第十六話『勇猛なる者』(4)-1

AD三二七五年七月六日午前一一時三一分


 一日だけ、休暇をもらった。

 遊ぶのかと思われるのだろうが、ルナが休暇を貰った理由は監視の目無しに気兼ねなく調べ物をするためだ。


 基地祭に向けた出し物である調べ物は、前にガーフィから貰った資料と当時からいるウェスパー達整備班の協力によって上手く事が進んでおり、想像以上に凝った代物になりそうだ。

 そっちは何の問題もない。

 むしろ彼女にとって問題なのは、今ベクトーア全土に渦巻く奇妙な『気』の流れだ。

 それの原因の一つでもあるだろうかと言うことで、ルナはフィリムの中でも随一の蔵書量を誇ると評判の『リベラ駅前図書館』へと足を運んだ。


 リベラ駅はフィリムの交通を支える鉄道のターミナル駅であり、多くの路線がこの駅を通る。ルナもなんだかんだでよく利用している無くてはならない駅だ。

 そんな駅から徒歩五分の場所にあるのがこの図書館というわけである。

 この図書館もまた、建立してから結構な年月が経っており、いつの間にか国宝に指定されていた施設である。


 フレーム自体は完全な鉄筋だが、外周には見事なトラバーチンと大理石で出来た古代遺跡を思わせるようなモニュメントが目を引く。

 中もまたタイルとは言え清潔に保たれており、それ故に人気が高く、多くの人が静かに読書に、はたまた調べ物に熱中している。


 そんな施設の一角にある机の上にルナは燦然と本の山を積み重ねていく。周囲の客はそのあまりの多さに唖然としてしまっていた。

 そして何故か彼女、伊達眼鏡をしている。

 何でも知的な女性に見られたいらしいが、性格がああなので近づく男は誰もいないあたり、やっている意味があるのかとつっこみたい。


 そんな彼女が読み耽っているのはベクトーアの歴史書だ。

 国家の建設から一一六年、実際に企業として出来た時からはもう一五〇年以上経過している。

 今になって急に妙な空気が出始めている感はある。その原因のヒントが歴史ではないのかと彼女はにらんだのだ。


 その時、妙な記述を目にする。

 実はラビュリントス崩壊後に勃発した第八次西ユーラシア企業間大戦が始まった直後、ある会社が西ユーラシアから忽然と姿を消したというのだ。

 企業名『アスガルド』。北欧神話にて神々の住む土地の名を冠した会社である。

 しかし、それに関して調べても出てくるのは北欧神話のホームページばかり。そもそもその企業自体が『意図的に抹消された』かのようになっているのだ。


 存在していたことは事実らしい。が、何故この会社の足取りがこの後一切歴史から消えたのか、全く分からないのだ。

 そもそも当時の資料を調べてみればみるほど、どう考えても忽然と消すには企業の規模が巨大すぎる。

 それだけに飽きたらず、この会社、裏では独自M.W.S.の開発も行っていたらしい。

 ということは、第八次西ユーラシア企業間大戦に参戦しても、十分に勝機があったことを示している。

 にもかかわらずその権利を放棄し、何処かへ消えた。

 そして、その失踪原因を調べていたジャーナリストが後に不可解な事故死を遂げているというゴシップ誌も見つけた。


「意図的に抹消されているのかしら……」


 ルナの中にそんな疑念が過ぎる。

 このままでは疑問が増す一方だ。


 しかし、奇妙な点にも気付いた。

 考えてもみれば、この世界にいるではないか。北欧神話に出てくる単語の名を冠した企業が。


 フェンリル。

 もし、仮にアスガルドがフェンリルの前身だとしたら……。

 しかし、それでも何故この企業が失踪しなければならなかったのか、その理由がすっぽり抜けてしまっている。

 余計に頭がこんがらがってきた。


 そして一度本を畳んだ後、少し背もたれに寄っかかって伸びをした。


「姐さん、相変わらず熱心だな」


 ルナの後ろから声がした。しかし、特に彼女は驚くこともせず、後ろを振り向く。


「や、フォース。久しぶりね」


 フォース、アングラ業界では割と有名な情報屋である。本名と経歴は当然一切不明だ。

 サングラスに細身の体つきという見るからに怪しい風体をしている男で、パッと見、非常に弱々しく思える。


 しかし持ってくる情報の価値は本物だ。どういうわけか、この男ヤケに政府高官に顔が利くらしく、軍上層部や幹部会しか知らないような情報まで仕入れてくる。故にルナも信頼し、多くの依頼を彼に与えている。

 そして、ルナは知らないが、ロニキスもこの情報屋を利用していた。だから彼はルナの情報の出所をある程度知っている故に、先日の報告書の出所について問いただしたときにルナに生暖かい目を向けたのだ。


