(5)「うちのキョン子ちゃんは、なにしてんの?」

 

「すいません! これから映画撮影しますんで、静かにお願いします!」

 ハルヒコはそう怒鳴り、撮影が始まる。この日、三ヶ所目の撮影である。

 映画撮影に欠かせぬものに、ロケハンがある。現地の下調べのことだ。しかし、私たちはそれをしなかった。「撮影できそうな公園には心当たりがある、俺に任せろ」という、ハルヒコの言葉をあてにしすぎたのである。

 それに、当日は朝6時集合だった。誰ひとり遅刻する者は出ず、私たちはその事実に大いに感動したものだ。「あたしエラいよね?」と早起きを自慢するイツキを褒めてやりながら、こんな休日の朝早くに人がいるはずないと、私たちはたかをくくっていた。

 しかし、老人の朝は早い。最初の撮影予定地には、なんと、大勢のご老人方が太極拳をしていた。終わるまで待つことにしたが、老人の腰は重い。太極拳の先生が去ったあとも、彼らは動こうとはしない。しかも、老人の耳は遠い。ハルヒコは一人ひとりに説明しようとしたが、やがてあきらめた。

「心配するな、公園はここだけじゃない」

 そう強がるハルヒコに私たちに従ったものの、公園は映画撮影のためにあるのではなく、市民の憩いの場としてあるのだ。地図をひろげたハルヒコについていった公園には、たいてい誰かがいた。

「団長、これじゃ、いつまでたっても撮影できないじゃん」

 不平をこぼすイツキをなだめながら、私はつるやさんがいない損失を痛感した。ハルヒコが「必殺技の一つや二つ持っていてもおかしくない」と言うように、つるやさんの屈強な身体には説得力があり、自然と人々も遠のいてくれたのだ。しかし、今回のロケには、つるやさんは参加していない。部活が忙しいから、と言ったが、本心はイツキと一緒にいたくなかったからだろうと思う。つるやさんのイツキに対する偏見は、私たちが束になっても解けそうになかったからだ。

 移動をくりかえしながら、それでも何とか二ヶ所での撮影を終えた。私からすれば「これでいいのか?」と疑問をいだく撮影内容だったが、下手に口を出して長引かせると、すぐに日が暮れてしまう。そもそも、十月に映画撮影をするというのが根本的な企画ミスだと思うが、いまさら嘆いても仕方あるまい。

 問題は、この三ヵ所目のロケ地である。移動に疲れて妥協してしまったのだが、この公園はあまりにも近場すぎた。だから、私はコンデジのファインダーから目を離さないのである。

 この公園にも、子連れ主婦たちがたむろっていたものの、ハルヒコの言葉で、なんとかその親子たちを追いやることに成功した。私はスチールカメラマンとして、コンデジを構えながら、それを見守るのみである。というのは――。

「あれ? キョン子ちゃん? おーい!」

 なんだか、聞き覚えのある少年の声がするが、私は無視する。最近の子供たちは、外で遊ぶことが少なくなったという大人たちの分析にのっとれば、それが私のあだ名と同じであっても、他人である可能性がきわめて高い。特に、親にねだって、ゲームを買ってもらったばかりの子供が、公園にいる確率はゼロに近いはずであって。

「おい、うるさいぞ、ガキども」

 そんな子供の声に、思わずふりむいたハルヒコに、さらなる言葉が返ってきた。

「あ、団長じゃん!」

「お、おまえは……」

 最悪だ。私はすべてをあきらめて、能天気な声を投げる子供を見る。

 かつて、涼宮ハルヒコのことを「団長」と呼ぶ人間は、世界中にただ一人しかいなかった。ご存じ、古泉イツキちゃんである。ところが、夏休みに新たな一人が加わってしまったのだ。

