第二十六話『戦に身を馳せる者達』(1)

AD三二七五年七月二〇日午後一一時一六分


 自分でも驚くほど、荒れていた。

 これだけ酒を煽ったのは、いつ以来なのか。思い出すこと自体どうでもいいように、ハイドラ・フェイケルには思えてきた。


 村正が、自分の弟のような男が、死んだ。元はと言えば、自分のせいだ。自分がゼロを逃がせといい、その直後に同じシャドウナイツのヴェノム・マステマ・ゼルストルングに、村正は殺されたのだ。

 そして、見事にフレイアに踊らされた、そんな気すらする。


 恐らくあの女は、最初から自分達をどうやって上手く兵士が何の違和感も抱くことなく殺すか、考えていたのだろう。

 更にヴェノムに殺させることで、『どんな人間でも裏切りは死』であることを印象付けさせ、離反者を出さないように締め付けたのだ。


 村正はフェンリルからすれば、立派な裏切り者にさせられた。ある意味、ベクトーアの仕組んだ離間は成功したと言ってもいいのだろう。

 正直フェンリルの思惑はどうでもいい。ただ、自分が今後どうすればいいのか、分からなくなった。


 俺の志はなんだったのか。酒を飲みながら、そう思う。


 瓶から、酒が無くなっていた。壁に投げつける。瓶の割れる音も、もう遠くに聞こえる。

 今はヴェノム・マステマ・ゼルストルングが追撃戦をしている。あの男が、村正を殺したのだ。


 そして、自分は村正に打ち込まれるはずだった銃弾のうち数発を、叩ききった。自分もその行動のせいで、上層部の数名から詰問された。ナンバー2という立場が、こういう時に限って注目される。

 端から見れば裏切り者を自分が目に見える形で庇ったのだ。仕方がないと言えば仕方がない。


 だから今は謹慎を装い、準備に明け暮れるべきだ。そう思うはずなのだが、体が動かない。灯りも何も付けず、ただ、自分の部屋で酒を飲むだけだ。

 これでは、まるで『本当に』死人になったようではないか。


 もはや酔える体ではない。そういう風になってしまった。人間であったときの記憶が、今でも懐かしく思える。


 それに、時間もない。なのに、俺は、何をやっている。


「オークランド、俺は、どうすればいい?」


 言ってみたところで、誰も何も帰してこない。

 暗がりの部屋で、ただ酒を飲んでいる。酔いもしないのに、ただ、飲んでいる。


 気配がしたのは、そんな時だった。思わず、飲みかけていた酒瓶を置いて、意識を集中させる。

 知っている気配だ。いや、魂の高ぶり、というべきなのか。

 奴が、動いている。


 千年だ。既にラグナロクから千年も経った。そして今が、ちょうどラグナロクから千年目にあたる。

 だからこそ動いたのだろう。それに、あの『イントレッセ』と名乗った『眼』のこともある。

 ジンが、動こうとしている。そうハイドラは直感した。


「総隊長」


 プロディシオの声だけが、部屋の中に響いた。昔の暗殺者時代の癖なのか、時々こうやって彼は現れる。

 姿は見えないが、気配だけはする。そういう間諜の腕があるから、彼を自分の参加に入れたのだ。

 それに、任務に対して疑問を殆ど抱かない。正直、こういった忠節さが、今の自分には必要だった。


「プロディシオ、首尾はどうだ?」

「ラングリッサの防衛は上手くいきました。ベクトーアもフィリムに帰還しています。ただ、撤退進路上に華狼が軍を進めました」

「ザウアーが動かしたな?」

「恐らく」


 やってくれる。ザウアー・カーティスは本当にこういう上手いタイミングで攻めてくる。

 しかも聞いてみると、陣容もなかなかだ。何せプロトタイプエイジスを全機導入してきたのだ。


「華狼も本腰、というわけか」


 実際、華狼もベクトーアも、この十五年の戦で消耗が激しい。それを考えると、如何に講和に持って行くがポイントになる。

 フェンリルの領土の一部を、実力を持って華狼がもぎ取ったとすれば、確かにそれは講和においても有利に働くのは必定だろう。


 そして、これ自体があえてベクトーアを逃がす作戦に見えてならない。戦力を集中させてフェンリル軍全体の眼をそちらに惹きつけることで、フェンリルの追撃をゆるめさせ、そこからベクトーアを戦線から離脱させる。

