第二十七話『闘気を立ち上らせる者達』(3)-2

 改めて見ると、割と何処にでもいそうな女性だった。レミニセンス・c・ホーヒュニングが、エミリア・エトーンマントに持った印象は、はっきり言ってその一言に集約されている。

 ただ、薬だけは異常に多かった。医療班に、今その薬を解析させているが、報告はまだ来ていない。


 独房の中で一応監視状態にはしているが、一番緩い独房に入れていた。特に暴れ出すこともないだろうという判断だった。

 もっとも、今までの行動全てが演技で、エミリアがフェンリルのスパイであったならば、ルナには悪いが問答無用で斬り殺すつもりだった。

 そのために自分は双剣を腰にぶら下げながら、こうして独房の前をうろついているのだ。それに、自分が突破されたとしても、独房の入り口にブラッド・ノーホーリーと、ブラスカ・ライズリーという、自分の相棒二人組みがお待ちかねだ。この二人相手に突破できる人間はそんなにいないと、レムは信じている。


 正直、暇というか、ストレスが異常に溜まっていた。悪くない作戦だと思っていたのに、よりにもよって総司令官が裏切るというのが、軍の家系に生まれたレムからすれば、許し難い愚行だった。

 イーギスは本物ではなかったらしいが、それにしてもやはり納得がいかない。

 しかし愚痴ってもしょうがないので、こうして人と話をして少しでも和らげようと思ったのだ。


「悪いね、エミリアさん。姉ちゃんの幼なじみで、いくら洗脳されてたとは言え、流石に元シャドウナイツをそうホイホイ自由にするわけにはいかなくってさ」

「ううん。気にしないで。別にこういうのには、慣れてるから」


 エミリアが、微笑を浮かべる。何処か、哀しい。そんな印象が漂う笑みだ。

 シャドウナイツのコートを脱いでいるが、丁寧に折りたたんであった。その上崩すことなくずっと正座だ。普段から比較的落ち着いている人間なのだろう。

 さっきからずっと観察しているが、表情以外、まるで石のように動かなかった。


「それにしても、ルナに妹さんが出来てたなんてね。どうなの、ルナと過ごしている感想は?」


 物腰は、驚くほどに穏やかだ。人を安心させるという意味では、竜三の妹の犬神春美と何処か似ているが、春美ほどエミリアはおっとりとしていない。

 ただ、傷つきすぎている。だから自然と、何処か機械的な笑みを浮かべるのかもしれない。


「まぁ、姉ちゃんは昔からそうだったらしいけど、相も変わらずよく泣くんだわ。でもさ、妹としちゃ、いつまでもそんな姉貴でいちゃ困るわけだ。だからこそ、私がびっちり護ってやろうと思ったわけさ」


 自分が軍属に入るに当たり、それは杖に念頭に置いていた。姉を護ること。それが自分に課した使命でもあった。

 護れているのかは、よく分からない。


「そう。でも、あなたは、自分で気づかないうちに、傷ついている。そんな気がする」


 セラフィムに、似たようなことを言われた気がする。

 でも、自分の何処が、傷ついているというのだろう。正直、それが分からない。


「聞いたけど、あなた、最初にラングリッサに来たとき、自決しようとしたんですって?」

「捕まって変な思いするくらいなら、って思ったんだ。それに、正直、自分の命は、取るに足りない物だとも思ってるからさ。死んでも、所詮は無になるだけだから」

「バカなこと言わないでちょうだい」


 びくっと、自分の体が震えた。エミリアから、怒気が巻き起こっている。自分にだけ向けられているのだと、レムは直感した。

 エミリア自身は、さっきからまったく動かない。ただ、表情から、静かな怒りが見て取れた。

 ただ、殺意はまったくなかった。


「残された人は、本当に辛いのよ。命は、もっと大切にしなさい。あなたは一人しかいない。代わりはいないのよ。あなたは無になって満足かもしれないけど、残った人はそれを一生抱え続けるのよ。それは、本当に重いわよ、多分、あなたが想像するより、遙かに」


