第十八話『勝利する者』(3)

AD三二七五年七月一五日午後五時一九分


 その報を聞いたとき、全員が愕然とし、そして表情が明らかに暗くなったのを、ルナははっきりと見た。


「今、なんつった?」


 ブラッドが殺気のこもった声で聞き返してくる。

 KABで優勝、それも十周年の記念日にそれをやり、あろうことかウェスパーの買った一五万の券は的中したため「何か奢ってやる」などと呵々と笑っていた、あれほど歓喜に湧いていたメンバーの顔はもう陰に隠れている。

 恐れ、呆れ、そして絶望した表情だった。


「ラングリッサを攻略する、そう言ったわ」


 ルナは、唇を噛み締めながら答えた。

 今から二時間前、ガーフィに海軍省本部まで呼び出され、作戦の内容を聞かされた。

 作戦コードネーム『砂漠の鳥』。あのラングリッサを攻め落とす作戦の決行が決定したのだ。


 最後までガーフィは反対していたようだが、結局賛成多数で押し通ってしまった。

 これでいけるわけがない、と考えていたのだが、何故かすんなりと通った。

 何故だ。ガーフィは心底疑問に感じていたという。

 故に今は調査体制をより綿密にしてあるし、暗殺にも供えた。何が起こるか分からないからだ。


 そして作戦にあたり、総司令官はイーギスが取ることになった。

 投入戦力はプロトタイプエイジス四機を筆頭に、エイジス一八機とM.W.S.一八〇機、多脚歩行戦車八〇〇両と戦闘ヘリ二四機、対M.W.S.装備を施した歩兵三個師団、更にはアスカロン級空中巡洋艦五隻にエクスガリバー級空中戦艦の一番艦『ティルウィング』と四番艦『叢雲』、そして旗艦にイーギスのグロンド級空中戦艦『モルゴス』。

 聞いただけで恐ろしいまでの大兵力だった。近年希に見る戦力集中である。


 だが、勝てるのか。心底思った。

 それに艦隊司令官がイーギスというのも気に掛かる。

 彼はこの前フォースから譲り受けた情報に内通者の疑いありと記されていただけに、余計に気に掛かった。

 正直ガーフィも、勝てる見込みが少ないと見ているらしい。


 だが、ハイリスクだがハイリターンでもある。もし、仮にここを落とすことが出来れば、情勢は一気にベクトーア有利に傾く。

 今現在の天下三分が、揺らぐのだ。

 しかし、そうは言っても、目の前にいるルーン・ブレイドの面々からは怒りの声が寄せられた。


「バカな! 今の状況で、どうやりゃあの要塞を攻略できるって言うんだよ?!」


 ブラッドが今までにないくらい怒り心頭でルナに食って掛かった。


「策は、既に練ってあるわ。既にフェンリル側へ数名を忍び込ませたわ。後、『ジョーカーデス』を使うわよ」


 ルナは自分が不安に負けないように説明するが、その表情は暗い。

 ジョーカーデス、ルーン・ブレイド子飼いの工作員のコードネームである。

 しかし、この工作員は効果は絶大だが、それによる反動も巨大だ。いわば劇薬である。

 だからあまりこちらとしても使いたくはなかった。しかし、今の状況では使わざるを得まい。


 状況は厳しいわね。ルナそうは思った。


 ガーフィに帰り際『くれぐれも死ぬな。生きることを第一に考えろ』と、今までに見たことがない悲壮な決意を秘めた目で言われたのが、胸に染みる。

 それだけ覚悟を決めねばならない。

 ルナはその後、作戦の概要だけを説明した。いつ何処で内通者が見はっているか分からないからだ。


「詳しい話は、また現地で。出立は明後日、〇七〇〇時。以上、解散!」


 ルナの号令と同時に、目の前の隊員は全員敬礼をして各々の仕事に就く。

 一ヶ月も休みに近い物を貰ったのだからしょうがないのかもしれないが、それにしたって休み明けの仕事がハードである。


 辛い仕事になりそうね。


 ルナは少し雲が多くなり始めた夕暮れの空を見ながらそう思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午後七時〇五分


