第二十八話『人をやめし者達』(3)-1

AD三二七五年七月二一日午前二時一分


 岸が、ようやく見えてきた。

 人類はアフリカから始まったという。その大地はラグナロクの影響でかなり形を変えてしまったが、それでもなお残っている。

 地球は存外、人間が思うより強いのかも知れないと、ザウアーはこの光景を見てつくづく思う。


 旧アーク遺跡跡地の航路を抜け、そのまま一気に西進し続け、今や空母は後三〇分で接岸しようか、といったところだった。

 気付けば、ずっと外にいたことも、ザウアーは今更に思い出した。


 というか、中に入ろうにも、嫌な予感が大陸に近づく度に大きくなっていくのだ。それが何かを、自分なりの勘で、確かめてみたかった。

 楼巴は相変わらず、甲板の上で寝そべりながら、風の流れを見ている。

 そうすれば自分も分かるのだろうかと思ったが、楼巴には


「ンなもん会長みたいに陸で過ごした人間にゃ無理ッスよ」


と苦笑された。


 会長になって、権力という物を握った。それは確かに巨大な力だ。一つの声で、人を如何様にも出来る。しかし、そんな力など、自然の力の前には無力だと、楼巴を見ていて思う。

 それに、己自身を守る純然たる力そのものは、いくら権力でも身につかない。それは、自分の父親を反面教師としてきたから、よく分かっていた。だから、鍛錬は怠ったことはない。


 急に、警報が鳴り響いたのはそんな時だった。

 楼巴が、寝そべっていた体を一気にバネのように起こした。


「何が起こった?! 状況報告早くしろい!」


 楼巴が大声を上げた瞬間、兵士が慌てて甲板へと走ってきた。相当のことなのか、その兵士の額には汗が滝のように流れ落ちている。


「会長、楼巴殿、緊急事態です! スパーテイン中佐率いる部隊、アイオーンの襲撃を受けているとのこと! し、しかも、そのアイオーンの中心にいるのは、狭霧です!」

「落ち着いて話せ。何故狭霧がアイオーンの中核になっている?」

「原因一切不詳です、会長。ただ、アイオーンの如く変貌し、我らに牙を向いたとの報告です。現在、スパーテイン中佐と、ディアル中佐、及びヴォルフ大尉の部隊が応戦中とのことですが、アイオーンは増える一方だとも報告を受けており、味方は現在不利であると」


 まずいと、ザウアーの直感が告げた。最悪、このまま四天王の二人とプロトタイプエイジス乗りを失った瞬間、華狼のミリタリーバランスは一気に後退する。ベクトーアとの和平交渉どころの話ではない。悪く行くと、ベクトーアに全面降伏という最悪のシナリオが待ちかねない。


「楼巴、空母が接岸してからでは遅い。戦闘ポイントに今から向かうぞ。強襲揚陸艇を出せ。陸上に入り次第俺が指揮を執る。旗下を連れて行くぞ」

「あいよ、会長。常にうちらはそういうのがスタンバってる。ポイントまでは八分もありゃ着けますぜ。揺れますがな」

「揺れならいくらでも耐えてやるさ。お前の操船技術に賭ける。頼む」


 楼巴が力強く、抱拳礼をして準備に向かう。

 直後に、端末で己の旗下である親衛隊の機体を楼巴の舟に積み込ませるように命令した。

 連れてきた親衛隊はざっと一二機。本来は二大隊分いるが、あくまでも今回は視察がメインだったこともあり、一個中隊のみだ。

 だが、全て内部に徹底したチューニングが施されたゴブリンで構成されている。だから、どんな作戦も採ることが出来るし、自分の旗下は、そう簡単にやられはしない。


 情報は、端末で命令を下した直後から自分の耳に全て入れるようにした。聞く限りでは、確かに不利になりつつある。

 この戦は、守ったら負けなのだ。攻めること。スパーテインは確かにそれが非常に得意としている。


 しかし、いくらスパーテインとはいえ、相手の数が多すぎる。敵のアイオーンは増える一方、その上中心には異常に力を増幅させたプロトタイプエイジス。

 己の旗下の十二機と、楼巴の旗下、そして艦砲射撃でどれだけ戦力をそげるか、そこが勝負所だろう。


「会長、揚陸艇の準備、整ったとのことです」

「ご苦労。ところで、俺の九天応元雷声普化天尊きゅうてんおうげんらいせいふかてんそんは使えるか」

「使える状態です。搬入も実施済みです」

「よし」


 わざわざ自分の愛機を持ってきたのは正解だった。『七一式特殊気孔兵「九天応元雷声普化天尊」』、自分用に開発させた、世界でただ一機のエイジスだ。

 もっとも、出撃したのは開発後四年間で三回しかない。それだけならまだしも、名前が覚えづらいというクレームは市民から毎日のように届く。

 更には自分の趣味で最新技術と発掘されたロストテクノロジーの数々を入れすぎたら、コストは通常のエイジスの十倍は超えた。そのせいで『税金の無駄遣い』という個人的には非常に納得のいかない誹謗中傷も相次いでいるが、それをようやく解消する機会がやってきたとも、ザウアーは何処かで思っていた。


 それに、不意の事態にエイジスは便利だった。召還技術によって、余程条件が悪くない限りはすぐさま機動兵器がその場に現れる。

 こういうことが出来るのもまた、『権力』という力があったからこそだと、ザウアーはよく分かっていた。

 だからこそ、力の使い道を誤るなら、それは正さねばならないし、何より、己の持つ力が何のためにあるのか、それを常に考えなければならない。


 自分の師である江淋が、よく言っていたことだ。ヴァーティゴ・アルチェミスツから連綿と続く、華狼の教え。

 エミリオがそれを破ったのだとすれば、それは修正してやればいい。

 そうでなければ、消すだけだ。上の人間がそれをやることで、下にも徹底させる。


 汚れ役は引き受けようと、スパーテインは前に言った。

 しかし、自分が一番、汚れるべき人間なのだ。上にいるのだから、それが当然のことだ。


「赤いな」

「は?」

「月が、だ」


 俺もまた、ああいう血のような赤に汚れるべきなのだ。


 揚陸艇のある格納庫に、足を向けた。

 格納庫に入る前に、もう一度だけ空を眺める。雲は何一つなく、ただ中天に赤い月だけが浮かんでいた。

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