第二十話『血を求め続けて』(2)

AD三二七五年七月一七日午前一二時一五分


 自分は、一度死んだ人間なのだ。公式的には既に死刑を執行された、この世にいないはずの人間。

 だが、ベクトーアへの密入国に失敗したとき、来たのは警察ではなく軍だった。そしてそれが、ルーン・ブレイドだったのだ。

 最初は反発して機体を強奪したが、アイオーンが出現したためにこれを偶然撃退したことで、何故か強奪の罪は許された。


 しかし、その後同時に密入国した他の二人は表舞台に立つことを許されたが、自分は裏方に徹しろと、あのロイドに言われた。

 そして、書類上で自分は死に、代わりに別の人間が存在するようになった。


 ラウンド・アバウト。今はそう名乗っているし、書類でもそうなっている。

 皮肉めいた名前だと、ラウンドには思えた。

 実際今やっている任務は、恐ろしいほどの回り道のような気もしている。


 もっとも、今の仕事はそれくらい回り道をしないと片付けられる物ではない。

 フェンリルの最前線にして、最終防衛戦『ラングリッサ』。ここを落とすために、ベクトーアが侵攻してくる。

 自分はそれのサポートだ。痕跡も一切残してはならないサポート。だからこうして埋伏し続けている。


 用務員の一人として入り込んだ。既に五ヶ月目になる。

 戸籍上は完璧だ。何せこの人物は戸籍の上では実在している。そうハックした。戸籍管理のサーバーに侵入して一人の人間を勝手に作り出したのだ。もちろん、写真も過去も全ての経歴が存在している。そのために割とあっさりと中に入れた。


 この五ヶ月の間に、自分の使える私兵は徹底的に使った。その私兵を用いて、基地の出来る限りの構造は調べ上げた。

 だが、最近はそうも行かなくなってきている。シャドウナイツが頻繁に出入りしているのだ。それも取っ替え引っ替えと来た。

 そのせいかは分からないが、最近夜間に出していた私兵の一人が消され、死体が晒されていた。

 それもあってか、今は慎重になっている自分がいた。


 少し、らしくないと自分でも思う。

 モップで床を掃除していると、一人の初老の用務員がラウンドに近づき、今日の食堂のメニューが変わったと言った。

 この時が来たか。自分の心に異様な高揚感があることに気付いたが、表情には出さなかった。


 今の男も私兵だ。実際にはもう少し若い。変装しているのだ。もちろん、この男も偽装戸籍によって存在していることになっている人間である。

 昼時になってチャイムが鳴ると、ラウンドは食堂へと急いだ。


 食堂に行ってみると、兵士達で活気づいていた。食事というのは案外重要で、兵士の士気にも大きく影響してくる。

 しかし、そのメニューがまさか符帳だと考える人間は恐らくいまい。内容次第でわずかに量が増減し、かつメニューも変わるようにしたのだ。

 この暗号をロイドと二人で考えつくまでに一年近く掛かった。よほど根性を入れてやらない限り絶対に解かれない自信がある。


「お、ケチャップライスか。鶏肉はどれくらい入ってる?」

「ちと多く仕入れすぎましてね、チキンライスなのかケチャップライスなのか、よくわかんないものになっちゃいましたよ」


 食堂の店員は苦笑しながらラウンドの問いに答えていた。

 しかし、この店員も間諜だ。こいつに至っては三年前から潜ませていたらしい。今は自分の私兵の一人になっている。

 ただし、この男の場合は今までと違って偽装の戸籍ではなく、本当に存在する人間だ。

 簡単な話、元々この人物として登録されていた人間を消して、その人物と入れ替わったのだ。当然、その家族も一人残らず消している。


「別の奴にするとか考えなかったのか?」

「いやー、考える料理が悉く低価格で提供するのが難しくて」

「む、残念だな。次頼むよ」


 適当にこんな会話をして、ラウンドはそのまま一人、奥の方の席に座る。

 ケチャップライスは血、鶏肉は基地にいる殺害対象者、多く仕入れたというのは最低でも五〇は殺せ、低価格で提供するのが難しいというのは、とにかく派手にやれという隠語だった。


 どうやら相当早くに手を打ったらしい。ロイドという男は、見た目に反して割と冷徹だ。逆にロニキスの方が、何処かのんびりしている。だからロイドとは気があったのかも知れない。

