第十六話『勇猛なる者』(4)-2
同日午後二時一〇分
久々に訪れるキャンパスは、二年経っても特に変わる気配もなく、学生であふれかえっていた。
アルト国際大学。フィリムの中でも在籍生徒数トップレベルの大型大学である。
そんな大学にある研究室にルナは訪れていた。
幸いゼミもやっていないし、教授も個人の部屋で対応してくれた。生徒は生徒で熱心に研究とサボリとキャンパスライフを満喫しているという。
ホントに変わらないわね。
ルナがそう思うと、目の前の教授は口を動かす。
「それにしても久しぶりだね」
「先生もお元気そうで何よりです。すみません、突然おじゃましてしまって」
ルナは深く頭を下げた。
もう目の前の教授の年齢も六五だ。それなりの年を越えた感もあるし、第一自分がいた二年前より、皺と白髪が増えた気がする。
「いやいや、気にすることもない。ところで、今回は何の用だね?」
「教授ならひょっとしたら知っているんじゃないかなって思ったんですけど…ジンって言われて何を思い浮かべます?」
「お酒かい?」
「いや、たぶんそっちじゃないです」
「ジン、か…。確か、アラビア半島に伝わる精霊も、そんな名前だったな」
アラビア。かつて地球上に存在したアフリカとユーラシアを繋いでた半島にして、ラグナロクの中心地とも呼ばれた地。
現在では消滅してしまい、海洋調査で遺跡が発掘されるような日々が続いている。
そんなアラビアに伝わる精霊、ジン。
『目に見えず触れ得ぬ物』という意味を持つ煙の出ない火から作られた種族の総称を指す。
そして、ジンはまた人間と天使の間の被造物であるとする意味もあるという。
「ジン、それに、アラビアか……」
更にはラグナロク。この三つは、絶対に何か関係がある。ルナの勘がそう告げていた。
その時、部屋に電話が鳴った。教授がそれに応対すると、どうやら今から雑誌の取材があるらしい。
流石に邪魔になるだろうと感じたルナは部屋を去ることにした。
立ち上がり礼を言った後、部屋のドアノブに手を掛けた時、教授はルナに言った。
「なぁ、ホーヒュニング君。君、軍属やめて大学の研究室に入らないかね? そう言う方が向いている気がするんだけどね」
口調が、少し寂しそうだった。
ルナはあえて振り向かず
「それはまだ、出来ません」
と、自分でも驚くほど暗い口調で応えた。
「無茶はしちゃダメだよ。わかったね?」
ルナは教授の言葉に頷き、そして部屋を出た。
窓から覗く空はまだ明るい。だというのに、彼女の心はその真逆の心境であった。
「無茶、か……」
重い溜め息を吐くルナ。
鳥のさえずりが、何処かうっとうしく思えた。
だが、いつまでもここに止まっていても仕方ないので、外に出る。
初夏の日差しが暖かい。深呼吸を一つした後、ルナはまたも、少しだけ目を細めて空を見て、先程のジンという言葉から考えを巡らせる。
ジンというのがアイオーンにとって重要な意味を持つ、それは間違いない。
しかし、だとすればそれは何だ。
そして今になって思えば、アイオーンの出現と同時に、この戦は三つ巴になった。更に最近現れだしたロキという胡散臭い会社と、国に流れる妙な空気。
だが、一つ一つのピースは巨大だというのに、どうも一つに繋がらない。
何かが、足りないわね…。
ルナは考えるが、空を眺めても考えが浮かばなかった。
その時、携帯電話が着信を告げた。
取ってみると、珍しい相手だった。
「あれ、艦長、どうなさいました?」
ロニキスである。
『今いいか?』
ルナは周囲にベンチを探して、腰掛け、通話を続けた。
「はい、どうぞ」
『実はな、少し厄介事になってしまうのだが』
「厄介事、ですか?」
何か荒事でもあったのか?
ルナの目が途端に真剣になる。
確かに荒事は大得意だ。無駄に勇猛果敢な兵士が山ほどいるし、いざとなれば整備兵ですら、基礎体力がかなりあるため下手な兵士より強くなる。
あらゆる要素どんと来い。
そう待ち望んでいたのだが……
『今度の基地祭におけるKAB、君は機械開発部第三課の代表として出てくれないか?』
と、ロニキスが言ってきた。
思わず目を丸くする。
へ? KABの代表? それも別枠?
