第二十三話『引けぬ故に戦って』(5)

AD三二七五年七月二〇日午後八時一七分


 本隊の展開は、想像以上に上手くいった。

 内部の混乱を来す材料としても、シャドウナイツの一人だったソフィア・ビナイムが、どういう訳かベクトーアに降った。


 レムの救出にも成功したため、今はルナ、レム、ソフィアの三人で行動し、三人ともエイジスを召喚して本隊を引き入れているための遊撃中とのことだった。ただ、鋼だけはまだ行方が知れないとのことだった。

 混乱こそそこまで大規模な物は起きなかったが、基地機能を一時的に麻痺させることは出来ただけ、まずまずだろうと、ロニキスは思っていた。


 ブリッジでは指揮下にある部隊の情報が随時伝達されている。そのためにオペレーターの怒号が響き渡っていた。この感覚もまた戦だと、心底思った。

 周囲に展開していたフェンリルの部隊の一角に穴を開けたと、エドワード・リロードから通達があった。さすがに竜三と共にいるだけあって早い。

 この状態を維持して、後は円形状の包囲陣形を作り上げることだ。


 しかし、それにしてはドゥルグワントが全く動かないことだけが気がかりだ。出陣を要請しても、ただ作戦準備中だと言っただけだ。

 どうもイーギスの動きがきな臭い。ここ数日、その感覚は余計に深くなった。


「艦長、何か後方であったのでは?」


 ロイドがいつの間にか横にいた。


「確かに、気にはなるな。イーギスがリストに入っていたこともある。ロイド、どう見る?」

「僭越ながら申し上げます。イーギスがこれを機に何かしないはずがありません」

「やはりそう思うか」

「はい。やはり、何か野心とは別の思惑を持っているようです。私が接していて初めて分かったことですが」


 やはりイーギスが引っかかる。昔の彼とどう考えても合致しない。野心家だったということも、初めて聞いた。

 少なくとも、大人しくてあまり目立たない印象のある人間だった。そう大それたことをやるような人間には見えなかったのだ。


 むぅと、唸ったときだった。

 突如、味方の信号が敵に変わった。

 ドゥルグワント、イーギスの艦隊だ。

 直後、砲撃。左翼が崩され始めている。


「なんだ?!」

「ドゥルグワントが、フェンリルへ降りました! 我が軍の艦隊へ向けて砲撃! 同時に隊の反転を開始しました!」


 バカな。ロニキスはそう呟かざるを得なかった。イーギスが裏切ったというのか。

 いや、最初からイーギスが違う人間だったとすればどうだ。

 本物のイーギスは、とうの昔に消されていて、今のイーギスはフェンリルが送り込んだスパイだったとしたら。

 だとすれば、豹変した事実も、急に思い出話をしようしてきたことも納得がいく。


「艦長! 第三陸戦艦隊旗艦『アンドフリームニル』、マリーナ・ゴドウェイの部隊の攻撃を受けて轟沈!」

「第七陸戦艦隊『ブルトガング』、シャドウナイツメンバーのプロディシオ率いる隊によって壊滅したとのこと!」


 戦局が有利になると同時に砲撃してきた。そしてこの部隊の壊滅劇。

 敵の狙いはここへの足止め。真の狙いは、これだけ戦力が集中したことで警備が弱くなったベクトーアの首都『フィリム』だったとすれば。

 そう思ったとき、ロニキスはすぐに通信網を開かせていた。


「全部隊に通達! 私はルーン・ブレイド旗艦『叢雲』艦長のロニキス・アンダーソン中佐である! イーギス・ダルク・アーレンがフェンリルのスパイであったことが判明した! 全軍直ちに反転しろ! 奴の狙いはフィリムだ!」


