(9)「イヤだ!」
「じゃじゃーん」
上機嫌で、古泉イツキが見せたものは、まがうことなき、バニーガールの衣装二式だった。
やはり、彼女は本気だったのだ。冗談かもしれないという私の淡い期待にこたえるほど、古泉イツキという女は甘くないのだ。
散々なことがあった翌日も、私は部室に来ていた。女子にとって、ここまで来たら、引くに引けない状況である。ただし、涼宮ハルヒコが気をきかせば、何とかなる状況ではあった。例えば、ビラを用意しないとか。
しかし、部室の机には、数百枚のビラが置いてあった。先生をごまかして、学校の印刷機を使ったらしい。その行動力は見上げたものだが、あいにく、今の私にとってはまったくありがたくなかった。
「じゃあ着替えるから、男子部員は外にでてよね。ほら、そこのメガネ君も」
長門ユウキも席を立った。これまで、いかなることにも動じなかった彼も、古泉イツキの言葉には従うようだ。私の逃げ道は完全に断たれてしまった。
「キョン子ちゃん。お着替えタイム、スタートだね」
ドアの鍵をしめて、カーテンを閉ざして、古泉イツキはうれしそうに私に近づく。
「どう着たらいいのか、わかるよね」
「わかる」
私は彼女の顔を見ずに答えて、バニー衣装を正視する。まず、タイツをはいて、尻尾のついたスーツを身につけて、小道具をつける。ハイヒールも準備している。何とも本格的だ。
私は椅子に座って、靴下を脱ぎ、網目模様のタイツをはく。伝線しないように慎重に。
「へえ、最初に脱がないんだ」
その声の方を向いてみると驚いた。古泉イツキは早くも下着一枚の格好になっているではないか。形のいいバストがあらわになっている。
予想していたよりも、大きい。
一瞬、その胸に釘づけになってしまった自分が悲しい。
「キョン子ちゃん、早くしないと、のぞかれちゃうぞ」
私はそんなに早く制服を脱ぐことなんてできない。やはり、彼女は慣れているのだろうか。その、こういうことに。
タイツをはき、ゆっくり制服を脱いでいく。彼女の視線が気になる。私の何を見ているんだろう。私には彼女に勝てる要素が何もない。スタイルの良さもルックスの良さも。
「ね、ねえ」
なんとか気をまぎらわせるために、彼女に話しかけることにする。
「なんで、イツキちゃんは、その、この部に入ろうとしたの?」
我ながら、イツキちゃん、と呼んでしまうところが情けない。
「そりゃ、団長の顔がマジだったから」
「え?」
ブラのホックを外そうとした手が止まる。
「最初は断ったんだけどね。それでも、しつこく誘われたのよ。すっかり、あたしにホレちゃってるのかと思うぐらい」
「そ、そうなの?」
「でも、そうじゃないんだよね。とにかく、あたしがいないと最強になれないとか必死に言うわけ。じゃあ、あたしも本気にならなくちゃと思ってね。だから、これ」
「これ?」
「うん、バニーガール」
「……なるほど」
私はすっかりフザけてると思ってたけど、彼女にとっては真剣だったのか。こういうの、勝負衣装っていうのだろうか。
「で、なんで、私も?」
「だって、あたし、キョン子ちゃんのバニー姿、すごく見たいし」
そんなこと言われてもうれしくない。うれしくないけど、返す言葉が見つからなくて。
「そうそう、あたしが入った理由のひとつは、キョン子ちゃんなんだよ」
「え?」
「団長ったら、キョン子ちゃんのこと、あたしにいろいろしゃべってきてさ。そのうち、どんな子なのか気になったっていうか」
「……ガッカリしたでしょ。実際に会って」
「そんなことないって。最初に言ったじゃん。キョン子ちゃんのこと、かわいいって」
ええと、これ、お世辞だよな。どう反応すればわからず、私は彼女に背を向ける。ブラのホックをはずし、バニースーツを着ようとする。ご親切にも胸にパットがついている。えいっ、と足を伸ばすが、うまく入らず、バタバタする。
「キョン子ちゃん、あわてないでよ。もう」
うれしそうに古泉イツキは近づく。すでに、バニー衣装に身を包んでいた彼女は、どう見ても同級生には見えない。って、私もその衣装を今着ているのか。
「ほらほら、支えてあげるから」
やたらと親切な彼女が怖いが、この状況ではその好意に甘えることしかできない。どうせ、着終わったあとで、私の無様な姿を見て笑うにきまっている。それにしても、背中がスースーするんだけど、これでいいのか。
「あと、これとこれ」
リストバンドと蝶ネクタイみたいなものを渡される。言われるがまま、私は身につける。
「で、最後に……」
彼女は私の髪留めのゴムを外す。これまでの私の象徴であったポニーテールがほどけていく。
軽やかに彼女は私の髪をブラシでといて、ウサギの耳がついたヘアバンドをつける。もはや、自分が自分でなくなったみたいだ。
「よし、完成!」
彼女は満足そうに私を見る。これで、私は目の前の彼女と同じ格好をしているということになるのだろうか。鏡はあったっけ? 私、今どんなふうになってるんだ?
