(2)「おまえはだまってオセロ打ってろ」

 

「ううむ」と私はうなる。昨日と同じく、オセロの盤上を前にして。

 会計清算の結果、是が非でも映画を完成させなければならないことを痛感したものの、いっぽうで一週間後にせまった中間テストの不安もある。だから、オセロなんか打っている場合ではないのだが、みつる先輩に迫られて、ついつい承諾してしまったのである。

 どうやら、今日は放送室を借りられなかったようで、みつる先輩だけではなく、イツキもハルヒコも部室にいる。ハルヒコは団長席で脚本を執筆中だ。

 だが、問題は、長門くんである。指定席でSF小説を読んでいるのではなく、カメラを構えているのだ。なぜか私に向けて。

「なんで?」とあせる私に、長門くんはクールに答える。

「ホワイトバランスの調整だ。オセロの石が、色の基準に適切だからな」

 どうやら、昨日説明していた映像の明るさ調整のために、何かを撮っているという。

「ということは、まだカメラは借りっぱなしってこと?」

「だいじょうぶだ、キョン子」と、ハルヒコが団長席から声をかける。

「長門と交渉して、一ヶ月で六万円ということになった」

「え? 六万円って」

「もともと、一週間で三万円だったから、半額以下となったわけだ。そうだよな、長門?」

 長門くんは、それにうなずく。

「いやいや、そういう問題じゃないでしょ」

 うれしそうなハルヒコの口調に、私はするどく切りこんでみせる。

「それよりも、一日でも早く、カメラを返したほうがいいんじゃないの?」

「だって、特典映像をまだ撮ってないだろ? 追加撮影もあるかもしれないし、このままカメラを返して、売り物にならない映画をするぐらいなら、ギリギリまで借りておいたほうがいい」

「そうだけど……」

 ますます泥沼にはまっている気がするのは私だけだろうか。このままでは、SOS団が破産する可能性もでてくるんじゃないか。

「だいじょうぶだって、キョン子ちゃん」

 イツキが明るい声で話しかける。

「売れたらいいのよ、売れれば」

 そういえば、温泉旅行を夢見たこともあった。あのあと、一度だけ親に、そのことをボソッと話したこともある。当然のことながら、高校生同士、しかも男女合同の旅行なんて許されるはずがなかった。まあ、イツキに言わせると、そのときになったら何とかなる、らしい。でも、今ではそんな夢物語、口に出すのもはばかれる状況だった。

「……それにしても」

 私がこう考え事をしている間にも、長門くんはカメラをかまえている。

「カメラを向けられるのは、ちょっと照れるんだけど」

「心配するな、キョン子」と、ハルヒコが団長席から声をかける。

「どうせ、おまえを撮ったって、映画じゃ使えないからな。そうだろ?」

「まあ、ね」

 まさか、特典映像で『キョン子、ハンデ戦でみつるに敗れる!』なんてものを収録するはずがない。そんな映像を見て喜ぶ人なんて、SOS団員以外には世界中探してもいるはずがない。だから、私は心配することはないのだ。撮っているのは、私ではなく、盤上の石にすぎないのだから。

「ねえねえ、みつる君」

 みつる先輩の隣にイツキもいる。イツキはみつる先輩になにやら耳打ちしているようだ。これまでの疎遠さがウソのような親密さである。おそらく、昨日の放送室で何かあったのだろうが、私の知らないところで仲直りするというのも不快な話である。

「ちょっと、イツキちゃん。助言とかしないでよ」

「だいじょうぶだって。あたし、みつる君より弱いし」

 その通りだ。各種ボードゲームはともかく、オセロに関してはみつる先輩に勝る者はいない。しかし、こちとら、真剣勝負をしているのに、イチャイチャされていてはたまらないではないか。

「ねえ、キョン子さん」

「……なに?」

 私は不機嫌そのものの声色で、みつる先輩に答えてみせる。

「もし、僕が負けたら、なんでも好きなこと、してあげるからさ」

「へ? いいの?」

 途端に身を乗り出してしまう私。いくら、イツキと仲むつまじくなろうが、みつる先輩が美少年であることは変わりないわけで、そんな彼に何でも好きなことっていったら……。

「って、ストップ!」

 思わず、顔がニヤけてしまったではないか。顔を上げて、イツキを見ると、予想どおり笑っている。

「イツキちゃん、なに見てんのよ」

「べっつに~。それより、真剣勝負なんだから、キョン子ちゃん、油断しちゃダメだよ」

「言われなくても、わかってるわよ」

 それにしても、これは何なのだ。ハルヒコは団長席にいるものの、長門くんはカメラを構え、イツキもマジメに見ている。これまでのオセロなんて、対戦相手のみつる先輩をのぞけば、誰もその勝敗に注目してはいなかった。だから、気楽に打つことができたのに。