 怒られているのだと、何となく分かった。

 そういえば、こんなに怒られたのは、いつ以来だったか。

 死んだ母の顔が浮かんだ。


 ああそうか。お母さんが死んでから、ずっと怒られてなかったんだ、私。


 戦闘で怒られたことはあった。勉強でも、怒られたことがある。

 でも、こうやって自分の生き様とか、有り様に対して怒ってくれる人は、そういえばルナしかいなかった。

 さすがは、ルナの師匠なんだなと、正直感心して、エミリアに向けて、頭を下げていた自分がいた。


「ごめんなさい……」

「あ、そ、そんなに沈まないで! その、傷つけてしまったなら、私の方も謝るわ」

「ううん。むしろ、なんだか不思議と、心に上手く、その言葉が刻まれた気がするんだ。ありがとう、エミリアさん」

「どういたしまして」


 また、エミリアが笑う。今度の表情は、優しかった。

 しかし、どうやらエミリアは、他人を傷つけるのを異様に嫌うらしいことはよく分かった。


 よくもまぁそれでシャドウナイツに入っていた物だ。あの会社はいったい何がどうなっているんだと、今更に疑問に感じ始めた。

 だいたい、今思い返せば、ハイドラという男は不自然の塊だ。なんであんなに自分を厚遇したのか、今もってさっぱり分からない。


「うーん……ハイドラって、何者なんだろ……」


 いつの間にか、口に出ていた。


「正直、分かれば苦労はないと思うわ。村正とは、ヤケに行動を共にしていたけど、それ以外にも数人のシャドウナイツと行動をしていたし、それ以上に、奇妙なことがあるわ」

「奇妙なこと?」

「あの人が来てから、フェンリル軍で行方不明者が数人出たのよ。それも大隊長、中隊長クラスの人間、或いはそれに育つだろうと言われた人間だけ。年に数人規模だったから、大して幹部会は気にしてなかったけど、あの頃からフェンリル軍の人材は極端に薄くなってね。だからシャドウナイツが頻繁に戦場に出たり、或いは無人機の開発を行ってたわけ」

「無人機?!」


 それが、一番レムには衝撃だった。

 無人機を開発しているという噂は聞いたことがあったが、本当に作っているとは思わなかった。それだけ、人材が枯渇していると言うことなのだろうか。それとも、別の目的があるのか。


「エミリアさん、無人機、何のために作ってたかって、分かる?」

「恐らく、シャドウナイツでも知っているのは多分一人か二人。恐らく、隊長も知らないと思うわ」

「新参だからってのも、やっぱりあるのかな、ハイドラは?」

「多分それが関係しているのは、間違いないでしょうね。実際、幹部会にやたらと敵愾心抱いていたのは事実だったわ。ナンバー2なのに、何処か不思議というか、違和感があるというか、そういう人よ、あの人は」


 まぁ、違和感の塊であることだけは間違いない。本当にハイドラは何故フェンリルにいるのだろうか。その理由が何処か抜けている。

 しかし、そういう難しい話を考えると、余計にストレスが溜まりそうなので、考えるのをやめた。


「ふーん……。分かった。ありがとう、色々と話聞かせてもらって。それと、その、叱ってくれたことも、正直、嬉しかった」

「こんな私で良ければ、いつでも相談に乗るわよ」


 にこりと、またエミリアがほほえむ。

 優しいが、何処か寂しい。そんな笑みを、いつも浮かべているのだろうか。

 何故か、そんなことが気になりながらも、独房のエリアを出る。


「一通り、話は聞きましたよ」


 ロイド・ローヤーが、出てきていた。肥満に近い体つきのくせに、やたらと行動は早い。

 痩せれば更に俊敏になっていいのにと思ったが、太りやすい体質でなおかつ頭をとにかく使うからか、高カロリーの食事ばかり取る。おかげで痩せたためしがない。

 それに、痩せたロイドを想像出来ない自分もいる。


「盗み聞きは趣味悪いですよ、副長。ていうか、ブラッドもブラスカも、聞いてたって分けか」

「まぁな。あれだけ長く居続ければ、こっちだって何が起こったのか不安にもなる」

「せやな。これでまかり間違ってレムがまた人質に取られた言うたら、ほんまにルナキレるで。ちょい最近軽率すぎやろ、レム」


 確かに言われてみればそうかもしれない。若干、無謀な行動に走りすぎているところがある。

 それはそれで真摯に反省しようと思っている自分がいたことに、心底驚いた。こんなに自分素直だったかと、少し不安になってくる。


(同感ね、それは。今この体にいるの、あなた一人じゃないんだから、いつも冷や冷やさせられるわ)


