(7)「……純愛ってなんだ?」

 

「売れた」

 文化祭も終わり、DVD販売を開始してから一週間後、部室に向かおうと帰り支度をしていた私に、ハルヒコが短く話しかけてきた。

「で、あと、三十枚まで何枚なの?」

「いや、完売したんだよ」

「マジで?」

 表立ってDVD販売を宣伝するわけにはいかないので、あくまで、SOS団員を窓口としていたのだが、私のところにはクニとグッチ以外には一人も購入の声をかけてくる人はいなかった。だから、相当な長期戦になると思っていたのだが、一週間で完売だったら、もっと枚数を増やせばよかったんじゃないかと思う。

 なお、限定三十枚販売とうたっているが、実際は四十枚製作されている。私たち団員と、友情出演つるやさんの見本盤の分もあるからだ。もともと、つるやさんは予約購入する予定だったが「撮影に協力してくれたつるやさんに売るわけにはいかない」とハルヒコが妙な男気を見せたのである。そうなると、ほかの友情出演者にも渡さなければならなくなるわけだが、私は弟にこの映画を見せたくはなかった。どう考えても、姉の威厳が崩れるとしか思えない。だから、そのDVDは私の部屋の奥深く、弟の手の届かないところにしまってあるのである。

「よく、あんた相手に声かけてきたわね」

「まあ、まとめ買いだったからな。あの、古泉の特典映像が話題になってるみたいで、それを聞きつけたやつが、一気に買ったんだよ」

「ああ、あれはすごかったね」

 みつる先輩とイツキによる特典映像は、あのあと部室で撮影された。以前、ハルヒコが言ったとおり、両者に好きなように撮らせたものである。

 みつる先輩は部室に持ち寄ったボードゲームを紹介するという内容だった。ドイツはボードゲーム先進国とか、ドイツのゲーム大賞受賞作がこれだとか、ゲルマン民族は偉大だとか、そういうオタクな内容である。ファンクラブの皆さんが喜ぶことをすればいいのに、みつる先輩は自分の趣味を高らかに主張してしまったのだ。

 しかし、その映像のみつる先輩は、やっぱり愛らしかった。必死でゲームのすばらしさを宣伝してるのに、ゲームの魅力よりも、みつる先輩の表情に関心が向かってしまうのだ。画面外のハルヒコの「10分すぎたぞー」という声に動揺して早口になってしまうところとか、本当に愛らしい。

 以前、みつる先輩は「僕をオタクって言ったら、オタクの人に失礼だよ」と言っていたが、その映像を見ると、何となく合点がいった。オタクの人は、趣味を語るとなると我を忘れて見苦しい醜態をさらすものらしいが、みつる先輩はそうではないのだ。なぜかというと、いざとなれば、ごめんごめんと舌を下げて照れ笑いをしたら、たいてい許してもらえるからである。美少年ゆえの甘さがみつる先輩にはあって、だからオタクになれないのだ。

 これを見たみつるファンの人も、この映像を喜んで見ながらも、そのオススメのボードゲームをプレイしようとは考えないはずだ。これならば、私とイツキをまじえて、実際にプレイしているところを映したほうが宣伝になったはずである。

 いっぽうのイツキだが、私が恐れていた、発禁覚悟のセクシー全開ムフフ映像とは大いに異なるものだった。

 イツキはただ、曲に合わせてダンスをしただけである。スカートが短いので、下着が見えた瞬間があったかもしれない。ただ、そんなことよりも、彼女の動きに、見る者は心を奪われたはずだ。親友を自認していた私も知らなかったのだが、彼女はめちゃくちゃダンスがうまかったのである。

