(4)「これで、誰も文句ないわね」
文化祭当日、私たちは視聴覚準備室で、上映時間を待っていた。
上映会の舞台である視聴覚室は、合同授業をすることもあってか、100人近くが座れるようになっている。私たちは、その机の上に、学校中に掲示したポスターの残りを並べている。あとは、観客を待つのみである。
我が北高には映画研究部なんてものはなく、自主制作映画を文化祭で上映するのは、私たちSOS団のみだった。しかし、上映は一回かぎり。というのは、タイトルだけで話の筋がわかるような、ありがたい映画を上映することが決まっていたからで、私たちはその間隙を縫う形でしか、時間が与えられなかったからだ。
「来ないな、客」
ハルヒコが腕組みをする。準備室から前方の視聴覚室の様子を見ることはできるが、入場者は十人、全員女子である。みつる先輩は、その女子の相手をしている。言うまでもなく、彼女らはみつるファンクラブの皆さんである。
つまり、ファンクラブ以外に客が一人も来ていないということだ。ハルヒコは「あのポスターを見たら、相当な客が来るだろう」と楽観視していたが、この惨状である。SOS団員は友達が少ない連中ばかりなので、第三者に期待するしかないのだ。これならば、クニとグッチを誘っておけばよかったと思う。
「しかし、会長さんはあいからわずだな」
ハルヒコは視聴覚室を見ながらつぶやく。会長というのは、生徒会長のことではなく、みつるファンクラブ会長さんのことである。映画制作に追われていた十月、我が北高では生徒会役員選挙があったのだが、私たちは誰も興味をいだかなかった。進学校で生徒会役員をつとめるのは、内申点目当ての人ばかりだし、たいした権限はない。私ですら、前生徒会長と現生徒会長の名前を覚えていないぐらいだ。
だからこそ、ハルヒコはわざわざ自分の部を作ったのだが、学校内の知名度でいえば、涼宮ハルヒコよりも、みつるファンクラブ会長さんのほうが有名だろう。会長が団長に勝っているのが、北高の現状なのである。
みつるファンクラブでは、月一回のお茶会を開催している。地区会館の会議室を借りて行われるそのお茶会では、みつる先輩がいれたお茶を、ファンクラブの皆さんはありがたく飲んでいるらしい。私は部室で「うむ」と当然のように飲んでいるが、SOS団員でなくなれば、ファンクラブに入って会費を払わないと飲めない代物なのである。
「いつも思うんだが、なんであんな人が、みつるのファンクラブ会長なんかやってるんだ?」
準備室には、私とハルヒコとイツキの三人が待機している。長門くんは受付係として、視聴覚室の入口でSF小説を読んでいる。
「あんな人って?」
「だって、あんな美人だろ? その気になればどんなヤツでも付き合えるはずなのに」
「団長、ここに女の子二人がいるのに、他の子を美人っていうのはどうかと思うけど」
「いや、古泉とはタイプがちがうじゃないか、会長は」
そう、みつるファンクラブの会長さんは美人なのだ。我が北高でもっとも黒髪ロングが似合う女子といっていい。しかも、立ち振る舞いや言動にも気品があった。そんな人が、みつるファンクラブの会長をしているのである。
だから、お茶会もひどく上品なものらしい。SOS団の活動に支障をきたさないように、その日程はあらかじめ私たちにも伝えられていたが、その際、いつもみつる先輩は「あれ、ここのように気楽にできないから疲れるんだよね」と言いながら、ニヤケ面をしているのだ。
まあ、あの会長さんにアイドル扱いされるんだから、まんざらでないのはわかるが、私はともかくイツキに対して、そういう表情を続けるのはどうかと思う。
今だって、ファンクラブの皆さんに囲まれたみつる先輩は、営業用かもしれないが、笑顔を浮かべているわけで、それをイツキはじっと見ているのである。これは、ちょっとした修羅場ではなかろうか。
「まあね、あたしも、あのヒトがいたから、こんなカッコしているようなものだし」
「え?」
イツキのなにげない言葉に、私とハルヒコは驚いて、同時に声をあげる。
「もしかして、イツキちゃんって、髪の色抜いたの、高校に入ってから?」
「ううん、北高に入学する一日前、だったかな」
「そうか、古泉って高校デビューだったのか」
「ちがうわよ、団長。あのヒトとは知り合いだったから、入学式のときに、あっと驚かせようと思ってね」
