。


「もし良かったら、奥でゆっくりと伺いましょうか?いろいろ気になってらっしゃるでしょう?」


店員はそっと店内を見渡す。


「お願いします…。」


ユウは店員に促され、店の奥の目立たない席に通された。


「今日はどのような物をお探しですか?」


店員が笑顔でユウに話し掛ける。


「実は…その…婚約指輪を…。」


ユウが恥ずかしそうに小声で答えると、店員は静かに微笑んだ。


「おめでとうございます。ご結婚なさるんですね。」


「ハイ、まぁ…そのつもりです。」


「少々お待ちくださいね。」


店員は席を立つと、トレイにいくつかの指輪を乗せて戻って来た。


「この辺りが、スタンダードな婚約指輪ですね。ダイヤの大きさやデザインはいろいろありますが、最近人気のあるものは、こういった物が多いですよ。」


「そうなんですか…。」


トレイの上の指輪を手に取り、ユウは考える。


どの指輪もいかにも婚約指輪と言う感じで、シンヤの言っていた“結婚したら、だいたいは箱の中で眠ってる”と言う言葉が脳裏を掠めた。


ユウは店員に聞いてみることにした。


「婚約指輪って、結婚したらあまり身につけない物なんですか?」


「えっ?!」


店員は少し驚いた様子でユウを見た。


「いや…。結婚してる友人にそう聞いたもので…。できれば、結婚してもずっとつけていてもらいたいかなと…。」


ユウの言葉に、店員はなるほどと言った様子でうなずいた。


「確かにそうですよね。結婚したら結婚指輪をつけますし。左手の薬指に合わせて婚約指輪を買われると、そうなるかと思います。家事をする時に、立て爪のダイヤの指輪ですと、いろいろ不便もありますからね。」


「なるほど…。」


シンヤは指輪の代わりにダイヤのネックレスを

マユに贈ったと言っていたが、レナはユウとお揃いのネックレスをしているから、ネックレスではない方がいいかも…とユウは考える。


「結婚してもずっとつけていてもらいたいので…邪魔にならずにシンプルでかわいらしいデザインのダイヤの指輪とか…ありますか?」


ユウが真面目な顔でそう言うと、店員は穏やかに微笑んでもう一度席を立った。


(指輪ひとつ選ぶだけでも大変だな…。)


再び店員がいくつかの指輪をトレイに乗せて戻って来ると、ユウはまた、あれこれと考えながら指輪をひとつずつ手に取る。


(あっ…これかわいいかも…。)


ユウは、真ん中にメインのダイヤが施され、周りに小さなダイヤがちりばめられた指輪を手に取る。


豪華に見えるのに、デザインはシンプルで嫌味がなく、レナの細くて長い指にとても似合いそうだとユウは思った。


「これにします。」


サイズを聞かれてもわからなかったユウは、指のサイズを計るサンプルのリングを貸してもらい、レナの右手の薬指と同じくらいのサイズを探した。


(これくらいかな…?)


「多分、これくらいじゃないかと…。」


差し出されたリングを見て、店員は羨ましそうに言った。


「まぁ…とても細くていらっしゃるんですね…羨ましいです。とてもキレイな手をしてらっしゃるんでしょうね。」


「…ハイ…。」


ユウが照れ臭そうに返事をすると、店員はその

サイズの指輪をショーケースの中から取り出し、丁寧に磨いてユウに見せる。


「では、こちらでよろしいですか?」


「ハイ。」


ケースに入れた指輪をラッピングしてもらい、カードで会計を済ませる。


「もしサイズが合わないようでしたら、お直しいたしますのでいつでもおっしゃって下さい。結婚指輪をお選びになる際は、是非お二人でお越し下さいね。お待ちしております。」


「どうも…。」


ユウは照れ臭そうに頭を下げると、指輪の入った小さな紙袋を、大事そうに抱えて店を後にした。


(レナ、喜んでくれるかな…?)



そのまま家に帰ろうかと思ったユウだが、あちこちでクリスマスソングが流れているのに気付くと、付き合って初めてのクリスマスだから、何かプレゼントをしようかと考えた。


(何がいいかな…。)


洋服はリサの服が一番だと思い、プレゼントの候補から外すことにして他の物を探す。


(難しい…。)


何をプレゼントすればレナは喜んでくれるだろう?


