第二十一話『翼をもがれて』(2)-1

時間不明


 誰かが、呼んでいる。

 家の中で、誰かが呼んでいる。


 だが、ここは自分の家ではないし、第一、自分の姿ではない。もう少し成熟している。

 どう考えても自分が成長したとしても、ここまで落ち着いた人間になれるとは、レムには思えなかった。

 それに、体に、微かだが無数の傷がある。


 男が呼ぶ。食事が出来上がった、と。

 他愛のない会話だが、ヤケに嬉しかった。


 この男は、誰なのだろう。

 何故か、目覚める前にそれがひどく気に掛かった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


AD三二七五年七月一九日午後二時四五分


 最初に飛び込んできた光景は、ベージュがかった天井の壁紙だった。

 今まで見たことがない景色である。それに、ヤケに寝心地がいい。

 よくよく見てみると、それなりにいいベッドの上で自分は思いっきり寝ていたようだ。


 ゆっくりと起き上がって首を一度振る。微かに風が感じられた。部屋の作りも、何処か落ち着いたたたずまいである。

 しかし、ここは何処だ。


「目が、覚めたようだな」


 見知らぬ男の声が横からする。

 はっと振り向くと、そこには、黒のロングコードに身を纏い、あまっさえ左半身に刻印を刻んだ、奇妙な男がいた。


「誰だ?!」


 思わず声を上げたが、男の態度はあっさりしている。


「フェンリル幹部会戦闘専門近衛騎士団シャドウナイツ隊長、ハイドラ・フェイケル」


 そう言われたとき、何故か、急に懐かしさがこみ上げてきた。

 初対面の人物に対して、何故こんな感情を抱いたのかは、よくわからない。

 それに、目を見ると、片方は黒、片方は獣のような瞳孔をした赤という何とも奇妙な色合いを醸し出してはいるが、澄んだ瞳だった。ルナの目の輝きによく似ていると、レムは感じた。


 本当にこの男がフェンリルのナンバー2なのかと、思わざるを得なかったが、その考えは一瞬で消えた。

 覇気がそんじょそこらの人間とはまるで違うのだ。


「驚かないのか、俺の目を見ても」

「ま、見慣れてるから……です」


 思わず語尾が丁寧になった。

 ハイドラは意外そうな表情を浮かべているが、正直自分やルナ、ゼロにセラフィムにイントレッセと、この手の特殊な瞳は散々見てきたから、今更驚くことでもなかった。


 しかし、このままではこの男の気に飲み込まれる。

 そう思ったとき、状況をすぐさま整理し始めた。


 そうだ、自分はそもそも作戦で陽炎を逃がし、その後見たことがないスコーピオンによって機体が鹵獲され、鹵獲された直後からコクピットの中で切り込む準備をし、そして開いた瞬間、目の前にいた修道着姿の女に一気に切り込んだのだ。

 その後、死のうと思ったが、この男に殴られた挙げ句、自分の頭に触れられた瞬間、何故か急に眠くなったのだ。そして気付いたらここにいた。


「そうだ、ここは何処?!」

「ラングリッサから三キロほど離れた街だ。俺が直轄して管理している」

「ホントに?」

「嘘だとわかったなら、あそこにある君の剣で俺を斬るがいい」


 ハイドラが後ろに目をやると同時に、自分もちらと、ハイドラの後ろの机に目をやった。

 確かに、あれはまごう事なき自分の双剣だ。

 この男は、自分が強引に双剣を奪還して斬りかかるか、その双剣を使ってこの男を人質にするとか、そういうことは考えないのだろうかと、レムはかえって不安になったが、どう頑張っても自分ではハイドラに勝てないと、レムは分かっている。


