(6)「貴様らの悪事もこれまでだ!」

 

 ドサッ。

 そんな情けない音とともに私の目の前に落下した物体。まさかとは思っていたが、心当たりは一人しかいない。そう、我が救世主であるはずの、涼宮ハルヒコである。

「貴様らの悪事もこれまでだ!」

 急いで体勢を整えて、高らかに彼は叫ぶ。なぜか、私を指さして。

 いや、あんたの敵、あっちだから。私はあごをふって合図する。彼はあわてて向きを変える。

「貴様らの悪事もこれまでだ!」

 朝倉リョウはそんな言葉に肩をすくめる。

「まさか、君がこんなにあっさり罠に引っかかるとは思わなかったよ」

「ふん、罠であることは承知の上だ。昔の人はこう言ったものだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、とな」

 丸腰の涼宮ハルヒコに対して、竹刀を持つ朝倉リョウ。おまけに、まわりには男子計四人がひかえている。圧倒的不利な状況なのに、よくもまあ、そんな能天気なセリフが言えたものだと私はあきれる。

 例えるならば、仲間を救出するべく、罠にとびこんだ黒い害虫である。安っぽい正義感にかられたところで、人類科学の集大成であるトラップから逃れるすべはない。「虎穴に入らずんば……」という遺言を残し絶命した黒い害虫は何匹いることか。

「心配するな、キョン子」

 彼は横目で私を見て話しかける。

「SOS団の辞書に不可能の文字はない」

 いや、そんな言葉で片付けられては困る。今は私の人生最大のピンチなのだ。

「それより、キョン子。おまえに言いたいことがある」

 朝倉リョウの動きを意識しながら、彼は私に真剣な声で話しかける。

「おまえはSOS団員その1だ。俺は古泉を副団長にしたが、団員その1というのは、かなり偉い。団長の俺ほどではないが、副団長に匹敵するといっていい。少なくとも、みつるよりは待遇いいから安心しろ」

 この期に及んで、そんなことをマジメに話す彼の姿に、私は心底あきれかえる。もしかして、こいつ、その程度のことで私が辞めたと思っているのか。

「だいたい、私は部に戻るつもりは」

「じゃあ、名誉団員その1だ。名誉市民と同じく、その称号は団長である俺が、勝手に与えることができる」

「そんなことを言ってる場合じゃ」

「そうだ、久闊を叙すのはそれぐらいにしてもらおう」

 朝倉リョウが竹刀を床で叩く。さすが剣道部ホープだ。動きが実にサマになっている。どこから見てもこちらに勝ち目はない。こういうとき、私は何をすればいいのだろう。何か叫んだほうがいいのだろうか。そう考えあぐねていたときだ。

「とりゃー」

 そんな幼稚なかけ声とともに、上からまた何かが降ってくる。だが、見事に着地に失敗。いてて、と腰をさすりながら立ち上がるその影に私は思わず叫ぶ。

「みつる先輩!」

「やあ、キョン子さん」

 まさか、みつる先輩も罠に引っかかるとは思わなかった。って、わざと落ちたんだよな。とりゃあ、とか言ってたし。

 新たなる小柄な侵入者に、朝倉リョウ一味の間に動揺が走る。

「おい、話がちがうじゃないか。一人だけで来いと言ったはずだぞ」

「キョン子を人質とってる分際で、偉そうなことほざくんじゃねえよ」

「おまえ、人質がどうなっていいのか?」

 その言葉に合わせ、隣の子が刃物を私に近づける。ちょっと、だいじょうぶなのか。人質の身柄安全こそが最優先事項ではないのか。

「そこどいて!」

 そんな声が頭上から聞こえたと思うと、またもや人が落ちてきた。三人目の落下傘部隊である。不恰好な体勢でマットに沈み、見事に下着をさらしたその女子が誰であるかは、もはや書く必要あるまい。ひとまず、彼女の下半身に周囲の視線が集中する。ピンクか。ピンクだな。そんなささやきが聞こえた気がする。

 パンパンとスカートをはらい、えへん、と咳払いをして、彼女は言う。

「SOS団副団長、古泉イツキ。ただいま参上!」

 調子のいい自己紹介をして、イツキは私にウィンクをする。

「キョン子ちゃんをいじめるヤツは、このあたしが許さないんだから」

 いや、来てくれたことはありがたいのだが、なんなんだこの作戦は? 飛び箱にひそんでいる長門くんを含めると、SOS団全員が集結したことになる。これ、猪突猛進といわないか?