「知り合いって?」
「キョン子ちゃんには言ってなかったっけ? あたしが北高に入ったのは、あのヒトがいたからなんだって」
そういえば、そんな話を聞いたことがある。知り合いの先輩がいて、その人だけを頼りに北高に入ったという話。イツキと仲良くなっても、その先輩が誰なのか教えてくれなかったし、私も気にしてなかったのだけれど、まさか、みつるファンクラブの会長さんだったとは。
「でもな、古泉。そういうことで髪の色変えるのはどうかと思うぞ」
「だって、負けたくなかったから」
そう言って、イツキは会長さんを見る。
ちょっと待て、勝ち負けってどういうことだ? 結果的に、イツキは会長さんのアイドルの唇を奪ったことになる。ああ見えて、みつる先輩は意外とガードが固い。どんなときでも話に付き合ってくれるけど、あと一歩踏みこもうとすると、軽くいなされる。イツキだって、あのラストシーン撮影までは、みつる先輩の隣に座っていても、触れそうなぐらい近寄ることはなかった。私なんか「キョン子さん」と呼ばれてるだけで調子に乗っているけど、みつる先輩とそれ以上の仲を目指すとなると、見当がつかない。
そう、ハプニングを起こさないかぎり。
SOS団に入ってからのイツキちゃん物語は、近くにいた私が考えているものと、まったく異なるものであったのかもしれない。
「……ということは、おまえ」
さすがに、鈍感なハルヒコも気づいたようだ。しかし、イツキは表情を変えずに言う。
「あのさ団長、歌であるじゃん。『私は人ごみに流されて変わっていくけど、あなたはあの頃のままでいて』って」
「ああ、女の都合よい妄想を押しつけた歌詞だよな、あれ」
「あのヒトにとって、みつる君とは、そういうものだと思うのね」
「古泉、そういうものって、どういうものだよ」
「あのヒトは、アイドルが欲しかったんだよ。しかも、自分の手が届くぐらい身近で、大人たちに管理されていないアイドルが。それに、みつる君が選ばれただけにすぎなくて……。だから、みつる君と彼氏になろうとか、独り占めしようとか、そういう気持ちはないんだよね」
「そういうものなのか?」
「まあ、そのアイドルがほかの女子とキスしているのを知ったら、絶対に許さないと思うけどね。あのヒト、思いこみが強いところがあるからなあ。ノーマークだった後輩にとられたとなると、そいつをナイフで刺して、自分も死ぬってこともありえるぐらい」
おいおい、涼しい顔で怖いこと言わないでくれよ、イツキちゃん。でも、あの会長さんだったらやりかねない。そして、そのことを、イツキのみならず、みつる先輩も知っているわけで。
だから、この二人、部室ではイチャイチャするようになっても、外では絶対にそんな素振りを見せないのだ。まるで、芸能人の恋愛である。そのスリルを二人は楽しんでいるのだろうと私は微笑ましく見ていたが、本当は修羅場寸前の状況なのだ。
だいたい、私とイツキは、不思議なことにみつるファンクラブの皆さんからはノーマークだった。それは、会長さんが「イツキはだいじょうぶ」と信じこんでいたからだろう。その根拠は、イツキが私にも語らない過去にあるのかもしれない。
はたして、この二人、どういうつながりがあるのだろう。会長さんがみつる先輩をアイドルに仕立てあげて、イツキが嫌われ者を気取るのは、なぜなのだろう。
「お、あいつらが来たぞ」
そんな私にハルヒコが声をかける。その視点の先にいたのは、なんと、クニとグッチだった。私は上映会があることは伝えていたけど、熱心には誘わなかった。きっと来ないと思っていたからだ。
しかし、みつるファンクラブしかいないこの状況で、この二人が来てくれたことはありがたかった。私はあわてて、準備室から出る。
「よ、キョン子。見に来てやったよ」とグッチ。
「ホントに女子ばっかりだね、あの男子が言ったとおり」とクニ。
「あの男子って?」
「受付にいた人だよ。名前、なんて言ったっけ」
「そうそう、あの金持ち。入口にいたけど、本ばかり読んでたよ、あいつ」
ああ、長門くんのことか。もしかすると、客が入ってこないのは、長門くんのせいなのか。
でも、ハルヒコが受付やってたら絶対に誰も近寄ってこないと思うし、みつる先輩はファンクラブの相手をしなくちゃいけないし、イツキにやらせたらとんでもないことになりそうだし……あ、私がいた。
