戻れない二人
ユウは、テーブルの上に置かれた部屋の合鍵を、ただ呆然と見つめていた。
少しの荷物と仕事用のカメラのバッグだけを持って、レナが、半年間二人で一緒に暮らしたこの部屋を出て行った。
(レナが出て行っても仕方ない…。それだけのひどいことをしたのは、オレなんだから…。)
レナがいない部屋はやけに広くて静かだ。
ずっと一緒にいようと約束したことも、お互いを大切に抱きしめ合ったことも、想いを伝え合うようにキスを交わしたことも、すべてが夢だったのかも知れないとユウは思う。
それでも、レナが確かにここにいた跡が部屋中に残っていることが、ユウの胸をまたしめつけた。
楽しそうに笑った顔、照れて赤くなった顔、怒って無愛想になった顔、ヤキモチを妬いてスネた顔、キスをして欲しい時の甘えたようにユウを見上げる顔…。
どんなレナも、ユウにとってはすべてがかわいくて、たまらなく愛しかった。
ただまっすぐに、純粋に愛してくれたレナを、またこの手でひどく傷付けてしまった。
(もう、オレなんて…生きてる資格もないのかも知れない…。)
夕べ、レナは帰って来なかった。
いつもならメールのひとつもよこすのに、初めてユウに何も言わず、一晩家を空けた。
帰って来てもユウと顔を合わせることもなく、まるで一人暮らしのような部屋は居心地が悪くて、マユの家にでも泊まったのかも知れない、と思いながら、ユウは、レナから何の連絡もないスマホの画面を見た。
ユウは、自分から避けておいてレナが帰って来ないことを気にしている自分をおかしく思いながら、なんとなくスマホでネットニュースの画面を開いた。
「えっ…?!」
そこには、思いがけない文字が踊っていた。
“美人モデルアリシア、人気俳優野崎恭一と、彼には内緒の熱い夜!!”
“ホテルの前で人目もはばからず熱い抱擁”
“ユウに愛想を尽かした?!堕ちたギタリストから人気俳優に乗り換えたアリシア”
(これ…どういうことだよ…?!)
ユウは慌ててその文字を目で追うと、配信元の週刊誌の、ネット配信版の詳しい内容の記事を読んだ。
レナがホテルの前で俳優の野崎恭一に抱きしめられている写真が掲載されていた。
(間違いない…これ、レナだ…。)
その記事には、写真集の撮影がきっかけで親密な関係になった二人が、ホテルの前で人目もはばからず抱き合っていたと書かれていた。
そして、野崎が“レナとはいい関係だ”と言っていると言う。
ユウは、呆然とその画面に映る写真を見つめていた。
(オレ、愛想尽かされたんだ…。もう、新しい恋人までいるのか…。)
海外での撮影は野崎の写真集の撮影だったのだろう。
ユウから離れた場所で、レナと野崎の間に何かが起こっても不思議ではない。
急に外泊をしたり、毎晩帰りが遅かったり…。
もしかすると、レナは野崎と一緒にいたのかも知れない。
(オレのこと、あんなに好きだって言ってたくせに…。やっぱりレナも、オレから離れて行くんだな…。あの女みたいにオレを捨てて…さっさと新しい恋人の元へ行くんだ…。オレのそばにいるって言いながら、本当は…!!)
ユウを襲う嫉妬と絶望、そしてなんとも言えない恨みのような思い。
おかしくなってしまいそうなほど、胸が激しく痛んで、苦しくて、どうしようもない。
ユウが息苦しさに胸をギュッと掴んだその時。
玄関で、ドアの閉まる音がした。
レナが帰って来た。
新しい男と一晩過ごしておきながら、素知らぬ顔でユウの元へ帰ってきたのだと、ユウは湧き上がる感情が抑えきれなくなり立ち上がると、リビングへ歩いて行き、帰ったばかりのレナの腕を強く掴んだ。
「ユウ…?どうしたの?」
突然ユウに腕を強く掴まれたレナは、驚きを隠せない。
ユウはレナの腕を強く掴んだまま、その手を引いて自分の部屋へ向かう。
「痛い…ユウ、痛いよ…。」
レナがそう言っても、ユウはレナの腕を掴む手の力をゆるめない。
「ねぇ、ユウ…。」
「うるさい!!」
ユウはその手で、レナをベッドに投げ出すように押し倒した。
(えっ…?!)
