第二十二話『復讐のために生きて』(2)

AD三二七五年七月二〇日午後三時四八分


 油の臭いは、嫌いではない。

 地下にある工廠は、換気用の大型ダクトこそあるが、それでも臭いだけは抜けない。

 しかし、こういう臭いは、何処か賑わいを感じさせると、何故か村正は思うことが多かった。

 整備しているときに飛び交う声が、余計にそう感じさせるのかも知れない。


 工廠の一角で、自らの気を高めていた。よく、こういうことをやる。

 普段使っているフィストブレードとはまた異なる、父の遺品である直刀を見つめるのだ。

 刃に映る己を見て、その刃の言葉を聞き出す。そうしていると、刃の声が、時々聞こえるのだ。


 ただ、父は生前から「常に刃と語れるようになれ」と言っていた。

 どうやら自分はまだまだらしい。


 お前は何故刃として存在している。そう問うと、刃は、常に強い敵と戦いたいからだと、そう答えた。

 色んな事を、刃に聞く。それは、己への問いかけなのかも知れないと、村正は思っていた。


 変わった修行だと、昔から友に言われた。だが、これが自分にとって、一番気を高められるのだ。

 刃を、鞘に収めた。向き合い終わると、どっと汗が出る。この刃を打った者達の魂が、刃の気に乗っているのだ。

 故に、気が抜けないのである。気を抜いたら、刀に気を呑まれ、そして、死ぬ。


「今日は何を語った?」


 プロディシオの声が、後ろから聞こえてきた。

 見た目は、正直強面にも程がある。左の顔面がほぼ全て埋まるほど巨大な仮面を縫いつけたその様は、まるで悪鬼羅刹を思わせるのだ。

 しかも、村正より巨体である。ハイドラよりも大きいのだ。

 しかし、不思議と怖いという印象を抱いたことはない。だから嫌いではなかった。


「そうだな。俺が、刃であり続けるにはどうすればいいか、だな」

「お前でも、迷うことがあるのか、村正」


 プロディシオは意外そうな表情をしているが、脳天気に見えて自分は意外と悩んでいると、村正は思った。


「だから、その迷いを解くために、刃に問うのさ。気で、刃と語る。それこそが、俺にとって最大の精神鍛錬だな」

「気は、エイジスの力もまた高める、か」

「そういうことだ」


 村正はゆっくりと立ち上がり、プロディシオの方を向く。


「で、何の用だ?」

「クリーガーから連絡があった。どうもアルティムがきな臭い動きをしているらしい」


 あそこがきな臭いのはいつものことだろうという言葉を、村正は飲み込んだ。

 初めてあの町に来たのは五歳の時、養父のインドラに拾われてすぐの頃だった。

 父は社会見学のためにも、一度訪れておいた方がいいと判断したのだろう。実際、その判断は間違いではない。


 ただ、子供心ながらに、何か奇妙な違和感をあの町に覚えたのもまた事実だった。実家がアルティムにはなかったから、なおのことそれを感じたのかも知れない。

 そんな空気を感じてか、ハイドラはシャドウナイツの一人にして蒼機兵第一大隊大隊長、そして自分の兄弟子でもあるビリー・クリーガーに、アルティムの監視役を命じている。


「フレイアは、何考えてんだろうな」

「俺達凡人に分かるなら苦労はせん。総隊長なら、分かるかもしれんが」

「人はそこまで万能にはなれないよ、プロディシオさん」


 それもそうだなとだけ言って、プロディシオは部屋を出た。

 村正もまた、吹き出ていた汗を拭き、いつものシャドウナイツの服装に着替え、部屋を出る。

 部屋を出れば、そこには既にオイルの臭いが微かに混じっている。少し廊下を歩けば、すぐに工廠に出るからだ。

 工廠の方では、相も変わらずメンテとシミュレーターと基地内のトレーニング施設を用いた徹底的な調練が続いている。


 調練を指揮しているのは中隊長達だ。その中隊長の中には、自分の従者もいる。

 そういえば、未だに名を聞いていなかったことを思い出した。


 彼が従者になって二年経つ。

 最初は、ハイドラにこの従者が喧嘩を吹っ掛けたのがきっかけらしい。当然の如くハイドラがのしたら付いてきたそうだ。その後色々と訓練を積んだ末に、副官にしろとハイドラはただそれだけを言って、村正の所に彼を預けた。


