(3)「ちょっと、一緒にご飯食べない?」

 

 その日の夜の電話で、私はグッチとクニと長い話をした。二人とも私を許してくれた。でも、その日以来、私と二人との間には何だか壁ができてしまっていた。それまでの親しみが感じられなくなった。私の気のせいかもしれないけれど。

 一週間が過ぎた。退屈な日々も過ぎ去ってみると早いもので、日記帳には二行しか書けないような毎日が続く。何かを待っているのだろうか、それとも何かをすべきなのだろうか。そんなことすらもわからないまま、私はぼんやりと学校に通っていた。

 だから、昼休み、クニとグッチとお弁当を食べようとしていたときに、彼女から声をかけられるとは思わなかった。

「キョン子ちゃん」

 ふりむくと、そこには古泉イツキの姿があった。

「ちょっと、一緒にご飯食べない?」

 私には断る理由がなかった。正直、ほっとした気持ちがあった。あの日以来、SOS団員に初めて声をかけられたのだから。私はクニとグッチに、ごめんね、と言って、立ち上がる。

「ねえ、あそこの渡り廊下で食べようよ」

 彼女が指さしたのは、三階の南校舎と中校舎をつなぐコンクリートの渡り廊下。屋根やベンチなんてものはないただの通路。そんなところでお弁当を食べている子なんて見たことがなかった。

「あたしさ、高校生になったら、屋上でお弁当を食べるのが夢だったの。でも、うちの高校って、屋上に行けないじゃん? なんか、成績が悪かったとか、そんなくだらない理由で飛び降り自殺した子がいて、それ以来、立ち入り禁止になったんだって。ホント、ひどい話だよね。こんな天気のいい日に、教室で食べるなんて、バカみたいだと思わない?」

 いや、渡り廊下で食べるほうがバカみたいじゃないのか、と思いながらも、あの日と変わらぬ口調で話しかける彼女がうれしくて、私は笑って同意する。

「よし、ここだ」

 彼女はそして腰をおろす。

「敷物とかないの?」

「いいじゃん、たかが制服なんだし」

 それよりも、そんなはしたない座り方では下着が見えるんじゃないか。いや、見せているのか、彼女の場合は。

 私は仕方なくハンカチを敷いて、膝の上にお弁当を乗せる。彼女の昼食は、学校の近くの店で売っているパン二つだけみたいだ。

「しかしまあ、キョン子ちゃんも意地っぱりよね。団長もだけど」

 久しぶりに「団長」という言葉を聞いた気がする。あいつ、そんなふうに呼んでくれと言ってたな。

「わかってると思うけど、いつでも部室に戻ってきていいんだよ。キョン子ちゃんの椅子はいつでも用意してるんだから。でも、問題となるのは団長なんだよね。多分ね、キョン子ちゃんがその気になって戻ってきても、団長は喜ばないと思う」

「まあ、私から辞めちゃったわけだし」

 私はお弁当箱を開きながら言う。

「ちがうちがう。そういうことはどうでもいいんだよ。もうね、団長の中では、キョン子ちゃんとの約束をかなえることしか頭にないみたい」

 約束? そんなものしたっけ?

「宇宙人とかなんだかよくわからないけど、そういうのを見せること。もし、それを発見できたら、キョン子ちゃんを部室に戻す口実ができるんだって。だから、必死になってる。あたしたちなんか置き去りにしてさ」

 踊り場で両肩をにぎられたあの日のことがよみがえってくる。「バカみたい」と教室で言ったあとのことだ。あのときはまだ、あいつとほとんど話していない関係だったっけ。

「でも、あの約束って、その場しのぎのようなもので」

「そうだよね。女の子からすりゃ、適当に言ったことなんだよね。でも、男の子はそれを本気で信じちゃう。バカだからね、男は」

 彼女はカレーパンをかじりながら、偉そうにそんなことを口にする。

 私は雨の日の涼宮ハルヒコの姿を思い浮かべる。彼が雨にぬれながら、必死でなにかをさがしていた瞳の向こうには、もしかして、私の姿があったというのか?