「ふん、物量作戦ときたか。しかし、それでもこちらが多勢。それに、約束を破ったことは許すわけにはいかないな。おい」

 そんな朝倉リョウの命令に、私の隣の女の子がびくっとなる。やばい。私も思わず目をつぶる。

「ちょっと待て!」

 大声で涼宮ハルヒコが叫ぶ。

「もし、キョン子を傷つけたら、どうなるかわかってるよな」

 彼の鋭い眼差しに、彼女の震えは止まる。

「傷害って犯罪だぜ。おまえらが勝とうが、俺たちが勝とうが関係ない。おまえは犯罪者になるんだ。いいのか、それで?」

 犯罪、という言葉に、彼女はびくっとする。

「傷跡っていうもんはなかなか消えないからな。傷をつけられた者は、絶対にその恨みを忘れたりはしない」

「おい、こいつの言うことなんか聞くな」

 朝倉リョウも負けじと声を張りあげる。

「誰も涼宮を信じるヤツはいないんだ。教師だって我々の味方だ。だから、だまされるな。お前はだまって俺に従えばいいんだよ!」

「ほらな。こういうことしか言わないヤツなんだ。朝倉ってヤツは」

 涼宮ハルヒコはあきれた顔で、彼女に話しかける。彼女はナイフをどこに向けていいのか戸惑っているようだ。

 彼は戦意を喪失した彼女にゆっくり近づいてくる。すっかり私も安堵の息をもらす。しかし、敵はだまって見てはいなかった。

「勝手なことをぬかすな!」

 そんな声とともに、朝倉リョウは涼宮ハルヒコの脇腹に強烈な突きを見舞った。それを避けられるはずがなく、彼の身体は吹き飛ばされる。私は思わず、彼の名を叫ぶ。

 しかし、それと同時に、朝倉リョウの身体が崩される。みつる先輩だ。彼の下半身をすくいとるように、みつる先輩が襲いかかったのだ。思いもよらぬ方向からの奇襲に、朝倉リョウは倒される。みつる先輩はそのまま、彼の身体を押さえこんで叫ぶ。

「動くな」

 あっという間に捕まった朝倉リョウの姿に、場の緊張が走る。

「貴様、卑怯だぞ」

 そんな朝倉リョウのうめき声に、あきれた声が返される。

「なにいってんのよ。人質は取るわ、不意打ちはするわ、テレビの悪役よりもカッコ悪いわよ、あんたたち」

 イツキはそして、男子三人の前に立ちふさがる。

「おっと、こいつを助けたければ、あたしを倒すことね。言っとくけど、あたし、強いわよ。超強いんだから」

 あれ? いつの間にか形勢逆転してる? 涼宮ハルヒコは腹を抱えてうずくまったままだが、私の隣の女の子は、ナイフを床に下ろしたままだし、男子三人はイツキの口上にたじろいでいる。いや、もう一人、朝倉リョウの後ろにひかえていたボスがいるはずだ。私はそこに目を走らせる。誰もいない。