 しかし、今言ったところで何処まで撤退できるのか。

 見抜くことが出来なかった。それ自体が自分のミスだ。

 何故もっと警戒を払わなかった。何故。


「艦長、反省は、いつでも出来ます。今は、艦長が全体を率いなければなりません」


 ロイドが、声を荒げた。

 珍しいことがあると、何故か思った。


「艦長、先程言われたとおり、隊を迅速に反転させる必要があります。殿に我々の部隊を使います。ディスならば、後方の攪乱も上手く行くかと」


 一斉に、オペレーターの顔が、こちらに向いた。

 そうだ。いつの間にか指揮権を取れる人間が自分しかいなくなっているのだ。


 ならば、この危機的状況を、思いっきり受けてやろうじゃないか。

 熱く、何かがたぎってきている。そんな気がした。

 それでいいと、ロニキスは思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 急に、周りの兵士が引いた。

 村正に手当かとも思ったが、何かが違う。

 むしろ、この気配は何か、ベクトーアにあった気配だ。


 もっとも、今は行こうと思っても、全く手が出せない。

 ハイドラという名の、巨大な壁がいる。

 既に剣を交わすこと十六合。まるで決着が付かない。


 いや、このままでは死ぬのは自分だ。ハイドラは自分の身の丈もあろうかと言うほど巨大な銃剣を片手で振り回し、まるで板きれでも扱うかのように振るってくるが、自分の得物は、もはや片刃の折れた両刃刀と、ろくに使えずに余らせているフィストブレードの刃だけだ。しかも、両刃刀のもう片方の刃も、既にいくつか刃こぼれを起こしている。

 肩で、自分は息をしていた。ただハイドラは、悠然と自然体に構えている。

 まるでこれでは昔付けてもらっていた鍛錬のようではないか。


「ほぅ。数時間前よりも全然いい太刀が打てるじゃないか。それでこそだ」


 ハイドラが、何故かふと笑った。

 何故、この男はこうも余裕なのだろうか。いや、何故、この男の剣は、哀しみしか帯びていないのか。


 うめき声が聞こえたのは、そんな時だった。

 ハイドラが、急に頭を抱えて唸りだした。


「静まれ……! こんな時に、干渉か……!」


 銃剣を落とし、地面にうずくまりながら頭を抱えている。

 何が起きている。ゼロは、目の前の状況を整理し始めた。


 何か、嫌な記憶が蘇ってきた。

 そうだ。確かハイドラが、いや、エビルが村を全滅させ、自分の左半身を切ったときも、同じ状態だった。


「ゼロ、逃げろ……。村正、俺の命令だ、こいつを逃がせ!」


 ルナも、考えてみれば同じ状態になったことが何度かあった。

 アイオーンの干渉か。

 思ったとき、何か、痛みが迸っていた。


 胸が、赤い。何故赤い。

 何かが胸から垂れて、地面を同じ色に染めている。


 血。斬られたのか。いつ。どうやって?


 それに、右腕が軽い。何か感覚が失われたような気がする。

 目を、横にやった。


 おかしい。何故、俺の右腕が、そこに転がっているんだ?


 急に、目の前が歪んだ。ハイドラが、見向きもせずに去っていく。

 諦めろと言うのか。生きることを。俺が。

 死にたくないと、生まれて初めて、ゼロは思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 命令された。いや、あれは命令だったのか。