何が何だかよく分からなかった。
流石の彼女も
「……はい?」
と、反応するまで随分時間が掛かった。
今頃ロニキスは頭を抱えながら電話をしているのだろう。そんな風に思えた。
そして、彼は気怠そうな声で
『実はな……』
と、事の次第を話し出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
同日午後一時一九分
「通信の調査、ですか?」
遡ること一時間ほど前、ベクトーア機械開発部第三課通信事業部第六研究所にロニキスは足を運んでいた。
さして広いとは言えない部屋に六人の人材とその人数分のデスク、そして携帯電話の原型となるシステム基盤が置かれている。
ベクトーアの機械開発部は、決して戦闘兵器のみを開発している場所ではない。
例えばこの第三課にしてみたって、副業の一つとして通信事業を行っているし、第六課は家電製品を売っている。
そんな通信業務を行っている場所に行って軍が頼むことと言えば、通話記録の傍受に他ならない。
が、やるのはベクトーアではなく、あくまでも海外に本社があるロキだ。ここの通信網から誰が内通者か、それを胆振だそうとしていた。
それを裏付ける証拠として、ロキに関する調べられた出来る限りの資料を渡してある。
「ああ、他言無用で頼めるか?」
「怪しい会社なんでしょ、それ?」
「どう考えてもな。資料を見ただろうが、胡散臭すぎる」
「確かに。これ秘密工場っぽいですよね……」
「でも、それだったらもう上層部や諜報部も掴んでるはずでしょう? そろそろ攻撃命令が下されるんじゃないですか?」
研究員の一人がもっともなことを言うが、恐らくその命令は永遠に下されまい。
「……上層部に内通者がいる。恐らく、上奏してももみ消す可能性が高い。独断行動は罰せられるだけだし、それこそ相手の思うつぼだ。それに、未だにその内通者が尻尾を出さん」
「それで、我々の持つ通信技術を使って、相手を胆振だそうと?」
「そういうことだ」
非常に無茶な事を頼み込んでいるのはロニキス本人が一番よく分かっている。それ以前に調査する範囲には海外も含まれているため、限界があるのもわかっている。
だが、今はもうなりふり構っていられないのだ。
利用できる物は何でも利用し、最悪の事態を防ぐ。それが肝要であるとロニキスは考えていた。
少し考える研究員。
少ししてから条件付きで承諾した。
「実は、その、ルーン・ブレイドの方だから頼めることなんですが……」
ヤケに改まった態度でロニキスに嘆願する研究員。
こんな無茶なことを言っているのだから、多少の無茶な要求には応えよう、そう思い
「もったいぶるな、言ってみろ」
と、ロニキスが言った瞬間、研究員は思いっきり頭を下げ
「ルナ・ホーヒュニング大尉を是非うちの代表としてKABに出場させてください!」
と、部屋全土に響き渡る声でロニキスに頼み込んだ。
思わず、ロニキスも唖然としてしまったという。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『と、いうわけだ』
「なるほど。それで……」
無茶なことやるなぁ……。
存外ロニキスも剛胆である。
そのうちロニキスの胃袋に穴が空かないか心配でならない。
『君が嫌だというのなら別にいいのだが』
こんな話を聞かされて断ることの出来る人物は相当図太い神経を持っているとしか、彼女には思えなかった。
というよりも半分脅迫だ。こんな明らかに危険な話を聞いて拒否権があるとでも彼は本当に思っているのだろうか。
それに、これは成功すれば大きな『利』が得られるのは間違いない。
第三課は次期主力M.W.S.開発を急いでいるという話を聞いた。ならばそれに協力するだけでも、国にとって大きな価値となる。
利を考えれば悪い話ではない。だからルナはそれに乗った。
『すまないな、無茶を言って』
そう言われたとき、先程の教授の言葉が脳裏を過ぎった。
だが、出来る限りの無茶はしてみようか。
そう思った。
『どうした?』
少し黙り込んでいたことに不審を抱いたのか、ロニキスが話しかける。
「いえ、なんでも」
そう言った後、気になることがあった。
「そういえば、うちらの代表は誰が?」
『ストレイ少尉が受け持った』
納得である。ゼロならば安心であろう。
