4th Attack

第十九話『荒々しく降りたって』

AD三二七五年七月一七日午前七時一八分


 ただ釣り糸を垂らす。それだけでも自分は落ち着くことが出来た。いつも来るこの隠れた釣りスポットには、波の音と海鳥の鳴き声しか聞こえない。

 だが、村正・オークランドにとってはこの静けさが、自分の集中力を一番高めるのに適していた。


 いつもここには一人で来た。人を伴ったのは、八年前に養父であったインドラを呼び寄せたことだけだ。いつもいる従者も、ここには呼ばないようにしている。

 戦が近い、そう自分の中の本能が告げていた。だからこうやって心を静かにする。

 自分は刀であり弾丸だ、ただひたすらに敵を斬り、撃ち貫くのみ。


 一度目を閉じる。

 この前から、ずっと自分の弟が目にこびりついて離れなかった。

 未だに決着が付いていない。次に来たとしたらこれが三度目になる。

 出来るならばこれで決着をつけたい。それで自分の中にある『迷い』を一切捨てることが出来る。


 偉大な父親、それが彼の誇りであり目標であり、迷いであり壁であった。

 それを超える。

 そして、目に浮かんでいる幻の弟を、村正は一刀両断に切り捨てた。


 目を静かに開く。

 それと同時に魚が一匹引っかかった。感触は軽い、結構小さい魚らしい。つり上げると、案の定だった。一応今日の糧食には十分ではあるが、珍しく小さい。

 ま、いいかと無理矢理納得して横に置いてあった冷凍ボックスの中に入れる。


「今日の調子はどうだ?」


 上から声がした。村正は一度顔を上に向ける。

 その視線の先にハイドラ・フェイケルがいた。

 フェンリルナンバー2、そんな重鎮が護衛も付けずにこんな誰も来ないような岸壁にまでコブラに乗ってやってきた。


 相変わらず行動が早いというか、無鉄砲というか……。


 村正は一度溜め息を吐いて、顔を海の方へと戻した。

 一方のハイドラもまた、釣り竿と冷凍ボックスにルアーを持って村正の横へと向かう。


「いつの間に、この場所知ったんだ?」

「前にインドラと来たのがこの近辺だったからな。大方この地域にいるだろうとは踏んでいた」


 昔から親しくしている仲ではある。年の離れた兄のような者だと思って過ごしていた。

 誰よりも深い悲しみを持つ、そんな印象を持っていたが、誰よりも優しい、あまりにも純粋な人間でもあるように思えた。

 ただ二つ、『年を全くとらない』という点と、片眼が赤色で獣のような瞳孔であるということだけが人間とはかけ離れていたが。


 だが、そんなハイドラに村正はよくなついた。あまりにも人間的過ぎるが故に魅力を感じたのだ。

元々自分の義理の父である『インドラ・オークランド』がハイドラを家に招待したのが村正とのコネクションを築いた第一歩だった。

 それ以来、頻繁に彼とは会話した。村正がシャドウナイツ入りしたのも、紫電のイーグになれたのも半分はハイドラの口添えがあったからだ。


 もっとも、今ではそんなことを微塵も感じさせないほど、村正は戦士として成長した。血反吐を吐くような訓練をやり続けたことが彼をこうしたのだ。

 それでも、どこか抜けている。のんびり屋で、滞納癖すらある男、それが村正という男だった。そんな少しのんびりした空気が、ハイドラにとっては非常にありがたい存在だった。


