第十七話『踊る者』(3)-1

AD三二七五年七月一四日午前七時九分


 夢を見た。

 何とも言えない不思議な夢だった。

 ただひたすら、馬に乗って駆け続ける夢を見た。

 護衛は誰もおらず、ただ一人、黙々と馬を走らせる、そんな不思議な夢だった。


 馬に乗ったことなんか一度もないのに、なんでまたこんな夢を見たのか、全く持って分からない。

 歴史物の小説でも読んだかと頭をほじくり返すが、ルナの頭にはまったくもってそれが記憶にない。

 頭には朝から疑問符が湧くだけだ。しかも相変わらずの眠気とだるさ。基地近くに借りてるレムと二人住まいのアパートで、いつもと同じく寝たはずなのに、今日はまた何とも言えない。


 KABで今日凄まじい相手と戦うというのに、なんなのだ。

 ルナは頭を振って迷いを一度消す。


 それに、やはり気になることがもう一つある。

 ついに今日、誕生日を迎えた。ついに彼女も二十歳である。

 だというのに、誰も何も言ってこない。レムですら言ってこないのだ。

 こうまで忘れられるとかなり寂しい物があった。


 ベッドから一度起き上がり、伸びをする。

 ブラインドを開けてみると、日の光が差し込んできた。

 ああ、朝なのか。やっと頭がそうはっきりと認識した。

 朝食を作ろう、そう思い、ベッドから足を出した途端、ルナは豪快に転んだ。


「いたた……」


 何で転んだのかを確かめる。原因は、その部屋の惨状にあった。

 自分でも愕然とするほど、片付いていない。本の山がそこかしこに積み重ねられている上、いくつかの山は不安定だ。

 そして今になって枕すらも百科事典とすり替わっていることに気付く。本物の枕はベッドの下に隠れていた。


 また本を読んでいる最中に寝てしまったのか……。


 片付けるべきか否か、少し悩むルナ。

 だが、片付けても疲れるだけだろう。そう思い、ルナは部屋を出た。


 まずは朝食を作ろうか。そう思い、彼女は一階に下りてキッチンに向かう。

 今日の朝食は何にしようか、そんな他愛のないことを考える。

 縁起を担げるらしいのでカツにでもしようかと思ったが、あんな脂っこい物をこんな朝から食ったらそれこそ死にそうな気がしてきた。


 冬美から昔、そんなことを聞いた。しかし、そう言われるまで何が何だかよく分からなかったが。

 とりあえずカツは却下にして、ポーチドエッグを作ることにした。


 作っている最中、レムが起きてきた。

 おはよ、いつも通りに彼女は言った。

 だからルナも同じように返した。特に変わらない日常、まぁ、二十歳だろうがなんだろうが、そう簡単に人は変われるものではないし、こんなものだろうと、ルナはなんとなく割り切ることにした。