ユウは、何も言わず乱暴にレナの服をたくしあげ、強い力でわし掴むようにレナの体を愛撫した。
「やっ…痛いよ、ユウ…。」
ユウの湿った舌が蛇のように激しくレナの肌を這う。
「お願い、やめて…。」
いつもとは別人のように乱暴にレナを抱くユウに、レナは恐怖を感じた。
「いや、やめて!!」
レナが必死に抵抗しても、ユウは大きな手で強くレナを押さえつけ、強引にレナの中へと入り込んだ。
(どうして?!)
レナはユウとは違う知らない人にそうされているような恐怖と痛みの中で、涙を流した。
すべてが終わると、ユウはベッドで涙を流しているレナに背を向けて、低い声で呟いた。
「これで満足?」
「えっ…?!」
「他の男と一晩過ごした後で、オレの所に戻って来るなんて…その男とオレの体、どっちがいいか比べようとでも思ったの?」
「何言ってるの…?!」
「こんなオレより、いい男見つけたんだろ?」
ユウは冷たい声でそう言うと、振り返って意地悪く笑みを浮かべた。
そしてユウは真顔で、淡々と呟いた。
「いいよ…。どこへでも好きな所へ行きなよ…。オレももう、レナの優しさ押し付けられんのも、泣き顔見んのも、うんざりだ…。お互いこれ以上、無理して一緒にいる必要なんてないだろ?」
「それ…本気で言ってるの?」
「…本気だよ。」
思いがけないユウの冷たい言葉に、レナは、愕然とした。
そして、こらえようのない涙が、レナの頬にいくつもの筋を作る。
「ひどいよ…。やっぱりユウは、私のことちっとも信じてくれてない…。私は、ユウのこと、信じてたのに…。」
レナは乱れた衣服を軽く整えると、涙を拭いながらユウの部屋を出た。
そして、しばらく経った頃、玄関のドアが閉まる音が、ユウの耳に微かに響いた。
レナは、行く先を告げることも、ユウに別れを告げることもなく、部屋の合鍵とユウの車の鍵をテーブルに残し、二人で暮らしたこの部屋を出て行ったのだった。
「行く宛てもないのに…どうしよう…。」
別人のようになってしまったユウを残して部屋を出てきたものの、レナには行く宛てもなく途方にくれていた。
(マユにばかり迷惑かけるわけにもいかないし…でも、リサにも心配かけたくないな…。)
目立たないように帽子を被り、眼鏡をかけてふらふらと街をさまよっていると、大型電気量販店のテレビからは昼のワイドショーが流れていた。
「アリシアさんが…。」
(えっ、私?!)
ワイドショーの司会者の“アリシア”の声に反応したレナが、思わず足を止めてテレビの画面に目をやると、そこにはあの打ち上げの日に訪れた有名ホテルの前で野崎に抱きしめられている自分の姿が映っていた。
(何…?!いつの間にこんな…。)
呆然と立ち尽くすレナの耳に、司会者と芸能レポーターやコメンテーターの声が流れ込む。
「今回のこの騒動ですが、野崎さんサイドはアリシアさんとはいい関係だとおっしゃってますよねぇ。」
(ええっ?!いつの間にそんなことに?!って言うか、いい関係って何?!)
「野崎さんがアリシアさんとの熱愛を認めてらっしゃると言うことは、アリシアさんとユウさんのお付き合いは終わったものと…。」
「まぁ、そういうことになるでしょうね。」
(何勝手なことを…!!)
