第二十三話『引けぬ故に戦って』(1)
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AD三二七五年七月二〇日午後六時二一分
隙が、全く見えなかった。
槍を構えて、目の前にいるシンへと向ける。これを二日、レムは繰り返していた。
ただ、実剣ではなく、あくまでも棒の先に柔らかい物を付けた、訓練用の槍だった。それでも、十分に鍛錬にはなる。
自分は、一応槍も使えなくはない。父であるガーフィが前線にいた時、よく三ツ股槍を使っていた。今でも、たまに振るっているのを見かける。
だから時々稽古を付けて貰っていた。シンとの向き合いは、その延長線に当たると、レムは考えていた。
正直、捕虜という感覚はなかった。屋敷の外には出してもらえなかったが、中は自由に歩き回ることが出来た。更に、勉学や稽古も付けてもらった。警戒は怠らなかったが、それでも、食事に毒を盛られるとか、そういったことはなかった。それに、捕虜扱いだったとすれば、槍の鍛錬などやらせてくれるはずもない。
シンは見た目、初老の男にしか見えない。しかし、槍裁きはなかなかのものだった。だからレムも、鍛錬にはちょうどいいと思ったのだ。
それに、シンが好きになっている自分に、レムは気付いたのだ。昨日、他愛もない話から、自分の持つ戦の考え、志まで、色々と語った。
こんなに語り合えた人間は、久しぶりであった気がする。
何故、敵であるはずなのにこんな感情がわき出るのか。ハイドラ。それしか、レムには考えられなかった。
何故か、ハイドラを見ていると懐かしい気分に襲われる。何処で会った訳でもないのに、何故か、懐かしさがこみ上げてくるのだ。
それに、瞳の底の底に、何処かルナと同じ輝きがあるように感じる。
不思議な男だった。そう思うのだ。
呼吸を、一つ整えた。まだ、隙は見えない。
シンは、自然体に構えている。刹那、シンは一気に自分に向けて疾駆してきた。
早いと、レムは思った。
剣先が、自分へと襲ってくる。それを一度弾くと、一気に体が動いた。
後ろへ屈みながら少し下がり、上から突き上げるように、シンへと槍先を向けた。
かん、と、木の棒が当たる音がした。また、上手い具合に防がれたようだ。
はじき返される。思わず、倒れた。
そして、気付けば自分の喉元に、槍の矛先が向いていた。
心臓の音が聞こえる。自分の心音だった。
負けた。そう感じるのに、十分だった。
「まだまだ。甘いようですな」
槍を納め、にこりとシンは笑った。この笑顔を見ると、何故か負けの気分などどうでも良くなる。
「ですねぇ。自分では鍛錬積んでるつもりだったけど」
呵々と笑い、立ち上がった。
既に、外は夕暮れらしい。鍛錬場の窓から、少し夕日が見えている。
「そろそろ、ハイドラ様も帰ってこられる頃です。ご準備の程を」
そう。これで三日だ。そろそろ、動き出す頃だろう。
しかし、シンと別れづらくなっている自分がいることに、レムは気付いた。
「迷って、おられるのですかな?」
一つだけ、頷く。
「家族の元へお帰りなさい。ハイドラ様があなたを逃がすのは、ここがあなたの居場所ではないことを、十分に悟ったからですよ。それに、あのお方の奥方に、あなたは似ておられるようです」
「そこまで年取ってないんだけどなぁ……」
「ハイドラ様は、お若い頃に、奥方とお子様を亡くしておりましてな。奥方のお若い頃に、あなたはよく似ていらっしゃるそうです」
確かに、妙な男ではある。
ハイドラという男は、その勇猛さと裏腹に、読書を好むのかヤケに本が多い。それも、かなり古い紙媒体の物だ。どことなくこう言うところもルナに似ているが、しかし、それにしたって本が古すぎる。
聖戦前の書物まであるのだ。ルナに似た相当の本マニアなのかと思ったが、何か違う気がする。
それに、古めかしい写真も、何処か多かった。屋敷の廊下を歩くと、それが随所にあるのだ。最初のうちは気にもとめなかったが、少し古すぎる感じがする。
どちらにせよ、奇妙な男に出会ったものだと、レムは心底思っていた。
