(8)「だったら、自分で作ればいいんだよ!」

 

 その日の五時間目は数学だった。昼食のあとの数学となれば、眠くならないほうがおかしい。外は晴れているし、教科書は無理難題を押し付ける。因数分解をさらに分解すると、いったい何が残るというのだろう。だんだん数式が呪文に見えてくる。すでに、ノートをとる手は止まった。私の視界が闇に侵食されてゆく。できることならば、夢の中では方程式のない世界に……。

 いきなり、制服の襟をつかまれたかと思いきや、すごい勢いで引っぱられた。

 ゴン! そんな音が聞こえたのと同時に、私の後頭部に鈍い痛みが走る。

 私は意識を戻す。首をひねる。そこには、私の襟をつかんだ涼宮ハルヒコの姿があった。

「ちょっと、あんた!」

 私は立ち上がって叫んだ。すると、彼も一緒になって立ち上がる。

「だったら、自分で作ればいいんだよ!」

「だから」

「部活だよ、部活。俺たちの部活だよ!」

 彼は意味不明なことを誇らしげに訴えている。これまでの憂鬱一辺倒だった彼の表情とはケタちがいに晴れやかな顔を見せていた。

 しかし、そんな瞳に目を奪われたのも、つい数秒だった。きわめて現実的な私の頭脳は、教室の雰囲気をすばやく察知する。

 先生も生徒もみんな静まり返っていた。私たち二人にクラス中の視点が注がれている。

「今は授業中。あとで聞くから」

 彼にそう言い放ち、私は、どうぞお気になさらずにと、クラスにジェスチャーをする。何だか、涼宮ハルヒコ対策委員長として、初めてまともな活動をした気がする。

 いや、そんなことはどうでもいい。もし、私がこの髪型でなかったら、どうなっていたか? 私の後頭部は、涼宮ハルヒコの机の縁に直撃し、重傷を負っていたにちがいないのだ。このことに対しては、断固とした態度で厳重注意しなければなるまい。そう言い聞かせて、ふりむいた私だが、彼は無邪気な顔をしていた。笑みをこぼしながら「あとで」「あとで」と声にださずに言っている。

 私は彼の言葉を思いだす。「俺たちの部活」。イヤな予感だ。素晴らしくイヤな予感がする。「俺たち」という複数形があまりにも引っかかる。

 授業が終わると、案の定、涼宮ハルヒコは私の肩に手をかける。

「ちょっと来いよ」

 そして、私の手首をつかみ、教室を出て行く。

 連れていかれたのは、前と同じ、屋上に続く階段の踊り場。彼が足を止めたのと同時に、私は言った。

「イヤだからね」

「おい、まだ何も言ってないじゃないか」

「だから、イヤって言ってるの」

「だって、役割分担するとだな、俺が部室を確保して、おまえが部活設立に必要な書類を集める。それしかないじゃないか?」

 私は頭が痛くなってきた。話が飛びすぎている。さっき後頭部をぶつけたとき、記憶の一部を失ったのだろうか。

「部室の心当たりはすでにある。なんとなると思うから、そっちの方は安心しろ」

「ちょっと待って」

 私は彼の妄言をさえぎる。

「だいたい、宇宙人とか呼びたいんだったら、それらしい部に入ればいいんじゃないの?」

「だから、宇宙人だけじゃなくて、異世界人、未来人、超能力者もだ」

「オカルト研究部とか、そういうのないの?」

「ああ、あるよ」

 あったのか。そういえば、部員募集の掲示板には、わけのわからないクラブ名のポスターが多く貼られていた。私はどこにも入部する気がなかったから、あまり気をとめなかったのだけれど。

「でも、あいつらじゃダメだ。みんなで怪しげな本を読んで、その感想を言い合うだけで、全然、本気じゃない」

 さすが、涼宮ハルヒコ、オカルト研究部にも仮入部していたみたいだ。まったく、この行動力を別の方向に生かせないものか。

「だから、俺がやるしかないんだ」

「いったい、何部を?」

「俺たちの部活だよ」

 彼は大げさなジェスチャーでアピールする。何の答えにもなっていないが、これ以上問いつめても無駄なのだろう。

「で、なんで、私がすでにその部に入ったことになってるの?」

 きわめて常識的な質問であったはずだが、彼はきょとんとしている。

「だって、そうしないと、いざ、宇宙人、異世界人、未来人、超能力者があらわれたとき、おまえに見せることができないじゃないか」

「私は、それに協力するといったつもりは……」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。いてくれるだけでいいからさ」

 そして、彼は階段をかけおりてゆく。五月の間、つもりにつもった鬱憤を晴らすかのような勢いだ。

 動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、これ我が涼宮ハルヒコ君にあらずや。そんな言葉を思いつきながら、私はつぶやいた。やれやれ。

 

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