第二十三話『引けぬ故に戦って』(2)

AD三二七五年七月二〇日午後七時九分


 体は、まだ生きている。視界は暗いが、自分の意識も、はっきりしてきた。

 独房の中だと言うことには、すぐ気付いた。ただ、思ったよりも自由な状態であることに、ルナは気付く。何一つ拘束している物がないからだ。


 何を企んでいるかは分からないが、やりやすくはなる。

 召還印から発せられる、微かな熱も感じる。ということは、まだ色々と実験などに回す前なのであろう。


「気付いたようだな」


 聞き覚えのある、声。扉の方を見ると、エミリアが立っている。

 何度見ても、ルナにはソフィアと名乗るその女性が、エミリアにしか見えなかった。

 本人が昔からコンプレックスを持っていた泣きぼくろの位置や、紫がかった髪の毛、琥珀色の目、そして、雰囲気。全てが、他人のそら似とは思えないほど、よく似ている。


「私の攻撃に対し、後方に体を避けて衝撃を軽減する、か。それでも、よくもまぁその程度で済んだ物だな」


 呆れながらソフィアが言うが、まだ吐き気はある。まるで胃の中を、何かが暴れ回っているような、そんな印象があるのだ。

 強引な方法で侵入した気はするが、侵入できただけでも、ここはよしとするべきだろう。


「で、なんでここに来た? 作戦、というには力押しすぎる気がするがな」

「力押しによる徒手空拳で戦うこともまた、戦には必要な物よ」

「ほぅ」

「ま、そんなことはどうでもいいわ。今ちょっと暇で退屈なのよ。少しばかり、昔話に付き合ってくれない?」

「お前の昔話など、興味はないのだが」

「まぁまぁ、そう言わない」


 すぅと、一つ息を呑む。

 本当に、昔話と言われても他愛のない話だ。ただ、自分に兄がいたこと。その兄を好きだと自分の前で言い切った女性がいたこと。そして、十年前に兄が死んだことと、その女性も行方不明になったこと。


 ルナからすれば、他愛のない話だ。だが、同時に十年以上前の自分にとっての唯一とも言える思い出だ。

 懇々と、語っていた。何故か、口の動きを止めることが出来なかった。


「ほぅ。お前はまた随分と酷な幼少期を過ごしていたのだな」


 呆れるようにソフィアが言って、それでようやく口の動きが止まった。


「あなたの幼少期とかは、どうなの?」

「私は、よく覚えていないのだ。孤児院で育ったはずだが、それも特に記憶が曖昧でな。いつの間にかここにいた、そういう感じだ」


 やはり、何か記憶を改ざんされているようにしか、ルナには思えなかった。割と子供のときの記憶は鮮烈に残るものだと、ルナはよく分かっている。

 だからこそ、その部分だけが抜け落ちるということに矛盾を感じるのだ。

 この女は、やはり引っかかる。


「ねぇ、他に、覚えてる事って何かないの? 例えば、人の名前とか」

「人?」

「そう、例えば……カイ・ラナフィス」


 十年前に死んだ、実の兄の名を出した。

 ソフィアの目に動揺が浮かんでいるのが、よく分かった。ただ、態度は平静を装っている。

 今の時代、例え脳をいじられても、完全に記憶を消し去ることなど出来はしない。大方、記憶が混乱し始めているのだろう。


「すまん、帰る」


 頭を片手で押さえながら、ソフィアが独房から離れていく。代わりに衛兵が二人、自分の独房の扉の前に立った。

 警戒が思ったよりも薄いことが気がかりだったが、別にそこまで気にすることはないだろうと感じた。

 それに、知る必要もないと、ルナには思えた。

 どうせ、数時間後には自分も死ぬのだから。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 帰ってきた瞬間、胃の中の物を一気にはき出していた。