そうだ、私が受付をするべきだったのだ。地味なことには定評のある私のこと、たいていの生徒は怖気づくことなく中に入れただろう。
しかし、時すでに遅し。私はクラスメイトの相手をしなくてはいけない。
「とにかく、二人とも、来てくれてありがとう」
私は素直に感謝する。
「だって、キョン子は友達だからね」とクニ。
「そうそう。友情、大事だもんね」とグッチ。
私は自分を恥じた。彼女たちを無理に上映会に誘わなかったのは、私がこの二人を信じてなかったからだ。本当ならば、猫の手を借りても、観客を集めたいところなのに、私は自分の友達を頼ろうとしなかったのだ。情けない。
「で、つるやさんはどこ?」とグッチ。
「いや、つるやさんは来てないけど」と私。
「えー? マジで? じゃあ、来た意味ないじゃん」
前言撤回。友情は建前で、本音はつるやさんに会いたかっただけなのか、グッチのやつ。
「まあまあ、わたしたちも、撮影現場に立ち会ったからさ」とクニ。
「そうよね。結局、二人とも映画に出ることはなかったけど」と私。
「だから、ぜひとも完成した映画は見たいと思ったんだよ。グッチはつるやさん目当てとか言ってるけど」
「スタッフの私も完成品見てないんだよね。最後の編集には付き合ってないから」
「キョン子は出てるの?」とグッチ。
「私は裏方に専念してたから」
「なーんだ、キョン子の銀幕デビューと思ったのに」とクニ。
そんな話をしている間に、パンパンと手拍子を叩く音が聞こえた。
「SOS団制作『純愛ファイターみつる』、間もなく上映を開始します」
ハルヒコの声だ。そして、私に目で合図をする。みつる先輩が、そそくさと準備室に戻っていく。私たち制作スタッフは、観客とは別のところから、この映画を見ることになるのだ。
「おかえり、キョン子ちゃん」
準備室に入ると、イツキが声をかけてきた。ご丁寧にイスまで用意してくれている。
「それでは、上映にあたっての注意を。まず、携帯電話の電源をお切りください」
この準備室にも、ハルヒコの声は聞こえてくる。映像ではなく口頭で説明するというのが、いかにも自主制作映画っぽい。
「次に、上映中は、大声を出さないでください。ほかの人の迷惑になります」
「……だってさ、キョン子ちゃん」
いつの間にか、私の隣に座ったイツキが声をかけてくる。
「上映中は大声を出しちゃ、ダメだからね」
「え? 私に言ってるの?」
「だって、キョン子さん、映画を見て、ツッコんだりするかもしれないから」
みつる先輩も私の隣に座っている。あれ? あなたはイツキの隣に座るんじゃないのか。
「あと、上映中は、なるべく席を立たないでください。退室するときは、くれぐれも、ほかの人の迷惑にならないように」
当たり前のルールである。まさか、この注意がすべて私に向けられているとは、このときは想像できなかったわけだが。
「では、SOS団制作『純愛ファイターみつる』をお楽しみください!」
そういって、ハルヒコは電気を消し、カーテンのスイッチを押す。目の前にはスクリーンが浮かびあがる。あとは、この準備室で再生ボタンを押すだけだ。
「どうだ、ちゃんと説明しただろ」
「うん、これで、誰も文句ないわね」
準備室に入って、ハルヒコとイツキが軽口を交わす。いよいよ、私たちの映画が幕を開けるのだ。
ふと、隣から手が差し伸べられてきた。イツキは私の手をにぎってくる。おいおい、手をにぎるのは私じゃないだろ、と思っていたが、その手はクールな彼女の表情とは逆に汗ばんでいた。
そうだよな。これから、イツキは自分の出演する映画を見るのだ。緊張しないはずがない。ならば、その手をにぎりかえして安心させてやることが、親友の私の役目じゃないか。
私自身も不安でいっぱいだった。もし、面白くなかったらどうしよう。無理に笑ったりしたほうがいいのだろうか。でも、自分をごまかしたって、きっと、みんなは喜ばないだろう。だから、私は気合を入れて見ようと思った。
再生ボタンを押して、ハルヒコもイスに座った。私の真後ろである。こうして、右にイツキ、左にみつる先輩、後ろにハルヒコという、キョン子包囲網が完成したのだが、当の本人である私は、そのことに気づく余裕などなかった。
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