(5)「もう俺たちは退かない」

 

「昨日の副団長の構想を検討した結果、勝算があると俺は判断した」

 そんなハルヒコの主張を聞き流しながら、私は緑茶を飲んでいた。

 SOS団では、毎日のようにお茶がふるまわれる。これをいれているのはみつる先輩で、彼はハルヒコに「お茶くみ大臣」に任命されていた。実をいうと、一時期、私が代わりにいれていた時期があったのだが、あまりにも不評だったこともあり、みつる先輩が常時いれるようになったのである。

 オタクなみつる先輩は、このお茶くみにもこだわりを見せていた。今回の茶葉は静岡産の有名なものらしい。私はそれを飲みながら、雄大な富士山を思い描こうとする。

「……ゆえに、DVD販売をすることが決定した!」

 しかし、そんな私のささやかな平和は、ハルヒコの能天気な言葉によって、あっという間に打ち砕かれてしまった。

「ハルヒコ君、もしかして売る気なの?」

「ああ、そのための映画制作だ。部の財源確保のためのな」

 みつる先輩の言葉に、ハルヒコは平然と答える。

 私はあきれるどころか、金切り声で説教したくなった。こいつ、物事の進め方が根本的にまちがっている。もし、部の財源が欲しくて、文化祭で何かをしようとするのならば、まず、そのことを議題にあげるべきだ。そして、何をするべきか話し合った末に、部活動として行うべきなのだ。

 だが、涼宮ハルヒコにそんな民主主義は通用しないのだ。彼は偉そうな口調で語り続ける。

「我々は結団以降、半年以上にわたり、この街で活動を行ってきたが、残念ながら、世間をとどろかせる発見をすることはできなかった。ゆえに、そろそろ県外進出をしなければならないと考えている。そのために、必要なのがお金だ。だから、映画を作らなければならないのだ!」

「でも、DVDって、どれぐらいで売る気?」とみつる先輩。

「一枚三千円ぐらいでいいんじゃないか。DVDなんだから」とハルヒコ。

「三千円っていえば、アニメのDVDよりは安いけど、市販なみの値段じゃん?」

「みつる、おまえの女装がありゃ、それぐらい売れるんじゃないか?」

 平然とハルヒコは言い放つ。大言壮語しながら、結局はみつるファンクラブ頼みなのかと、彼のズサンな計画に私はあきれてしまった。

「カメラはどうするんだ?」

 そのとき、ハルヒコの背後から声がした。

「DVDで販売するとなれば、それ相応の画質のカメラで映さなければなるまい」

 ハルヒコだけではなく、私たち三人も驚いて、団長席の後ろ、窓際の席に座るその声の主を見る。彼のメガネは夕暮れの日差しを受けて、キラリと光っていた。

 彼は侵入者ではない。最初から、この部室にいた。実をいうと、ハルヒコが映画制作発言したときも、イツキがべらべらと構想をしゃべっていたときも、彼はこの部室にいた。しかし、その存在感の無さから、これまで気にとめる必要がなかったのである。紹介が遅れたのは、私の怠慢のせいじゃない。

 彼の名前は長門ユウキ。私と同じく高一で、ここにいる唯一の文芸部員である。もともと、SOS団が文芸部室を占拠しているのは、彼の許可を得ているからなのだ。

 そんな彼はハルヒコのいかなる言葉にも動じず、団長席の後ろで毎日、読書に励んでいた。もし、それが純文学や歴史小説だったら、私は彼に好意を寄せていただろうが、残念ながら、その本はいつもSF小説だった。長ったらしいカタカナの名を持つ星の宇宙艦隊がドンパチを繰りひろげるような物語である。よく、そんな奇想天外な話を飽きもせず読み続けるものだと私は感心していたが、彼のオススメの本を読む気にはなれなかった。長門くんには長門くんの趣味があり、私には私の趣味があるのだ。

 とにかく、そんな我関せずの長門くんがいきなり会話に加わったのだから、私たちからすれば、驚天動地の出来事だった。

「涼宮、まさか、学校のカメラを借りて、撮影しようとは思っていないだろうな」

「ま、まあな」と、さすがのハルヒコもあせり気味だ。

「シナリオや演技力などは努力すれば何とかなるが、映像の質は機材がなければどうすることもできないはずだ」

「そ、そうだな」

「ホームビデオに金を払うほど、世の中は甘くない。だから、そうではないと思わせるカメラが必要だ」

「た、たしかに」

「そこで、昨日調べてみたのだが、何とかなりそうだ」

「本当か?」

 曇り気味だったハルヒコの表情が、一気に晴れわたる。一方、私は長門くんがハルヒコの愚かなプロジェクトを阻止するために立ち上がったと思っていたので、この展開は青天の霹靂だった。