「あれさ、十回以上、撮り直したんだよな」

「そ、そうなの?」

「古泉は秘密にしろ、と言ってきたけど」

 その特典映像撮影には、本人とハルヒコだけが参加していたので、私はそれを撮った経緯を知らない。

「へえ、そんなふうにはとても見えないけど」

「ああ、あくまでも、一発撮りらしく見せたかったみたいだ」

「実際は、あれ、十回目ぐらい踊ったあとだったんだね」

「いや、採用したのは、四回目ぐらいのテイクだった」

「え?」

「そのあとのほうが動きにキレがあっていいと思ったんだが、古泉は『これぐらいが素人っぽくていい』との一点ばりで」

 いや、アンタも素人じゃないのか、イツキちゃん。

「俺さ、アイツに言ったんだよ。これ、どっかのオーディションに送ったら、いいとこまでいくんじゃないかって。アイツ、絶対、芸能人とか目指してるだろ?」

「そうかもしれない」

「でもさ、アイツ、それに首を振って言ったんだよ。自分は芸能人よりも、もっとなりたいものがあるって」

 ほほう、それは興味深い。親友の私にも話さないイツキの将来の夢ってなんなのか。

「……女子大生になりたいってさ」

「そ、そうなの?」

 あまりにも平凡な答えに、私も驚いてしまう。

「ああ、芸能人よりも女子大生になりたいって、意味不明だろ?」

「うーん、でも、言われてみれば、納得できるかも」

「そりゃ、アイツの今の成績じゃ、国立どころか私立も厳しいかもしれないけど、大学なんて、そこそこがんばったら誰でも行けるだろ? 芸能活動しながら大学に受かった芸能人なんて腐るほどいるし」

「あんた、知ってる?」

「なにが?」

「イツキってさ、分数の計算できないんだって」

「はぁ?」

「約分とか通分とか、全然わからないんだって。私も言われて唖然としたわよ」

「そ、そうなのか」

 映画制作の合間に、中間テストの勉強をしていたときのことだ。イツキは私が教えることを「わかった、わかった」と軽く答えながら、そういう話をしてきたのだ。

「……よく、この高校受かったよな、それで」

「そうなんだよ。それだけじゃなくて、私たちが小学生のときに学んだ当たり前のことを、イツキはまるで知らないんだよ」

「へえ」

 つまり、イツキは小学時代に、ほとんど学校に行ってなかったのだ。それがなぜなのかは、まだ話してくれないけれど。

「だから、はっきりいって、勘で解いてるようなもんなんだよね。基礎となる知識がなくて、その応用問題ばかりやってるわけだから」

「そりゃ、ズル休みもしたくなるだろうな」

「だからさ、イツキがいま芸能人になったりしたら、きっと、大学受験なんてできないと思う。それがわかってるから、あくまでも、学校生活の範囲で楽しんでるんだよね。SOS団の活動だって」

「なるほどな」

 はたして私のような者が勉強を教え続けて、イツキの成績が伸びるかどうかは不安だ。家庭教師を雇ったほうがいいと思うのだけれど、彼女の家庭事情とか、私、あまり知らないし。

「まあ、そんな古泉のおかげで、なんとか赤字はまぬがれそうだ」

「でも、三千円で売ったんだよね」

「ああ。さすがに五千円じゃ無理だ」

「じゃあ赤字じゃん」

「問題ない。徴収した部費があるから、長門にレンタル代金を払っても、ちょっとは手元に残る」

「ちょっとって、旅行できるほどはないよね?」

「当たり前だ。まだそんなものを夢見てるのか」

「そんなことないよ、ただ言ってみただけだって。まあ、打ち上げとか、するんでしょ?」

「打ち上げ? それよりも、この部費を使ってだな……」

「いやいや、打ち上げに使うべきよ」

「でも、打ち上げってなにをするんだよ」

「カラオケでも行けばいいじゃん」

「いいな、それ。で、みつるにあの曲をずっと歌わせるとか」

「あんた、カラオケ行ったことないの?」

「行くわけねえだろ、あんなもん」

「ふぅん」

 いつも偉そうにしているくせに、こいつ、カラオケにすら行ったことがないのか。

 でも、バカにする気にはなれなかった。それもまたハルヒコの個性だ。みんながカラオケに行っているときにも、宇宙人なんかを探したりしていたから、今のハルヒコがあるわけで。

