第二十話『血を求め続けて』(1)
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AD三二七五年七月一七日午前一一時八分
砂漠の鳥。今回のベクトーアが取る作戦のコードネームだ。
まず、今作戦に参加する部隊全てを鶴翼かくよく(Vの字に展開する古代の陣形の一種)に展開した後、Wの字に展開しつつ最前列にいる部隊がまず敵と戦闘を開始、その間に両翼に展開した部隊を一気に突っ込ませ、ラングリッサ全体を円形に包み込み、物量戦でもって圧倒するという作戦であった。
Wの字に広がる様が、まるで鳥が羽ばたいているかのように見えることから今回の作戦の名前が決定したらしい。ルーン・ブレイドは今回右翼の中間位置を任されている。
確かに物量は正直圧倒的である。しかし、ロニキス・アンダーソンは一抹の不安を感じざるを得なかった。
叢雲のブリッジの艦長席で一人、たまに物を考える。今は他のブリッジ要員は全員出払って様々なシステムの構築に当たっている。
しかし、物量で攻めるにはあの要塞は情報が少なすぎる。
だいたい、フェンリル本土にある要塞は、ラングリッサと首都であるアルティムの前方にしか存在しない。つまりラングリッサを破られれば後は首都へ肉薄するのみである。
ということはラングリッサには何かあるとしかロニキスには思えなかった。
ただいたずらに兵を消耗させることだけは避けたかった。出来ることならばもう一年は待っても良かった。今ベクトーア本土に流れる不穏な動きの尻尾がまだつかめない。その尻尾をつかんでからでも遅くはない、それがロニキスの考えであり、海軍総司令官のガーフィ・k・ホーヒュニング准将も同じ考えだった。
しかし、聞いた話では今回の作戦の総司令官であるイーギス・ダルク・アーレン准将がごり押ししたらしい。
なんでも「互いに長年の戦で疲れ切っているが故に今が好機であり、これを逃すとフェンリルはより大きな力を付ける可能性があるため今のうちに潰したい」と言ったらしい。それで重臣の意見がそちらに傾いてしまい、ガーフィも止めることが出来なかった。
更に後押ししたのが「昨今勢いが生半可ではないルーン・ブレイドがいるからなんとかなるだろう」などという正気とは思えない楽観視の意見を言った延臣がいるらしい。それがしかも結構な権力者だったそうだ。だから幹部会も多少無理があると思いつつも頷かざるを得なかったのだろう。
それに、場合によっては厄介者扱いされている自分達を『名誉の戦死』扱いして国の士気を高める手段として利用しようとする連中もいるに違いなかった。
そう思われても仕方がないだろうとは思った。しかし、戦うには情報がなさ過ぎる。今自分の使える子飼いのスパイは軒並み忍び込ませてはいるが、さっぱり情報がつかめていない。
イーギスが焦っているのか。そうとも思ったが、ルナのつかんだフォースからの情報で、イーギスはベクトーア諜報部が国に害をなす危険のある男として認識されている。
何かある。そんな予感のような何かが未だにひしめいていた。
ふぅと、一度溜め息を吐き、机の上に置かれていたコーヒーを飲む。冷めていた。恐らく、自分が考えに没頭している間に誰かが入れたのだろう。
コーヒーを飲み終えた後に、そのイーギスから通信があった。
『どう思っている、ロニキス中佐』
恐らく今回の作戦の陣容について聞いているのだろう。
「これならばラングリッサも一飲みできましょう」
ロニキスはきっぱりとこう言った。もちろん本心からではない。出来る限り相手の警戒を招きたくないからだ。
『世辞はいい。率直に言え』
「いえ、策は見事です。後は我ら兵士がその策に乗りきれるか、そこが問題です」
『兵士を動かすのは将の役目だ、そう士官学校で教わっただろう、ロニキス』
イーギスが低い声で笑った。
元々彼とロニキスは同期である。もっとも、その頃は自分が首席であり、イーギスはかなりの下位ランクだった。
しかし、六年ほど前か、イーギスが豹変した。出る戦全てに勝利し、気付けば彼は准将になり、ロニキスはこの部隊の指揮官となった。
ロニキス自身は、士官学校時代のイーギスのことを少ししか覚えてはいない。そんなに親しい仲でもなかった。だが、いつの頃からか、イーギスはヤケにロニキスと接触し、士官学校時代の話をするようになった。何故なのかはよくわからない。