 セラフィムも、珍しくこんなことを言う。

 いつの間にか傷ついていると、エミリアは言った。だから無謀な行動を取るのか。

 どうなのか、分からなくなってきた。


「しかし、聞き出せた情報については、なかなか興味深い物が多々ありましたね。ディスや他の間諜からの報告も、色々とあわせて確認する必要があるでしょう」

「無人機とか、ハイドラとか、なんかますます持ってフェンリルがきな臭くなってきただけな気もするがな、俺は」


 ブラッドが煙草を吸おうとするが、気づいてポケットにしまい、禁煙ガムを口に含んだ。

 禁煙ゾーンだということと、副長が前にいることを思い出したらしい。


「せぇ言うけど、確かにワイもハイドラは妙や思うとる。ワイのこの訛りな、割と華狼のある特定地域だけで昔から使われとる訛りやっちゅーのは、多分みんな知っとる思うんや。今はウォードっちゅー華狼傘下の企業の街や。せやけどな、ハイドラの奴、何故かそれをウェルディア地方言うたんや。その名前で呼ばれとったんは、三百年前までなんやけどな」

「三百年? でも、そう呼んだって事は、今でもその名前で呼ぶ人いるんじゃないの?」

「地元民どころか、少なくともワイの知り人でそないな名前で呼ぶ奴は聞いたことあらへんわ。地図からも完全に抹消されとるんやぞ」


 確かにそれならば、そんな名前で呼ぶ道理はない。だが、単に古い物が好きなだけなのかもしれない。ハイドラの屋敷には、そういうのも複数あった。


(あの、少し、いいですか?)


 脳に、声が響く。自分は割と慣れてきたが、ブラッド達はまだ慣れていないのか、時々ぎょっと驚くことがある。地味にその仕草を見るのが楽しいと、時々感じる。


「おろ、セラフィムが自分で出張るなんて珍しい」

(あの、本当に直感的な話で凄く申し訳ないのですが、ハイドラって言う人が、何処かで、会った気がするんです。私が、人間だった頃に、何処かで)

「思い出せませんか、セラフィム」

(ごめんなさい、ロイドさん。何か、深い靄みたいのが、頭にこの千年間、ずっと張り付いているんです。それで記憶の一部が遮断されている。アイオーンは、得てしてそうなっているんです。つらい記憶だけを引き継ぐ。大切な人や、思い出は全て封印される。それがアイオーンなんです。私も、虐待されたことだけは覚えているんですが、その後、誰かに救出されて……その人が、誰だったのか、思い出せないんです)


 負の感情、負の記憶、それだけが自我を保つのに持ち越せる、唯一の物なのだろう。

 ぬぅと、ロイドが唸る。少し思案した後、


「まぁ、貴重な話として記憶しておきましょう」


とだけ言って、去っていった。

 気配も、完全に消えている。いつの間にか消えた、そういう印象がいつも拭えない。

 あの巨体でよくもまぁと呆れるほどだ。


 しかし、セラフィムもまた、辛いのだろうと、正直に感じた。だったら、なおさら死ぬわけにはいかないらしい。


「命は大切にしろ、か」


 ブラッドが、急に頭をなでた。


「わ、何するのさ」

「小難しく考えすぎると、お前らしくなくなるぞ、レム」

「せやな、もうちょい気楽に考えようや。それがおどれらしさやろ」


 それもそうかと、撫でられながらふと感じる。

 自分は、明るさが信条でもあるのだ。

 姉ちゃんが帰ってきたら、明るく迎えてやろうと、ふと思った。

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