「それに、イツキ姉ちゃんもいるし!」

「久しぶり、オチビちゃん」

 しかも、その「オチビちゃん」は、腹立たしいことに、実の姉をあだ名で呼ぶくせに、イツキに対しては、姉ちゃんをつけるのである。

「ちょっとあんた、今は大事なことやってるから」

 私がもっとも恐れていた家族との遭遇。それに直面しながらも、私は冷静をよそおって、声をかける。

「なになに、面白そうなことやってるみたいだけど」

「おい、キョン子。おまえ、弟にも言ってないのか。俺たちが映画作ってるって」

「へー、映画つくってんの! すごいじゃん!」

「だから、あんたはジャマだから、早くどっかに行って」

「ふふふ、どうよ、あたしの服、カワイイっしょ?」

「それ、チアガールっていうんだよね? とても似合ってるよ! で、団長、うちのキョン子ちゃんは、なにしてんの?」

「ああ、あいつは役に立たないからな。裏方やらせてる」

「情けないなあ」

 姉である私を無視して、ハルヒコやイツキと楽しそうに話す我が弟。まったくもって不快きわまりない。

 だいたい、私はSOS団員に弟を会わせるのは大反対だったのだ。彼らは高校生の中でもきわめて異端な、いわば変人ぞろいなのであって、弟が彼らを見習ってしまえば、とんでもないことになってしまうのだ。安易に「おれ」と自称するような場に流されやすい弟が、こういう連中と付き合うとどうなるか。まちがいなく、ゆがんだ高校生になってしまう。

 だからこそ、とある事情で、夏休みにSOS団と我が弟が初顔合わせとなったとき、私はよくよく言い聞かせたのだ。私が彼らと一緒になったのは成り行き上仕方のないことであるが、あんたにはまったく関係ないこと。それでも、誰かを尊敬したいと思うならば、それは涼宮ハルヒコではなく、みつる先輩にするべきということ。オタクなところはあるけれど、みつる先輩のさりげない心配りこそが、今のあんたに完全に欠けているところであって、あんたも自分の姉に対しては、それを見習って優しい態度をとるべきだ、うんぬん。

「どうも、こんにちは、キョン子さんの弟さん。たしか、名前は……」

「わっ、オカマがいる!」

 さわやかにあいさつしたみつる先輩に、とんでもない答えをする我が弟。

 そうだ。今のみつる先輩は、絶対に見習うべきではないヤバい格好をしているのだった。弟はすばやくハルヒコの背後に隠れる。

「団長、あの人、本物の女の子になっちゃったの?」

「ああ、残念ながら、な」

「ひどいよ、ハルヒコ君。これは映画の撮影上、やむにやまれぬ事情があって……」

 あわてて、裏声で話し始めたみつる先輩だったが、時すでに遅しである。私が心配するまでもなく、みつる先輩の女装が我が弟に不健全な影響をもたらすことはなさそうだ。

「ちょっとちょっと、オチビちゃん」

 安心したのもつかの間、イツキが口をはさんでくる。

「たしかに、みつる君は女装好きの変態だけど、あのカッコ、カワイイと思わない?」

「う、そういえば……」

 それから、まじまじと我が弟はみつる先輩を見る。そんな視線に恥ずかしそうにしているみつる先輩は、思わず私も見とれてしまうものであって。

「か、かわいい、かも」

「す、ストップ!」

 あわてて、私は弟にかけより、その肩をつかむ。

「あんた、気は確かなの? あの人は、男なのよ。男子なのよ。目を覚ましなさい!」

「おい、キョン子」

 今度は、ハルヒコがわりこんでくる。

「せっかく、第三者の子供の視点から、みつるの女装が通用するか確かめてるのに、余計なことするんじゃねえよ」

「だって、これがきっかけで、こいつが異常性癖に目覚めちゃったら、どうすんのよ!」

「いいじゃん。いま、女装男子ってブームだから、なんとかなるって」

「イッちゃん、僕はそんな安易な流行に乗ったつもりは……」

 せっかく映画撮影が軌道に乗り始めたのに、我が弟のせいで場の緊張感はたちまち壊されてしまった。私にできることは、一刻もはやく、こいつを公園から追いやることしかない。

「すげえな、おまえ」

 そんな私たちに飛びこんできたのは、見知らぬ少年の声。

「いつの間に、こんなスゴイ人たちと知り合いになってたんだよ」

 もう一人。もしかして、弟の友達も一緒にいるのか。

「へへ、うらやましいだろ」

 そんな友達の声に、我が弟は自慢げに答えている。小学生男子にとって、知り合いの高校生というのは、同級生に差をつける最大の武器なのだろう。それに、SOS団員はただの高校生ではない。団長と呼ばせる偉そうな男子と、美人女子高生と、女装するオタクがいたりする変わり者集団なのだ。