思えば、幼い頃から一緒にいたのに、プレゼントと言う物をあまりしたことがないことにユウは気付く。


誕生日が同じ日の二人は、家で一緒にお祝いをするだけだったし、クリスマスも同じような感じで、プレゼントはテーマパークへ行った時に、指輪を贈り合ったのが初めてだった。


(考えてみたら、初めてのクリスマスプレゼントだ。)


ユウはたくさんの視線を感じながらも、あれこれと考えながらいくつもの店を回って、やっとの思いでプレゼントを決めて店を後にした。


ユウが選んだのは、腕時計だった。


これならきっと役に立つし、なによりレナに似合いそうなデザインの物が見つかって、ユウはホッとしながら家路を急いだ。


(クリスマスプレゼントはクリスマスに渡すとして、指輪はいつ渡そう?やっぱり、早い方がいいかな…。)



家に帰ると、先に帰っていたレナがキッチンで夕食の準備をしていた。


「おかえりユウ、遅かったね。」


「あ、うん。」


ユウはさりげなく自分の部屋に行くと、普段あまり使わない引き出しにクリスマスプレゼントの腕時計を隠した。


(問題はこれだ…。)


さりげなく自然に渡すのがいいのか、何かサプライズ的なことをした方がいいのか?


(いや…。サプライズとか、オレの柄でもないよな…。)


ユウは指輪の入った小さな紙袋を持って、少しドキドキしながらリビングへ向かった。


「もうすぐ御飯できるよ。」


「うん。」


(どうやって渡そう?)


ユウはソファーに座ってさりげなく紙袋をソファーの後ろに隠す。


(食事の後でいいかな…。ソファーでビール飲んでる時にでも、自然に渡そう…。)



食事と入浴を終えると、ユウとレナはいつものようにソファーに並んで座りビールを飲む。


「リサがね、明日の夕方なら大丈夫だって。」


「あ、うん。」


ユウはドキドキしながらソファーの後ろに隠していた紙袋を手に取ると、隣に座っていたレナの膝の上に、そっと乗せた。


「ん?」


「開けてみて。」


レナは不思議そうに紙袋の中を覗き込むと、小さな箱を取り出し、ラッピングをほどいて箱を開けた。


「これって…。」


驚いてユウを見上げるレナの右手を取ると、ユウはその細い指に、そっと指輪をはめた。


「婚約指輪…。本当は左手の薬指にするらしいけど…結婚してもつけててもらえるように、右手のサイズにしたんだ。サイズ、合ってるかな?」


「うん…。ぴったりだよ。」


「良かった。気に入ってくれた?」


「うん…。」


レナはユウから贈られた指輪を見つめた後、幸せそうにユウを見て笑った。


「ありがとう…すごく嬉しい…。」


「改めて…レナ、オレのお嫁さんになって下さい。」


「ハイ…喜んで…。」


二人は微笑み合うと、そっと唇を重ねた。


(良かった…喜んでくれて…。)




翌日の夕方。


ユウとレナは二人そろってリサの職場を訪れた。


退院してから初めてリサに会うことや、今回はいつもと違って、大事な娘との結婚の了承を得るために挨拶に来たことが、ユウを緊張させていた。


(この間の騒動でレナと別れようとして、目一杯心配かけたばっかりだしな…。オマエみたいな男に娘はやらん!!とか言われたらどうしよう…。)


リサに会うのが怖くなるほど、ユウは緊張して落ち着かない。


「ユウ…どうしたの?」


緊張の面持ちのユウを見て、レナが不思議そうに尋ねる。


「いや…。すごい緊張する…。」


「大丈夫だよ。そんなに緊張しなくても。」


レナはユウの手をそっと握った。


「うん…。」


ユウもレナの手を握り返す。


握りしめたレナの右手の薬指には、夕べユウが贈った婚約指輪がはめられていた。


(オレはレナを一生愛して守って行くって決めたんだ。ここで怯む訳にはいかない。リサさんに安心してレナを任せてもらわないと…。)


ユウが息苦しくなるほど緊張のピークを迎えた時、社長室のドアが開いてリサが現れた。


「お待たせ!!」


リサはいつものようににこやかに笑って、ユウとレナの向かいに座る。


「ユウくん、怪我はもう大丈夫なの?」


「ハイ、おかげさまで…。この通り、すっかり良くなりました。」


「それは良かった、安心したわ。」


秘書が3人分のコーヒーを運んでくると、リサはコーヒーを一口飲んで、二人を見る。


「それで、今日は二人そろってどうしたの?」


(ついにこの時が来た…!!)