部屋に付くと、レムは早速、己の双剣を磨く。そう言う道具も、一通り揃えてくれた。
何故ここまでしてくれるのかだけは、どうもよく分からなかった。本当にハイドラの妻とやらに、自分は似ているだけなのだろうか。
自分に似ているというと、真っ先に何故か、セラフィムが思い浮かんだ。自分の死んだ母も、自分に似ていた気はするのだが、何故かそちらは思い浮かばなかった。
「どちらにせよ、今日で別れ、ですか?」
剣を磨きながら問う。
「いやいや。何処かで、また会う気が私はいたしますよ。近いうちに、また」
にこりと、シンが笑う。この顔を見ると、本当にそう言う気分になるから不思議だ。
「紅茶でも、お飲みになりますか?」
「剣、研ぎ終えたらいただけますか?」
「かしこまりました」
それだけ言って、シンは出て行った。
窓から、風が吹いている。それを浴びながら剣を研ぐのも、決して悪くない。
ただ、嫌な予感だけは、ここ数日ずっと続いている。それが何かまでは、よく分からない。
「随分いいご身分になった物だな」
心臓の音が、聞こえた。嫌な予感とはこれだろうかと思ったが、何かが違う。
それに、消しに来たのかもしれない。それはそれでいいと、レムは思っていた。
急に、夢が覚めていく。そんな印象しかない。
「相変わらずの皮肉だね、ディスさん」
後ろを振り向くと案の定、頭蓋骨に似た仮面を付け、大鎌を持つディスがいた。
「消しに来たの、私を。それはそれで構いはしないけど」
「そこだけは相変わらずのようだな。お前は、俺の想像以上に自分の命を平然と投げ出す」
「で、何しに?」
「決まっている。お前とルナの救出と、計略のためだ」
「今なんて?」
「ルナの救出、と言った。あいつは、ラングリッサを一人でどうにかしようと考えている。お前が独断専行した結果が、こうなったわけだがな。だがだからこそ、俺達の策が生きる」
ルナの救出というのはどういうことだ。自分を救出するのを優先して捕まった。だとすれば、自分に一番の責任がある。
ならば、行動するべきだ。ハイドラとの約束は反故になるかも知れないが、行くべきだろうと、レムは思った。
「ディスさん。姉ちゃんが捕まって、何処に行ったか分かる?」
「ラングリッサの地下に移送されたのを、俺の部下が見つけた」
「なら、そこに早く」
「慌てるな。言っただろう、策があると。詳しくは、ここを出てからだな」
一つだけ、レムは頷いた。
双剣を腰に付ける。これも、なんだか久しぶりにやった気がする。考えても見れば、ずっと槍しか学んでいなかった。
シンが入ってきたのは、そんな時だった。
ディスが鎌を構えたが、レムが止めた。一度だけ舌打ちして、ディスは鎌を納める。
甘いことは、分かっていた。
「おや、お帰りになりますか?」
いつも通りの笑顔を、シンは浮かべていた。
「お世話になりました」
「なんの。また、いずれお会いしましょう。それと、あなたの機体ですが、既に修理と近くの施設への搬入が済んでおりますので、召喚は既に可能です」
「お前、何故そこまでする」
ディスが口を挟んだ。珍しい光景を見たと、レムは思う。ディスが会話に入ってくるなど見たことがなかった。
貴重な場面に出会えたのかねぇ。いつの間にか、そんな気楽な思考が戻っていた。
「さて、何故でしょうな。ただ、私はハイドラ様の命令を実行に移したまでのことです」
「そうか。では、それに免じて、殺さずに去るとしよう」
「では、またいずれお会いしましょう」
シンが、深々とお辞儀をした。
ぽんと、ディスが肩を叩くと、レムは一度シンにお辞儀をし、踵を返して、窓から飛び降りた。
後は、ディスにただ付いていっただけだ。屋根を伝いながら、何処かへと向かっている。
別に、話しかけることはなかった。話している余裕も、あまりないほどディスの動きは速い。
ある建物の屋根に設置された窓の前で、ディスが止まった。
一度窓を軽く叩くと、窓が静かに開いた。そこから、二人して入った。
随分と薄暗い部屋だった。窓を閉めると、夕方の暗さも手伝ってか、より一層暗く感じられる。
