(3)「つるやさんの頼みとあらば」
悪夢のような週末ロケのあとの月曜日、イツキは学校を休んだ。携帯電話を見ると「思いきり泣きまくるぜ、ベイベー」とのメッセージ。ただし、放課後の撮影には行けるので、必要あれば連絡してほしいらしい。彼女にとっては、学業よりも映画が優先みたいだ。
私はズル休みなんて生まれたこのかたしたことがないので、いつものように学校に向かった。もしかすると、ハルヒコも休んでいるかと思ったが、ちゃんと来ていた。たいしたヤツである。イツキが休んでいることを伝えると「そうだな、今日は古泉なしの撮影をしておくか」と言った。
そんな昼休み、私はクラスメイトの雑談に付き合っていた。中学時代からの友達のクニと、お調子者のグッチのコンビのことである。教室でいるときの私は、あいかわらず、この二人と一緒に行動することが多かった。
グッチは昨日に見たテレビドラマについてしゃべっていて、クニは愛想よく相槌をしている。私は特に口をはさむことはないけれど、このような居場所があることは喜ぶべきことだった。そう、誰が何と言おうが、私は普通の女子高生なのであり、この二人といることは、それを実感できる安らぎの場所だったのである。
「ちょっと、話がある」
そんな幸せにひたっていた私に偉そうな声が聞こえてくる。まさかと思って見上げると、そこには例の団長がいた。
ハルヒコはそのまま近くの椅子に座ろうとする。私は思わず叫んだ。
「ふ、不可侵条約は!」
「は? 何言ってるんだよ、キョン子」
ハルヒコは意に介さない様子で、そのまま座る。
これは私にとって困った事態だった。たしかに、私と彼との間にはいかなる条約も締結されてはいない。しかし、私がクニ&グッチと話しているときに、ハルヒコは話しかけてはならないという不文律があったはずではないのか。
予期せぬ男子の登場に、たちまち、グッチの表情は一変する。入学してから半年、いろんな出来事があったとはいえ、あいかわらず涼宮ハルヒコは嫌われ者なのだ。思わず、その場から離れようと中腰になったグッチに、彼は話しかける。
「谷口、おまえに話があるんだけど」
この展開には、私もグッチも驚いた。ちなみに、谷口というのはグッチの名字である。
「う、ウチに何の用よ」
グッチは私のほうを見ながら、取り乱した声を返す。その目はこう言っていた。あんた、スズミヤ対策委員長じゃないの。なんで、ウチに迷惑をかけるわけ?
その視線の鋭さは、私をあせらせる。しかし、不可侵条約が破られた今、私にも対処のしようがないのだ!
そんな私の戸惑いに気づかないまま、ハルヒコは大胆にもこう言った。
「おまえたち、我々の映画に出てくれないか?」
「映画? 何言ってんのよ」とグッチ。
「だから、俺たちが撮っている映画のことだ」
ハルヒコは平然とそう答える。
「ちょ、ちょっと」
私は立ち上がって、彼の腕を引っ張る。
「映画のこと、話していいの?」
「当たり前だ。というより、おまえ、話してなかったのか?」
「だって、完成するかどうか定かではないし。部外者には秘密じゃないの?」
「その点はだいじょうぶだ」
なぜか自信に満ちた表情でハルヒコはうなずいて、グッチに向き直る。
「そんな我がSOS団の制作する映画に、おまえたちに出演してほしいのだ」
グッチの表情からたちまち血の気が引いていく。無理もない。いきなり、変人集団が作っている映画に出演しろと言われて喜ぶような女子など、世界中探してもいるはずがない。私はグッチの心の叫びが痛いほど伝わった。なんで、こんなことにウチが巻きこまれなければならないのよ。キョン子、これはアンタのせいよ!
「そして、谷口。これは、つるやさんたっての願いなのだ」
そんなグッチの様子に気づかないのか、さらに話を進めるハルヒコ。つるやさんの名前を出したところで、この最悪の状況が変わるはずがない。だいたい、つるやさんとグッチに何のつながりが……。
「え! つるやさんが出ているの?」
たちまち表情を一変するグッチ。あれ? これはどういうこと?