「……ところで、キョン子。あの映画を作って、一つ疑問があるんだよな」

「そういうことなら、長門くんにきけばいいんじゃ」

「いや、技術的なことじゃなくて、もっと根本的なことなんだけど」

「なに?」

 やけにマジメな顔をしてきたハルヒコに、私は思わず身構えてしまう。

「……純愛ってなんだ?」

 しかし、その問いはあまりにも幼稚だった。私はたまらず吹き出しそうになる。その表情を見て、ハルヒコは機嫌を悪くしたみたいだった。

「何がおかしいんだよ」

「だって、あんた『純愛ファイターみつる』って映画、作ったじゃん」

「そうだけどな」

「さすがにガキっぽいよ、その質問は」

「なにオトナぶってるんだよ。わからないことを質問するのがガキっぽいっていうんなら、俺はそれでもかまわない」

 いやいや、高校生ともあろうものが、異性に対して、そういう質問をぶつけることはどうかということなのだが。

 そうそう、中間テストでハルヒコなりに悲惨な点をとった反省からか、しばらくの彼は勉強漬けになった。放課後も、部室に行かずに、先生に質問しに行く。その態度のおかげか、すっかり、先生たちのハルヒコ株は上がったらしい。進学校というのは、多少の問題があっても、立派な大学に入れば、それですべて許されるのだ。

「で、笑ったからには、おまえ、答えられるんだよな。純愛がなんたるか」

「うーん、勉強とかスポーツとか、みんな、いろいろがんばってるじゃん」

「そうだな」

「で、純愛ってのは、恋愛にがんばるってことで」

「はぁ?」

 ハルヒコがバカにしたような目つきで私を見る。

「なにがおかしいのよ」

「だってさ、恋愛ってがんばるほどのものか?」

「な、なに言ってんのよ、あんた」

「だいたいさ、ああいうのって、がんばればがんばるほど嫌われるもんだろ? 意識すれば意識するほど、うっとうしいって嫌われるのが人間関係じゃないか」

「そういうところもあるけどさ、だから、恋愛ってものが難しいわけで」

「だろ? マジメに考えるほうがバカなんだよ」

 はぁ、と私は深い溜息をつく。こいつはまるでわかっていない。出会ってから半年がすぎたけど、肝心なところはまるで成長していない。私は意を決してこう叫ぶ。

「あんたは、恋愛に対する認識が甘すぎる!」

「……なっ」

「押してばかりじゃ、嫌われちゃうのが現実。だから、いろんな駆け引きが大事となってくるのよ。相手のペースに合わせるだけじゃなくて、ちょっと突き放したり、追いかけてくるのを待ったりとか」

「そうなのか。まるで、マラソンだな」

「そうね、恋愛はマラソンに等しいものよ。そこには、あんたの知らない様々なテクニックがあるわけよ。あんたが言ってるのは、マラソンを見て、最初から全力疾走すれば勝てるだろ、というぐらい非現実的なものよ」

「なるほど、マラソンではスパートのタイミングが勝負の分かれ目だ。早すぎても遅すぎてもいけないし、そのために余力を残しておかないといけない。ううむ、恋愛とは、そこまで奥深いものだったのか」

「……って、あれ?」

「どうしたんだよ」

 すっかりハルヒコを言い負かして得意になっていた私だが、よく考えると、根本的にまちがっている気がしてきた。たしかに、そういう駆け引きが恋愛に必要なのは事実らしいが、それは純愛じゃなくて、その対義語である大人の恋愛って感じだ。純愛っていうのは、もっとこう……。