 指定席から立ち上がり、長門くんは部室を出る。おそらく電話をかけるためだろう。ただのSFオタクにしか見えないのだが、実は長門くんはこの街でピカイチの金持ちの御曹子なのだ。

 長門グループは様々な事業に手をだしているが、製薬会社がもっとも有名で、私が愛用しているかゆみどめが長門印のものだった。この夏、私はそれを塗りながら、この代金の何%かが彼の読むSF小説に変わるのを想像してみた。私たちがそれを塗れば塗るほど、彼の元にはSF小説が送られ、そして、彼は宇宙大戦争に思いをはせることができるのだ。まったくもって、世の中の仕組みとは不思議なものである。

 そんなことを考えながら、私は部室のドアを見た。その向こうで、長門くんはどのような話をしているのだろう。

「交渉がまとまった」

 やがて、部室に戻ると、長門くんは三本の指を掲げた。

「レンタル料は一週間で三万円だ」

「おい、金とるのかよ、長門」と、ハルヒコは立ち上がる。

「あたりまえだ。これでも破格の価格だと思うが」

 長門くんは涼しい顔で答える。

 いや、いきなり三万円といわれても、と私はあせる。私たち高校生にとって、その金額はとてつもなく重い。そんな貴重なお金を、こんな気まぐれな映画制作に使うことが許されるのか。三万円あれば、何でも買えるじゃないか。服だって、財布だって、バッグだって、靴だって。

 さすがにハルヒコも、その事態の深刻さに気づいたようだった。あごを手にのせながら低い声でこう発言する。

「仕方ないな、部費を徴収するしかない」

 ブヒ、と私は豚のような悲鳴をあげる。

「そろそろ我がSOS団の会計を管理するときだ。そのためには、当然、部費を集めなければなるまい」

「ちょっと、そんな話だったら私は」

「キョン子、心配するな。これは投資みたいなもんだ」

 ハルヒコはすぐさま口をはさむ。

「まちがいなく、でっかくなって戻ってくる。落ちるはずがない株を買うようなもんだ。三万円だったら、一枚三千円で十枚売ればもとがとれる。それは難しい話じゃないよな、みつる」

 すっかり、このプロジェクトのキーマンとなったみつる先輩は、その言葉に応じて、何やら指折り数えているようだった。

「うん、十枚はいけると思う」

 そう断言するみつる先輩を見て、私は悲しくなった。ああ、この人は、自分のファンを金ヅルとかしか見ていなかったのかと。

「あたしは、それには反対ね」

 しかし、もう一人の出演者、イツキは首をふった。

「一枚三千円で売るのならば、あたしは出ない」

「古泉、おまえ、副団長だろ。そりゃ、三千円っていうのは高すぎるかもしれないけど、こうしないと採算が」

「違うわ。逆よ逆。一枚五千円で売らないと」

 イツキちゃん、マジですか。私は強気すぎるイツキの値段設定に唖然とする。

「イッちゃん、さすがにそれは高すぎるんじゃ」

 みつる先輩の口調も真剣さを増している。

「アニメDVDでも、特典がつかないと五千円以上なんて」

「そうよ、みつる君。だから、特典をつけるの」

 イツキの言葉を聞きながら、だんだん私は頭が痛くなってきた。もはや、私の手に負えない次元に、この映画プロジェクトは進んでいるようだった。

「別に凝ったものじゃなくて、撮影の合間のスナップ写真でいいのよ。映像ではカットせざるをえないような危険なショットを含めたりとか」

「えー、僕の貞操が」

 女々しくみつる先輩が声をあげる。

「だいじょうぶよ、みつる君。女装した時点で、キミの貞操なんてないようなもんだから」

 そんなひどい言葉を放ちながら、イツキは話し続ける。

「もし、三千円で売ろうと考えたら、出来のいい映画さえ作ればと満足してしまうものよ。だけど、五千円で売るとなると大変じゃん? それぐらいの強気な姿勢でいくことで、素人のあたしたちでも売り物になるものができると思うわけ」