「じゃあ、入っていいよ」
古泉イツキはドアを開ける。あの、ちょっと、心の準備というものができていないんですけど。
待ちかねていたであろう男性陣がずかずかと中に入る。おおー、というどよめきが聞こえたような気がする。
「どうでしょ? なかなか、かわいいでしょ?」
「うん、キョン子さん、いい感じじゃん」
そんなみつる先輩の声が聞こえる。いや、ここは笑うところだろう。馬子に衣装とはこのことだ。それより、古泉イツキを見ろ。あの美人のバニー姿なんだぞ。胸だってたっぷりある。それに比べりゃ、私なんてオマケだ。意地張って、こんな格好をしたバカ女だ。
「へえ、やればやるもんだな」
涼宮ハルヒコもよくわからないことを言っている。
「そうよ、歴史と伝統あるバニーガールをなめないでほしいわ」
古泉イツキはそう言って、私のところにかけよる。
「じゃあ、これから、ビラ配りに行こうよ。もう、キョン子ちゃん、みんなの注目の的よ」
「イヤだ!」
自分でも信じられないほど大きな声がでた。一気に場は沈黙する。
「こんな格好で行きたくない。行けるわけないじゃん!」
古泉イツキはかけよる。
「だいじょうぶだって、あたしが一緒なんだし。恥ずかしさは半分こだから」
「イヤだ!」
ほら見ろ、あの長門ユウキですら、SF小説から目を離して、私を凝視している。いつもと全然ちがう表情している。涼宮ハルヒコだって、みつる先輩だって、私を変な目で見ている。こんなバカな格好をしているんだから当たり前だ。みんな笑いたくてうずうずしているんだ。
「もう、キョン子ちゃんったら」
古泉イツキの甘くささやく声がする。そして、彼女は私の後ろにまわり、そして、私の耳を……。
「えいっ!」
彼女の歯の感触が耳たぶをふれたとき、私の緊張の糸はぷっつん切れた。私はへなへなと地面に座りこむ。どうやら、腰を抜かしてしまったらしい。
さて、ここからの描写は非常に難しい。なぜなら、私は情けないことに、泣いてしまったからだ。といっても、子供のように、うわーん、と大声で泣き叫んだわけではない。それぐらいの分別は私にだってある。私はじわっと涙をこぼした。それから、いろいろなものがふきだしてきた。
だいたい、なんでこうなるの。宇宙人とか探してたんじゃないの。なんでバニーガールなのよ。どうして、こういう部員を入れるのよ。それに、みつる先輩はオタクだったし、SFばっかり読んでいる植物人間がいるし。なにがSOS団よ。笑わせないでよ。私のことをさんざん無視して、なにがSOSよ。変人、変態、植物人間。そして、最後の一人は、かの有名な古泉イツキちゃんときた。どうなのよこれ? 私にいさせる気、ないんでしょ? 私のこと、からかってるんでしょ? みつる先輩だって、すっかり外見にだまされたわよ。結局、ただのオタクじゃん。そして、涼宮ハルヒコ! あんたにちょっとでも同情した私がバカだった。ほんとにホントにバカだった。あんたになんか声かけなくちゃよかった。そうすりゃ、私は今ごろ平和な日々を満喫できたわけよ。どうぞ、私のことなんて無視して、奇人コンテストにでも応募してみたら? けっこういいところいくわよ、あんたたち? もしかしたら、宇宙人より変じゃないの?
