(8)「いったいどういうことなのよ、これは!」
殊勝にも、その翌日、みつる先輩は部室に顔をだした。読書をする長門ユウキを背景に、私たちは今日もオセロゲームにはげむ。
「いやね、家のパソコンでずっと見張ってたんだよ。ハルヒコ君がアレを載せるかどうか」
「そんなこと、学校でもできたんじゃ」
「だって、学校にいたら、ずっと部室にいるわけにはいかないし」
「人気者だからね、みつる先輩は。クラスじゃ、いろんな女の子の相手で大いそがしなんでしょ?」
「そんなことないって」
そうおだてながらも、心の中では、みつる先輩ってけっこう陰湿な性格なのかも、と思っていた。まだ、学校で涼宮ハルヒコを監視していた方が、人として許せる気がする。
「でも、実際に載せられたらどうするの?」
「だいじょうぶ。すぐに削除するから」
「だって、家にいるんでしょ?」
「アカウントの設定は僕がしたからさ。どこでもデータをかきかえることはできるんだよ」
よくわからないが、みつる先輩はたいした実力の持ち主のようだ。これがウワサに聞くスーパーハッカーというものかもしれない。しかし、そっち方面で頼りになる人が身近にいても、全然うれしくない。それよりも、みつる先輩のイメージがどんどん下方修正されていく方がつらい。三日前は、純真無垢な少年だと信じてきっていたのだが。
「でも、みつる先輩が部に残ってくれて良かった」
「え? どういうこと、キョン子さん」
「昨日心配したのよ。みつる先輩やめるんじゃないかって」
「ごめんごめん。そういうつもりじゃなかったんだけどな」
そう謝るみつる先輩の仕草は、やはり、愛らしかった。うん、たとえ中身はオタクでも、この外見だったら許してあげようではないか。私は寛大にそう思う。
「でも、今日って何するんだろう? キョン子さんは知ってる?」
「ポール君を連れてくるって」
「誰それ?」
そう、涼宮ハルヒコの言葉によれば、彼に匹敵するほどの実力の持ち主、ポール君が、今日は入部するらしいのだ。いったい、どんな生徒なのだろう。私の変人図鑑を書きかえるほどの逸材だろうか。
そんなのんきなことを考えていると、ドアの外から声が聞こえる。えー、ここ、文芸部ってかいてるじゃん? それは予想に反して女子の声だった。
扉が開き、涼宮ハルヒコが顔をだす。
「紹介しよう。これが五人目の部員だ」
「ハーイ、よろしくう」
そんな甘えた声をだして、女子生徒が中に入ってくる。その姿を見て、私は目をうたがった。
髪の色は抜いている。スカートは短い。耳には金色のピアス。そして、部室にただようフレグランスの香り。
地味な生徒が多い我が北高で、ひときわ目立つ彼女の名前を私は知っていた。いや、知らない女子は一人もいなかった。とことん悪いウワサとともに。
「あたしが、新しい団員の、古泉イツキでーす」
そんな間延びしたあいさつをして彼女はほほ笑みかける。私は愛想笑いすらできなかった。
古泉イツキという子のことを好意的に見ている女子は、私のまわりには誰もいなかった。援助交際をしているだの、怪しい店でバイトをしているだの、様々な風説を聞いた。クラスメイトには相手にされていないものの、まったく気にしていないらしい。親しい上級生がいるらしく、手がだせないそうだ。私はイジメには反対だが、彼女の味方になるのは、正直ためらってしまうところがある。
ただし、これは女子の意見である。男子はそうではないだろう。なぜなら、古泉イツキは美人だからだ。メイクにしろ、髪の色にしろ、彼女は自分を美しく見せるにはどうするべきか、知りつくしていた。そして、その魔力を、彼女は最大限に利用していたのだ。だから、先生には何も言われず、クラスメイトはこそこそとウワサすることしかできない。私にとって、もっとも関わりたくない女子、それが古泉イツキだった。
彼女は軽やかに歩きながら、そんなことを考えていた私を見て、またもやニッコリと笑う。思わず、私は目をそらす。それでも、彼女は私の隣に座る。
「ということで、五人そろったことだし、我が団も正式に活動を開始することにする」
私の戸惑いに気づこうとせず、涼宮ハルヒコは話しはじめる。
「ちょっと、団って何の話?」
「さすがみつる、早くもそのことに気づくとはな。では、まず我が団の名称を発表しよう。その名前とは!」
「SOS団、でしょ?」
