第二十三話『引けぬ故に戦って』(3)-2
あっさりと、ルナの体が異形のそれから戻った。
セラフィムが、イドの波動を感じたと言うから、ゼロから離れて急いで駆けたというのに、一合交わらせただけで戻ってしまった。
なんのために私は駆けてきたんだと、少し呆れている自分がいることに、レムは気付いた。
「あら、レム? なんで、ここに?」
不意に、こんなあっけらかんとした調子の姉が憎たらしくなった。
思わず詰め寄り、胸ぐらを掴んでいた。
「姉ちゃんが心配だったからだよ! なんで私を放っておくって選択しなかったのさ」
ディスからルナが捕まったと聞いた時、気が気でない自分がいたことに気付いたのだ。
にも関わらず、心配して来てみればこの調子だ。呆れると同時に怒りがこみ上げてくる。
「放っておくって訳には、いかなかったのよ。それに、これ自体も策よ」
「はい?」
「簡単な話よ。外から崩れないなら、内から崩す。内応者がいなければ、でっち上げればいい。ただそれだけのことよ。あなたが捕まったと聞いた時は少し焦ったけど、それをチャンスにも変えられる。そう感じたわけ。それに、あのハイドラならいくらなんでも手荒な真似はしないだろうと思ってたし」
唖然としてしまった。思わず、ルナの胸ぐらを離していた。
わざとルナを捕まえさせることでまずは一つの綻びを生ませる。その後ルナが脱走を図ることで内部を混乱させ、工作部隊を進入させやすくする。
そして、最後の離間で完全に内部を崩し、その隙に外部に展開している部隊を作戦通りに侵攻させ、難攻不落の要塞を鎮圧する。
よくもまぁそんなことを考えたものだと、呆れて物も言えなかった。
しかし、まさか、最初から自分が捕まることを計算に入れていたとも思ったが、この姉に限ってそりゃないなぁとは、思うより他無かった。
「それにしても、イドが目覚めてたのに全然疲れてる様子がないんだけど、なんで?」
「それが、実は目覚めた要因もよく分からないの。どうもイドも分かってないっぽかったから、掌握し直すのには大した時間は掛からなかったわ」
(何か、干渉を感じたとか、なかった?)
急に、セラフィムが割って入ってきた。そういえば、なんか声を聞くのも久しぶりであった気がする。
この三日間、何故かセラフィムは眠りっぱなしだった。話しかけようとしても反応は何も返ってこないし、第一目覚める様子すらなかった。
何故なのか後で聞こうと、ふと思った。
「干渉というのかは知らないけど、召喚印のレヴィナスが反応したような、そんな気がしたわ」
(それよ。レヴィナスの中の思念がそれに反応したのね)
「は?」
思わず、レムの方が先に聞いていた。
(レヴィナスが気体、固体、液体の三種になるのは知ってると思うけど、それが簡単に出来るのはこの物質がそもそもこの世を超越した物だからであって……)
不意に、人の気配を感じた。
敵意が、微かに混じっている。だが、何処か揺らいだ敵意である様にレムには思えた。
ルナが、不意に前に出た。
「姉ちゃん?」
何故か、ルナの目に悲しさと懐かしさが浮かんでいる。
「いるんでしょ、ソフィア・ビナイム」
気が、強くなった。左。揺らいだ気を感じる。
荒い息づかいが、左から聞こえた。
「頭痛が、止まらん」
声。喘いでいるのか、荒い息づかいをたてながらの声だった。
「何かが、私の心の中で、何かが暴れているのだ、フレーズヴェルグ」
気が、更に強くなった。何か、歪んでいる気だ。
なんなのだ。思わず、つばを飲み込んだ自分に、レムは気付いた。
そして、気の正体が来た。
やはり、ソフィア・ビナイムだった。シャドウナイツのメンバーの一人にして、格闘戦の達人。
だが、来てみればどうだ。額には大量の汗を浮かべているし、目は虚ろになっている。まるで、自分たちを見ていないのではないかと思うほど、その目は視点が定まっていない。
しかし、手に持ったシールドナックルと言い、シャドウナイツ特有のロングコートと言い、まるで似合っていないと、レムは思った。
「カイ、というらしいな、お前の兄は。誰だ、それは。何故か、その名前を聞いた時から、私は頭痛が止まらなくなった」
確か、カイというのはルナの実兄だったはずだ。直接会ったことはないが、自分にとっては従兄弟の一人にも当たる。
何度か写真を見せてもらったり、話を聞かせてもらったりもした。墓場も、何度かルナと一緒に行ったことがある。
だとしても、そのカイとここにいるソフィアの関係はなんなのだ。
「なぁ、私は誰だ? ソフィアか? それとも、エミリアか?」