ただ、どうもこの時くらいから、性格も変わった気がする。確か、自分の記憶が正しければの話だが、イーギスは低い笑いなど浮かべることがなかった。
慢心故なのか、それとも首席の自分がここにいて下位だったイーギスがここまで出世した事に対する嘲りなのか、どちらにせよいい感情ではないと、ロニキスは感じていた。
「どうにかするさ、私の役目だ。すまんが忙しいから切るぞ」
そう言ってロニキスは一方的に通信の電源を遮断した。
また一つ、溜め息を吐く。
別に首席だろうとなんだろうと関係はない。自分が士官学校を出たのも、もう二〇年以上前の話だ。
しかし、妙な感覚だ。二〇年前のイーギスと、今のイーギスがどうにも合致しない。何があったのか。それだけがすっぽりと抜け落ちている。物事には全てに過程がつきまとう。だが、イーギスには結果しか存在しない。
もう少し独自に調査してみるか。
ロニキスはそう思うと、ブリッジを後にしようかと、一度席を立つ。
しかし、考えてもみれば、自分がいなくなったらブリッジに誰もいなくなる。それは非常に困る。
たまにはここでもう少しゆっくり考えるか。
ロニキスは一度だけ溜め息を吐いて、艦長席へとまた戻る。
座った瞬間、また溜め息が洩れた。
直後に、正面のモニターから通信が来た。副長のロイド・ローヤーからだ。
『大方、今頃暇しているだろうと思っておりましたが、案の定でしたね』
「珍しいな、お前が皮肉の一つもよこすとは」
ロイドは普段、割とこういう物言いはしない。少し、気が立っているのかも知れない。
間諜の長としてロイドは君臨しているが、その実使える人数は限られているし、何よりも今回使う人間が使う人間だ、慎重にならざるを得ない。
『さすがに、私とて出来る限り音便にはしたかったのですがね、どうしてもこの状況ですと』
「使わざるを得ない、か。無謀な遠征、出来る限りは止めたかったがな。で、いつ動かす?」
『いえ、既に動いておりますよ』
まさか、もう既に基地を一個灰燼に帰したのか。早すぎると、ロニキスは一瞬焦った。
直後、ブリッジの扉が開いた。
誰が来たのかと思ったら、はっとした。ロイドがいるではないか。
では、画面に映っているこのロイドは誰だ。いや、どちらが本物なのだ。
その混乱を察したのか、画面の中のロイドが、低く笑った。
『いやいや、面白いくらい引っかかってくれましたな』
「多少、リラックスすることも必要ですよ、艦長。胃薬ばかり飲んでいても、体には毒です」
横にいるロイドの方は苦笑している。
これを見てようやく、モニターのロイドが偽物であることに気付いた。あのジョーカーデスのやりそうなことだと、ロニキスは今更ながら感じる。
『で、いつやりますか?』
「時期は早いに越したことはありません。ま、それについては『符帳』で知らせるとしましょう」
ロイドが先に口を出した。
さすがに一手にこの部隊の諜報を仕切っているだけあるだけの剛胆さは備えている。しかし、ロイドは目の前の男が劇物に匹敵するにもかかわらず使うことを躊躇しない。
正直、自分よりも余程冷徹でいられる男なのかも知れないと、時々感じる。
もっとも、戦は士気の削ぎ合いでも決まりかねない。士気を大きく削ぐという点ならば、この男の有用性は正直他のメンバーの誰よりも勝る。
ただ一点、この男が『表向き存在しない人間』であることを除けば、だが。
『了解しました。やり方についてはお任せを』
それを最後に、ジョーカーデスからの通信は一方的に切られた。どうも人をからかうのは好きだが、群れること自体は嫌いといういささか矛盾した性格の持ち主だった。
何処か欠けている。そんな男だったが、腕は確かだから使っていた。それに、考えてもみれば、この部隊は何処かしら心が欠落した者が多い。
そしてそんな部隊を率いている自分も、何処か欠落しているのだろう。
しかし、それが何処かはよく分からない。それを探すのも人生という物なのだろう。
戦の前に何を思うのだ、私は。
一度溜め息を吐いた後、ロイドにコーヒーを持ってこさせた。
せめて、自分の戦をやりたい物だ。ロニキスはブリッジから見える荒野を見ながら、ふとそう思った。
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