「流石に無理、かな、追い抜くのは」


 自分が修練したところで、延々ハイドラに追いつけるとは思えない。それくらい大きな壁に見える。経験という名の壁だけではない、別の何か大きな壁がある気がする。


「人類の誰かが、俺を追い抜いて貰わないと困る。それに、君はまだ若いだろう。そんな簡単に諦めてどうする、レミニセンス・c・ホーヒュニング」


 やはり名前を知っていたのか。かたや一兵士に過ぎない自分の情報を持っている。ベクトーアの何処かに内通者がいるとしか、レムには思えなかった。


 しかし、諦めに対するハイドラの嫌悪感が、何故かゼロを思い出させた。

 あいつはよく、諦めないと言っている。


「ところで、君の部隊に鋼と呼ばれた男がいただろう。あいつはどうしている?」


 ふと、ハイドラが思い出したように聞き始めた。何故か、瞳には慚愧の念が見える。


「ゼロのこと? なんでまた?」


 それを聞いたとき、ハイドラは急に何処かホッとしたような表情になった。瞳は相変わらずの慚愧の念が疼いているが、こういう表情も出来るのかと、レムは意外に感じた。


「そうか、あいつは、まだその名で自分を呼び続けていたのか。ならば、まだ俺を殺してくれる可能性もある、か」


 何故か、ハイドラが嬉しそうに笑う。

 死にたがっているのかとも思ったが、そうでもないように感じる。だが、ゼロならば何かの理由で殺されてもいいと思っているのだろう。

 何が過去にあったのか、知ろうとは思いたくなかった。知らない方が、マシだろうとも思う。


「とは言っても、相も変わらず、俺の所に来るだろうな、また」


 村正が入ってきた。相も変わらずいきなり現れると、レムは少しげんなりしつつも思った。

 しかし同時に何故か安心してしまった自分がいる。敵とはいえ、知っている奴がいるとこうも違うのかと、レムは唸らざるを得なかった。


「村正、ニールの爺さんは、やはり容態が悪化したか?」

「ニールの爺さん、死ンじまってたそうだよ。二週間くらい前に、死んだそうだ」

「そうか、彼もまた、時の流れには逆らえなかったのだな」


 ハイドラの表情が暗くなった。余程そのニールとか言うのが縁が深い人物だったのだろう。

 しかし、フェンリルの人材の中にそんな名前の人がいたのかとも思う。思わず


「誰それ?」


と聞いてしまった。


「ここから五キロ先にあるティグ通りにあったパン屋の家主だ。隣の家のノエルが世話をしていたのだが、そうか、亡くなられたか」


 溜め息混じりにハイドラが答えた。

 そんなことまで覚えているのかと、レムは素直に感心した。


 同時に、どれだけの人の数が、この男の頭に入っているのか、少し知りたくなった。


「人は、等しく死んでいく。あんたも、時が来れば、死ぬ。そしてあんたはそのために戦っている。それでいいだろ、俺はハイドラ兄のそこが気に入ってるんだ」

「しかし、辛い物だな、村正。俺より早く、みんな死んでいく」

「それが、あんたの宿命だろ、ハイドラ兄」

「そうだな、泣き言も、言ってられんか」


 力なくハイドラが頷いた後、すっと立ち上がる。


「どちらに?」


 レムは思わず聞いてしまった。正直言うと、いつの間にかこの男ともう少し話しておきたいと思ったのだ。


「俺達の志のある場所だ」


 志。そう言われても、レムにはよく分からない。ただ、相当大それた事をやる気だというのは、ひしひしと伝わってくる。


「何かあったら、あそこにいる秘書に言ってくれ」


 そう言うと、ハイドラと村正は部屋を出て行く。

 だが、ハイドラは出る前にこういった。


「抜けるなら、三日待て。機体を使わないでも抜け出せる方法を教えてやる」


 ぽかんとしてしまった。最初から逃がすつもりでここに連れ込んだのか。

 しかし、何故三日なのだろうと考えたが、この男の思考を測ることは、常人では無理だと感じたのだ。聞くだけ無駄、とも思った。


 そしてハイドラと入れ替わる形で自分の近くにその秘書風の男が寄る。

 しかし、なかなかに屈強な出で立ちだ。ひょっとしたら、がたいの良さではブラスカとタメをはれるかも知れないと、レムは密かに思っていた。


「何かあれば、このシンにお申し付け下さい」


 シンはぺこりと、レムの前で頭を下げた。

 この男なら倒せるかと、一瞬だけ思ったが、やはりこの男にも隙がない。

 しかもヤケに礼儀正しいと来た。思わずレムも


「あ、どうも、お手数おかけします」


と頭を下げてしまった。

 どうもこういう事には未だに慣れない。


 私は何をやっているんだと、心底思わざるを得なかった。

 何とか脱出する方法を考えるかと、レムはベッドに寝ころんだ。

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