「ああ、特別出演だが、準主役級の活躍だ。今日は武道場で、そんなつるやさんのたくましい姿を撮影しようと思っている。どうだ? 現場を見てみたいと思わないのか?」
「キョン子。どうしてこのことを言ってくれなかったの!」
グッチは私の肩をつかんで、思いきりゆらす。いや、そんなことをされても困る。つるやさんのことをグッチが話したことはあるけれど、ここまでのファンとは思ってみなかったし。
そういえば、グッチはあの朝倉リョウのファンだったこともあった。どうやら、スポーツマンタイプが彼女の好みらしい。それにしても、なぜ、そんなことをハルヒコは知っているのだ?
「エキストラ出演だから、セリフは少ない。出演は今日の放課後かぎりだ。それでいいか?」
「うん、つるやさんの頼みとあらば」
笑顔でこたえるグッチ。その変わり身の早さに私はあきれる。
「あと、その、ええと、国木田? おまえも出演してくれるか?」
ハルヒコは失礼にもクニの名字を忘れかけていたらしい。しかし、それに気分を害さずにクニはうなずいた。
「うん、どんなふうに映画を撮影しているのか興味あるし」
それから、クニは私のほうを向いて続けた。
「キョン子がSOS団でどんな活躍をしているのか、見てみたいしね」
「よし、交渉成立だ」
満足そうにうなずくハルヒコ。そのまま何食わぬ顔で立ち去ろうとしたので、思わず私は彼の後を追いかける。
「ねえ、どういうことなの?」
「どういうことって、なにがだ?」
「あんたがなんで、グッチがつるやファンだって知ってたのよ」
そんな私の言葉に、ハルヒコは何でもなさそうに答える。
「あいつ、ときどき武道場に顔を出したりしていたし、人目はばからずに、つるやさんに黄色い声援送ってたからな。あいつが誰をねらっているのかほど、わかりやすいものはない」
そうだ、ハルヒコは無駄な行動力と鋭い観察眼の持ち主なのだ。今でも時々学校めぐりをすることがある。こいつの脳内には、我が北高生徒の多くの情報がインプットされているのだろう。
もしかすると、こいつは私に対しても良からぬ情報を持っているのかもしれない。まあ、私にたいした秘密はないし、彼が苦手とする古泉イツキちゃんと親友なのだ。いちおう、味方なんだし、恐れることはないだろうと開き直ることにした。
「でも、あんなこと言ってだいじょうぶなの? あの二人に話すとなると、意地でも映画を完成させなければならないわけで」
「そうだな、昨日の夜に長門と話し合って、いろいろ見直した結果、しかるべき尺に落ち着いたんだ」
「尺って時間の長さのこと?」
私はそうたずねながら、少し安心する。今回のプロジェクトに関していえば、長門くんほど頼れる存在はいないからだ。
「ああ、俺たちの実力では本編三十分以上のものは作れないという話になった」
「三十分? それじゃ、とても売り物にならないんじゃ」
「だから、特典映像をつける」
「特典映像?」
「ああ、古泉とみつるのムフフ映像を特典につけるわけだ」
かなりマジメな顔で、ハルヒコはそう答える。ムフフ映像って、よくそんな言葉を恥ずかしげもなく言えるものだな、と私はあきれる。
「で、その許可はとってるの、主演の二人には?」
「まだだが、だいじょうぶだろう」
「正直いって、イツキ、かなりこの撮影で気分害していると思うよ」
「いや、むしろ、古泉は張りきってくれると思うぜ。土日の撮影の様子からいって」
どういうことだ? 私は首をかしげるが、それ以上のことをハルヒコは口に出さなかった。ただ、彼が不退転の決意を固めていることはわかった。それが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかはさておき。
◇
「長門、そこらへんでどうだ?」
「ああ、ここなら全体を撮れるな」
「じゃあ、そこがA地点だな」
柔道部主将であるつるやさんの協力のもとに行われる今回の武道場ロケ。そこで、ハルヒコと長門くんはカメラのセッティングをしている。長門くんは「A地点」となった床に、ビニールテープを貼っているようだった。
土日の撮影とはまったく異なるやり方に私は驚いてたずねる。
「これ、どういうこと?」
「カメラの位置設定だよ。見てわからないのか」
「いや、土日にはそんなこと、してないじゃん」
「まあな、俺たちは根本的なまちがいをおかしていたからな」
ハルヒコはもっともらしくうなずく。
「そもそも、カメラは動くものじゃない。映画というのは固定視点で撮るべきものだったんだ」
「でも、ずっと固定カメラで撮影してる映画のほうが珍しいんじゃ……」
「キョン子さ、カメラをレールに乗せて動かす装置、知ってるか?」
「ああ、そういうの、あるよね」
