第五幕終章

AD三二七五年七月二一日午前九時一一分


 白い、天井が見えた。

 よく見る景色だと、毎度これを見て思う。いわゆる、医務室という奴だ。

 どれもこれも、無個性に白で固めている。


 手を一度その天井に向けた。一度握る。自分の物ではない。兄の、村正の物だった手だ。

 しかし、感覚はある。ということは、生きているのだと、ゼロは感じる。


「気がつかれたか、ゼロ殿」


 やたらと、野太い声がした。横を向く。

 坊主が一人、座っていた。シャドウナイツのコートこそ着ているが、下は僧服だし、オマケに裸足と来た。

 時代錯誤も甚だしいと、苦笑している自分がいた。


「あん? あんだよ? 俺ぁまだ死んでねぇから、坊主はまだお呼びじゃねぇぜ?」


 起きながら文句たれたが、何故か、異様な程心につっかかりを覚えている。

 何故自分はシャドウナイツがいるような医務室にいるのだろうか。それが、思い出せずにいる。


 俺は何をやったのだ。確か、そうだ、村正を殺した奴を殺しに行こうと、誰かが囁いた。そして、また、一人になることを決めた。

 別れの手紙を書いたことだけは覚えている。

 それで頭が真っ白になって……それから……それから?


 その後の記憶が、ない。


「何、おぬしに用はなくとも、小生には用があるのだ、ゼロ殿」

「俺の名前、やはり知ってたか。で、あんたはなんて言うんだ、名前」


 ふむ、と、坊主が唸った後、立ち上がり、一度手を合わせながら頭を下げた。


「これは失礼した。小生はシャドウナイツ所属のビリー・クリーガーと申す。おぬしの腕となった、村正・オークランドの兄弟子でもあった」


 生身の手を、一度見た。

 そう、あくまでもこの男にとって、村正は弟弟子で『あった』という過去形でしかないのだ。

 村正は、死んだのだ。


「すまねぇ……。俺が、あんなことにならなければ、村正は」

「いや、あれには、お前に責はない」


 聞き慣れた、声がした。

 そうだ、この声の奴に殺されかけたのだ。

 ハイドラ・フェイケル。否、エビルだ。

 自分にとっては、エビルなのだ。


 なんとなく、思い出した。あれから何故か原野に行ったこと、そして、切り結ぼうとしたら、この坊主が割って入って、負けたのだ。またしても、負けたのだ。

 しかし、何故だかエビルには異様な程に覇気がない。

 まるでついこの間戦った人物とは別人のようではないか。


 そして案の定、ハイドラと今は名乗るエビルが、自分のベッドのカーテンを開けて入ってきた。

 目には、慚愧の念と、後悔、そして徒労感。その三点以外は、受け取ることが出来ない。


「あれは全て、俺が悪かったのだ」


 そしてハイドラは、座るや否や、頭を下げた。


「すまなかった。殺したのは、俺のような物だ」


 それで、ようやく記憶がつながってきた。

 あの時、村正と切り結んだ後、自分はこいつに腕を切り落とされ、胸を切られ、そして村正の腕と血をもらったのだ。

 復讐するべき相手は、殺すべき奴は、目の前にいる。


 だというのに、気力が全く沸かなかった。

 これだけ覇気がないエビルなら、くびり殺せる。そう思えるのに、何故か、それをやろうという気力が起きない。


「今のてめぇを殺しても、つまらねぇ、だろうな」

「だが、お前には、俺をいずれ殺してもらわなければならない。それが、俺がお前に剣術を昔教え込んだ理由だ」


 エビルが、席を用意して自分のベッドの脇に座った。ビリーは、さっきから自分に僅かに殺気を向けている。エビルが殺されないか、目配りしていると言ったところだろう。


「何故、俺にそんなにこだわる」

「お前が、俺の思う、俺を超えることの出来る可能性を持った、数少ない人間の一人だからだ」

「人間、か。てめぇは、人間じゃねぇみてぇな言い方だな」

「あぁ、現に、俺は人間ではない」


 珍しくきっぱりと物事を言ったなと、なんとなくゼロは思った。

 しかし、人間ではないというのは、どういう意味なのかまでは、よく分からない。


 俺もまた、人間ではないのだと、ゼロは常々思っている。

 ガーフィは前に「心がある限り人間だ」と言った。

 しかし、自分の心は今、どのような想いでいるのか、分からずにいる。


「敵を知り、己を知る……だったか?」


 そういえば、ルナから前に本を借りていたことを思い出した。確か、孫子兵法だかいう、よく分からない兵法の書だった。


「その後に続く言葉は、分かるか?」

「百戦危うからず、だったか。隊長に言われたことだけは、覚えてるんだがな」


 それ以外、考えてもみれば何も学ばなかった。本も、結局一度も読まずに武器ケースの格納スペースにほっぽった。

 ルナは恐らく、自分に学んで欲しかったのだろうと、今になって分かるのだ。

 戦いは、ただ戦えば勝てるという物ではないということを、学ばせたかったのだろう。


 それを自分は不意にした。恥じる行為だと、今更に感じる。

 謝りたいと、生まれて初めて思った。そんなことを思った人間は、初めてだった。


「あいつに、わりぃことしちまった」

「そう思えるなら、お前は立派な人間だ。そして、俺にもし勝ちたければ、俺の下に暫く付き、技術の全てを奪い取れ。その後お前なりに研究してみろ。それが出来なければ、お前はただの負け犬だ」


 ふつふつと、体に覇気が戻ってきているのを、なんとなくゼロは感じる。

 敵を知ること。それが勝つために必要なことなのか、それとも、そんなことは不要なのか。


 敵の下に、暫く付こうと、ゼロは思った。

 屈辱ではあるが、そんな物は後でどうにでもなるのだ。諦めなければ、どうにかなる。


 そういえば、この考えを教えたのも、エビルだったのを思い出す。

 この男は、何故暴走したのか。その理由が、すっぽりと抜け落ちている。

 それを知ることもまた、『百戦危うからず』に近づく術なのだろうかと、眠くなり始めた頭に、ふと思い浮かんでいた。


 眠くなった。少しだけ眠ろうと、ゼロは思った。

 腕の痛みは、既に消えていた。


(第五幕・了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る