 そうこうしているうちに、朝食も出来上がった。

 いただきます。二人して手を合わせ、食事を取る。

 そんな食事の真っ直中だった。


「姉ちゃん、なんか悩んでる?」


 唐突に尋ねられた。少し目を丸くしてしまった。


「なんで?」

「いや、なんか顔にそう出てた」


 そう言われて苦笑する。どうも自分はよくそういう事情が顔に出るらしい。

 そして今日見た夢を話してみると、レムもまた唸った。


「馬、ねぇ……よーわからん」


 予想通り、と言えば予想通りの反応だった。

 だいたい自分にすらよくわからない夢なのだ。そう簡単になんだったか分かるとは思っていない。

 だから苦笑するほか無かった。

 その後レムと他愛のない話をしつつ、朝食を済ませた。


 我ながらなかなかにこのポーチドエッグは上手くできたと自信を持っている。この料理の出来のように、今日のKABの試合運びが上手くいってくれればいいのだが。

 そう思いながら、朝食を片付けた後、レムにせかされつつ、彼女は家を出る。

 空がまぶしかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午後一時五三分


 昨日に比べ、何処か閑散としていた。

 ロニキスは相も変わらず展示スペースの一角から眺めつつ、重いため息を吐いた。


 流石に昨日以上の顧客を集めるのは無理があったか。


 何となくだがそう思う。

 一日経って思うのだが、内容が硬派すぎた気もしないでもない。

 一般人からしてみれば、余程の軍事マニアでもない限り『十周年? だからなんだ』の一言で片付けられたりするのだろうか。

 やはりまた胃薬が必要になってくるのだろうか。そう思うとまた必然的に重い溜め息が出る。


 幸いなのが今のところテロなどが一切起こっていないところだ。自分の使える諜報部員を片っ端から使っているが、変質者を捕まえた程度で、特に目立った動きはない。

 このまま平和に過ごしていればいいのだが、などとロニキスは柄にもなく思った。


「艦長、元気出してくださいよ」


 ウェスパーがロニキスの前にやってきた。


「紅神の整備は終わったのか?」

「ええ。それと、例の準備も」


 上出来だ。ロニキスは少し機嫌を直してそう言った。

 あいつ絶対に腰抜かすぞと、ウェスパーは軽快に笑った。


 ある計画のための準備だった。もちろん、ある人物以外は全員このことを知っている。

 どんな反応をするのか、確かにロニキスにも楽しみではあった。

 しかし、そうは言ってもこの男の表情は硬い。そして今日は少し暗い。

 ウェスパーは一度溜め息を吐いた。


「艦長、あなたは割とマイナスに物事捕らえすぎるクセありますな。そーゆー顔してるから、余計に来ないんじゃないですかい?」

「そう言われても、地でな」

「ま、そうかもしんないですけど、どちらにせぇ自信持ったらどないです? ってか、今日KABっしょ? それが原因じゃないッスか?」


 そう言われてみると少し納得できる。第一、ルーン・ブレイド代表が隊長ではなくこの間雇った傭兵で、その肝心の隊長はよりにもよって別の場所へ出張してそこの代表と来た。

 いびつな関係だと心底思う。

 というか、今にして思えば、逆の方が良かった気もするが、相手側がそう指定してきたのだから仕方がないと言えばそうなのだが。


「そろそろか。二人ともどうしてる」

「十分に、殺気立ってます」


 ゼロもルナも、今やコクピットの中に混もって瞑想していた。


「いい状況だ。そうなってくれた方が、互いの修練が出てくる。どこまで二人していけるか。それを私は見極めたい」

「ゆくゆくは、ルナをもっと上に、とか思ってるんですかい?」

「いや、実を言うとな、それ以外にも、私はストレイ少尉に興味がある」

「え?」

「彼は一見直情型に見える。だが、今までの戦を見ている限り、決して頭が回らない猪武者ではない。本人の持つ知略、それがまだ表面化していないだけのようにも見えるな」

「考え過ぎじゃないですか?」

「そうとも言えん。ストレイ少尉はな、ここに来てからまだ三週間経っていないにもかかわらず、ベクトーア全土の地図を細かいところまで全部覚えきった。だからわからんのだ。彼が知勇兼備の将として、戦を大々的に展開するとしたら、面白いと思わないか?」


 流石にウェスパーも驚きを隠せなかった。

 確かにゼロの記憶力の良さは生半可なものではない。実際、ルナが初めて彼を雇ったとき、下水道の地図を一回見ただけで暗記した実力もある。

 その記憶力を持つ頭脳だ、何かきっかけさえあれば、知勇兼備の勇将になれると、ロニキスは考えていた。

 ウェスパーもそれに頷く。


「もっとも、それが開花するまでどれだけ時間が掛かるか……。何せ生来のムラっ気のある性格だからな。そこが難しい」


 ロニキスは溜め息を吐いた。実際、そこが最大にして最強の難点なのだ。

 だから未だに猪武者より少し進化した程度の猛将となってしまっているのである。


 訓練関係もいつも割と一人でやっている傾向が強い。

 更に問題なのが、彼はあくまでも『長期契約中』の身であって、決してベクトーアに降ったわけではないと言うことだ。もし仮に育て上げた後に敵国に降ってしまったらそれこそこの国の危機だ。

 金を払っておけば当面何とかなるが、いずれ債務超過に陥る危険もある。そこをどう解決するか、それが今後の課題だった。


「で、今回でそれを試す、と」

「ああ」


 猪武者のままか、はたまた知勇兼備の勇将になれる可能性があるのか、ロニキスにとっての賭けが始まろうとしていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同日午後三時四五分


 一人、気を落ち着かせた。

 ゼロはコクピットを真っ暗にして、自らの逸る気を抑えるべく瞑想していた。


 リーチは相手に勝る。だが、それだけで勝てるとは思えない。

 何せあの機動性と、想像以上に大胆な先方を使ってくる相手だ。何をしでかすか分からない。しかも、悔しいがどう考えても、頭の良さでは彼女に適わない。たまに訳分からないことをやり出すが、それでも本来はキレる。


 不意に、体が震えた。武者震いという奴だろうか。

 久々に強敵と戦える。それだけで震えた。

 そして自分が笑っていることに気付く。


 だが、それもすぐ終わりだ。一度深呼吸をして落ち着く。

 熱くなったら間違いなく勝てまい。如何に冷静でいられるか、それが彼女との勝負所であろう。

 しかし、楽しみで仕方がなかった。

 コクピットでモニターに拳を向けた。不意に、目の前に空破が見えた気がした。


「てめぇの拳、届かせられるもんなら届かせてみやがれ」


 ゼロは真っ暗な機体の中で、ふと呟いた。

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