 カイ・ラナフィス。知らない名前のはずなのに、何故こうも心をかき乱すのか、ソフィアにはよく分からなかった。


 誰だ。誰だ。誰だ。誰だ。

 記憶には、ない。

 ただ、奇妙な懐かしさが同時にこみ上げてくる。


 自分は何なのか。ソフィアには分からなくなっていた。

 確かな記憶が、自分にはないのだ。


「大丈夫、ソフィア?」


 背中をさすられて、初めて人がいることに気付いた。

 思い出す。名は、確か、マリーナ・ゴドウェイとかいう名前だった。


「なんか帰って来るなり突然吐いたから、どうしたのかと思ってね」


 頭がようやく鮮明になってくる。

 そうだ。自分もマリーナも、シャドウナイツの一員なのだ。それに、マリーナとはここでは部屋が同じだったではないか。

 そんなことまで忘れるほど、自分は動転していたのかと思うと、恥じる気分になる。


 顔を上げると、確かに彼女が、相変わらずの修道着姿でそこにいた。しかも、担ぐほど巨大な十字架も、相変わらず保持している。

 それでよく肩が凝らないものだと、ソフィアはいつも呆れていた。


 宗教には、あまり興味がなかった。そのクセに、未だに自分の愛機であるエイジス『FA-069αリュシフェル』の名は、見事に宗教の塊だ。マリーナの機体と兄弟機だからという理由だけでその名前になったのだ。

 どうもこの名前だけは好きになれない。


「ああ、いや、なんでもないわ、なんでも」

「ならいいけど、顔色悪いよ。薬飲んだら、寝た方がいいんじゃない?」


 そうした方がいいだろう。薬は、自分には欠かせなくなっている。

 もう既に、自分の命も長くない気がするのは、よく分かっている。

 薬を飲む量が、増える一方だからだ。そんなことを思いながらも、薬を一気に口に含んで飲み干した。


 死ぬなら死ぬでいいと、ソフィアは思っていた。それもまた運命だし、何より、自分はあまりにも、手が血で染まっている。

 それがなくなるなら、それで、別の誰かが幸せになれるなら、本望だ。


 ベッドに横たわる。相変わらず、少し固い。

 だが、眠れない。


 記憶が、混濁している。

 マリーナは、昔から一緒だったと言っているが、昔の彼女の顔を思い出せない。

 そして、カイ・ラナフィスという、あのフレーズヴェルグの言った人物が、嫌に引っかかる。

 誰なのだろうか。その感情だけが、まだ心の中で暴れ回っている。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 外の様子は、鉄柵の間からよく見えた。監視カメラは一つ。だが、角度からして、中の様子までは映ることはないだろうと、ルナは踏んでいた。

 となれば簡単な話だ。椅子から立ち上がって、鉄格子の近くに衛兵を呼んだ。


 近づいたと同時に袖にあらかじめ仕込んでおいた小型ナイフを出した。わざわざこの時のために、暗器をかなりの数仕込んだだけのことはあったと、ルナは思っていた。

 鉄柵から腕を出して衛兵を掴むやいなや、ナイフを喉に突き当てた。当然の如く、もう一人の衛兵がこちらに銃口を向けるが、味方を撃ち抜いてまで自分を殺そうと言うほどの気概は感じなかった。