「村正殿、鍛錬は如何ほどですか」

「いつも通りだ。剣は、色々と俺に語りかけてくれる」

「ならば気は充実しておりましょう。私も、副官名利に尽きるという物です」


 目の前の従者は、真面目な顔のままそう言う。いつも、こんな真面目な表情をしている。

 笑ったり、怒ったりした表情は、見たことがない。


「オマエさん、いつもその表情崩さないな」

「心は内のみに秘めよ、というのが、ハイドラ様からの教えでございました故」

「で、その教え故に表情を崩さず、ってか? 固すぎないか、それ?」

「それが、私の性分です。表に出る人間でもありませぬ故。それに、私はハイドラ様に諭されて、生まれ変わったと考えております。だから私は名を捨てたのです」


 五歳の時にナノインジェクションの施設を脱走したときに、村正はカインという名を捨てた。施設で勝手に付けられた名に、興味など無かったから、すぐに捨てることが出来た。

 しかし、この男はあっさりと名を捨てたと言った。何か、別の強い意志が、彼の中でそういう行動を取らせたのだろう。


「私は、名もなく死んでも構わぬと思っております。それで村正様やハイドラ様を護れるのであれば、それもまた本望です」


 確かに、それでこの男は本望なのだろうが、蒼機兵が表に立ったとき、自分がこの隊を率いるわけだから、名がないというのは後々厄介になってくる。


「ファルコ」

「は?」

「お前の今後の名だ。俺の曾祖父に当たる人物らしき人から、取らせて貰った」

「らしき、ですか」

「実を言うと、俺も詳しいことは知らん。施設でそういう名を聞いただけだからな」

「かように大事な名、頂いてもよろしいのですか?」


 ファルコは、少し困惑した表情をしていた。

 こういう表情も出そうと思えば出せるではないかと、村正は呵々と、心の内で笑う。


「俺自身、どういう人間だったかを知らないからなぁ、何とも言えん。が、少なくとも誇るべき名だと、俺の魂がそう言ってる」

「なら、ありがたく頂戴つかまつりましょう」


 ファルコは白い歯を見せて笑った。

 ほぉ、と、思わず声に出てしまった。存外表情は豊かなのかも知れない。


 工廠にサイレンが響いたのは、そんな時だった。

 ハイドラとスコーピオン六機が敵十七機に追撃を受けているという。

 しかも率いるのは元ルーン・ブレイド第二代戦闘隊長『犬神竜三』。現役のルーン・ブレイドの機体三機と、クレイモアを一二機引き連れているという。


 何故フレーズヴェルグとまで呼ばれている現在の隊長であるルナがいないのかが気になったが、十七機ならばハイドラの力を持ってすれば十分に攪乱できよう。実際、その自信があるからか、ハイドラの方から増援不要の通達が来た。

 その言葉を聞くだけで、すぐに工廠の警戒態勢は解かれ、各々が自らの仕事に戻っていく。

 実際、ハイドラの計画を鑑みたとき、これで敗北したとあらば、計画は屈辱的な敗北と共に瓦解する。


「ハイドラ様なら問題ない。そう顔に出ておりますな、村正様」


 ファルコはいつものように少し固めの真面目な表情になっていた。意外にコロコロと表情が変わる奴だとも、村正は感じる。


「ハイドラ兄なら心配ないだろ、ファルコ」

「十七機、その中にフレーズヴェルグが入っていないことからするに、彼女は何か別の行動を取っているのでは?」

「ともなると、レムの奪還のため、か」

「ですが、どうにも嫌な予感がするのです。彼女がそれだけで動くことはないと思います」


 確かにその通りだ。しかし、ならば何を目的に動くのか。

 だが、まさか単騎でラングリッサを壊滅させようなどとは思うまい。それではまさに匹夫の勇ではないか。


 ただ、そう焦ることも無かろうと、村正は何処かで感じている。どちらにせよ、今日の夜には一度ラングリッサに戻るのだ。

 ハイドラ兄が帰ってきてから決めよう。そう思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 敵は七機しかいない。だが、その内の一機は、恐らく世界で最も強い男の一人が乗っている。