それに、ゼロのような凄腕の傭兵を雇えたと、内外にアピールできることも考えれば十分だ。
『それから、君に彼から伝言がある』
「伝言、ですか?」
『KABでは首洗って待ってろ、だそうだ』
ルナは苦笑した。要するに戦おうとも勝つと言っているのだ。
彼らしい挑戦のやり方である。
「全身全霊を持って受ける、そう彼に伝えておいてください」
ロニキスもまた苦笑して
『ああ、わかった』
とだけ言った。
『正式な手引きは、後で知らせる』
「了解しました」
ルナは電話を切った。
ようやく一日も終わりだ。色々とあった日だった。そう感じられる。
別枠で出ることにはなったが、例え別枠であろうとも、勝つだけだ。例えそれがどんな相手であろうとも、である。
一度空を見る。
少し太陽が西の方へと近づいている気がした。
帰るか。何故か学校にいるときに夕日を見るとそういう気分になる。
バッグから音楽プレイヤーを出し、音曲に耳を傾けながら歩いた。ハードロックもたまには悪くない。少々退廃的な歌詞だが、それはそれで悪くない。
そして、交差点にさしかかったとき
「あら? ルナさん?」
買い物帰りの晴美に出くわした。
ルナはヘッドフォンを首にかけ、プレイヤーを止めた後挨拶をする。
相変わらず晴美は質素な着物に身を包んでいた。だがそれでも異様に目立った。
「どうなさったのですか?」
春美のおっとりした声は何処かルナを安心させる。
暫く付き合おう。そう思い、ルナは遠慮する春美を差し置き、買い物袋を片方持った。
申し訳なさそうな表情をしていたが、ルナは
「普段お世話になっているお礼です」
と、笑顔で返した。
春美という女性が、ルナは好きだった。
年こそ四個も年上でアリスと同じだが、アリスと違いいつも彼女といると落ち着けるのだ。
「そういえば、先程は何処へ?」
「大学で、少し調べ物があったので、色々と調べておりました」
「今この国を覆っている気、についてですか?」
春美の目が、まるで真剣の如く鋭くなったのを、ルナは感じた。
さすがは竜三の妹と言うべきか、おっとりしているだけではない。
かつて師から聞かされた話では、犬神一族は日本を守護してきた家庭だという。そんな守護者の血を、なんだかんだで春美も引いているのか、そういった邪気に対する反応は目覚ましい物があった。
「やはり、感じられますか?」
「少々、張り詰めた空気を。もっとも、本当に少しなのですが」
「警戒は、しておいてください」
ルナの忠告に春美は頷く。
「まぁ、竜さんいるでしょうから、心配はいらないでしょうけど……」
「信頼しておられるのですね、兄を」
またいつものおっとりした声に戻った。
この声の春美がルナは一番好きだった。
ルナは笑顔で頷く。
そして、他愛のない話をしながら、途中で別れることにした。
別れ際、ルナは礼を言っている春美に言う。
「春美さん、竜さんに、伝言お願いできますか?」
なんなりと。そう春美が答えると、ルナは一つだけ、伝言を頼んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
同日午後一〇時三五分
「勝つ、か」
竜三はルナからの伝言を聞いて苦笑するほか無かった。
もう夜も更けている。月明かりと電灯のみが周囲を支配していた。
ここでは虫の鳴き声も発せられない。時々、日本でこの時期に鳴く虫の声が恋しく思える。
キセルを吹かし、夜の音色を聞こうとするも、無駄な努力だった。
竜三は一つだけ、溜め息を吐く。
「でも、悪くはないのではないですか? 退屈、してらしたのでしょう?」
春美は竜三の湯飲みに緑茶を入れる。
「ああ、非常に退屈だった。だが春美、俺が面倒事を嫌うのは知っているだろう?」
「兄上、矛盾しておりますよ」
春美の言葉は的確だ。それは自分が一番よく分かっている。
だが、こういう性分なのだ。説明しがたい矛盾した自分。
それを抱えたのは、何が原因だったのだろうか。
少し考えて、考えるのをやめた。
「そうだな。だが、面白そうなことには率先して乗る、それが例え面倒事でもな。それが、俺の流儀だ」
これが、彼のやり方なのだから。
茶が差し出される。竜三はそれを飲んだ。
少しだけ、熱く、そして濃かった。
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