ユウは緊張で、心臓が口から飛び出しそうになりながら、覚悟を決めてソファーから立ち上がると、リサに向かって深々と頭を下げた。


「その節はいろいろとご心配をお掛けしてスミマセンでした。それで…その後二人でいろいろ話し合いまして…その…。」


ユウは思いきって顔を上げ、まっすぐにリサを見た。


「レナと…結婚、させて下さい。」


(言った…!!ついに言った…!!)


緊張の極限のようなユウの顔を見ると、リサは優しく微笑んで頭を下げた。


「ハイ、娘をどうぞよろしくお願いします。」


(えっ?!意外とあっさり…。)


ユウが拍子抜けして唖然としていると、リサがおかしそうに笑った。


「ユウくん、緊張し過ぎ。」


「あ…いや…。」


しどろもどろになるユウを見て、レナはくすくす笑い出す。


「だから、大丈夫って言ったのに。」


「だってほら…。緊張しない方がおかしいって…。」


「ユウくんがレナをもらってくれるなら、私は安心よ。大事にしてやってね。」


「ハイ、それはもう…!!」


勢いよく答えるユウに、リサは嬉しそうに笑って、レナを見た。


「良かったわね、レナ。小さい頃から大好きなユウくんが、お嫁さんにしてくれるって。」


「うん…。」


レナは幸せそうに笑う。


(一人で緊張して、なんかオレ、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど…。)


「私、結婚式で、リサの作ったウエディングドレスが着たい。ね?」


レナはあっさりとそう言うと、ユウを見て微笑んだ。


「お願いします。」


ユウはペコリと頭を下げる。


リサは嬉しそうに笑って、二人を見た。


「もちろんよ。二人の衣装は私が作る。それが、私の夢だったの。」


「リサさん…。ありがとうございます…。」


(良かった…。レナも、リサさんも、笑ってる…。)


二人の笑顔を見て、ユウは心底ホッとした。


(リサさんも、オレの母親になるんだな…。)


愛しい人の母親が、自分の母親になる。


自分の母親もまた、レナの母親になる。


(こうやって、繋がって行くんだな…。)



ユウは結婚情報誌をめくりながら考えていた。


じっくり読むほどに、何か不思議な違和感を覚えるのは何故だろう?


そこに広がる世界は、自分が思っていたものと少し違う気がした。


講読者のほとんどが女性なのか、結婚を控えて一番幸せな時期だと言われるはずの新婦たちの愚痴が炸裂し尽きない不満が吹き荒れている。


(結婚前からこんなんで、結婚生活はうまくやってけるのか…?)


披露宴の準備で両家の価値観の違いから意見が食い違い、険悪なムードになって破談になったとか…。


婚約前は優しかった新郎の母親が、結婚準備を始めた途端に細かくあれこれと干渉するようになったとか…。


披露宴の席順や余興の順番を決めるときに、一流企業の重役をしている新郎の父親から、家柄や身分などで見下されているのがわかって婚約解消したとか…。


(こんな失敗例ばっかり読んで、誰が幸せになるんだ?!そんなによくあることなのか?)


ユウは思わず結婚情報誌を閉じて投げ出すと、

タバコに火をつけため息混じりに煙を吐き出した。


(結婚って、思ってたよりずっとめんどくさいもんなんだな…。本当はオレ、こういうのはどうだっていいんだよな…。)


レナが指輪を喜んでくれたことは嬉しかった。


リサの作ったドレスを着たいと言ったことも、それを着て隣を歩いてくれるんだと思うと、本当に嬉しかった。


(それ以外、何が必要なんだろ…。披露宴の生い立ちビデオとか…二人のなれそめ紹介とか…全然要らないんだけどな。)


灰皿の上でタバコの灰を落としながら、ユウは思わず唸り声をあげた。


(一体、誰のためにやるんだ?)