「ご、ごめん。恋愛ってのは、言うなればマラソンかもしれないけど、純愛はもっとガムシャラなものなのよ」

「つまり、恋愛は長距離走で、純愛は短距離走だと」

「そう言ったほうが、しっくりくるかも」

「じゃあ、才能があるやつに勝ち目ないじゃないか。短距離走なんて、結局は生まれ持った才能で決まっちゃうところがあるし」

「ま、まあ、そうだけど」

「俺は純愛よりも恋愛派だな。長距離の心理戦のほうが面白い」

 そんな意味不明なことを言って納得するハルヒコ。ヤバい。このままでは、恋愛を完全に誤解した男子を一人世に送り出すことになってしまう。

「ちょっとそういうことは抜きにしてさ、あんた、映画作ってたとき、ひたむきだったじゃん。まわりのことも見えずに、ガムシャラに作ってたじゃん。それを恋愛に向けることが純愛なのよ」

「うーむ、恋愛って、それほど大事なものだと思わないのだが」

「大事なものよ!」

 私は高らかに主張する。

「恋愛の延長線には結婚があり、その先には新たな家庭があり、それが次の世代への架け橋となるのよ。恋愛ほど、大事なものは、この世にないといっていい!」

「そうか?」

「はぁ?」

 あまりにも軽いハルヒコの返事に、私は面食らってしまう。

「そりゃ、恋愛が大事なヤツだっているだろう。結婚して、家庭を作って、それで幸福だというのも、生き方のひとつだ。でも、俺はそうじゃない!」

 ハルヒコは私に向かって、そんな強い口調で話し続ける。

「俺は、そんな個人の幸せよりも、もっと強いなにかを求めてるんだよ。人類全体を震撼させるような!」

 私はあきれた。心底あきれた。ああ、こいつと結婚するやつは不幸しかないと思った。家庭をかえりみずに、宇宙人とかを探してるバカ亭主。でも、そのまなざしはとても真剣なもので、嫁はコロリとだまされてしまうのだ。

「って、話が大きすぎるのよ、あんた」

「いいじゃないか。それぐらいの心構えじゃないと、SOS団団長なんて、やってられないぜ」

「まあ、とりあえずは、SOS団の活動もお休みじゃないの?」

「なにいってんだ。まだまだこれからだろが」

「まさか、映画をまた作ったりはしないよね?」

「そりゃ、今すぐってことはないけど、今回の経験をいかして、また、いろいろ作りたいな。今度は、金儲けじゃなくて、もっとまともなやつをだな」

「あんたのまともって、ロクな予感がしないんだけど」

「そうだな。新入生がくるときまでは、映像を作りたい」

「団員募集はしめきってるとか言ってなかったっけ?」

「それは今年の話だ。来年になれば、いきのいいやつがいるかもしれないし、そういうやつをひきつけるための映像を作らなければならないと思ってる」

 やれやれ。この行動力の源は、いったいなのだろう。今回の映画制作で、いろいろ苦労したはずなのに、全然懲りていないじゃないか。

「そうだな。今度は、もっと不思議な体験談を募集できそうなやつがいい。口に出すのも恥ずかしいような常識外れなことでも、この人たちならわかってもらえると思えるような。よし、今日の議題はそれだ」

 そういって、私を無視して歩き出す。ああ、こいつは、本当にどうしようもないヤツだ。

「おい、キョン子。なにしてんだよ、早く来いよ」

「はいはい」

 そして、それにさからわらない私がいるのだった。何しろ、油断すると、あの映画みたいにラスボスに仕立てあげられたりするのだ。こいつにとって、私は何をしても許される存在なのだ。

 あのようなたくらみを阻止するために、私はハルヒコについていくのだ。だいたい、あの映画でのひどい扱いを許すつもりはない。幸いにも、あのロケで撮った写真のなかには、映画本編では使わなかった、ひどい表情のハルヒコの写真もある。それを使って、いつしか復讐することを決意しながら、私はハルヒコの後ろを歩くのだった。

 

 

 

【涼宮ハルヒコの溜息・終わり】

 

 

⇒涼宮ハルヒコの退屈(キョン子シリーズPart3)に続く

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涼宮ハルヒコの溜息(キョン子シリーズPart2) 佐久間不安定 @sakuma_fuantei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