 竜三は一人、月を肴に杯を交わしていた。

 基地の近場にある公園の草原に一人寝そべり、杯片手に酒を飲む。竜三にとってはこの上ない贅沢だった。


 負けた。だというのに、気分は清々しい。

 あの時、最後の交差の時、自分は知らないうちに咆吼を上げていた。


 俺がまさかあそこまで熱くなるとは。


 今までに感じたことのない心の充実感が、そこにはあった。

 風凪の首は、確かに取れた。だが、破損状況が大したこと無かったのが幸いして、わりとすぐ治るだろう。


 春美は、あの後日本へ帰国させた。

 自分には老いた母親がいる。父がいなくなってもう五年にもなる。

 父がいなくなってから、母はどこか疲れら表情を浮かべることが多くなった。

 だから春美を帰らせた。あの性格故にいい相談相手になるだろうし、何より彼女は医者の卵だ。何か不測の事態にも対応できる。


 それに、今のこの国の空気を考えると、残しておくのは不安だった。

 そろそろ飛行機に乗った頃か。竜三は、月を見、そんなことを思いながら酒を飲んだ。


「よぅ」


 枯れた男の声がした。竜三は顔だけ後ろに少し向ける。

 杯を片手に持ったエドがいた。

 エドは竜三の横に座るやいなや、杯を竜三の前に差し出す。

 どうやら注げと言っているらしい。

 仕方なく、竜三は少し体を起こし、エドの杯に日本酒を注いだ。

 輪島塗の杯だった。


「なかなかいい奴持ってるな」

「割と高かったんだぞ、これ。俺が軍課へ入ったときの初任給で買った」


 エドは、まるで子供のように自慢した。

 エドという男は、子供がそのまま大人になったという言葉がぴたりと当てはまるような男だった。それ故か見せる清々しさが、竜三は嫌いではなかった。

 エドは注がれた酒を、一気に飲んだ。

 しかし、ふと竜三に疑問が湧いた。


「不眠不休ライブは?」


 今この時間だったらやっている真っ最中のはずだ。

 だが、ここにいるのは何故だ。

 その答えは、エドが手を返した段階でわかった。

 また失敗したのだ。


「ギターの弦が、全滅してお開きだ」


 溜め息混じりに言うエド。


「そうか、それは残念だったな」

「不思議なもんだ。お前が負けたのとほぼ同時に、ギターの弦が切れた。それが最後だったってのによ」

「俺のせいじゃないぞ、さすがにそればかりは」

「わかってるさ。ただ、不思議なところで縁ってのは繋がってるもんだ」


 エドは呵々と笑いながら、杯に自分で酒を注ぎ、それをまた飲んだ。

 その後、ちらりとエドが竜三の顔を見る。


「お前、負けたクセしていい面してるな」

「不思議と、後悔もないのだ。むしろ、俺は敗北を望んでいたのかもな」


 実際、自分の心が負けた後これ程落ち着くとは思わなかった。

 あれだけの戦いを繰り広げたのだから、悔いのような物は存在しない。ただ『戦えた』という充実感があるのみであった。


「だが、実戦で敗北してもらっちゃ困る」


 急にエドの顔つきが真剣になった。


「そうだな」


 竜三は体を起こし、髪の毛に付いた雑草を軽く払う。


「次の作戦、ラングリッサに侵攻するようだ。俺達の隊にも招集が掛かった」


 やはりか。竜三は静かにそう言った。


「どれだけで行く?」

「全部裂くわけにも行かん。本土の警戒に第一、第二と第七、第八小隊を当たらせる」

「残りは連れて行く、か」

「ああ。竜さん、あんたにも来て貰うぜ」

「無論、承知の上」

「さて、忙しくなるぜ」


 エドは立ち上がって踵を返す。竜三も、杯と酒瓶を片付け、それに続いた。

 ふと、月を見る。

 相も変わらず煌々と輝いているが、どこかそれが、不気味に見えた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午後八時一七分