 そしてフィリムに向かった反乱軍を名乗ったフェンリル側の偽装軍勢を撃滅させる。

 やってやれないことはないと、ハイドラは思った。


「総隊長、失礼いたす」


 太い声が、部屋に聞こえた直後に、ドアが開けられた。

 ビリー・クリーガーだった。

 代わりにプロディシオの気配が消えている。探索に行ったのだろう。


 自分の前に、ビリーは正座した。相も変わらずの修行僧の出で立ちだった。

 対峙して、どれだけ時間が経ったのか、ビリーが口を割った。


「総隊長、小生は、無念に思えてなりませぬ」


 村正のことを言っているのだろうと、ハイドラはぼんやりと思った。唇を噛み締めながら、ビリーは言っていた。

 ビリーは、村正の兄弟子に当たる。村正の義理の父であるインドラから修行を受けていた。だからこそ、弟のように思っていたところもあるのだろう。実際、自分もそうであった。


「死後に人は、どうなるのだ、仏教だと」


 何故、俺はこんな事を聞くのだと、ハイドラは苦笑した。


「宗派により異なりまするが、輪廻転生を得る。それが教えです」

「アイオーンが出ても、その考えは覆らないか?」

「一般の仏門衆は、今の時代にもアイオーンがいることを信じませぬ。それに、宗教勢力の力は、想像以上に強いのですよ」


 それは一理あるだろう。このビリーのみならず、マリーナ・ゴドウェイもまた、宗教こそ違うが、宗教勢力にいるシャドウナイツだ。宗教勢力が力を持つと、政治にまで口出ししてくる。マリーナの場所は、特にそうだ。

 ただ、ビリーはそれを嫌っている。そりが合わないのは当然だろうと、ハイドラは見ているが、宗教とは難しいとも、時たま思う。


「村正は、どうなると思う?」

「分かりませぬ」


 きっぱりと、ビリーは言った。

 ふむと、ハイドラはアゴを手に置く。


「村正は、何処か達観しすぎていたところがありました。修羅になったとしても、彼は戦い続ける気がするのです。ただ、アイオーンになることは、間違いなくないかと」

「俺も、そう思う」


 願望であるのは事実だが、それでも、村正がアイオーンになることはまずあり得ないと、ハイドラは考えていた。

 アイオーンは深い悔恨や憎しみなど、負の感情が塊となっている。村正の場合、そんなものが一切無かった。


 ただ一点だけ、ゼロという存在を除いては。

 だが、そのゼロと、何千もの言葉を交わしたから、悔いはないと、最後に交わしたときに眼が言っていた。

 だから、果ての果てで会えると、信じている。


 不意に、視界が歪んだ。泣いたのだと気付くまで、時間は掛からなかった。

 男は、泣くものではないのに、止めどなくあふれてきた。


「すまない……」


 ただ、その言葉だけが口から出てきた。

 必要であったはずの、村正という男。神出鬼没にして大胆、兵の指揮、そして忠節。その全てが、自分の後継者に相応しいと、心底思っていた人間だった。

 だというのに、自分が殺したようなものだ。


 なんと言って、奴に詫びればいいのだ。俺の人生には、後悔以外許されないというのか。

 そして、俺には、誰一人護ることが出来ないのか。


「ラフィも、レナも、アインも、インドラも、村正も、誰一人。誰一人、守れないのか」


 答えは、帰ってこなかった。

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