「まあ、それは恋愛みたいに深刻なものじゃないけどね。団長はそういうことをしている自分に酔ってるだけなのよ。でも、いいじゃん。団長の中ではキョン子ちゃんの存在っていうのは大きいし、キョン子ちゃんだって団長のことを忘れちゃいないでしょ? そういうのって、なかなかいい関係よ」

 たしかに、私はいまだに涼宮ハルヒコのことを考えている。気を抜くと、彼が何をしているのかとか、部室かどうなっているのか、そういうことばかりを思い浮かべてしまう。

「まあ、そんなおかげで、あたしたちは何もすることがないわけよ。団長に手伝おうかって言っても、一人でやったほうが早いっていうし。仕方ないから、みつる君とオセロばっかりしてるのよね」

 また、オセロやっているのか。しかし、みつる先輩、オセロ好きだな。

「あの子、強いのよね。あたし、十回やって一回勝つのがやっとぐらいよ。仕方ないから、メガネ君にやらせてみたら、あっけなく負けちゃったりするし。どうも、あの子って、相手によって打ち方変えてるところあるよね」

 そうなのか。怪しいと思っていたが、やはり手を抜いていたのか。それにしても、彼女相手には本気で、私には手加減するってどういうことだろう。もしかして、みつる先輩、私のことバカだと思ってる?

「そうそう、みつる君って、お茶いれるのうまいのよね。キョン子ちゃんが戻ったときには、おいしいお茶いれるって張りきってるわよ。以前、ほめたらしいじゃん? それで、うれしくなったみたいでさ。いろいろ、道具とかお茶っ葉とか持ってきて試しているみたい。なかなか凝り性なところあるよね、あの子」

 そんな話を聞いていると、気分が楽になっている。私がウジウジしているときも、あいかわらずみつる先輩はわけわからないことをしているみたいだ。

「そんなふうに、あたし、マジメに部室行ってるのよ。副団長だけに。すごいでしょ?」

「でも、バイトとかあるって」

 箸をとめて、私は言う。

「ああ、あれはウソ。いろいろ断るとき便利じゃん。バイトしてるって言ったほうが」

 当然のようにそんなことを話す彼女は、とても同級生には見えなかった。私と同じ十五歳、いや十六歳かもしれないけど、高校一年で、どうしてそんなふうに物事を考えることができるんだろう。

「あのね、あたしはいつも思ってるんだけど、女の子って、どうしても男の子に合わせちゃうところがあるじゃん? だからね、くだらない男と付き合ったら、どんどん自分がダメになっちゃうんだよ。その点、キョン子ちゃんは幸せ者だと思うよ。団長って、たいしたヤツだから」

 あまりほめられている気がしないのだが、涼宮ハルヒコといるときの時間は嫌いじゃなかった。あいつと話さなくなって、どんどん自分がイヤになってきたけど、実はそれが当たり前のことだったのかもしれない。

「でもね、キョン子ちゃんたちの場合、このまま卒業しちゃうっていう事態もありえるわけ。宇宙人があらわれないことには話が進まないからね。あたしとしては、それだけは避けたいと思ってたんだけど、世の中、神様っているのよね。ちょっと面白いことが起きてるのよ」

 なんだなんだ? ひょっとして、本当に宇宙人があらわれたっていうのか。

「ウワサでしか知らないから、どうなるかわからないんだけど、あたしの予感が正しければ、キョン子ちゃんもそれに巻きこまれるんじゃないかなあ」

 いたずらっぽい眼差しで、彼女は私を見る。

「どういうこと?」

「それは実際に起きてのお楽しみー」

 彼女はそして私の前にしゃがみこむ。

「ねえ、これ、ちょうだい?」

 最後に残していた、とっておきのウィンナー。それを指さしたかと思うと、彼女は手づかみであっという間に口の中に入れる。いや、それ、私にたずねる意味ないんだけど。

 そんな自分勝手な彼女なのに、私はなぜか怒る気になれなかった。

「ということで、現状報告終わり! あたし、副団長らしいでしょ?」

 私は笑う。これが彼女なりの優しさというものだろうか。でも、こういうの、私は嫌いじゃない。

「イツキちゃん」

 歩きだした彼女の背中に、私は声をかけた。

「また、一緒にご飯食べようよ。今度は私が誘うから」

 彼女はふりむいて、ニッコリする。

「いいよ。あたし、いつも一人でヒマだからさ」

 そして、そのまま歩いていく。今までに会ったこともない自由気ままな彼女。でも、そんな彼女のことを、私は親しく感じるようになった。もし、SOS団に戻らなくても、彼女とは友達になりたいと思った。

 

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