「何調べてるんだ?」

「今までの歴史についてね」

「姐さんのこと、何か起きるんじゃないのかって思ってるんだろ? 今のこの国の空気には確かに違和感を覚えるからな」


 フォースが苦笑するように言うが、ルナはため息を一つ吐いた。


「そりゃそうよ。これだけの奇妙な空気、突拍子もなく急に来たら、何か来るんじゃないかって疑いたくもなるわ」

「なるほどな。ま、姐さんらしいっちゃ姐さんらしいか」


 少し体を起こすルナ。そしてまた別の書物を手に取り、生い立ちの部分からまたチェックを始める。


「で、何しに来たの? 顔を見に来ただけとかいったらミンチにするわよ、今忙しいんだから」


 本を読みながら不機嫌そうにルナは言う。

 そんな彼女にフォースは


「プレゼントとして情報を」


と、脇に抱えられた茶封筒をルナに渡した。

 本を読む動きが止まった。そして、彼女はフォースの方を向き交渉に入る。


「いくら?」

「五十万。内容は諜報部が独自に調べている内部の不穏分子の一覧」

「軍にツケておいて。領収書の宛名は、武器購入費ってことにしといて。ってか、よく手に入ったわね……」

「ま、ホントにA4の紙三枚程度だけどね。その額で提供するのは姐さんだからだよ」

「あんたホントに助かるわぁ。サンキュ」


 途端に機嫌が良くなり、その茶封筒を周囲に誰も見張ってないか一度確認した後、少しだけ入り口から出した。

 本当に薄っぺらい紙だけが入っていた。その中に内偵を進めている人物のリストがギッチリと書いてある。


「意外に調べられてる人多いのね……」


 パッと見た感想はその一言に尽きる。少し見ただけでも、ルナも顔見知りになっている軍関係者が何人かいたくらいだ。


「でだ、そん中でも、姐さんが一番知ってるであろう人物もあるぞ。二枚目の下から五番目を見てみろ」


 そうフォースにいわれて気になったルナは二枚目の紙を出し、下から五番目にある名を見た。


「イーギス・ダルク・アーレン? 准将が?」


 率直に言うと驚いた。穏健派の中心人物にまで内偵が及んでいるとは、予想だにしなかった。


「そ、あのイーギス准将。たった五年間で少佐から准将まで一気に上がってきたあいつだ」


 フォースの言う通り、確かに最近妙な噂は聞くようになったことは事実だし、豹変したとまで言われる大出世にも無理がある。

 何かあるな。そうルナの直感が告げた。

 それ以外にも気になることが多い。故にまた情報収集を頼むことにした。


「新しく調べて欲しいことがあるの。まず『ジン』について。酒以外でね。それと、昔あった企業『アスガルド』についてもよろしく」

「いくら払う? タダっつったらパンチな?」


 フォースは指を鳴らして牽制するが、このひょろりとした弱々しい体つきのためか、それとも音が恐ろしく迫力ないからか、まるで威圧感が感じられない。

 だからルナも


「へぇ、やる? こちとら格闘家よ?」


と笑顔で、まるで虫けらでも見るような目で平然と言った。


 顔は笑っているが目は笑っていない。その気になれば本気で殴り殺す目だった。

 流石にフォースの額にも冷や汗が滝のように出始めている。どうやらルナが漂わせている嫌にどす黒いオーラを感じ取ったらしい。


「……ごめんなさい、冗談です」


 フォースは思いっきり深く頭を下げた。もう腰が九〇度も曲がってしまっている。

 だが、ルナは軽快に笑い飛ばした。


「冗談よ、冗談」


 どうやら面白半分だったらしい。それにフォースはホッとする。

 そしてルナは二本の指を指しだし


「成功したら二〇万でどう?」


と持ちかけた。

 少々安いかとも思ったが、これ以上高くすると領収書の額面をどう誤魔化し通せるか分からない。


 会計監査に敵の内通者がいないとも限らないし、何よりもフォースはルーン・ブレイドにとって貴重な情報源の一つだ。領収書から足が付いてはおしまいである。

 かといって領収書を切らなかった場合、大量の使途不明金が生まれてしまい、今度は彼女が疑われる。

 それでは相手の思うつぼだ。

 そんなルナを察してか、フォースはその額で乗った。


「毎度あり」


 そう言った後、彼らは軽く握手した。契約が完了した際のフォースなりのサインだった。


「ルナ」


 後ろから声がした。

 ルナが振り向くと、図書館のエプロンを着けたバイトの女性が彼女に近づいてきた。

 一度ルナは周囲を見渡す。

 いつの間にかフォースは消えていた。


 いつもこうだった。いつの間にか彼は人の前から姿を消しているし、第一彼がいたという目撃証言すら上がらない。

 相当気配を殺している、それは初めて会ったときから分かり切っていたが、ますますフォースという男が何者で、しかもこんな正確な情報を持ってくるのか気になって仕方がなかった。