 そして、付き合い始めて早十年。こうして釣りも一緒にやるときもある。

 もっとも、場所はここではなく、もっと別の釣りスポットだったが。


「決心は付いたのか?」


 ハイドラはフェンリル幹部会戦闘専門近衛騎士団『シャドウナイツ』の制服である黒のロングコートを岩肌に置き、サングラスを外してから座った後、釣り糸を垂らした。

 ハイドラがサングラスを外すのは親しい人物との間、ないしは何かしらの決意を持ったときだけだと、村正は昔彼の口から聞いた。


 確かに、奇妙な目ではある。自分と同じ赤の瞳なのだが、瞳孔が人間のそれではないし、左半身を覆う入れ墨などは禍々しさも感じる。

 そして、その入れ墨に隠れているため見づらいが、刀傷が一本頬にある。


 だが、こんな異形な姿でも村正はハイドラを人間として見た。自分も異端だからである。

 そんなことだから、村正はハイドラの質問にもしれっと答える。


「まぁまぁ、といったところだな」


 村正は素っ気なくそう答えると、ハイドラもまた


「そうか」


とだけ素っ気なく言った。


「相変わらず、あんたは行動が早いな」


 まだ釣り竿には何の感触もない。どうも今日は釣りの感触が悪い。


「行動は常に迅速にやれと、俺はお前に教えたはずだ。教えた俺がそれを実行しないでどうする。それに、例のこともある」

「あの『計画』、マジでやる気か?」

「まだ時期が来ていない。キーが半分しかない」

「だが、あいつら来るんだろ?」


 ハイドラが頷く。


「対岸にいるディアルなどは動くまいが、ベクトーアの連中は奴に警戒せざるを得まい。切り崩しは十分に出来る」


 ディバイド海峡を挟んだ東ユーラシア大陸の最前線には、華狼が誇る屈指の猛者の一人にして現在十二人しかいない称号保持者の一人『ディアル・カーティス』率いる華狼陸軍第七機械歩兵師団が控えている。

 スパーテイン・ニードレスト、カーム・ニードレスト、ディアル・カーティス、フェイス・カーティスの四名をあわせた異名である華狼四天王の一人。


 中でもディアルは迅速に攻撃を執り行う『疾如風疾きこと風の如く』を如実に示す攻めを行うことで有名だ。相手をするにもシャドウナイツの一人とそれの倍以上の戦力を導入して勝てるか勝てないかと言うほどの手練れである。

 だが、動くまいとハイドラは見ているようだ。村正もそんな気はしている。


「華狼の連中、俺たちの戦い見てどちらに加勢するか決めるってことか?」


 ハイドラはそれに首を横に振った。


「消耗しきったところを奴らが叩くといった手法で出るだろうな。ベクトーアと華狼は目下対立中だし、何より会長であるザウアー自身が『待て』とでも命令しているだろう。奴の大隊を全機導入すれば、少なくとも彼らも全滅するだろうが、こちらも無事では済むまい。そんな面倒くさいことはすまいよ」