レナは悔しさのあまり拳を強く握りしめた。
(でも……ユウと終わってしまったのは、本当のことだ…。)
涙が溢れそうになったレナは、慌ててその場から立ち去った。
(もしかしてユウは、このニュースを見たのかも…。)
他の男と一晩過ごした後で、とユウは言っていた。
最近帰りが遅かったことや、夕べレナがユウに何も言わずマユの家に泊まったことも、誤解を招いた要因なのだろう。
(私、全然信用されてなかったんだな…。)
今更弁解をするのもためらわれるほど、レナはユウの言葉にショックを受けた。
(優しさを押し付けられるのも、泣き顔を見るのも、うんざり…か…。)
いつの間にか、そんなにもユウに嫌われていたのだと思うと、悲しくてやりきれなかった。
(どうしてこんなふうになっちゃったのかな?少し前までは、あんなに幸せだったのに…。)
いつも優しく抱きしめてくれたユウ。
大きな手で頭を撫でてくれたユウ。
いつも笑ってレナを愛しそうに見つめていたユウ。
レナかわいい、好きだよ、と言ってキスしてくれたユウ。
宝物を扱うように、大切そうに優しく抱いてくれたユウ。
(私の大好きだったユウが、知らない人みたいになっちゃった…。)
あんなに乱暴に強引に抱かれたことなど、今まで1度もなかった。
冷たい声でひどい言葉を吐くユウは、まるでレナがニューヨークへ行く日の明け方に、レナを強引に押し倒した時のユウのようだった。
あの時ユウは、泣いて拒むレナを途中で解放した。
でも今日は…どんなにレナが拒んでも、何を言っても、痛がるレナを押さえつけて、最後まで離してはくれなかった。
(ユウはもう、私のこと愛してないから…あんなふうに乱暴にしたのかな…。)
考えるほど胸が痛くて、レナはもう、どうしていいのかわからなかった。
(ユウが望んでくれないなら、私、もう…ユウのそばにはいられないよ…。)
悩んだ末、レナはリサの職場を訪れた。
リサに電話をしても、なかなか本題を切り出すことができなかったレナだが、リサは何も聞かず、見せたい物があるから会社に来るようにと言ったのだった。
「レナ、待ってたわよ。」
リサは、笑ってレナを出迎える。
「やぁね、疲れた顔して!どうせ持ち帰った仕事、夜遅くまでしてたんでしょ?」
レナは何も言わず曖昧に笑みを浮かべた。
「それで…見せたい物って…。」
「ああ、こっちよ。ついてきて。」
リサのアトリエに足を踏み入れると、トルソーに着せられた真っ白で華やかなドレスがレナの視界に飛び込んできた。
「これって…。」
「ウエディングドレスよ。どう?」
「……うん…。」
「あれ?気に入らない?」
「ううん、素敵だよ…。でも…。」
レナの目から、ポトリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「誰かのためにこれを着ることは、一生ないかも知れない…。」
リサは、うつむいて静かに涙を流すレナの肩を抱いて、優しく頭を撫でた。
「何があったの?」
「ユウに…嫌われたみたい…。一緒にいる必要なんてないって…。」
母親である自分の胸で子供のように涙を流すレナを見て、リサは思う。
今まで、こんなことはなかった。
レナは母親のリサの前でさえ、何があっても弱音を吐いたり、涙を見せたりすることが1度もなかったのだ。
(レナ…よほどつらいのね…。)
ユウと暮らし始めた頃から笑顔が増え幸せそうにしていた娘を、リサは微笑ましく見ていた。
このまま二人で幸せになってくれたらと、いつか二人の結婚式のドレスやタキシードも自分がデザインして…二人に子供ができたらその子のためにベビー服を作って…と、リサもまた娘の幸せな未来と、その大切な家族が増えることを夢見ていた。
「どこか行く宛てでもあるの?」
レナは静かに首を横に振る。