そういえば、主人公が歩くのに合わせて、カメラがレールの上で動く装置を、昔のテレビ番組で見たことがある。
「そこまでして、視点をぶれさせないようにしてるんだ。カメラを動かすっていうのは大変なことなんだよ。手ブレが許されるのはホームビデオだけだ」
「でも、ズームとかあるじゃん。カッコよく、ピシャッて決めたりとか」
「それが難しいんだな。経験と技量が必要となる。今の俺たちでは到底無理だ。ただし、昔の映画なんて、そんな技法を使っていない。それでも、名作と呼ばれる映画は多い」
なるほど、長門くんと話し合っただけがあり、土日のときとは比べ物にならないほど、彼の言葉には説得力がある。
「多くの人が抱く映像のイメージは、音楽のPVなどがそうだ。たしかにPVでは視点がめまぐるしく動くこともあるが、それは五分程度で完結する内容だし、音楽と同期しているからこそ許されるんだ。目が追いつかないところは、耳でカバーできるからな。その手法で長編映画を作ったら、普通の人はとても耐えられないだろう」
「そうかもね」
「おそらく、古泉はPVをイメージして、自分を撮影してもらいたかったと思う。そこで、特典映像では、古泉の要望にこたえた撮影をしようと考えているわけだ」
そこで、ムフフ映像ときたか。なるほど、それだとワガママなイツキちゃんも満足できる撮影になるかもしれない。
「本編三十分とみつると古泉の特典映像。これなら五千円で売ってもおかしくないクオリティになる」
「その特典映像って、どこで撮るの?」
「そんなもん、部室でいいだろ。あいつらに好き勝手撮らせりゃいいんじゃないか」
ということは、イツキに任せるということか。なんだか、とんでもない映像になりそうだが、今は本編の完成を心配するのが先だ。
「涼宮、ここらへんでどうだ?」
「ああ。そこがB地点だな」
長門くんは、ハルヒコの返事にうなずき、床にビニールテープを貼る。
「そもそも、三つのカメラで同時撮影すれば、こんな苦労はかけずにすんだんだけどな」
「でも、私たちにはひとつのカメラしかないからね」
「ああ、俺たちの努力に比べりゃ、テレビのカメラマンの仕事なんて屁みたいなもんだ」
調子のいいことをハルヒコはつぶやく。しかし、その自信のせいか、昨日までの撮影現場のどんよりとした雰囲気は霧消したようだった。
それから、ハルヒコは長門くんといろいろな打ち合わせを始める。ふと壁を見ると、すっかり忘れていた二人のクラスメイトが立っていた。
「ごめん、退屈してたでしょ?」
そう、今回のゲストである、クニ&グッチのコンビである。そのおもてなしは私の双肩にゆだねられているようだ。
しかし、放置していたに関わらず、二人はそれほどイヤな顔を見せていなかった。
「わりと本格的にやってることに驚いた」とグッチ。
「キョン子ったら、いい顔してるじゃん。ちょっと、うらやましいぐらいだよ」とクニ。
二人の言葉に、私は思わず顔を赤らめてしまう。そんな私に、陽気な声が聞こえてきた。
「キョン子さん、これどう?」
主役である、みつる先輩の声だ。彼は柔道着に身を包んでいる。私は柔道着に汗臭い印象を抱いていたのだが、みつる先輩にはいつもの清潔感がただよっている。まるで新品のように汚れのない白い柔道着。
ううむ、と私はうなる。あのフリルのついた魔法少女服といい、この人には白が似合いすぎる。中身はオタクな変態野郎のくせに。
「お、今日は君たちが協力してくれるんだな」
それとは正反対な、はだけた胸がたくましい、つるやさんが私たちに近づいてくる。それを見て、ただちに姿勢を正したのがグッチだった。
「ええ、がんばります!」
「ああ、期待しているよ」
つるやさんはさわやかにそう答える。
そういえば、ハルヒコは、つるやさんがグッチに出演をお願いした、とか言っていた。おそらく、それは事実ではないのだろう。だが、グッチの様子を見れば、その真偽はどうでもいいみたいだった。
◇
さて、今回撮影するシーンは、イツキに負けてばかりのみつる先輩が、Tさんことつるやさんの胸を借りて修行するシーンである。
バトルに負けるたびに、このシーンを挿入するみたいだが、とりあえず、まとめて撮影して、編集で分割するらしい。
土日の撮影では、何の考えもなしに冒頭のシーンから撮影していたのだから、少しは賢明なやり方を取りはじめたようだ。
そんなわけで、A地点で長門くんがカメラを構え、撮影が始まる。柔道の練習の一つで「乱取り」というものを行うようだ。みつる先輩は果敢にもつるやさんに挑むが、その実力差は埋めがたく、彼の体はたちまち宙に舞う。
バシーン! そんな音が武道場に響きわたる。
それでもみつる先輩は立ち上がる。かまわずつるやさんは技をかける。みつる先輩は宙に舞う。バシーン!