ユウがタバコを灰皿の上で揉み消すと、不意に肩の後ろから細い腕が伸びて来て、耳元で尋ねる優しい声がした。


「何、難しい顔してるの?」


「わっ!レナ、いつの間に…。」


ユウは驚いて声をあげた。


「ただいまって言ったよ?聞こえなかった?」


「ごめん、聞こえてなかった。おかえり。」


「ただいま。」


レナはにこっと笑うと、ユウの頬に口付けて、更に自分の頬をくっつけた。


「レナのほっぺた、冷たい!」


「外、寒かったもん。」


ユウはレナの手を引いて、こたつに入っていた自分の膝の上に座らせると、レナの肩や背中にこたつ布団を掛ける。


「あったかい?」


「うん。」


「唇もあっためようかな。」


「うん。」


ユウはレナの冷えた唇を、自分の唇で温めるように優しくキスをする。


「あったまった?」


「んー…まだ…。」


「じゃあもっと?」


「うん…。」


二人は微笑み合うと、また何度も唇を重ねた。


長いキスの後、レナは幸せそうに笑って、ユウにギュッと抱きつく。


「ユウ。」


「ん?」


「私、今、すごく幸せ。」


「ホント?」


「うん。ユウと、こうして一緒にいられるから。」


「オレも。レナと一緒にいると幸せ。」


ユウがそう言うと、レナはユウを抱きしめながら、静かに言った。


「ユウ、無理はしないでね。」


「えっ?!」


一体なんの話かとユウは思いを巡らせる。


「指輪はね、素直に嬉しかったよ。ユウが私のために一生懸命選んでくれたんだって思うと、すごく嬉しかった。」


「うん。」


「指輪…高かったでしょ?」


「いや…大丈夫だよ。」


「ホント?おっきなダイヤが入ってるけど。」


「ホント。レナに一生つけてもらえるなら安いもんだと思う。」


(うん、35万だった!!…とか言わないって…。ロンドンにいる時は金もらっても使う暇なくて貯金ばっかりしてたから、それくらいは全然大丈夫だしな…。)


「披露宴…私は別に、しなくてもいいよ。」


「えっ、なんで?!」


レナの思いがけない言葉に驚くユウ。


「私はね、リサの作ったドレスを着て、ユウの隣で、“ユウを愛して一生添い遂げます”って神様に誓えたらいいよ。それをリサと直子さんに見届けてもらえたらいいの。」


「レナ…。」


「結婚式は小さい教会でもいい。私、人前で生い立ちとか二人のなれそめとか流されるのも、母親への手紙を読まされるのも、正直やだ…。すごく恥ずかしいから…。たくさんの人に見られるのも…やっぱり恥ずかしいの。」


(あっ、そうだった!レナって…。)


「どうせなら、仲のいい友達とか日頃お世話になっている人とか…極親しい人たちを招待してパーティーとか…。みんなで楽しめる方がいいもんね。」


「なるほど…。」


ユウが感心したようにうなずく。


「ねぇユウ。私たちは私たちらしいやり方で、やっていこうよ。他のみんなと同じにしなきゃいけないって決まってる訳じゃないんだから。私たちは私たちなりに、母親への感謝の気持ちを伝えればいいと思う。それから、大好きな人たちに心から祝福してもらえたら、それが一番嬉しいと思うの。」


飾り気のないレナの言葉で、ユウは自分がしっかりしなきゃと思うあまりに、世間の常識とか一般的なやり方ばかりを気にしていたことに気付く。


(ああ…だから、違和感…。)


「オレが悩んでることとか…レナにはなんでわかっちゃうんだろう?」


ユウが不思議そうに言うと、レナはユウの目を見つめて微笑んだ。


「わかるよ…。私、ユウが大好きだもん。」


まっすぐに想ってくれるレナが愛しくて、ユウはレナの体をギュッと抱きしめた。


「さすが、オレの奥さん。」


「奥さん…。」


レナは恥ずかしそうに頬を染める。


「まだ、でしょ?」


「そうだった…。じゃあ、いつにする?」


二人でいつ入籍しようかと相談しながら、ユウは、二人一緒ならどんなことも幸せだと思う。


(幸せって、こうやってひとつずつ二人で作っていく物なのかも…。)











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