「バカね、遠慮なんかしなくていいのに…。私たち、親子でしょ?こんな時くらい、母親を頼りなさい。」
「うん…。」
リサはレナの頭を撫でると、静かに微笑んだ。
「私は何があっても、レナの母親だからね。」
「うん…。」
レナは涙を流しながら、何度もうなずく。
ずっと仕事で多忙だったリサを気遣い遠慮して、レナはリサに甘えたことなどなかった。
レナは、リサの何気ない優しさや温かさに包まれているような気がした。
何も言わずとも、娘の様子を見て気持ちを察してくれるリサは、今までも、きっとこうして見守っていてくれたのだと思うと、ユウと別れて冷えきっていたはずのレナの胸は、じわりと温かくなった。
その晩レナは、リサの運転する車でリサの住むマンションに連れて行かれた。
久し振りにリサと二人でキッチンに立ち、一緒に料理を作り、食卓を囲んだ。
「レナ、お風呂に入ってらっしゃい。」
夕食を済ませると、リサはレナにお風呂をすすめ、キッチンで後片付けを始めた。
レナは、お風呂に浸かりながら考える。
リサと二人で一緒に食事をしたのはいつ以来だっただろう?
特に、ユウと暮らし始めてからはたまにしかリサと会わなかった。
(母親って…寂しくないのかな…?リサは独身だし、仕事終わったら一人だよね?)
普段のリサはどんなふうに暮らしているのだろう?
高校を卒業するまで、レナは幼少の頃から住み慣れたマンションでリサと一緒に暮らした。
大学に進むとレナは大学のすぐそばのマンションで一人暮らしをし、リサは東京で会社のそばにマンションを購入した。
大学卒業後、須藤の事務所に勤めることになったレナは、上京して通勤に便利な場所にマンションを借り、一人暮らしをしていた。
レナがニューヨークから戻った後はユウと暮らし始め、仕事以外の時間はほとんどユウと一緒に過ごした。
(考えてみたら、リサと一緒に過ごした時間って、ほんのわずかなのかも…。ユウがロンドンに行く前までは、リサよりユウと一緒に過ごした時間の方が長いくらいだもんね…。)
それでもレナはリサを信頼しているし、リサもレナを愛し温かく見守ってくれる。
(それって、親子だからかなぁ…。血の繋がりとか親子の絆ってやつ?)
男女の仲とは全然違うものだろうかと自分の腕に視線を落とした時、レナは腕にアザを見つけた。
それはユウに強く腕を掴まれた跡だった。
不意にユウのことを思い出す。
(一緒に暮らしていても、ユウは私を信じてくれなかった…。)
ユウはどうしているだろう?
何を考えているだろう?
(ユウは…私がいなくなったことなんて、なんとも思ってないのかも…。)
また、レナの目に涙が込み上げてくる。
(もう、ユウと…元のようには、戻れないのかな…?このまま本当に、別れちゃうのかな…。そんなのいやだよ…ユウ…。)
“離れたらダメ”と、マユに言われたことを思い出す。
でも、どんなにレナが手を伸ばしてもユウは遠くへ離れてしまう。
そして、ユウからレナに近付いたと思ったら、嫌がるレナを押さえつけて乱暴に傷付けた。
(もう、どうしたらいいのかわからない…。)
レナは湯船の中でひとしきり泣いた。
レナの涙は頬にいくつもの筋を作り、やがて浴槽のお湯の中に消えていった。
「レナ、もう寝る?一杯どう?」
「ん…もらおうかな。」
リビングのソファーでぼんやりしていたレナはお風呂上がりのリサからビールを受け取った。
二人でソファーに並んで座り、ビールを飲む。
「あーっ、おいしい!!」
リサは勢いよくビールを飲むと満足げに笑う。
「一緒に飲むの、久し振りだね。夕飯も久し振りだったし。」
そう言ってレナはゆっくりとビールを飲む。
「そうねぇ、私も忙しいし。」
「うん…。」
わずかな沈黙の後、リサが静かに話し始めた。
「あのね、レナ…。大事な人に伝えたいことは…今、伝えておかないと一生後悔するかも知れない…。」
「えっ?!」