「助けてくれ!」

 親玉はあわてて出口に向かって逃げていた。おい、あんた、リーダーじゃなかったのか。彼はそのまま出口の上の床を空けて、もう一度、叫んだようだ。

「助けてくれ、涼宮ハルヒコが暴れてる!」

 その声に合わせるように、頭上の足音があわただしさを増していく。

「ふふふ、作戦どおりにはいかなかったが、これでおまえらはジ・エンドだな」

 みつる先輩におさえられたまま、朝倉リョウが言う。

「あの人にかかれば、お前たちを悪役に仕立てあげるなんてわけない。なにしろ、生徒会役員だからな。お前たちみたいな連中の言葉なんぞ、どの教師も耳を傾けないはずだ」

 私の隣の女子が、急いでナイフをしまっているのを見て、みつる先輩も朝倉リョウを放す。先生たちが次々と降りてくる。

「朝倉!」

 私たちのクラスの担任の声だ。

「まさか、おまえが、こんなことやってたとはな」

「いや、あの、僕たちは」

「まだ言い訳をするつもりか、お前」

 はっきりそう言いきる先生の口調に、朝倉リョウとその一味の顔色が青ざめている。

「だから、この涼宮たちが」

「お前が主犯者だったことは知っている。言い逃れをしてもムダだ」

 その言葉を聞いて、朝倉リョウは、わなわなとへたりこむ。どうやら、観念したようだ。

「キョン子さん、無事だった?」

 みつる先輩が私に声をかけて、ロープをほどいてくれる。君たち怪我はないか? そんな先生たちの言葉に、ええ、だいじょうぶです、と答えながら。

「どう? あたしの演技力、たいしたもんでしょ」

 イツキは私の前にしゃがみこんで、自慢そうに言う。

 しかし、そんな二人よりも、私は彼の背中を追う。涼宮ハルヒコは倒れたままだ。先生たちが朝倉一味を連れて行こうとする横で、私は彼にかけよった。

「だいじょうぶなの?」

 身体を起こそうとすると、激痛が走ったみたいで、彼はうめき声をもらした。

「すまん、しばらくこのままでいさせてくれ。痛い」

「まったく、何も考えず行動するからこうなるのよ」

「いや、これも作戦だったんよ、キョン子さん」

 みつる先輩が後ろから声をかけてくる。

「ハルヒコ君がみずからオトリになるって作戦で」

「そんなの、たまたまうまくいっただけで」

「すでに長門君から状況は聞いてたからさ」

「長門くんが?」

 私は飛び箱の方を見る。飛び箱が動いた様子はない。

「そうそう、今回のMVPはあのメガネ君よね」

「そんなことはない」

 長門ユウキの声がする。いつの間にか、私の目の前に立っている。相変わらず平然とした様子だ。

「捕らわれた彼女が冷静だったことが、被害を最小限におさえられた一番の理由」

「うん、あたしだったら、わんわんわめいて、口封じされてたかもね」

「まあ、無事で何よりだよ。キョン子さんも、ほかのみんなも」

「俺は無事じゃねえけどな」

「そうよ、いちおう団長なんだから、もうちょっと、こいつのことも心配しなさいよ」

 そんな私の声に、皆が笑う。あの長門くんですらも笑みを浮かべている。やはり、能天気な連中だ。ついさっきまで捕らわれていたというのに、彼らといるとあっという間にそんなことを忘れてしまう。

「そ、それよりも」

 私は立ち上がる。やはり、言うべきことは言わなければなるまい。

「あの、助けてくれて、ありがとう」

「いやいや、謝るのは団長よ。団長が余計なもの探すから、キョン子ちゃんが犠牲になったんだよね」

「うるさい。朝倉のヤツの悪事も暴けたし、いいじゃないか、これで」

「ユーレイはいなかったけどね」

 イツキはいたずらっぽく笑みを浮かべる。

「じゃあ、負傷の団長の代わりにあたしが宣言します。キョン子ちゃん救出作戦、大成功!」

 みつる先輩の拍手とともに、旧用具室でくりひろげられた事件は終わりをむかえた。誰ひとり怪我人をださず、SOS団は目的を達成したのだ。しかし、私はまだ疑問だらけだった。いったい、長門くんはどこで何をやっていたのだろう。

 

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