横のディスが、仮面を取って適当な場所に座った。それに習って、レムもまたあぐらをかいて座った。
相変わらず思うが、ディスはブラッドと本当に兄弟かと疑いたくなるほど美男だ。それに、性格もまるで違う。
ディスは何処か暗いのだ。闇に呑まれた、そんな印象が何処かある。
やはりブラッドの方が親しみやすいと、レムは思っていた。
「三日ぶりですね。どうでしたか、フェンリルの内部という物は」
聞き覚えのある声。よく見ると、ロイドではないか。
「副長まで、いらしてたんですか?」
「思ったよりも驚きませんね」
「そりゃそーでしょ。副長が裏を束ねてるし、ディスさんを自由に使えるの副長だけだもん」
「で、何かまずいことを話したりとかはしてないでしょうな?」
ロイドから、殺気が漂っている。この男は、本当に自分を殺そうと思えば殺すだろう。
下腹が膨れているし、普段は温厚だからあまり気付かないが、実はルーン・ブレイドで一番怖いのはロイドだと、初めて会ったときから直感でレムには分かっていた。
「まさか。そこまで私は迂闊じゃないですよ」
「ならよろしい」
ロイドから、殺気が消えた。
急に、心臓の音が自分の耳に響いてきていた。
そんなんでどうする。レミニセンス・c・ホーヒュニング。三日で鈍ったのか。しっかりせんかい、自分。
必死に、自分に言い聞かせ続けた。
「で、わざわざ俺まで呼び出して、その作戦は上手くいくのか?」
また、聞き覚えのある声だ。
なんというか、嫌いな人間の声がしている。
だが、嫌いな人間でも、久々に会えるだけで安堵している自分がいることに気付いた。
ゼロの声だった。
しかし、何故だ。何故、ゼロの声がした方向には、村正が悠然と座っているのだ。
「なかなかに悪くない驚きぶりですね。これならば十分でしょう」
ロイドが軽く笑う。
まさか、目の前にいるのは村正ではなく、ゼロなのか。だとしても、ここまでそっくりだとは夢にも思わなかった。
十字傷も顎髭もない。顎髭は剃り、十字傷は適当に隠したのだろう。髪の毛も、あの特徴的な怒髪天の如き髪をよく再現してある。
義手の方は、特殊メイクなのか知らないが、普通の腕のように見えた。
正直、完璧である。
「で、俺が適当に暴れくさればいいわけか。それで村正をフェンリルから引きはがす、ないしはフェンリル側に処刑させることも出来る、と。ンなに上手く事が運ぶかぁ?」
ゼロが頭をガシガシとかきながらロイドの方を見た。
「まぁ、上手くいけば儲け物程度に考えてください。フェンリルとて、そこまでバカではないでしょうし。要するにあなたが暴れてくれれば、それだけ我々の部隊が入りやすくなる。後は、適当なタイミングで外部のM.W.S.部隊を呼び寄せられればいいわけです。幸いにしてハイドラはいませんし」
「その、ハイドラの件なんだけど」
レムが挙手をすると、全員がじっと自分を見つめてきた。なんだかこういう光景も、久しぶりな気がする。
ただ、ゼロの目からはその言葉を聞いた瞬間に強烈な殺気の色がにじみ出た。何があったのかは、聞こうとは思わないし、興味もない。
「今日、帰ってくるかも知れない。あいつ、志のある場所に行ってくるとか、三日前に言ってたんだ。場所までは分からなかったけど、多分、帰ってくるとしたら今日だよ」
「となると、急がなければなりませんな」
ロイドがすっと立ち上がると、全員が立ち上がり、各々窓から外へと出て行った。
レムもそれに習って出る。ロイドだけは、ディスに指示を出した後、別の方向へと去っていった。叢雲のいる方向だろう。
追うことは出来なかった。いつの間にか、彼の気配も姿も消えていた。
外は、既に夕日が西へと沈もうとしている。
屋根から下を見ると、有り触れた町並みが広がっている。見れば見るほど、不思議な町だ。まるで、フェンリルとかけ離れた別の何か。そんな気配が、この町には漂っている。
屋根伝いに、ディスを先頭にゼロ、レムの順で進んだ。
奇妙な感覚と嫌な予感は、未だに抜けない。
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