(6)「水、いらないか?」

 

「おかしいな」

 ようやく、涼宮ハルヒコがつぶやいた。

 中に入ってから、もう三十分以上はたっただろうか。かなりの距離に達しているはずなのに、地肌の露出している道は、果てしなき闇へと私たちを導いている。いったいどのあたりを歩いているのか。まったく、見当がつかない。

「なあ、長門。昔、ここって炭鉱だったりしたのか?」

「そういう話は聞いたことがない」

 長門くんが短く答える。

「うん、そうだよな。それならば、照明などの人工物があってしかるべきだ」

 涼宮ハルヒコはそれから壁面にふれる。

「しかし、土は乾いている。水の通り道でもなさそうだ。そして、この穴の広さ。人が直立歩行できる大きさを保ち続けている。不自然だ。きっと、ここには、何かがある」

 私はそんな彼の興奮気味な声を聞きながら、壁にもたれかかる。おそらく、私のおめかしした服は、泥だらけになっているだろう。

「涼宮、そろそろ引き返さないか」

 長門くんがそんなことを言っている。

「いや、まだ帰るわけにはいかない。あんなふうに入り口があいていたのはおかしい。ここを調べるチャンスはもう二度とないはずだ」

「しかし、彼女が」

 長門くんは私を指さしている。

「ん、キョン子か? そうだな、もう帰ったほうがいいんじゃないか」

 私はそれをだまって聞いている。そんな無表情な私に、彼は声をかける。

「心配するなって。コンデジは持っているからさ。もし、何か見つかったら、証拠写真はバッチリ撮っといてやるよ」

 懐中電灯の明かりだけではよく見えないが、きっと彼は晴れやかな笑顔を見せているのだろう。

「涼宮、俺もここで引き返す」

 この長門くんの声には、さすがの彼も驚いたようだった。

「おまえもか?」

「彼女はライトを持っていない。一人で帰すわけにはいかない」

 涼宮ハルヒコは、少しばかり、私と長門くんを交互に見たあとで、こう答えた。

「そうか。じゃあ、長門、キョン子をよろしくな」

 そして、歩きだす。彼の背中はたちまち暗闇に同化し、彼の照らす光だけが少しだけ目に映った。

 私は腰を下ろし、膝を抱える。ずっと不安定な道を歩いていたせいで、足の震えが止まらなかった。

「しばらく、休もう」

 長門くんがそう声をかける。他人に無関心な彼の優しい言葉が意外だった。いや、長門くんですら、私の異変には声をかけずにいられなかったのだろう。それでも、涼宮ハルヒコは前に進むのだ。たとえ、一人になったとしても。

 長門くんは携帯電話の電波状況を調べているようだ。外で待っているイツキとみつる先輩は心配しているだろう。もっと早く、私の口から「帰る」と言うべきだった。それが、誰にも迷惑をかけない方法だったのだ。どうせ、涼宮ハルヒコは「そうか」と答えるだけなのだから。

 まったく、私は何を期待して、こんなところに入りこんだのだろう。もし、長門くんがいなければ、私はどうなっていたのだろう。

 例えば、涼宮ハルヒコと二人で、見知らぬ世界に取り残されたとする。彼はただちにその世界を探検するだろう。私は一人がイヤだから、それに付き従おうとするけれど、彼ほどの行動力は私にはない。だから、今のように取り残されてしまうのだ。結局、私は洞窟の奥でお留守番をするしかない。

 アダムは世界を探検し、イブは洞窟で見えざる敵におびえながら帰りを待つ。洞窟の中で、アダムは冒険した土地のことを話し、イブはただそれを聞く。ある朝、アダムはいつものように洞窟を出る。しかし、日が暮れて戻ったとき、イブはもういない。彼が留守の間に、獰猛な獣に襲われてしまったのだ。アダムは悲嘆にくれる。しかし、彼はこうも思うだろう。いったい、俺に何ができたのだ、と。

 多分、涼宮ハルヒコみたいな人間に、私は何も期待してはいけないのだ。イツキやみつる先輩と同じく、私は待っていれば良かったのだ。でも、彼の冒険譚に耳を傾けるだけで、私は満足できるのだろうか?

「水、いらないか?」

 長門くんがそう声をかけてきた。私は彼のことを、ほとんど何も知らない。毎日、部室でSF小説ばかり読んでいる製薬会社オーナーの御曹子。でも、今は頼れる存在は彼しかいない。好意に甘えて、何の警戒心も抱かずに、私はペットボトルを口に運ぶ。

 しかし、すぐさま、私の身体には異変が生じた。手足が痺れ、するりとペットボトルが落ちてゆく。長門くんはそんな私を見ている。何か口を動かしているようだが、その言葉がうまく聞き取れない。

 ふと、私はあることに気づく。公園で行方をくらましていた彼。ファミレスでの提案。そして、果てることのないこの洞窟の道。すべての鍵をにぎっているのは、この長門ユウキなのだ。

 つまり、私が陥っているこの状況は、彼の仕組んだ罠なのか?

 その答えを見出せないまま、私の視界はぼやけ、やがて、私はすべての感覚を失った。

 

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