 飯が不味い。

 ゼロは食堂でリゾットを食べながらそう感じた。

 明後日行くというその戦の相手はフェンリルだ。ということは、ほぼ間違いなく、シャドウナイツの誰かと当たる。


 奴が、来るのか。


 そう思うと、ゼロの気も重くなった。だから飯を美味く感じられないのだろう。

 村正・オークランド。今やその名を軍で知らない者はいない、シャドウナイツ屈指の猛者。

 若いながらも優秀、奇襲や電撃戦を得意とする、シャドウナイツの切り込み隊長。

 そして、ゼロの兄でもある。


 たった一ヶ月に、二度も戦を行った。

 だが、決着はつかなかった。それも、両方とも、自分は危うく死にかけた。

 初回はアーマードフレームが脇腹も覆っていたから助かり、二度目はナノインジェクションの再生処置がなければ死んでいた。


 自分は、劣っているのだろうか。

 あの兄を、越えることが出来るのだろうか。

 ゼロの中には、そんな悶々とした思いが渦巻いていた。


「……ロ、ゼロ、ゼロってば!」


 はっとする。女の声がした。

 ふと、隣を見る。少し、疲れた表情のルナがいた。

 トレーにはパスタとサラダとコーヒーが乗っている。


「隣いい?」


 ゼロが頷くと、ルナは溜め息混じりに、重い雰囲気を背負ったまま、椅子へと座った。

 不安なのだろう。それは彼女を見ているとよくわかる。


 実際、不安に思っているのは彼女だけではない。

 先程から食堂全体の雰囲気が重い。みんな厳しい戦になると、もうわかっているのだろう。

 そして、ふとここで、いつもルナに寄り添っているはずのレムがいないことに気付いた。


「あいつは?」

「休学届け出しに行ったわ。残念そうな顔してたわよ」


 また暫く海外に出なければならない。

 まだレムは若い。まだ遊びたい盛りでもあるだろうし、この時期は何かと多感だ。

 実際、自分が彼女と同じくらいの年齢の時そうだった。


 ただ、彼女と自分とが違う点、それは戦場での経験と、戦闘に対する恐怖感である。

 考えてもみれば、恐怖というのを感じたことがなかった。

 死ぬなら一条。まさにそれで生きてきた。


 だが、生きることだけは、諦めなかった。

 泥水を啜っても、草を食っても、それでもなお諦めなかった。

 しかし、レムはどうなのだろう。正直、そこが不安でならなかった。


「そりゃそうだろ。あいつもはたして戦に繰り出すべき人間か?」

「正直、あたしは出したくないわ。でもね、うちらの部隊には、あの子の力が必要よ。空戦に対応できる機体が、あの機体しかないのよ」


 ルナは溜め息混じりに答え、パスタを口に含んだ。

 何も味を感じないのか、憂えた表情は微動だにしなかった。


「で、それに対するパイロット適正のある奴も、奴しかいねぇ、ってことか」

「それが最大の悩みの種なのよ。でも、例えあの子を作戦から外すって言っても、上層部はコンダクターに覚醒したのを理由につっぱねるだろうし、あの子自体が間違いなく反対する」

「何故、そう言いきれる?」

「あの子は、知ってると思うけど、絶対に引き下がることをしないからよ」

「妥協、しねぇってわけか」


 ルナは自信を持って頷いた。

 自分に喧嘩を吹っ掛けてきた奴は多数いたが、大概は殺気を放てば怖じ気づいてそのまま逃げた。

 だが、レムは引き下がらなかった。それどころか、殺気を放てば放つだけ、怖じ気づくどころか笑って過ごすような存在だった。

 なんとも珍しい上に、どことなく昔の自分を思わせた。


 思えば、自分もあの頃はあんな感じだったのか、と客観的に見ることが出来たが、それにしたってあそこまで頑固ではなかった。

 一六歳という年齢を考えても、非常に度胸が据わっていると感じた。

 そして、妥協も知らない。成長すれば恐い人材だ。

 だが、まだ若い。そこが不安要素だった。


「ところで、どう思う、今回の作戦は?」


 ルナがパスタを食しながら、聞いた。


「何で急にそんな話を?」

「いや、ただ、あんたの顔つきが、戦に向かうときのいつもの顔つきになってきたからよ」


 そう言われて、一度自分の顔に触れてみる。

 そんなに変わっているか? ふと疑問が湧いた。

 しかし、そう尋ねられても、自分には作戦を立てるとか、戦術がどうのだとかは、よくわからない。


「俺は戦うだけだ。それ以外に何がある」


 戦うこと、それこそが自分の存在意義である。作戦などは、他の者に任せていた。

 そんな様子に、ルナは呆れているのがよくわかった。明らかに目が、『どうにかしなさい』と命令していた。


「今はそれでもいいでしょうけど、艦長言ってたわよ。もうちょっと教養身につけたらどうだって」

「そうは言われてもな……」


 ゼロが悩んでいたとき、ルナは自分のジャケットのポケットから、文庫本を一冊出し、ゼロに渡した。


「ソンシヘイホウ? なんじゃいこれ?」


 物珍しそうに、ゼロはその本の四方八方を眺めた。

 その本のタイトルは『猿でも分かる一日三十分シリーズ第一六巻「孫子兵法の全て」』であった。

 猿でも分かるシリーズはその名の通りかなり分かりやすいと評判であった。だが、どうも初心者向けの域を脱していない。

 もっとも、ゼロにとって兵法を学ぶ機会など初体験なので逆にちょうどいい素材といえる。


「今の時代に通じるかはわからないけど、まぁ参考になるはずよ。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』。この本にも書いてある、孫子の有名な一語よ」


 頭がこんがらがった。


 なんだ、敵を知るって? 己はもう悟ったぞ、たぶん。百戦危うからずってどういうことだ? 百戦やりゃぁ一敗くらい敗退あるだろ、普通。


 頭に疑問符が山ほど浮かんでくる。


「……よくわからん」


 もう今はこの感想に尽きる。

 というか、先程のルナの言った一語を聞いてるだけで、これ相当難しいのではと、かなり警戒心をあらわにしている自分に気付いた。


「今は少し忙しいから厳しいでしょうけど、いずれ機会があれば、じっくりと読んでみなさい」


 ルナが、何とも言えない笑顔で言った。

 むぅ、と頭を抱えるゼロ。


 ま、たまにゃ読むわ。


 そうとだけ言って、ゼロは食事を片付け、そのまま寝ることにした。

 帰り際、ルナがゼロを止める。


「焦ることだけは、ダメよ」


 そう言われたとき、一瞬、心が揺らいだ。


 焦っているのか、俺が。


 そう言われて、一回自分の義手を目にする。

 何故か、行くと言われたあの瞬間から、左半身が嫌に疼いている。

 何か起こるのか。どこか、珍しく不安にゼロは駆られた。

 だから


「……わーってるさ」


と、覇気も無く言った。


 外に出る。もう気付けば真っ暗だ。そろそろ夜間訓練の連中以外は消灯の時間だ。

 明日から整備が忙しくなる。


 そんなことを感じながら、ゼロは月を眺める。

 手にも覆えないほどの巨大な満月が広がっていた。

 しかし、それがどこか、不吉でならなかった。

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