古泉イツキが最悪のタイミングで声をかける。
「ちょっと古泉、それ、俺のセリフだから」
「いいじゃん。なかなか面白い名前だしさ」
「ハルヒコ君、SOS団ってどういうこと?」
「『世界を、大いにもりあげる、涼宮ハルヒコの団』の頭文字をとって、SOSってことらしいわ。さっききいたところによると」
「へえ」
みつる先輩も続く言葉がないようだ。この「SOS団」なる名称には、私もあきれてしまったのだが、それ以上に古泉イツキの存在が、私に声をださせることをためらわせた。
こうして、面子を潰された涼宮ハルヒコだが、こほん、と咳払いして、おおげさに両手を広げ、話し始める。
「とにかくだ、この世界を大いにもりあげるべく、我が団は結成された。まだ解明されていない世界の怪奇現象。我々はそれを探り、それを知らしめ、退屈な日々にむしばまれた人々の心を解き放たなければならない。その崇高なる理念の下に、我々は活動を開始する。我々は誰にも支配されず、我々は何ものにも束縛されず、常識を疑い、非常識を受け入れよう。予測された明日ではなく、予測されない未来を目指し、我々は前進していこうではないか!」
その大げさな演説に拍手をしたのは、古泉イツキのみだった。みつる先輩も私も、ただあきれている。よく考えると、何をするかも知らされないまま部員になったようなものだ。これはちょっとした詐欺ではないのだろうか。
「はーい、あたしはそんな団長についていきまーす」
しらけきった部室の中で、調子のいい声が隣から聞こえてくる。団長ってなんだよ、と私は口にださずにつぶやく。もしかして、涼宮ハルヒコは応援団長にでも憧れていたのか。私はイヤだぞ、そんな男くさい部活は。
「そうそう、諸般の事情により、彼女、古泉イツキを、副団長を任命した。なお、俺は団長だから、これからは『団長』と呼ぶように」
「ちょっと待ってよ、ハルヒコ君」
みつる先輩が、律儀に挙手して反論する。
「諸般の事情ってどういうこと?」
「だって、団長がそう言ったんだもん」
きいていないのに古泉イツキが口をだす。
「ね、そうだよね? 団長」
「まあ、とりあえず、だな」
涼宮ハルヒコも古泉イツキ相手には分が悪そうだ。せっかくの所信表明演説も、これでは説得力がない。
「とにかく、我が団はこのように発足した。さて、まずやるべきことはなにか? 現時点で、我がSOS団を知る者は、この高校では皆無といっていい。すでに、公式サイトは用意した。あとは、その認知度を高めなければならない」
「はーい、団長」
「なんだ古泉」
「最初は、ビラ配りをしたらいいと思いまーす。新装開店なんだし」
「そうだな。それは俺も考えていたことだ。すでに文面は用意している」
涼宮ハルヒコと古泉イツキの二人で、勝手なやり取りがかわされている。私の出番はないようだ。ずっと自分がいたはずなのに、ひどく場ちがいなところにいる気がする。それもこれも、古泉イツキみたいな女を入れるからだ。こういう女子は、場の空気を平気で壊し、あっという間に、自分の色に染める。
「でも、団長。ただビラ配りしたって、面白くないんじゃないでしょうか?」
「まあ、そうだよな」
「だから、目立つ格好でやればいいと思うんですけど!」
やたらとうれしそうに古泉イツキは提案する。
「着ぐるみとか、そういうの準備するの? あれ、高いらしいよ」
「ちがうわよ、キミ」
みつる先輩を「キミ」呼ばわりして、古泉イツキは続ける。
「バニーちゃんよ、バニー。実はあたし、バニーガールの衣装を持ってるんだよね」
これには、涼宮ハルヒコも驚いたようだ。戦利品のセーラー服で女装にいそしんでいた日々が、遠い昔のように思われる。
「つまり、その、おまえがバニーガールになるってことか」
「うん。で、もう一着あるんだよね」
そして、古泉イツキは私を見る。
「いや、さすがにみつるのバニーはまずいんじゃないのか」
「団長、何いってんのよ。彼女よ、彼女」
古泉イツキは私を指さす。ええと、こういうときは、どういう表情をしたらいいんだろう。
「彼女、かわいいじゃん。きっと似合うよ。黒と赤とあるんだけどさ、あたしは赤で、彼女は黒。想像してみてよ。面白そうじゃん?」
古泉イツキは、席を立ち、私の後ろにまわる。
「こういうふうにさ、うさぎの耳、ぴょこんとつけてさ。かわいくなるよ。ゼッタイかわいくなるって」
