第二十七話『闘気を立ち上らせる者達』(4)-1
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AD三二七五年七月二一日午前一時二二分
いつも、鍛錬は一人でやる。
手甲に多量に詰めた鋼糸を、ふるう鍛錬だ。
指先を使って、糸を地面まで垂らす。ほんの少し指を誤れば、自分が死ぬ。
鋼糸とは、そういう武器なのだ。
目の前にある、巨大な岩。自分の身の丈に、軽く匹敵する岩が、そこかしこに置いてある。
荒野とは、不思議な物だと、エミリオ・ハッセスは感じる。
垂らした糸の重みが全て、自分の指に掛かる。それにも耐えなければ、鋼糸はろくに使えない。それに、敵味方の区別無く無差別的に傷つける可能性もある。だからちっとも普及しなかった。
それでいいと、エミリオは思っている。
自分は、復讐のために生きるのだ。家族を殺された復讐。そのために生きている。
鋼糸は、まさにそれを叶える理想の武器だと、エミリオには思えた。別に民間人がいようが、知ったことではなかった。
ただ、ベクトーアは殺す。それだけなのだ。
連中の顔が、岩に浮かんだ。
瞬間、腕を振り上げ、糸を空中に投げ出した後、横になぎ払った。
一瞬で、全ての岩がバラバラに砕け散っている。
せめて一瞬で殺す。それが、せめてもの慈悲という物だろう。
拍手が聞こえた。思わず、その方向を向く。
一瞬、幻覚だと思った。それもそうだ。何故、シャドウナイツの男が、こんな荒野にたたずんでいるのだろうか、と。
銀髪の男だった。首にヘッドフォンをかけていること以外、正直印象に残らないと言ってもいい。
「見事だな。エミリオ・ハッセス。妙技、見せてもらった。面白い音色でもあった」
どうやら、幻覚ではないらしい。糸を、再度展開して、放った。
手応えが、確かにあった。
しかし、男の体は傷ついていない。手に、やたらと幅広いブレードが、握られているだけだ。
いや、正確にはブレードではない。ブレードが出ている、音楽で使われるキーボードだ。
「今の音色も悪くなかったな。糸を切る音。この音もまた、一興だ」
背筋に、悪寒が走るのを感じた。音とこの男は言うが、この男の言葉は、不気味な程淡々としている。
それどころか、あの糸を、切ったのか。あのブレードで。それが信じられなかった。
「お前は……なんだ?」
「申し遅れたな。シャドウナイツが一人、ロック。ロック・コールハートだ」
不敵に、目の前の相手が笑った。
糸を、再度展開する。
「おっと、今日は争うつもりで来た分けじゃない」
ロックのブレードが収まり、ただのキーボードになり、それをケースにしまった。
「単刀直入に言おう、俺達の所に来い、エミリオ・ハッセス」
心臓が、一度唸った。
「何故、私を引き抜こうと考えている」
「お前、いつも思っているのだろう。ベクトーアの連中を、そう、民間人から犬猫まで含めて、ゴミクズのように始末したいと」
糸を、また少し延長した。はらわたが煮えくりかえるような言い方をする男だと、心底感じる。
怒りが、徐々にこみ上げてくるのを、エミリオは何故か抑えていた。
この男は、殺すべきだと、自分の中で何故か踏ん切りが付かない。
「だからさ、俺達の所ならば、それがいくらでも出来る、ってわけだ。華狼は、そこが甘いと、お前は心の底で認識していたはずだ。それに、俺達はお前の持つ憎しみの力が欲しい」
糸が、動かなくなった。ロックが、いつの間にか目の前にいて、自分の顔を掌で押さえつけた。
指と指の間から見える視点で、初めて、ロックの異様さに気づいた。
眼が、赤い。瞳孔は、まるで獣のそれだ。
この男は、人間なのか。
「お前の憎しみをさらけ出してみろ。それもまた、力だ。その力を、存分に振るうことは何も恥じることではないぞ、エミリオ。だから、俺達に付き従え」
何かが、心の中で暴れ始めている。
自分の感情とはまた違う、何か。何なのかは、よく分からない。
「大尉、大丈夫ですか?」
誰の声だったか、思い出す。確か、自分の副官だ。
「私は、どうしたのだ?」
「なんか、ぼうとしてましたよ。大尉にしては珍しい」
「どれだけ、時間が経った?」
「え? 先程岩を切り裂いてから、二分も経ってませんが。その後、何もない場所に糸を放ったので、何か更なる練習でもしているのかと」
バカなと、エミリオは驚愕した。目の前に、確かにロックはいたのだ。だというのに、この副官は認識していない。