「さっさとここを開けなさい。命が惜しければ、ね?」


 少し、深くナイフを当てた。衛兵の首筋から僅かに血が出始めている。

 まだ、相手は手を動かさない。ならば、もっと深く斬るだけだ。


 もう少し、深く刃を入れた。苦痛の声が、ルナの耳にも入ってきた。だが、特に感心の情は湧かなかった。

 観念したのか、衛兵がロックを解除する。


 ドアが開くと同時に、衛兵を離して一気に独房を抜けた。

 自由になった衛兵が双方とも銃口を向ける。


 覇気がない。そう思えた。

 かかとを一回強く蹴り、靴底にナイフを展開した。昔から仕込んではいたが、本格的に使うのはこれが初めてになる。

 そのテストも込めて、双方の衛兵を蹴り殺した。


 特に感傷を持つわけでもない。持っても仕方がないことだし、第一、どうでもいい。

 どうせここで派手に暴れて自分は死ぬのだ。

 そして大地に返る。肉片一つ残さないように、生体反応が途切れると同時に自分の体を焼くように仕掛けた爆弾も体に付けている。


 ただ、まずはこの独房のエリアから脱出することだ。

 駆けた。入り口に兵士が二人。すぐに殴り殺した。腕に返り血が付いていたが、気にすることはない。

 火傷の跡が、何故か疼いているが、そんな細かいことも気にしていられない。

 気にすることなど、何もないのだ。


 ただ目の前の敵を殺すだけ殺す。どうせこの騒ぎに乗じてロイド達のような暗部の部隊が出るはずだ。それに乗じて基地の系統を混乱させ、同時に今の時間には既に展開されているはずの部隊を全て導入して制圧する。

 外部だけを崩すより、まずは内部を崩して脆くすれば、容易く墜とせる。そう思えるのだ。


 ただ、あくまでも思えるだけだ。実際にどうなるかは分からない。

 廊下に出ると、敵の数が一気に増えた。銃口がこちらに向けられるが、当たる気がしなかった。


 さぁ、殺せるものなら殺してみろ。


 一度唇をなめる。呼吸を一度だけ置いてから、陸を這うように疾走した。

 まずは目の前の二人。拳に気を込め、下から一気に腹に突き出した。相手が口から、血を吐いて死んだのが分かった。二人目が後ろから襲いかかってきたが、すぐに体を反転させ、殴り飛ばした。


 残りの数は、視認できただけでも二〇はいる。

 自分の死の舞台にはおあつらえ向きであるように、ルナには思えた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 急に、指揮の系統が乱れた。

 だからだろうか、不思議と何の抵抗もなく入ることが出来た。


 ゼロからしてみれば、何故これ程あっさりと中に入れたのか、不思議でしょうがない。横にレムが堂々と双剣を携えながら来ているにもかかわらず、だ。

 降らせたと言ったら、あっさり信用されたのだ。レムが苦笑していたのが何とも言えない。


 だが、もう少し警備が厳重だと思ったが、自分が来た途端に脱走者に対する扱い方を求めてきた。だから適当に犠牲を最小限に抑えてどうにかすべしとだけ言った。

 シャドウナイツに完全に頼り切っていると呆れると同時に、村正がこれ程の人身を得るまで何をやったのか、不思議に思えた。


 双子の兄だったが、記憶があるのは五歳までだ。それ以降は、何をしていたのか、何処にいたのか、そもそも生きているのかすら分からなかった。

 自分が一七歳の時、元シャドウナイツ副隊長であった『インドラ・オークランド』の死の現場に、自分が立ち会った。


 自分を庇って、インドラは死んだのだ。死の間際に、インドラが自分に似た息子を持っていると言った時、村正が生きているのではないかと、心の中で直感した。

 だが、会うわけにいかなかった。父親を殺すことになった弟を出迎える兄が何処にいるというのか。


 そう思うと、情けなくなった。俺はあいつと比べて劣っている。そう思えた。

 だから、死んだと勝手に思いこんだ。いや、自分でそうやってすり込んだのだ。


 そして二ヶ月前、本当に自分の前に現れた。

 そんな鏡のような人間を、俺は陥れるのか。罪悪感だけが、何故か心に広がっていく。

 甘いのだと、ゼロは心底思っていた。


 何度も戦場で経験した。だまし討ちも、何度かやったじゃねぇか。何故今更ビビッてんだ。


 心の中で、無理矢理奮起させた。


「どうしましたか、村正殿」


 兵が一人、怪訝そうな顔で近づいてきた。

 そろそろかと、ゼロは思った。


 両刃刀を出して、首をはねた。

 呆然としている兵士が、目の前に二、三人。二人をすぐに斬りつけた。もう一人は、レムが始末していた。

 思ったよりも、彼女の反応は悪くない。


「村正・オークランド、諸事情によりベクトーアに味方させてもらうぜ」


 銃口がこちらに向けられた。この感覚が、自分の闘争心をいつも刺激する。

 どちらにせよ、ルナが派手に暴れている頃だろう。

 こちらも、派手に暴れるだけ暴れればいい。単純と言えば、単純な任務だと、ゼロには思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る