そんなことをぶつぶつつぶやきながら、私は床を叩いてみた。手が痛かったが、感触は悪くない。だから、私は床を叩き続けた。
想像してほしい。バニーガールの姿をした女の子が、よくわからないことを言いながら、床をドンドンしているのだ。これはもう、気が狂ったといわれても仕方のない醜態だ。
それでも、涼宮ハルヒコは近づいてきている。なんだか、私に言いたいことがあるらしい。今さら何を言うつもりだ。すべての元凶はおまえじゃないか。声を聞くだけで腹が立つ。私は手を伸ばす。何かをつかむ。椅子か。ちょっと重いけど、まあいいか。私は全力でにぎりしめる。まだ、涼宮ハルヒコは目の前にいるようだ。バカなヤツだ、ホントにバカなヤツだ。
「やばい。止めなさい!」
古泉イツキの声がする。それにすばやく反応して、みつる先輩が、私の手をおさえる。私は動けなくなって、ジタバタもがく。
「ほら、ビラ配りに行くわよ」
「だって、キョン子のヤツが」
「早く部室からでないと、あんた殺されるわよ!」
「で、でも……」
「いいからいいから」
そうして、目ざわりな二人は、私の視界から消え去る。同時に、私を突き動かしていたものがやわらいだ。
でも、涙は止まらない。私は考える。なんで泣きだしたんだろう。だいたい、自分でやると言っておいて、いきなりイヤと言いだしたら、そりゃ涼宮ハルヒコみたいなバカだって困る。結局、自業自得じゃないか。そう思うと、自分がみじめになった。つくづく自分が情けなくなった。
「キョン子さん、落ち着いた? ほら、椅子に座ったら?」
みつる先輩が優しい声をかける。その言葉に甘えさせていただく。
「とりあえず、お茶、用意したから、飲みなよ」
机には、緑茶が用意してあった。きめ細やかなサービスだ。ずずーっと飲む。身体があたたまった。
その横にはティッシュが置いてある。できれば、トイレに行きたかったが、この格好ではどうすることもできない。チーン、と鼻をかむ。
「ありがとう、お茶、とてもおいしい」
「どういたしまして」
気さくにほほ笑むみつる先輩がまぶしい。
「ごめんね、みつる先輩」
涙が落ちついたあと、しゃっくりをしながら、私は話しかける。
「あの、その、オタクだなんて言って」
「いいって、気にしないでよ。まあ、サブカルチャーに一定の理解がある、と言ってほしかったけどね」
「でも、ごめんなさい」
「それより、長門君にも謝りなよ。この上着、長門君のだし」
気がつくと、私の肩には制服が乗っかっていた。いつの間に、そんなことをしたのだろう。長門ユウキはワイシャツ姿で本を読んでいる。
「ごめんなさい、長門くん。変なこといって」
彼は私を見て、短く答える。
「いい」
どうやら、許してもらえるようだ。あいかわらずメガネの奥の眼差しが何を考えているのか、よくわからないのだが。
だんだんと頭が冷静になり、自分が何も考えずわめいた言葉が思い起こされる。ずいぶんとひどいことを言ったものだ。いや、いつも頭でそういうことを考えているから、あんな言葉が出たわけだ。ひどいのは私の心なのだ。
涼宮ハルヒコと古泉イツキは、私が謝ったら許してくれるだろうか。意外とすんなり許してくれるかもしれない。そうすれば何もなかったように、SOS団とやらは続いていくのかもしれない。
でも、それでいいのだろうか。
私はみつる先輩の用意してくれたお茶を飲みながら考える。そして、一つの結論を出した。
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