女子にとって、自分より明らかに美人の子に「かわいい」と言われることが、どれぐらい腹が立つことかわかるだろうか。正直なところ、私の心は煮えくり返っていた。もちろん、古泉イツキはそれを知っているのだろう。わかってて、こういうことをやっているのだ。
「でもなあ」
涼宮ハルヒコも、さすがに無言をつらぬく私に気づいたのか、何とか反論しようとする。しかし、美人を前にした男子ほど頼りにならないものはない。
「いいじゃんいいじゃん。ね、キョン子ちゃん?」
なにが、キョン子ちゃんだ。まだ、自己紹介していないのに、なんで、私のあだ名を知ってるんだ。どうせ、涼宮ハルヒコがべらべらしゃべったんだろう。ふざけるな。
ここで、バカみたい、と席を立って、部室から出ていけば良かったのだ。でも、それができない。古泉イツキは私の後ろでほほ笑んでいるのだろう。いざ、私が怒っても、舌をだして「ごめんごめん」と言って、すべてを水に流すつもりだろう。その気になれば、私を悪者にすることぐらい、彼女からすれば朝飯前なのだ。特に、こんな男子しかいない状況では。
「じゃあ、そういうことで」
我らが団長は、そんな歯切れの悪い言葉で、古泉イツキの提案を受け入れる。
「わかりました団長! 明日、バニーちゃんの衣装、持ってくればいいのですね」
「ああ」
「よし、そうと決まれば、さっそく準備ね。それじゃ、あたし帰るから。バイトあるし」
彼女は席を立つ。どこまで自分勝手なんだ、この女は。
「キョン子ちゃん、明日、楽しみにしててよ」
そして、私に声をかける。私は何もいわず、ぶすっとした表情をするのが精一杯だった。
古泉イツキが去り、部室に静寂が訪れたあと、私は口火を切る。
「いったいどういうことなのよ、これは!」
「いや、だから、ジョンとポール」
「ごまかさないでよ!」
私は机をドンとたたく。予想以上に大きい音がでて、自分でも驚く。
「そうだよ、ハルヒコ君。キョン子さんの身になってよ」
みつる先輩もそれに加勢する。
「いきなり、新しい部員が来て、しかも、副団長ってどういうこと? 副団長はキョン子さんでしょ、普通」
あれ? そういうところをついてくるのですか、みつる先輩。
「だって、そういう条件だったしさ。副団長といっても、名誉職みたいなもんだから、安心していい」
「いや、ハルヒコ君、そういう問題じゃなくてさ」
「いいじゃねえか。我がSOS団が最強であるためには、あれぐらいのヤツをも受けいれないとダメなんだ。……それに、あいつ、放課後いつもヒマそうだったしさ」
それは友達がいないせいだろ、と私は心の中でつぶやく。
「まあ、キョン子もさ、ああいうヤツだけど、女の子同士、仲良くやってくれよ、な?」
いったい、どういうふうにさっきの場面を見たら、そんなセリフがでてくるのか。彼の頭の中をのぞいてやりたい。
「で、明日、どうすんの」
私はやたらと低音で、声をだす。
「明日って、ビラ配りか。いちおう、やるけどよ、無理しなくていいんだぜ、その」
「私が、かわいくないから、胸ないから、無理するなってこと?」
「いやいや、そんなこと言ってるわけじゃなくて」
「じゃあ、やるわよ。古泉イツキと一緒に。バニーだか何だか知らないけど」
「ま、まあ、おまえがそう言うんだったら」
ふーっと私はため息をつく。それにしても、こういうときに何も言ってくれないみつる先輩がちょっと悲しかった。だまっているのが上策とはいえ、この状況を何とかしてくれても良かったじゃないか。この私が、バニーガール姿でビラ配りだぞ? 冗談じゃない。
そのとき、パタンという音がした。長門ユウキが本を閉じる音だ。こんな騒ぎの間でも、SF小説を読み終えたらしい。さすがとしか言いようがないが、何の助けにもならないので、人間というより植物と形容したほうがいいのかもしれない。そろそろ、人数にカウントすることをやめたほうがいいと思う。
こうして、我が部、いやSOS団は、五人目のメンバーを加えることになった。しかし、早くもチームワークはガタガタである。それもこれも、涼宮ハルヒコが、古泉イツキみたいなヤツを入れるからだ。いったい、なに考えてるんだ、あいつは。
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