それから、みつる先輩が起き上がって、つるやさんが投げて、バシーン!
バシーン! バシーン! バシーン!
しばらくして、何かがおかしいことに気づいた。ハルヒコはたまらず声をあげる。
「おい、カット、カット!」
みつる先輩とつるやさんは足を止める。さんざん投げられたのにも関わらず、みつる先輩は涼しい顔をしている。
「ちょっと、つるやさん、マジで投げてくださいよ」
そう口をとがらせるハルヒコに、つるやさんは決まり悪そうに答える。
「本気出しているけど、みつるは受身だけはうまいからな」
「うん、僕、ミスター受身って呼ばれてるぐらいだから」
ミスター受身――それは、何かしら、朝比奈みつるという男子の生き方をあらわす言葉のような気がした。決して自分から技をかけることはないが、どんな技でも軽やかに受ける。勝負には負けても、ダメージはゼロ。いかにも、みつる先輩らしい戦法である。
「だが、それじゃ困るんだよ!」
ハルヒコは声を張りあげる。
「おまえは古泉を倒さなくちゃいけないんだ。受身がうまくなったところで、古泉を倒せるわけじゃないんだ。もっと自分からつかみかかれ!」
そう興奮したあとで、彼は何やら台本にいろいろ書きこむ。
「今のセリフ、つるやさんに言ってもらおうと思うんですが、どうですか?」
「そうだな。オレもこんなみつるの試合運びには、正直むかついていたからな」
「だって、つるやさんとマジメに戦っても勝ち目ないし、受身を取り損ねると痛いし……」
「当たり前だ! その痛みを乗り越えてこそ、古泉に勝てるんだ!」
そう言って、ハルヒコは台本にまた何かを書きこむ。
「そうそう、つるやさん。古泉ってところは、吸血姫、と置きかえてお願いします」
「ああ。オレはあいつの名前を知らないことになってるからな」
「涼宮、そのシーンはBカメでいいか」
そこで、カメラマン長門くんの声がする。
「ああ、それで頼む。あと、それを聞いているみつるをCカメから取ろう」
「了解した」
おそらく、実際の映画撮影とはまったく異なる光景だろうが、私にはなかなかうまく機能しているように思えた。その場で台本を書きかえるなんてナンセンスだし、いちいちカメラの場所を変えるとは非効率きわまりないだろう。ただ、確実に映画制作は進んでいるように見えた。
ハルヒコと長門くんが何かを耳打ちしているのを見ながら、現場の雰囲気はイツキがいないほうがいいのかもしれない、と私は友情知らずに思ってしまう。ただイツキなしではこの映画は成り立たないわけだし、SOS団にはイツキのような存在が必要なのだ。
「ねえ、ウチらの出番はまだ?」
すると、後方からグッチの声がする。そういえば、ゲスト出演のクニ&グッチの出番がいつになるか、まだ聞いていなかった。でも、今の打ち合わせをしているハルヒコには、なんだか声をかけたくなかった。男子四人による映画制作風景。それは遠くで見ると、なかなか乙なものだったからだ。
「ごめんね、行き当たりばったりの撮影だから。台本もどんどん変わっているし」
私の言葉に、グッチは気分を害していないようだった。
「いいよ、見てるだけでも面白いし」
それは、グッチの本心であったと思う。この撮影現場には、何かしら新しいものが生まれそうな気配がしていた。芸術の神様が降臨してきそうな。
「それよりもさ」
クニがつぶやく。
「キョン子って何をやってるの?」
そういえば、と私は自分の職分を思い出す。私はスチールカメラマンなのである。あわてて、コンデジを探そうとするが、すぐに、家に置き忘れていたことに気づく。長門くんからの借り物であるコンデジを、私は持ってこなかったのである。
まあ、いいや。ハルヒコにそのことでとがめられたら、素直に謝るしかない。ただ、このときの現場の写真を残せないのは残念だな、と思った。みんな、いつもよりも良い表情をしていたからだ。私は久々に、こんな連中と一緒にいることに心から満足感を抱いた。
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