ルナが、ソフィアの方へと歩んでいく。止めようとしたが、やめた。
背中に、哀しみが広がっていたからだ。自分ですら、触れてはいけない哀しみ。本人のみ振り返ることの許される物が、背中にあふれていたからだ。
そして、ソフィアの目の前にルナが来るやいなや、ルナは拳を、ソフィアの顔面に叩き付けた。
どうと、ソフィアが倒れ込むまで、レムには何が起きたのか分からなかった。
殴り飛ばした。それも拳で、有無を言わさず、である。
ルナらしいといえば、ルナらしい行動だ。ルナが倒れたソフィアの胸ぐらを掴んでたたき起こす。
ただ、その様子に自分は黙っているしかないのだろうと、レムは思った。そうしてやるのが、ルナのためだ。
「そんな程度で、参ってどうするのよ……」
ルナの声が、異様に弱々しい。
ルナが、泣いていたのだ。哀しみ、怒り、空しさ、懐かしさ。いろんな感情が、泣きながらでもルナの言葉にはこもっている。
「自分を確立できない? 自分の存在意義なんて、自分で決めるしかないって、教えてくれたのはそっちだったじゃない……。そうでしょ、エミリア姉ちゃん……」
啜り泣いている。
エミリアという名も、何度かルナに聞いたことがある。しかし、このソフィアとエミリアとは、どんな関係なのだ。
「……先輩……」
はっとするほど、ソフィアの口から弱々しい声が聞こえた。
「私は、弟子など持つ資格なんて、ありませんでした……。十年です、十年。その間に、弟子だと思ってた人間は、こんなに成長したんです。結局、教えられたのは私の方だったみたいです、カイ先輩」
まるで口調が違う。これでは懺悔している様ではないか。
「やっぱり、ソフィアって言うのは別の名前だったのね。エミリア姉ちゃん」
ルナが、ソフィアを立ち上がらせた。
先程とは、まるで気が違うと、レムは感じた。虚ろな気ではない。はっきりとした、強い芯のような物を感じるのだ。
それに、目もまた違う。澄んでいるのだ。今まで対峙していた人物と同じだったのか、レムには分からなくなった。
「え? え? つまり、どういうこと?」
「端的に言うなら、ソフィアというのは、エミリアの上に上書きされた疑似人格って事よ」
ということは、ソフィアとエミリアは同一人物であり、なんらかの事情でフェンリルがソフィアという人格をすり込ませたのだろう。
なんでそんな面倒くさいことをしたのか、知りたくはなかった。あまり聞いてもいけない気もする。
直後、殺気。囲まれている。
「どうやら話し込んでいる余裕もなさそうね」
「数はざっと二五。切り抜けるには、なんとかなる、かな?」
「なんとかするんでしょ。ルナの妹さん?」
エミリアが、自分の方を向いて笑った。
どうもあのソフィアと人格が違うとはいえ、がらりとここまで話し方が変わると、非常に違和感がある。
しかし、悪くないなと、レムは思った。
嫌いになれる人間ではないと、直感的に分かったのだ。
後は、脱出するまでに暴れることだ。
それで二人を護ってやるか。
ふと笑ってから、レムは双剣を構えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
窓は、開いたままだった。研磨剤も、置いたままだった。
ただ、シンが行かせたとだけ言った。
別に、分かり切っていたことではないかと、ハイドラは自分に言い聞かせる。
レムが自分に付くはずがない。あくまでも、ラフィに似た人間であるに過ぎないではないか。
「やはり俺を待たずに行ったか」
「はい。恐らく、ハイドラ様の考えが正しければ、今頃は着いている頃かと」
シンが淡々と述べている。
窓から風が吹く。夜風は冷たいが、何処か、闘気を帯びているように、ハイドラには感じられた。
自分の携帯が鳴ったのは、そんな時だった。
「村正か、どうした?」
『やばいことになってるぞ、ハイドラ兄。ベクトーアの連中がかなりの数入り込んで白兵戦になってやがる』
ラングリッサが落とされる寸前なのか、それとも落とす前段階なのか。恐らくは後者だろうが、油断できる物ではない。
「分かった。俺も行く。村正、二〇分でいいから持たせろ」
『容易く言うのは構わないけどな、見る限りイーグが既に三人。しかも、フレーズヴェルグがい……るんだが……』
急に村正の語尾が止んだ。何か、この世の物ではない物を見たかのように、固まってしまっている。
「どうした?」
『おい、ハイドラ兄、なんか、姐さんがこっちの連中を投げ倒してるぞ』
つまり、ソフィアが離反したと言うことか。
いや、離反したと言うより、元に戻ったのかも知れないと、ハイドラは思った。