 そういう男と戦うのは、武人としては本懐だ。

 だが、何故かこちらが追撃しているはずなのに、追われているような、そんな焦燥感を何処かで竜三は感じていた。


 自分も含めて十六機。数は二.五倍だが、勝てるかどうかは分からない。

 少なくとも言えるのは、退屈しないで済みそうだというそのただ一点のみだ。

 方陣を四つ築きながら進んだ。端から見れば魚鱗にも見える陣形だ。四機ずつの変則編成(人型兵器の基本編成は三機で一小隊)で、それぞれの隊をブラッド、ブラスカ、アリス、そして自分が率いている。


 エドを持ち場から離すわけにはいかなかった。半分は首都防衛のために置いてきたのだ。遠征組は半分しかいない。

 エドが気を利かせたのか、第五M.W.S.大隊から二小隊回して貰うように手配してくれた。それはブラッドとアリスが指揮をしている。


 自分の旗下に勝るとも劣らない、よく訓練された兵士達だった。動きを見ているとそれがよく分かる。

 ここにゼロがいれば、自分が一トップになるなかなかにいい陣形になった気もするが、ハイドラとの一騎打ち以降、動きを止めている。

 絶叫を上げていたところを見るに、恐らくハイドラと昔何かあったのだろう。


 この陣形、亀のように見えるが、これでも最速の速度で一気に進軍するスタイルが、竜三はこの上なく気に入っていた。実際、こんな陣形でも下手な部隊より遙かに進軍速度は速い。

 元々ルナの得意とする機動性を最大の武器とする戦術を教えたのは竜三に他ならない。

 ただ、ルナはそれを更に推し進め、最低部隊規模である三機の精鋭によって発揮される機動力を武器とした。竜三と違うのはこの点であろう。


 自分はあくまでも、数も使う。だから瞬間的な機動力ではルナに劣るが、あらゆる作戦を採ることが出来る柔軟性は備えているつもりだ。


『ハイドラの野郎、随分と速度を速めたな』


 ブラッドから通信が入った。

 レーダーを見つつ、ギリギリ相手の射程外から追随し、つかず離れずの距離が続いていたが、ここでハイドラが距離を少し置こうとした。

 ならば切り離すときだろう。後曲のアリスに通信を入れた。三面モニターの隅に、少し不機嫌そうなアリスの表情が映し出される。


「アリス、エドの隊だが俺の独断で貸す。後方から援護を任せる」

『あいあいさ』


 アリスは相も変わらず不機嫌そうに言うが、目はまさしく獣の目と化していた。そういう状況は悪くはない。

 アリスの率いる部隊は第五M.W.S.大隊の中でも選りすぐりのスナイパー二人と斥候として展開するスカウトクレイモア一機で構成した部隊だ。

 この部隊が後方から援護してくれれば、倒すのも不可能ではないと思える。

 それに、これで一気に速度を上げられる。


 フットペダルを、思いっきり踏み込んだ。

 草履だから痛いとか、そういう感覚は持っていない。着流し故にGを感じるが、それもまた心地いい。

 この感覚が、竜三の神経を澄み渡らせていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 このタイミングで追随する速度を上げた。しかも、後曲の四機を一気に切り離して、だ。

 レーダーで追ってくる敵機の様子を蒼天のコクピットからハイドラは眺めていた。


「さすが二代目隊長か。侮るのはまずいな」


 唸らざるを得なかった。年季の入った、粘り強い追撃戦を仕掛けてくる。恐らくフレーズヴェルグならこうはいくまい。


『総隊長、相手の距離が縮みます。空中にいけば逃げ切れます。飛ばさないのですか?』

「いや、ここは痛撃を与えるに限る。既に策は練った。相手は、術中にはまりつつある」


 竜三の持つ、性格とは裏腹の粘り強さ。そして機動力。これは最大の武器だが、同時に弱点にも出来る。

 粘るが故に深みにはまるのだ。


「来てみろ、若造。戦を教えてやる」


 まず隊を鶴翼に展開した。ただし、自分は殿である。

 他の者は止めたが、これもまた策だ。相手は十中八九はまると、ハイドラは見ていた。


 まずは先程切り離したスナイパーを潰す。

 そのための増援は、既に配備してある。


 後は、出来る限り戦ってみようか。なぁ、蒼天。


 ハイドラは、IDSSを強く握る。

 そうやると、魂が唸っていると、ハイドラには感じられた。

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