「で、ベクトーアの先鋒はどいつらだ?」

「例の奴らだ」


 村正は一度溜め息を吐く。

 やはり来たか。そう思うほか無かった。先陣としてはあの少数精鋭部隊は正直怖い。


 ベクトーア海軍第四独立艦隊『ルーン・ブレイド』。世界で唯一シャドウナイツと単体で匹敵できるとされている部隊。

 そして、その部隊に自分の弟がいる。『越えなければならない壁』の一つが、あそこにいるのだ。

 今度こそはぶちのめす。

 三度目だ。それで決める。


「気負いすぎると死ぬぞ」


 そう言われて村正は苦笑する。

 それに、こういう無駄な雑念があるから上手く釣れないのだと、昔インドラに教わった。


 まだ成長できてないな……俺。


 村正は一度肩を落とす。


「あの計画のためにも、お前は必要だ。死んで貰っては困る」


 ハイドラの計画はかなり前に聞かされた。最初は何の冗談かと思ったが、理に適っているし、何より魂が『それは正しい行動だ』と言っている。

 元々この計画自体極秘裏に進められ、更に知らされているのは絶対に裏切らないと分かっている数名のみだ。


 しかし、そうは言っても村正には疑問が多い。

 そもそもハイドラが最初に計画を持ち上げたときに言った『キー』とやらがなんであるかもよくわからないのだ。流石に機密なのかそれは教えてもらえなかった。


「というか、その計画とやらに必要なキーとかいうの、ホントにあるのか?」

「あるはずだ。俺の記憶と理論が正しければ、の話だが」


 何とも曖昧な回答だ。ハイドラらしくない。

 もっとも、計画自体が途方もない物なので、いつ出来るかなどわかりはしないのだが。

 そんなことを思っていたとき、釣り竿に感触が来た。

 しかも、この感じからすると、かなり大きい。


「うお! 来た、来たぜ、ハイドラ兄!」


 引っ張り上げようとするが、なかなかに相手も手強い。

 これは相当の大物。それを感じたからか、ハイドラは自分の竿を置いて村正の竿を共に持ち引っ張り上げようとする。


 歯を食いしばる。かなり重い。久々の上物だ。

 腕と足に思いっきり力を入れた。全身の血が沸騰する。竿が軋み、思いっきりしなっている。場合によっては折れるだろう。

 だが、そんなこと知ったことではなかった。負けたくなかった。ただそれだけだった。


 そして、いつの間にか咆吼を挙げ、釣り竿を上げた。

 水飛沫がかかり、怒髪天の如く逆立てた髪が、崩れていくのが分かった。


 釣り上げたのは、その地域の主だろうか。イヤに巨大な魚だった。

 釣り上げた魚を両手で支える。尾っぽを振って魚が暴れ出す。

 無理矢理押さえ込んで、二分くらいして、ようやく動くのをやめた。

 村正は顔に付いた水飛沫と汗が混じった水滴を拭いた後、改めて魚を見てみる。


 するとどうだ、死んでいるというのに、イヤに反抗的な目をしているではないか。

 まるであいつの、弟のような目だった。


 考えてもみれば、あいつもいつもあんな目だったな。


 村正はそう思うと、面白くなった。そして、軽快に呵々と笑った。

 ハイドラもまた、少し微笑んでいたことに、村正は気付かなかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午前一〇時三八分


 アフリカの乾いた空気は、何処か懐かしさを感じる。

 ゼロ・ストレイは、一度ルーン・ブレイド旗艦『叢雲』の外に出て息を吸った。

 攻略目標である要塞『ラングリッサ』から三〇〇キロほど離れた場所にベクトーアはベースキャンプを築いた。叢雲は空中戦艦というその性質上非常に目立つため、今は光学迷彩シートを全体に被せてある。そのため視覚にはただ空と一面の乾いた大地が映っている。


 相変わらずの乾いた空気だ。カラカラに乾燥しきった、湿気のない空気。この空気が、イヤに自分の中に懐かしさを感じさせる。

 自分が一番過ごしていたあの東南アジアのゲリラの村は湿地帯だったから、この空気とは全然雰囲気が違うし、味も違った。

 だというのに、この空気が何かを思い出させようとするのは何故なのだろう。


 風が吹く。これもまた乾いた風だ。それすら懐かしく感じる。


「なんなんだ、この雰囲気は」


 ゼロは一度肩を落とし、溜め息を吐く。


「珍しいわね、こんな戦いを前にして、あんたが溜め息を吐くなんて」


 後ろからルナ・ホーヒュニングが近づき、そう言った。

 腰まで届くダークグリーンの髪の毛が風で揺れている。


 確かに彼女の言うとおりなのかも知れない。正直自分でもこうなったことに驚いている。

 緊張しているのだろうか。それとも、兄貴との決着を付けるべきだという、何か魂の奥底で唸っている言葉がそう言う雰囲気にさせるのだろうか。


「……よくわかんねぇや」


 正直、この言葉が一番当てはまる。今の自分が如何な状況なのか、今ひとつ心がはっきりしない。

 こんなことは初めてだった。


「え?」


 ルナが思わず聞き返す。しかし、目に疑問が浮かんでいても、答えられる物がないから


「……なんでもねぇよ」


とだけ返した。

 少しだけ、彼女がむくれた気がしたが、放っておいた。


 少し空が曇っている。まるで自分の心を表しているかのように。

 その空に向けて、ゼロは一つだけ、溜め息を吐いた。


 これが後の世に名高い『第一次ラングリッサ攻防戦』の始まりである。

 今回もまた、語り部は私、トラッシュ・リオン・ログナーが勤めさせていただく。

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