 やがて、部室に沈黙が走る。これほど、重い雰囲気の中で、オセロをしたことはなかった。しかも、負けることが許されないハンデ戦。さらに、みつる先輩は、勝利の報酬も約束してくれているのだ。

「むむぅ」と私はうなる。この手のゲームに私はあまり本気になったことはない。意地っ張りだが、負けず嫌いではないのだ。そのせいか、思考がうまく定まらず、なかなか本気モードに入れない。

「それよりも、みんな、中間テストはだいじょうぶなの?」

 たまらず、私はそんなことを口にする。

「えー、なんで、そういうこと言うかなぁ、キョン子ちゃんは」とイツキ。

「僕のことは気にしなくていいよ。なんとかなると思うし」とみつる先輩。

「そうだ、そうだ」とハルヒコも口をはさむ。

「高校一年の二学期の中間テスト。そんなものに一喜一憂したって、将来の道が開けるはずがない。世の中には、もっと大事なものがある!」

「でも、学業こそが、高校生の本分じゃないの? それよりも、映画制作が大事っていうの?」

「映画よりも、まずは目の前のオセロだろが!」

「はぁ?」

 まさかのハルヒコの返事に、私は耳を疑う。成績の良いハルヒコが、中間テストを捨てて映画制作を優先するのは、根本的にまちがっているけれど、理解できなくはない。だが、そこまで私VSみつる先輩のオセロ戦に思い入れるはずがないわけで。

「もしかして、あんたたち、この勝敗に、何か賭けてるんじゃないでしょうね」

「そ、そんなこと……」

「余計なこと言わないでね、団長」と、イツキが口をはさんでくる。

 いや、オセロはともかく、中間テストのことをマジメに考えなくちゃいけないのは、イツキちゃん、あんただろう。ズル休みが多い彼女のこと、中間テストの成績次第では、赤点もありえる。そうなると、落第である。人生をゆるがす大問題である。彼女は、おそらく、このオセロの勝敗に注目することによって、現実逃避しているのにちがいない。親友として、その過ちを許すわけにはいかないわけなんだけど。

「ほら、キョン子ちゃん。早く次の手を打たないと」

「そうだ、キョン子。おまえはだまってオセロ打ってろ」

 まちがいない。こいつら何かを賭けている。まあ、ジュースぐらいだろうけど、そんなものに真剣になっているのは、これまでの映画制作でがんばった反動なのかもしれなくて。

 それに、昨日の対戦もあって、盤上の局面はそれほど不利ではない。みつる先輩は強いが、四つ角を抑えられたハンデ戦の経験はあまりないはずだ。私がミスをしなければ勝てる勝負なのである。

「わかったわよ、勝ってやるわよ」

「そうそう、キョン子ちゃん、その意気」

「ああ、キョン子はできる子って、俺、信じてるからな」

 どうやら、イツキとハルヒコは私に賭けてるようだ。イツキがみつる先輩に耳打ちしたのも、私を発奮させるためかもしれない。でも、何でもやる、とみつる先輩が約束したということは、勝てる自信があるからかもしれず。

「まあ、キョン子さん、お茶をどうぞ」

「うむ」

 そんな私に、いつもどおりお茶を差しだすみつる先輩。私は考えすぎたせいか、偉そうにそれに答えてしまう。気合を入れて、ぐびっとそれを飲む。おいしい。まさに、敵に塩を送る行為だが、それでこそ、私の愛するみつる先輩である。

「よしっ!」

 私は力強く、次の手を打つ。周囲の注目が気になるが、それに動じてはならない。だいたい、撮影ロケで、カメラを向けられても、イツキやみつる先輩は、立派に役を演じていたではないか。そのプレッシャーに比べれば、今の私の立場など、どうってことないはずだ。

 チッ、と、みつる先輩の小さな舌打ちが聞こえてくる。どうやら、彼の読みを上回る手であったようだ。しかし、そう簡単に勝たせてくれるみつる先輩ではないだろう。

 ふたたび、部室は沈黙に包まれる。私は長門くんのカメラを無視して、盤上に注目する。まずは、この戦いに勝つことだ。そうすれば、ハルヒコやイツキが私をバカにすることはなくなるし、みつる先輩は私の言うことを聞いてくれる。私は神経をとぎすまし、みつる先輩の次の手を待った。

 私は気づくべきだったのだ。映画制作の最中、たかがオセロゲームに彼らが注目していた理由が、ジュース一本とかそんなチンケなものではないことに。

 

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