 セットになっていたサラダには、切ったトマトが三きれと、ブラックペッパーがかかっている。

 今日の夜の三時。それが決行の時間だ。


 適当にラウンドは頬張る。味は、昔からそうだが、弟ほど敏感ではないし、割とどうでもいいと思っている。

 所詮食事も暗号とカロリー摂取源に過ぎない。ただ、自分は血が見たくてしょうがないだけなのだろう。


「ラウンドさん、この席いいですか?」


 一人の若い整備兵が前に座った。

 この男も自分の私兵の一人で、この食堂の店員と同様、本物とすり替わっている。


「マリーナ・ゴドウェイが来るそうです、それも割と早く」


 開口一番に言われた瞬間、ラウンドは心底億劫に感じ始めた。

 シャドウナイツの中で、もっとも忠誠心ある女、それがマリーナだが、あの女は闇に強い。

 それに、忠誠心と言われているが、実際には子供の時から洗脳教育されていたそうだ。

 宗教を用いた洗脳教育らしい。それも徹底的な邪教の教え方で、だ。


『人間は苦しんでいる。だからその苦しみを取り除くために、殺せ』


 それが教えだという。

 かつて、中国大陸で『大乗の乱』という、宗教を利用した反乱があったと言うが、その時の教えと全く同じであった。

 実際、そういう風に子供の時から植え込ませていけばそれが世界の常識になる。そして一度その教えを実行してしまえば、倫理観は完全に麻痺する。

 まさに都合のいい兵士の登場だ。その点、フェンリルはそういった洗脳工作が実に上手い。


 暫く、その私兵と話し込んだ。適当な雑談に見える中に、重要な情報をちりばめるというのは、自分達がよくやる暗号の伝達方式の一つだ。

 そんな時だった。


「マリーナ殿だ!」


 一人の兵士が食堂の入り口近くで声を上げた。

 その瞬間、熱を帯びたかのように、兵士達は一目散に食事を途中で抜け、マリーナが降り立ったというヘリポートへと急いだ。

 ラウンドもまた、食事が済んでいたから、適当に人混みの中へと入っていく。


 人混みというのが嫌いだったが、あの兵士達の熱気ぶりを見ると、行かざるを得なくなる。行かなければ逆に怪しまれるからだ。

 そしていざヘリポートに行ってみると、既に人だかりが出来ていた。この状況では暗殺は無理だろうと、ラウンドはナイフを抜くのを諦めた。

 確実にれて、かつすぐさま退却できるとき以外の暗殺は愚の骨頂であると、昔よく言われた物だ。


 そして、マリーナ・ゴドウェイがヘリから降りてくると、一斉に周囲の兵士が歓声を上げた。

 修道女の胴衣の上にシャドウナイツカラーの漆黒のマントを身に纏った変わったスタイルの持ち主だった。


 だが、それ以上に目を引くのは、本人が常に持つ十字架だった。そのサイズが本人の身長に匹敵しているのだ。そのため『持つ』というより『担いでいる』と言った方が正しいかもしれない。

 何故かマリーナはこの十字架を手放さなかった。普段から重そうに、いつも十字架を担いでいる。


 理由は、実のところよく分からない。

 ただ、厄介な奴が来やがったとしか、ラウンドには思えなかった。マリーナが常に背負う巨大な十字架が、まるで罪の表れのようにも見えた。


「近々ベクトーアが動く。私はそのためにここに来た。戦って死ねば、ないしは殺して死ねば、きっと神様は私たちを救ってくれますよ」


 平然と、マリーナは笑いながら言った。

 反吐が出ると、ラウンドは人混みを静かに後にする。歓声がまた耳鳴りのように響いて、またラウンドを苛立たせた。


 十字架という物が、自分は嫌いだった。

 神にすがるのは、弱い奴のやることだと、孤児院が破壊されたあの時から思うようになった。

 そして『彼女』が死んだときに確信したのだ。

 この世界に神など存在するわけがない。いたとすれば、それは死神だけだろう、と。


 そしてそんな死神に、自分はなったのだ。

 明日、そんな死神の、自分本来の名前に戻れる。そう思うと、胸が疼くのだ。


 回り道をしすぎた気がする。そんな回り道も、ようやく出口にさしかかった。

 そして出口にさしかかったとき、自分の名前が元に戻るのだ。


 聖無き死神-ディス・ノーホーリーに。

 早く明日になってくれ。何故か、そう思った。

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