「でも、五千円はさすがに出さないんじゃねえか。俺たち高校生なんだから」

 ハルヒコですら、現実的な意見を述べている。しかし、イツキはひるまない。

「団長、そうはいうけどね、三千円出す人は、五千円だって出すもんよ。買わない人は絶対に買わない。ならば、五千円で買うことにプレミアム価値をつけたほうがいいわけよ。秘蔵プロマイドとかつけて、買わなきゃいけないと思わせる動機づけをすることが」

「それで売り上げが変わるものなのか?」

「そうね。うまくいけば、そのプロマイド欲しさに二枚、三枚と買う人が出てくるんじゃないかな?」

「ちょっと待てよ。プロマイドだけに五千円出すやつっているのか」

「団長、それが、いるのよね」

 イツキは断言する。

「ファンには序列というものがあるのよ。で、その序列が上がるためならば、金を惜しまない人がいるわけ。複数枚購入することで、自分の愛は他の人たちよりもすごい、と証明できるなら、喜んでお金を差し出すファンってものがいるのよ。むしろ、そのチャンスを与えてやっているようなもので」

「そ、そんなものなのか」

 さすがのハルヒコもたじろぎ気味だ。

「そういうものよ」

 イツキはうなずく。

「し、しかし、三枚買ったとはいえ、みつるやおまえが何かをしてくれるわけじゃないよな」

「そうね。どっちかっていうと、金の使い方を知らないバカだと思うわね」

「だったら、どうして、そんな愚かなことを……」

「団長ったら、ファン心理がわかってないのね」

 イツキは恐ろしいまでに優しい表情で語る。

「彼らはみずからの身を削るように、その人が好きであることを証明できれば満足なのよ。それによって、名誉を手に入れることができるんだから、そのお金はムダじゃない。たとえ、その愛情がむくわれなかったとしてもね」

 ああ、イツキちゃん、すっかり親友だと思っていたが、頭の中はそんな悪徳なことを考えていたのか、と私は絶望した。なんでそんな境地にまで達してるんだ。

「ということで、一枚五千円にして、三十枚限定販売。これしかないと思うんだけど」

 そんな私の胸のうちを知らずに、イツキはそう高らかに提唱する。

「そんなに売れるかな、イッちゃん」

 みつる先輩も心配そうだ。

「だいじょうぶよ、みつる君。映像の画質さえ良ければ、それだけの値打ちがあるはずよ。そして、完売すれば十五万円よ! カメラ代が返せるだけじゃなくて、県外にも旅行に行けるのよ」

「そうだな。俺、ネットで話題になってる心霊スポットに、いつか行きたいと思ってたんだ」

 すっかりイツキの言葉に乗せられたハルヒコが口をはさむ。

「なにいってるのよ。そんなところに行きたいのは団長だけよ」

「でも、興味ないか? なにしろ、そこが注目を集めてる理由が……」

「そんなところより温泉に行こうよ!」とイツキ。

「温泉?」

 私たち三人は同時におうむ返しする。

「そうよ。もし、このプロジェクトが成功したあかつきには、私たちは温泉旅行に行けるわけよ。そう考えると、がんばれるじゃん? ねえ、キョン子ちゃん?」

 ここで、いきなり、イツキは私に話をふってきた。

「キョン子ちゃんと二人で露天風呂につかってね、裸でいっぱいお話するの。一緒に洗いっこしながらね。すっごく楽しそうじゃん。あたし、そのためなら、なんだってするよ!」

 これはどう反応すべきなのか? 私は喜ぶべきなのか? とりあえず笑うことにする。

「……悪くないな」

「……うん、悪くない」

 男子二人もうなずいているようだった。そんなに行きたいものなのか、温泉って。

「じゃあ、長門、手配してくれ。もう、俺たちは退かない」

「わかった」

 長門くんはメガネをクイッとあげて、そう応じる。SF小説を読んでいるだけかと思ったが、彼の胸にも期するものがあったらしい。ここまで協力的な長門くんを見るのは初めてのことだった。

「うん、温泉めざしてがんばろうね、みんな!」

 すっかり主導権をにぎったイツキは、にこやかにそう言い放った。

 こうして、きわめて不純な動機による、きわめて不純な内容の映画制作が始まったわけである。乗せられてしまった私も、このときは、面白そうな企画だと感じるようになっていた。それが、取らぬタヌキの皮算用であったことを、このあと私たちはたっぷり思い知らされることになったのだが。

 

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