(7)「あいつは、どこにいるの?」

 

 夢を見ていた。

 私は空を飛んでいた。誰かの手をにぎっていた。隣を見ると、涼宮ハルヒコが「ん?」という顔で私を見た。彼の背中には翼が生えていた。なるほど、彼は天使だったということか。

 見下ろすとアマゾンのような曲がりくねった川と密林が、地平線の彼方まで広がっている。実に雄大である。ドキュメンタリ番組のエンディングでよく見る風景だ。

 どうやら、私には翼が生えていないらしい。彼とつないだ手を放せば、ただちに私はこのジャングルにまっさかさまだろう。しかし、不安な気持ちは無かった。隣の涼宮ハルヒコがとても機嫌よさそうに飛んでいるからだ。

「もうすぐだ」

 彼はそんなことを口走る。私たちはどこかに向かっているらしい。宇宙人の秘密基地か、超能力者のアジトか、それともロマンティックな天空の城か。それらしいものをいろいろ考えてみるが、私の想像力では、漠然としていて、きちんとしたイメージを浮かべることができない。

 だから、私は下の雄大な景色を見ようとする。しかし、そこにはメガネをかけた長門くんの無表情な表情があった。

 そうだ! 私は彼に毒を盛られたのだ。

 長く続く暗い洞窟で、涼宮ハルヒコに取り残されて、長門くんと二人きりの状態で、私は倒れてしまっているのだ。大ピンチである。空を飛んでいる場合ではない。私はすぐさま、そのことを涼宮ハルヒコに伝えようとする。

 しかし、それが致命的だった。私は彼とつないでいた手を放してしまったのだ。あっという間に、私は墜落する。涼宮ハルヒコはそんな私を見ながら「ん?」という顔をしている。そして、そのまま飛び去っていく。そう、彼は私にそれほど興味がないのだ。

 私は落ちる。私の背中には翼もパラシュートもない。このままでは地面に激突してしまう。密林であったはずの大地は、今や、白い光源になっている。私はその光に吸いこまれていく。身体が言うことをきかなくなっている。これはヤバい。私はあせる。あの光に、引きこまれてはいけない。身体中の力をふりしぼる。死にたくない。死ぬわけにはいかない。だから、私は叫んだ。

「助けて!」

 目を覚ます。白い光源は私の顔を照らし続けている。どうやら、私は助かったみたいだ。私はぼんやりとその明かりの輪郭をなぞる。やがて、それは形をなす。シャンデリアのようだった。あれ、シャンデリア?

「キョン子ちゃん」

 私を呼ぶ声がする。身体を起こすと、イツキが抱きついてきた。

「もう、心配したんだから」

 どうして、イツキがいるのかわからなかった。でも、その感覚が確かなものだったから、私も抱きしめる。彼女の身体はあたたかく、いい香りがした。

 そんな抱擁のあと、私はまわりを見わたす。優雅に丸まったカーテンと、壁にかけられた踊り娘の絵。

「キョン子さん。だいじょうぶなの?」

 そして、みつる先輩。向こうでは、長門くんが誰かと話しているようだった。

 私が寝ているベッドは、両手を伸ばしても届かないぐらいとても大きく、そして、やわらかかった。こげ茶色の壁と、赤いじゅうたんの色彩が目に優しい。陶器の花瓶と、ピンクの薔薇もある。なかなか豪華な部屋だ。

「それにしても、ここ、どこ?」

「長門君の家だよ」

 私の質問にみつる先輩が答える。

「びっくりしたでしょ? あたしもこんな部屋に入ったの、はじめて」

 うれしそうにイツキが声をかける。

 私はもう一度、部屋を見渡す。やはり、彼はいない。

「あいつは、どこにいるの?」

 私の質問を聞いて、イツキはたちまち表情をくずした。

「団長はいないわよ。ここにいるの、教えてないし」

 イツキはしかめっつらになっている。

「キョン子ちゃんの分は、たっぷり怒ってあげたから。今回ばかりは許せなかったからね。キョン子ちゃんのことを考えずに、なにが団長よ」

 どういうことだ? 私が意識をなくしたのは、長門くんに何かを飲まされたせいで、別に涼宮ハルヒコがどうのこうのというわけじゃなくて。

「キョン子さんは倒れてたからわからないかもしれないけどさ。あれから、長門君が家の人を呼んで、そしてここまで運んでくれたんだ。だから、まず、長門君にお礼を言わないと」