 ハイドラは確かに、ゼロを逃がせと言った。絞り出すような声で、確かに言ったのだ。


 だが、目の前の状況はどうだ。

 ゼロの右腕は、地面に落ちている。しかも、胸も切られた。赤々とした血が、床を染め上げている。

 そして、ハイドラが豹変していた。


 アイオーンの干渉を受けている。そうとしか思えなかった。

 この状況はかなりまずい。

 自分の方にも、ハイドラが向かってきた。


 目が、双方とも血のような赤に染まっている。

 一度舌打ちして、駆けた。


 幸いにして刃はないが、銃だけは残っていた。二,三発、すれ違い様に撃ち、一度足止めしてから、ゼロをすくい上げて出口へと駆けた。

 呆然としている兵は、何人か悪いと思いつつも殴り飛ばして脱出した。

 脇に抱えているゼロは、予想よりも遙かに重い。これではどちらもくたばりかねない。


 しかし、ハイドラの命令だ。意地で出した命令ならば、従わなければなるまい。

 紫電を召喚して、こいつの所属している母艦に届けるべきだろう。

 意識を集中するために、一度目を閉じた。


 何かが、騒いでいる。


 集中できないだろ。何か、苛立ちに似た何かが、体の中で暴れている。


 音がした。何かが落ちた音。目を開ける。


 おかしい。何故俺の視線は、地面を真正面に捕らえている。


 血。自分から、何かが流れている。腹に、穴が開いていた。それに、腕も、片方がない。

 まるでゼロと同じではないか。


 上から、衝撃が来ている。空を見た。

 ヘリがいる。誰が乗っているのか。目をこらす。


 バカなと、呟いていた。

 フレイアと、ヴェノムが乗っている。

 この時期に、何故来た。

 いや、そんなことはどうでもいい。何故敵味方構わず撃ったのだ。


「ヴェノム! 何をしている!」


 声。ハイドラの、声だ。

 今までに聞いたことがないほど、怒気をはらんだ声だった。

 かすんだ目でも、分かる。ハイドラは、元に戻っている。


 だったら、後は命令を実行すればいい。

 父の顔が浮かんでいる。


 父上。俺は、まだこれからなんだ。だから、まだ俺は倒れるわけにはいかないんだ。


 二,三発の銃声の後、ハイドラがその銃弾を全て消し飛ばしたのを、村正は見た。

 ハイドラが、背後を護ってくれている。行けと、彼が言ったのを、村正は聞き逃さなかった。

 ならば、立ち上がらなければなるまい。


 ゼロの息は荒い。だが、まだ可能性はある。

 そういえば、よくハイドラは諦めるなと言った。ゼロもまた、よくそんなことを言っていた。


 弟に出来るのだ。兄である俺に、出来ないわけがない。


 恩に着る。果ての果てでまた会おうか、ハイドラ兄。


 それだけ言って、村正はハイドラに背を向けた。


 すまない。ハイドラが、静かに言った。


 紫電はすぐに召喚出来た。血は流れ続けているが、不思議と集中できたのだ。

 そしてコクピットの中に、相変わらず自分がいる。だが、ゼロもまた、自分の脇に抱えられたまま、そこにいた。


 胸から、血が出ている。ナノインジェクションが恐らく強引に直しているのだろう。実際、自分の銃弾の傷も、ふさがり駆けている。

 だがそれでも、自分の肉体が崩壊し掛かっていることは分かった。腹と腕から出る血が、止まらないのだ。それに、自分の腕は、既に付け根から無い。骨も少し出ている。


 そういえば、自分の骨って普通見ないよな。ゼロに、不思議と語りかけていた。


 あの一騎打ちの時、何百、何千という言葉を、剣で交わした。あれだけでも、一八年の別れていた歳月を、埋めることが出来た気がした。

 しかし、こうして弟がコクピットにいるのを見ると、結局レヴィナスとは何なのだろうと、何故かそんなことを今になって思うのだ。


 走馬燈は、巡らない。巡ろうはずがない。ただ生きて、ただ死ぬ。刃とはそう言う物だからだ。


 俺はただひたすらに刃として生きていた。

 自分で、村正という名を付けたのだ。その名の通り、刃として生きた。


 父の顔が、近くなった。ただ、顔も姿も、よく見えない。だが、父だとはすぐに分かった。