唐突なリサの言葉にレナは困惑した。
「あなたの父親の、ケンの話…私、したことないでしょ?」
「うん…。」
リサは缶ビールを持つ手元を眺めながら懐かしむような目をして笑う。
「ケンはね、父親が日本人で、母親がアメリカ人。私とは逆ね。日本で生まれ育って、大学生の時に留学生としてアメリカに…ロサンゼルスに来て…私と知り合ったの。留学期間を終えて大学を卒業した後、結婚しようって、私を迎えに来てくれてね…。その2年後にレナが生まれて…レナが2歳になる頃に、日本にいるケンの両親のそばで暮らすことになって…それであのマンションに住み始めたのね。」
「うん…。」
「ケンが外に働きに出掛けて、私は家でレナの服を作ったり…レナと二人で彼の帰りを待って…。休みの日にはケンの両親と食事をしたり、家族で出掛けたり…楽しかったわ…。」
リサは遠い日の記憶を愛しげに語る。
「レナがもうすぐ4歳になる頃、ケンの誕生日の2日前だったわ…。夜中急に彼に服を作ってあげたいと思い立って、夜遅くまで作業に取り掛かってたら、翌朝うっかり寝過ごしてしまったのね。私が目覚めた頃には、彼は私を起こさず仕事に行ってしまった後だった…。その日は金曜日で、夜に彼の両親をうちに招いて誕生日のお祝いをしようって約束してたのね。」
そこまで話すと、リサは少し悲しげにうつむいた。
「私はプレゼントしようと洋服を仕上げて…たくさんの料理を作って、彼の帰りを待ってたの…。でも…仕事帰りに、ケンが両親を乗せた車でうちに向かっている途中で、居眠り運転のトラックに正面衝突される事故が起こって…ケンも、両親も、亡くなってしまった…。」
リサはしばらくの沈黙の後、また静かに話し出す。
「帰って来るのが当たり前だと思っていたのに、突然大切な人を3人も一度に亡くしてしまって…。言いたかったことも、してあげたかったことも、まだたくさんあったのに…もう、帰らぬ人になってしまったの…。せめて朝寝過ごさず行ってらっしゃいのキスをして、愛してるって言えば良かったって、ずっと悔やんで…。だからね、レナ。レナがユウくんに伝えたいことがあるのなら、伝えておかないと一生後悔するかも知れないって、私は思う。」
「うん…。」
「私にはレナがいたから、ここまで頑張って来れた。ケンが私のために残してくれた保険金とケンの両親の残してくれた遺産で会社を立ち上げて、ケンが残してくれたレナを守るために必死で頑張って…。レナには寂しい思いもさせたけど…レナには私しかいないんだからって、私にもしものことがあった時には私の築いてきた物すべてをレナに残せるようにって、つらい時も歯を食いしばって、ここまで来たの。」
「うん…。」
レナは目に涙を浮かべてうなずいた。
いつもリサが家にいないことが寂しいと思った時もあった。
それでも自分はリサの大きな愛情に包まれていたのだとレナは思った。
「私はね、大切な人に着てもらいたいと思って洋服を作ってる。だから、私の作った洋服は、レナが着て初めて完成するのよ。」
リサは柔らかく微笑むと、レナの肩を優しく抱きしめた。
「あのウエディングドレスは、レナが着てくれたらいいなと思って作った。今度、ブライダルファッションショーに出展しないかって声をかけてもらってね。レナが人前に立つことが苦手なのはわかってるから、まだ返事はしてないけど…でも、このドレスを着てレナが笑ってくれたらいいなと思いながら作ったの。もし、レナが嫌なら、私は無理強いする気はないわ。」
「うん…。」
「でも私はやっぱり、一度は見てみたいな。ウエディングドレスを着て笑うレナは、キレイでしょうね…。」
「少し、考えさせて…。」
「そうね…考えてみて。レナの気持ちが、私には一番大事だから。」
その夜、レナはリサのベッドで一緒に眠った。
リサと一緒に寝るのは何年ぶりだろう?