つまり、それほどにまで気配を消すことが出来る男なのだ。しかし、だとすれば何故、そんな男がシャドウナイツの一人程度に収まっているのだ。
それに、あの赤い瞳を見てから、何か別の物が暴れているように感じる。
「で、何の用だ?」
「軍議とのことです。第五テントに集合せよと」
「分かった。今行こう」
一歩歩く度に、暴れる物が余計に大きくなっていく。
冷や汗が、止まらなくなってきた。
何故か、糸を展開している自分がいて、驚き、すかさずしまう。それをテントに行き着くまで、何度も繰り返した。
まるで、自分が自分でなくなっていくような感覚が、エミリオを支配しているように感じた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
様子が、少し変だった。
エミリオと会うのは一月ぶりだった。前にアシュレイで任務を共にしたが、何処か危うさがあると、スパーテインは感じていた。
だが、何か今軍議に出ているエミリオは、それとは更に違う危うさを抱えているようにも見える。
眼が、何処か上の空だった。しかし、返答への受け答えは、一通りはっきりしている。
だが、何か変だ。自分は、カームに言われて初めて知ったが、鈍感らしい。だが、そんな自分でも分かるほどに、今のエミリオには違和感がある。
なんというか、異様な邪気を感じるのだ。それが何故なのかは、よく分からない。
ただ、普段この男が持っている憎しみだけの物ではないことは、確かだった。
急報が入ってきたのは、その直後だった。
フェンリルの軍勢が、一斉にこちらに向かってきたというのだ。機数は、スコーピオンが六大隊。部隊が魚鱗に展開している。
数からしても、無人機がいくつか含まれていると見て、間違いなかった。
そして魚鱗だ。想定した通りの陣容でやってきた。ならば一枚ずつ剥がせばいい。
「第一陣、ディアル。敵陣を裂きつつ強行偵察。ヴォルフはそれを援護。第二陣はエミリオと私で固める。帝釈天は後方に待機しつつ、状況の把握に当たれ」
全員が一斉に立ち上がり、そのまま己の機体の方へと消えていく。自分も、少し早足に急いだ。
何か妙に嫌な、ざらついた気配を感じるのだ。だが、それは少なくとも、敵陣から感じる物ではない。
夜叉のコクピットに入り、状況を確認した。機数は百機以上だが、なんとでもなるだろう。その場に応じた戦を行えば、必然的に勝ちは転がってくる物だ。
ディアルの天が、早速駆けだした。後方に自分の旗下のゴブリンファイターが二四機続いている。
すぐさま蜂矢と楔を組み合わせたような陣形に変え、即座に、敵陣を真っ二つに割ると同時に敵部隊の詳しい状況が入ってきた。
ディアルの戦は、相変わらず早い。まるでナタでも振るうかのように、一回陣を真っ二つにする度に敵の反応が消えていく。同時に、生き残っている部隊の情報も瞬時に送ってくるのだ。それがディアルの乗る『七一式気孔兵二型「天」』の特徴でもある。
ディアルが強行偵察で敵陣を把握、カームがそこに狙撃をして混乱をさせた後、自分が突っ込んで破砕、カウンターが来ればフェイスが徹底的に返り討ちにする。
風林火山。それが自分達四天王に付けられた、もう一つの異名だった。
ヴォルフの東雲が援護していることもあるが、やはりあそこまでの早さは、自分の部隊にはない。早さだけは、夜叉の性能を考えても、手に入りそうにもなかった。
だから、自分は敵よりも一歩も二歩も前に早く反応する必要がある。
徐々に、敵が一度目のディアルの突撃から回復しつつあった。小さく、隊をまとめ始めている。
「一陣、二陣、転換」
一陣の部隊が、一斉に後退を始める。それと同時に自分達を前に上げた。
残る敵は全部で九五。粉砕するのに、そこまで手間は掛からないだろうと、スパーテインは思った。
エミリオが先行し、乗機である狭霧がオーラワイヤーを展開した。一振り右腕を振り上げる度に、四機、五機と機能停止に追い込まれている。
あの感覚は、ただの錯覚だったのだろうか。やはり、あのエミリオの技は見事だと、言わざるを得なかった。
狭霧が深追いする前に一度下げ、入れ違いに小さく旗下をまとめて突っ込んだ。メガオーラブレード。展開する。敵がいた。上半身と下半身を分かつ。
これを敵陣を真っ二つにするまで繰り返した。
そのまま、一度退いていた一陣を、一気に呼び寄せる。後は挟撃の形で粉砕するだけだ。
敵の数は、半数以下まで減っている。
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