 だが、考えてもしょうがないから近づいてくる女性と会話することにした。


「ファリス、久しぶり」


 ファリス・リドナー。ルナのリトルスクール時代からの親友であり、今となっては彼女の数少ない同年代の友達でもあった。


「帰ってたんだ。それにしても凄い量ね」


 ファリスは呆れながら本の山を見つめる。

 彼女、今はここでバイトの身である。さすがにこれだけの量の本を片付けるのは億劫に感じるのだろう。


「まぁね。こうでもしないと情報集まらないし」

「でもね、研究熱心なのはわかるけど、片づける方の身にもなってみなさいよ~」


 ファリスは苦笑しながらため息混じりに言うが、目が笑ってない。

 明らかに本気で怒っている。

 温厚な人間ほどキレると恐い、それはルナがよくわかっている。

 だから一度手を合わせて嘆願するように謝った。


「ごめん、今度ランチおごるから、ね?」

「不味い店じゃやだよ~? この前行った所なんて最悪だったじゃん」


 ファリスが溜め息混じりに話すと、ルナも同時に溜め息を吐いて苦笑した。


「わかってるわよ。ありゃ悪かったと思ってるわ。雑誌のネタを当てにしたのは失敗だったわね」


 とりあえず今度奢るわ、ルナはそう付け足した。

 その後、ファリスは積み重ねられた書物の内容を見てみる。


「でも、何でこんな物を? 歴史書ばかり読んで、考古学部にでも転職すんの?」

「ま、調査の一環ってところかしら」


 ふーんと、聞き流すファリス。

 結構危ない橋を渡っている気はするのでこういう風に聞き流してくれると割とありがたい。

 例え実の親友だろうと、殺しかねないような状況にだけは、ルナはさせたくなかった。

 それが彼女が『甘い』と称される最大の理由でもあり、多くの将兵が惹かれる理由でもあった。


 が、ファリスはそんなことどうでもいいらしく、ただ単純に一つの疑問をルナにぶつける。


「ま、それはどうでもいいけど、なんでまた紙媒体の本ばかり? ウェブで調べれば早いのに」


 彼女の言うことももっともだ。紙資源の削減を理由に紙媒体の本は年々減っているし、最近ではデジタルの本データを売るネットの書店も多い。

 だというのに、ルナは調べ物をするときはいつも紙媒体の本である。それがファリスとしては疑問で仕方なかったのだろう。


「やっぱり、本の方が情報の保存性高いからね。それに、なんつーかな…あたしが好きなの、本が」

「あー、そう言えばあんたの家山ほど本あったわね、それも紙媒体ばっかり。まさか紙フェチ?」


 ルナが固まった。

 紙フェチ。そう言われてみればそうなのかもしれないが、いやしかし、いくらなんでもこの言い方はないだろう。

 というかなんだ紙フェチって。

 やはり彼女の周囲には何か一個は抜けている人材しか集まらない傾向が強いようだ。


「……いや、それはないわ、断じて」


 とりあえず否定するが、ファリスは


「ホントに?」


と、疑り深くルナの目を見る。

 ファリスの持つ碧眼の目が、ヤケにルナには威圧的に見えた。

 その威圧感から逃れるために、ルナはわざと話題を変える。


「あ、そうそう、ファリスだったら『ジン』って言われて何思い浮かべる?」


 ファリスが目を丸くした。


「へ? なんでそんなことを?」

「ま、興味の対象って言ったところかしら?」

「ふ~ん、まぁ、普通はお酒よね?」

「やっぱりそうよねぇ…」


 大方の人がこう答えるだろう。

 だいたいアイオーンの存在自体、軍の人間は大概知っているが、徹底的なまでの情報統制も相まって一般人には知らされていない。

 伝承として聖戦からラグナロクの間にいた化け物と言うことで通っており、今現在復活したことを知る者は少ない。

 だからルナもさすがに『この間出たアイオーンが『ジン』とかいう変な言葉を残した』など、口が裂けても言えるわけがないのだ。


 さすがに悩むルナ。そんな様子に溜め息を吐くファリス。


「じゃ、アドバイス。教授の所へゴー」


 そう言われてはっとした。

 考えてもみれば昔大学で世界史を専攻していたときに、その教授が色々と妙な雑学を教えてくれた。

 その人ならば何か分かるかもしれない。


「あ、なるほどね、サンキュ」


 ルナは立ち上がり、図書館を後にしようとしたが、ファリスはルナの髪の毛を強引に引っ張って止めた。

 髪の毛が抜けるかと思うほど痛かった。ルナは後頭部を抑えながら、ファリスを恨めしく見るが、すぐに表情が引きつった。


 ファリスから黒いオーラがにじみ出ている。

 彼女はにんまりと、不気味な微笑みをしながら


「片付けて行きなさい。それともこれ全部借りてく?」


と質問してきた。

 しかし、話し方が棒読みだからか異常に恐い。


 そして改めて自分が築き上げた本の山を見て唖然とするルナ。しかも今回一番参考になったのはよりにもよって図書館の資料ではなく、今自分が脇に抱えているバッグの中にしまった茶封筒の中に入っている資料というオチが付いている。

 と、なってくればファリスの怒りを静める手法はただ一つ。


「片付けます……」

「よーし、正直だ」


 途端に上機嫌になるファリス。


 やっぱし彼女は怒らせちゃダメね……。


 ルナは心底そう思ったという。

 なお、この本の山、完全撤去までに一時間以上要したことを付け加えさせていただく。

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