レナは温かいリサの体温を感じながら眠りに落ちる前に、誰かのために着ることはないかも知れないけど、リサのためにそのドレスを着るのも悪くないのかも…と思った。
ユウは、薄暗い部屋で一人、ぼんやりとソファーに身を沈めていた。
レナが出て行って、何日経ったのだろう?
もう自分のことなど忘れて、新しい恋人と幸せな時間を過ごしているのかも知れない。
(こんなことになるなんて、思ってもみなかった…。)
悔やんでも悔やみきれない思いが、鋭利な刃物のようにユウの胸を痛め付ける。
“ユウは私を信じてくれてない。”
そう言って泣いていたレナを思い出すたび、また胸が激しく痛んだ。
週刊誌の記事を鵜呑みにして、レナの言うことなど聞かなかった。
もっと、レナを愛したかった。
もっと、レナに愛して欲しかった。
でも、レナにいつか捨てられるのではないかといつも怖れていた自分が、レナを遠ざけ、この手でひどく傷付けてしまった事実はどうやっても変えられない。
(あの時…地獄に堕ちてもいいからレナをくださいなんて祈ったから…バチがあたったのかも…。)
薄暗い部屋にチャイムが鳴り、誰かの訪問を知らせる。
ユウは誰にも会いたくなくて、何度もうるさく鳴り続けるチャイムの音を無視し続けた。
玄関のドアが開き、苛立ったような声がした。
「ユウ、いるんだろ?」
その声の主は勝手に部屋に上がり込み、リビングでぼんやりとうずくまっているユウに近づいて来る。
「いるなら返事くらいしろよな!!」
「シンちゃん…。」
シンヤはカーテンを開けるとユウの隣に座る。
「レナちゃんは?」
「出てったよ…。」
ユウの言葉に、シンヤは驚きを隠せない。
「今頃、新しい恋人の所にでも行ってるんじゃないか…。」
シンヤはユウの胸ぐらを掴み、ユウの頬を殴り付けた。
「痛いよ…。」
「バカか、オマエは?!レナちゃんがそんなことするわけないだろ?!」
「だってさ…。俳優のなんとかって男と抱き合ってたり、急に帰って来なくなったり…。」
「何言ってんだよ、あんな記事嘘に決まってるだろうが!!それにレナちゃんはマユの家に泊まっただけだ!!」
「え…?」
シンヤはユウから手を話すと、マユから聞いたことをユウに話し出す。
「写真集の撮影で野崎にしつこく迫られたのは事実だけど、レナちゃんがよろけて倒れそうになったのをアイツが抱き止めて、しつこく抱きしめられて嫌な思いしたって!!家に帰ってもオマエが顔も合わせてくれないって、ユウに嫌われたみたいだって言って、レナちゃん泣いてたって!!」
「……。」
すべては自分の思い違い…。
ユウは呆然とシンヤを見つめる。
「なんでオマエは思ってること、ちゃんと話さないんだよ?なんのために一緒にいたんだ?!」
「オレ……オレは……!!」
ユウの目に涙が溢れた。
「いつも、レナにいつか捨てられるんじゃないかと、怖かった…。レナもいつかあの女みたいに…!!」
「あの女…?」
シンヤはただならぬユウの言葉に眉を寄せる。
「話してみろよ…。少しは楽になんだろ?」
「シンちゃん…。」
ユウは、口元をギュッと結んだ後、静かに話し始めた。
「シンちゃん…オレは、生まれて来てはいけない子供だったのかも知れない…。」
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