 おい、父上。もうこんなに近くにいるのか。まだ迎えは早いぞ。この横で荒い息立ててるこいつを、運んでやらなきゃならないんだから。


 紫電は、よく動いている。敵。塞いできた。機種は、スコーピオンだった。

 敵も味方もない。ただ、邪魔をするなら刃で切り裂く、それだけのことだ。

 紫電にオーラフィストブレードを、展開させた。


 ああ、ゼロとの一騎打ちの時、フィストブレードの刃がもう後二本くらいあれば、違ったのかな。


 ゼロが、何故か義手から自分のブレードを放そうとしなかった。危ないが、別に知ったことではない。

 一機を、そのままブレードで切り裂いた。オーラの火が、何故か美しいと思った。今になって、急に何もかもが美しく思えてくる。色々と、まぶしいのだ。


 何機かが攻撃してくる。見渡す限り敵、敵、敵。この果てに、俺は辿り着く。

 刃として、辿り着いてやる。


 ただ、ひたすらに紫電を駆けさせた。マインドジェネレーターが、狂ったような雄叫びを上げている。

 この戦線を、真っ二つに切り裂いてやる。ただそれだけで動いた。それが人生だった気がする。


 左腕が、銃撃を受けてちぎれた。だが、まだ一本ある。それにこいつは自分の気が持つ限りは刃が延々と生まれる。一本でもいい。ただ、俺は駆ける。

 疾駆した。途中の敵。何機いるのか。クレイモアは、何故か攻撃してこない。攻撃するのは、スコーピオンだけだ。


 何機斬ったかは、覚えていない。ただ、斬る度に、機体が悲鳴に似た雄叫びを上げた。銃撃を何発も受けたと言うことに気付いたのは、少ししてからだ。

 足ももげかけている。まだ行けるはずだ。まだ。


 不意に、あるところまで来て、スコーピオンからの攻撃も止んだ。信号弾だと、誰かが言った。

 ハイドラだろう。こう言うときに一斉に命令できる権限を、ハイドラは持っている。ベクトーア側に通達でも行ってるのか、自分が駆けてきても誰も攻撃してこなかった。


 ただ、ベクトーアの撤退する速度は非常に速いと、村正は思った。考えてもみれば、包囲したときの本隊の動きも大軍とは思えないほど迅速だった。

 こういう軍勢は後々怖い。退却だというのに、末端の兵士に至るまで、あらゆる所から気炎が立ち上っている。

 遅かれ早かれ、フェンリルは誰かの手によって滅ぶと、村正は思った。


 ふと気付けば、花が咲いていた。いや、コクピットに花が咲くわけがない。自分が血を吐いたのだと分かるまで、時間は掛からなかった。

 父の気配が、更に近くなっていく。もう少しで、手に届きそうな気がする。


 だが、まだ手を伸ばすな、村正。お前にはやることがあるだろう。


 不意に、横に知っている機体が通った。機体名は、なんだったか。ただ、イーグがルナという名だったのは、覚えている。


 同士の名を思い出す。ハイドラ。プロディシオ。ビリー。ファルコ。マイアー。レクゾ。ダリル。クリス。ラグナ。ハワード。ガッシュ。サイファー。それと自分の部下は、誰だったか。


 ソフィア。これは、少し好きだった人間の名だ。よく、姐さんと呼んでいた。


 インドラ。これは父の名だった。そういえば、さっきから気配がどんどん近寄ってきている。


 あぁ、そうか。もう一人同志がいた。

 弟がいる。ゼロという。この名も、あいつが自分で付けたのだ。

 諦める可能性が無い。故にゼロだと。確か、弟はそんなことを言っていた。


 気配。父とは違う、誰か。コクピットの中にまで伝わってくる気配。

 何の気配だろうか、誰だろうか。


「誰なんだい?」

『村正?』


 ルナ、という女の声だった気がする。でも、ソフィアなのか。どっちだろうか。それも分からない。


「俺の血と右腕を、ゼロにくれてやってくれ。後、フィストブレードも」


 くれてやるべき物が、何かまだあった気がする。

 思い出そうとして、何かが途切れた。


 紫電。そうだ。自分の愛機の名前だ。紫電も、ゼロにくれてやろう。


 他に、何か言うことがあったか。

 何もない。もう残る物は、何もない。


 気配が、目の前に来ていた。手を伸ばす。

 父が、笑った気がした。

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