「そうそう、メガネ君がこんなに頼りになるとは思わなかったわよ。ずっと、キョン子ちゃん背負ってくれたしさ」

 ええと、よくわからないが、私は長門くんに恩を着せられたのだろうか。私の記憶だとその逆なんだけれど。

 そんなことを考えていると、白衣姿の女性が近づいてくる。看護士というより、医者らしい雰囲気である。わざわざ、家に来てくれるとは、さすが金持ちだ。医者なんて、病院にしかいないと思っていた。

「ちょっと、脈をはからせてね」

 女医さんは、そんな言葉をかける。私は抵抗なく手をさしだす。

「身体で痛いところとかはない?」

「いえ、特に」

「じゃあ良かった。問題ないみたいね」

 その言葉に、みつる先輩とイツキは安堵のため息をもらす。でも、私は納得いかなかった。

「あの」

「どうしたの」

「私、なんで倒れてたのですか?」

 そうたずねると、女医さんは身を乗りだして、私にしか聞こえない小声でこう言った。

「あなた、ろくに運動していないでしょ? そんなことじゃ、坊ちゃんについていくこと、できないわよ」

 坊ちゃん? ああ、長門くんのことか。これまでの日常からあまりにも離れた世界に戸惑いながら、私はなおも続ける。

「いや、そういうんじゃなくて、私が倒れた本当の理由って何かないですか?」

「本当の理由?」

 例えば、睡眠薬を飲まされたとか、と言おうとしたが、私の理性がおしとどめる。

 どうして、長門くんが私を眠らせる必要があるのだろうか。ひょっとして、私に何かいたずらしようとしたのかと考えてみたが、身体にそんな違和感はない。

「とにかく、今日は安静にしてね。明日になったら、体力も回復してるから」

 女医さんはそういって、立ち上がる。とりあえず、ありがとうございました、と声をかける。

 気づけば、私の近くの棚にケーキと紅茶が運ばれてきた。運んできたのは、なんと、長門くんだった。

「あの、ありがとね。長門くん」

「いい」

 あいかわらず、短く彼は答える。どうも、彼の態度に、やましさというのが感じられない。私に毒を盛ったとは、とてもじゃないが、考えられない。

 やはり、あれは私の邪推にすぎないのだろうか。あのときの私は疲れていたし、水分を補給して、何らかの化学反応を起こして、意識を失ってしまったということもありえる。あまり聞いたことのない話だけど。

 私は時計を見る。もう五時をまわっているようだ。

「そうだ、母さんに連絡しないと」

「心配しなくていい。こちらから、家には連絡しておいた」

 長門くんが答える。いたれりつくせりだ。彼にこんな気がきいたことができるとは驚きだった。涼宮ハルヒコと同類だと思っていたのだが、みつる先輩よりも頼りになりそうではないか。

 もし、長門くんが悪者ではなかったとしたら、涼宮ハルヒコは非難されてしかるべきだろう。長門くんが私を背負って出てきたときも、彼はまだ洞窟を探検していたはずだから。

 探索を終えた涼宮ハルヒコが出てきたとき、すでに私たちの姿はなかったのだろう。そして、途方にくれて電話をしたとき、イツキにたっぷり説教されたというわけだ。団員が倒れそうになったのに気づかなかったのは、団長の責任じゃないかと。

 でも、私は彼を憎むことはできなかった。むしろ、自分が申し訳ない気持ちになった。私がもっとしっかりしていたら、誰も傷つけずにすんだのに。まさか、長門家を巻きこむほどの大事になるとは思わなかった。

 結局、私たちは豪華な長門くん宅で、六時まで過ごすことになった。食事の用意もしてくれていたみたいだが、それは断った。帰りは車で送ってもらった。イツキやみつる先輩が、長門邸についていろいろ話しているのを、私はただ聞いていた。涼宮ハルヒコの名前は、二人の会話にはまったく出てこなかった。

 

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