元々ソフィアを拾ったのは自分だったのだ。詳しい経歴はその後聞いた。
人体実験の素体としてベクトーアから血のローレシアの混乱期に浚ってきたというのだ。
あの時、自分は怒りにまかせて、研究所の人間を皆殺しにした。考えてもみれば、あれからフレイアに少々睨まれることになった気もする。
あれも考え無しにやったなと、今になって思うのだ。そして、ソフィアを自分の保護下に置いた。シャドウナイツに入らせたのも、自分の監視下に常におけるようにしたためだった。
そして、今元の人格に戻ったのだ。フェンリルに戻ることはもうないだろう。
それはそれでいいと、ハイドラは感じる。だから、村正には手を出すなとだけ命令した。
分かっているのか、ただ復唱の言葉が淡々と返ってきただけだった。
『それと、なんか俺と全く同じ姿をしてるくせに、両刃刀持って暴れてるバカが一人いる』
追加報告はこれだ。恐らくゼロだろう。
大方、村正の反乱を装った離反を狙ったのだろうが、さすがにそろそろ自分達の兵も感づくはずだ。
恐らく、これ自体も時間稼ぎの一つでしかない。あのロニキスやロイドのことだ、それくらい考えるだろう。ルーン・ブレイドの連中は切れる連中が多い。二手三手先を考えて初めて勝てる。
ともなれば、まずは一枚ずつはがすことだ。
村正を、ゼロと衝突させるより他ない。
「戦いたいのか、村正」
『ああ』
「なら、行ってこい。俺が来るまでにケリをつけてみろ」
『合点承知』
それで携帯を切った後、ハイドラはラングリッサの地図をもう一度眺めた。
自分があの基地を攻めるとしたらどうする。
今内部で行われている白兵戦と偽装反乱劇は恐らく内部から崩すための策と時間稼ぎだろう。
とすれば、これを機に一気に本隊が展開する可能性がある。
この前ルーン・ブレイドに痛撃を与えたとはいえ、あれはあくまでも局地戦だ。それに、ベクトーアには若手から熟練者まで、かなりエースが多い。正直人材は喉から手が出るほど欲しいのがごまんといる。
だとすれば、やはり拠点防衛に優れた男を呼び出すしかない。ハイドラは、自然と携帯を別の人物につないでいた。
「プロディシオ、俺だ」
『総隊長。敵軍の進軍速度が速まりました。恐らく、一気に制圧をするつもりです』
「動いたか。分かった、お前は一部隊を率いて防衛に専念しろ。内部の攪乱は村正がなんとかするだろうしな。クリーガーは呼べんから、少しの間持たせろ」
『了解。ただ、総隊長、気になることが二つ』
「なんだ?」
『ドゥルグワントが動きません。それと、ゼルストルングが来るとのこと』
厄介なのが来ると、ハイドラは思った。
ヴェノム・マステマ・ゼルストルング。シャドウナイツ副隊長。そして、生まれて初めてと言っていいほど自分が嫌悪感を抱いた人間でもある。
勝ちになれば残虐になり、弱くなれば引っ込む。要するに臆病なのだ。それを隠すためのサディスティックなやり方なのだろう。
それが自分に嫌悪感を抱かせる原因だった。
そして、ベクトーアの本隊の中核が動かないと来た。
ということは、既に裏で手が回っているのか。しかし、ドゥルグワントが動かないようにし向けた覚えはない。
先読みされていたのか。ともなれば、フレイアが裏から手を回した可能性は十分にある。
まぁ、それはそれでいい。あくまでも今回の戦はベクトーアが引けば勝ちなのだ。
となれば、後はゼロに戦の恐怖と、自分以上に強い人間がごまんといるという現実を教えてやればいい。
だが、それは村正がやりそうな気もする。
それでいいのだ。そうして、互いに切磋琢磨して上り詰め、やがて自分を越える。
ゼロ、村正、ルナ、レム、スパーテイン、ザウアー。自分が世界で自分のことを越えられると思った人間は、この六人しかいない。
そのうちの二人が、刃で語らうことで強くなるなら、それが一番の収穫だと、ハイドラは思った。
自分の銃剣『カウモータギー』に、弾丸を詰める。16.2ミリ×55という奇妙なサイズのAPFSDS弾(装弾筒付翼安定徹甲弾)五発入りのボックスマガジンだ。相も変わらず、無駄に巨大だと思う。
弾を込める度に思うのだ。
俺は間違っているのだろうか。それとも、正しいのだろうか。
そう思うこと自体が間違いだというのはよく分かっているが、それでもなお、問い続ける。
また、風が吹いた。そう言えば、窓が開いたままだったのを思い出した。
夜が深くなったと、何故かいつも感じないことを感じた。
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