「おまえら、ちょっといいか」

 そんな弟とその友達に、ハルヒコがマジメな声で語りかけてくる。

「俺たちの映画に、出てみる気はないか?」

「ちょっと、何言ってんのよ」

「だまれ、キョン子」

 私の抗議を一蹴して、ハルヒコは他の団員に話しかける。

「せっかく、キョン子の弟に会ったんだから、映画に使わない手はないだろ?」

「でも、ハルヒコ君、そんなシーンあったっけ?」とみつる先輩。

「ああ、おまえがイツキに正義だの純愛だの言ってるときに、こいつらに、『わぁ、オカマがいる~』とバカにされるっていうのはどうだ?」

「ひ、ひどいよ、ハルヒコ君」

「いいじゃんそれ。さすが団長、みつる君の頼りなさをいかす名演出じゃん」

「涼宮、それは、横から撮るのか」

「ああ、そうだな」

 気づけば、カメラマン長門くんも話に加わってきた。

「ダメよ、そんなの」

 しかし、乗り気なSOS団員に向かって、私は高らかに拒否の声をあげる。

「なんでだよ、キョン子」

「だって、うちの弟がSOS団の映画に出るなんて……」

 末代までの恥になるじゃん、と言おうとしたところで口を閉ざす。この一週間の彼らの努力を知っているだけに、それをおとしめる発言はするべきではないと思ったのだ。

「えー、おれは映画に出てみたいけどなぁ」

「ダメよ、あんたは、さっさとうちに帰りなさい」

「なんだよ、キョン子ちゃんは、おれの保護者かよ」

「そうよ、ガキのくせに、お姉ちゃんの言うこともきけないの?」

「うっせー。キョン子ちゃんはウラカタにすぎないくせに、えらそーなこと言うんじゃねえよ。な、団長」

「そうだ、キョン子。俺が監督なんだからな」

「くっ……」

 私はなおも食い下がろうとするが、意地を張ることに関しては、我が弟もなかなかのものだ。それに、こうしていくうちに、刻々と時間は過ぎていくのであって、ただでさえ終わりの見えない映画撮影のクランクアップがさらに遠のいてしまう。

「わかったわよ。そのかわり、マジメにやりなさいよ」

 私はあきらめて、引き下がる。

「ねえねえ、キョン子ちゃんたちって、家でいつもこんな感じなの?」

 ふてくされた私に、イツキがうれしそうに語りかけてくる。

「そうなのよ。最近、私のいうことを全然聞いてくれないんだよね、あのバカ弟は」

「うらやましいなぁ」

「どこが? あんな生意気な弟を持つぐらいなら、妹のほうがよかったわよ」

「もう、キョン子ちゃんったら、あたしたち一人っ子をイジメないでよ」

「そう? 一人っ子のほうがいいよ。弟がいると、なんでもかんでも、独り占めしちゃダメって言われるようになるから、メンドくさいよ」

「なるほど、だから、キョン子ちゃんは優しいんだね」

「へ? どこが?」

 よく「変わってる」と言われることが多い私だが、「優しい」と言われたことは親戚のおばちゃん以外にない。

「おかげで、あのオチビちゃん、すくすく育って、いい感じになってるじゃん。小学生のくせに、団長相手に物怖じせずしゃべれるなんて、たいしたもんよ」

「それは、弟がバカだからだよ。私の友達だから、多少のことは許されるって思ってるんだろうね。困ったヤツだよ、あいつは」

 だいたい、姉を見かけたからといって、すぐに声をかけるのは弟失格だと思う。姉には姉なりの事情があり、弟はそれを察して、それに応じた行動をとってもらいたいものなのだ。おかげで、ただのスチールカメラマンにすぎないはずの私が、ゲスト出演者の姉という余計な肩書きを背負うことになったではないか。

「おい、キョン子」

 そんなことを考えていると、偉そうなハルヒコ監督の声がした。

「ちょっと、ジュース買ってきてくれ」

「はぁ? なんで?」

「ガキどもの出演料だ。ジュース一本で、出てくれるってさ」

 おいおい、タダで出演するんじゃなかったのかよ。

「キョン子ちゃん、おれはコーラだからな」

「じゃあ、ぼくはファンタのグレープ」

「俺はサイダー!」

 子供三人衆が生意気に注文してくる。それにしても、調子に乗りすぎだろ、我が弟。家に帰ったら、たっぷりお仕置きしないと。

「じゃあ、これで買ってこい、ついでに、俺たちの分もな」

 そう言って、財布から千円札を二枚出すハルヒコ。

「やっぱり、レシートいるの?」

「ああ、領収書のほうがいいけどな」

「この近くに、安い自販機あるんだけど」

「ダメだ。コンビニ行ってこい」

 はぁー、と私は溜息をつく。このように、私たちの部費は減っていく。生意気な弟を持つと、ロクなことにならない。そう嘆きながら、私は映画ロケ始まってから何度目かの使い走りに行くのだった。弟の映画出演のためにパシる姉なんて、世界中探しても、私ぐらいのものだと思いながら。

 

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